侯爵令嬢アンネローゼの失脚・上
今回、三部構成、4000字ぐらいずつあります
……予想外に長くなった
アンネローゼ嬢が失脚したことについて最初に耳にしたのはハゲ狸ことニマール商会の会頭からだった。
僕は時々王宮を抜け出して街に下りている。
ニマールとの取引は時には僕の離宮や王宮の談話室なんかに呼び出すこともあるけどね、度々だと色々怪しまれるから。
評判の悪い第3王子が大手商会の会長を呼び付けて、またなにを無駄遣いしてるのか、とか要らん詮索されたりね。
僕が買う物って言えば、少し前までは薬草関連だったり、鉱石だったり、まあ、農薬や農具、工業に関する研究の代物が多くて贅沢品なんてなかった。
今はリアルテがいるから。
公爵令嬢であるリアルテにはそれなりのものを身につけさせてあげないと。これは保護者としての責任だよ。
親元ではそういうことが殆どなかったそうだから。特に贅沢をさせてるわけじゃないよ。立場からすれば当然と言えるレベル。
お付きのラーラはここぞとばかりにドレスや小物類、宝飾品を買い込んでる。
ラーラはリアルテ至上主義だから、主人を着飾ることができて楽しくて仕方ないらしい。それに、リアルテに似合うから、という文言を使えば僕の財布の紐が緩むのを見抜かれてるからね。
リアルテは紛うことなき美少女。そこらのなんちゃって美少女みたいに、化粧すれば美少女に見えないこともないとか、角度によっては、とかそんな条件無しでそこにいるだけで人目を惹く。親馬鹿じゃないよ。これは厳然たる事実。
この国じゃ珍しい黒髪ってのもあるけど、そうでなくとも将来絶世の美女と呼ばれるだろうことに異論はないよ。……親馬鹿じゃないよ?
この前、僕がデザインした猫耳付き着ぐるみパジャマを贈ったら、喜んで着てくれて、僕が似合ってて可愛いと言ったら上機嫌だった。ラーラは失神しそうなほど興奮してたね。あれは、「尊い」と言いたかったのかもしれない。そんな言い回しここにはないけど。
この世界で多分初めて着ぐるみパジャマを着た人になったね、リアルテは。
その着ぐるみパジャマ、ハゲ狸経由で作製を頼んでいたから、目聡いハゲ狸は早速商品化したいと言ってきた。僕考案のものを勝手に売り出さない程度の常識はあるんだよ、ハゲ狸も。
強かなおっさんだからね。たった1つの商品のために僕の機嫌を損ねるより、面倒でも手間をかけて長く付き合う方が利益になると踏んでるんだよ。
ハゲ狸の商売のやり方はかなり強引なところもあるけど、1つ感心してるのは暴力沙汰を嫌うこと。
「襲って来る連中には相応の対処をしますがね、血を流すなんてのは商売人として邪道でございますよ。なにをいつ、どれだけ買い入れ、どこにどれだけ売るか。肝要なのはそこであって、殴る蹴るは破落戸のやること。彼らがいくら物を売っていても、商人ではありません」
それがハゲ狸の哲学らしい。
商売のやりとりでは、結構えぐいことしてるみたいなんだけどね。
法を破ってるわけでもない駆け引きの結果なら、それは政治が口出しすることでもない。
着ぐるみパジャマの商談があるというから王宮を抜け出し、それが終わる頃に会頭が、そう言えば、とアンネローゼ嬢の話を出して来た。
侯爵令嬢のアンネローゼは僕より4つ年上。
王太子である長兄の婚約者候補だった。
長兄が行う事業の相談で何度か僕のところ来たから、他の王太子妃候補より親密だと言っていい。いや、元王太子妃候補と言えばリーチェがいるか。今現在の僕の婚約者。長兄とはそりが合わなかったんだよね、リーチェは。
アンネローゼ嬢と初めて会ったのは3歳のとき。
王太子の婚約者候補だった彼女に挨拶された。高貴で綺麗なお姉さんという感想を持った。
しかし、なにより印象が強かったのは彼女の巻き毛だろう。見事な巻き毛は、うん、ドリルにしか見えなかった。
しっかりしたお嬢さんで、当時まだ7歳でありながら挨拶も完璧だったけど、その所作の美しさよりドリルが気になって……。
ドリルって、ロマンがない?
ロボットものだと、ドリル装備ってすっごく強そうに見えるし。
冷静に考えると人型ロボットの両手がドリルって不便なんだけどね。
でも強そうでしょ。
そのドリル令嬢は努力家でもあって、多くいる王太子の婚約者候補の中でも頭1つ出た存在だった。
淑女としてのマナーと教養を身につけ、10歳になる頃には完璧なご令嬢だと噂になるほど。
そんなアンネローゼ嬢が婚約者候補から外れたという。
これは結構大事だった。
一夫多妻で子を多く作ることを推奨されてるうちの国だと、婚約者候補になった時点で嫁いだようなもの。たとえ正室にはなれなくとも側室にはなれる立場だからね。
なのに、わざわざ婚約者候補から外したというのは、なにか決定的なことをやらかしたってことになる。
普通、こういう噂は王宮内にある離宮に住んでる僕の方が先に掴みそうなものだけど、僕は貴族の繋がりが希薄だからね。
婚約者たちが持って来る噂話と、こうして街で聞く話ぐらいしかニュースを得るツテがない。メイドたちもさすがに僕に噂話をしないしね。どっちかというと、ラーラ以外の使用人は王子である僕に一線を引いてる。礼儀を弁えているってことなんだけど、気軽に話せる関係にはないから彼ら持つ情報も円滑に伝わって来ない。改善した方がいいかもしれない。
貴族関係の情報が遅いのは、貴族の問題なんて係わるだけ面倒だから距離を置いてるのもあるけどね。
他の兄弟たちに比べて、貴族関係の話が集まりにくい立場なのは間違いない。
「どうしてアンネローゼ嬢が? 彼女は王太子殿下の婚約者候補の中でも上位だったはずだけれど」
家柄も才能も容姿も、申し分がなかった。もちろん、性格も。
長兄との仲も良かったはずだ。いや、かなり気に入ってたと思う。
彼女を外す意味が分からない。
アンネローゼ、ロゼが駄目なら合格なんていないんじゃないの?
「ご存知なかったので?」
「知らない」
王太子も僕も同じ王宮内にいるとは言え、実際に寝起きしてる宮は離れた場所にある。
長兄や次兄の宮でなにか起きても、文書で通達があるわけでもないから分からない。
「飽くまでも噂でございますが、王后殿下のご機嫌を損ねたとか」
「王后殿下が? でも、彼女のことを気に入っていたと思うけど」
これも噂での話でしかない。
王太子の母親である王后とは、それこそ顔を合わせるのも稀だからね。
会えば当然挨拶するけど、向こうからは僅かな会釈めいたものが返されるだけで、会話らしい会話なんてしたことがない。
公式行事のときだって決まった位置に立ってるだけだから、王后と会話したりしない。
そりゃね、継承権1位の王太子の母親にしてみれば、息子以外の継承権持ちは邪魔でしかないよ。煙たく思われるのも分かる。だから僕も敢えて係わらないようにして来た。
そのせいで情報が遅れた。
ハゲ狸は難しい顔をして、もごもごとしてる。割とはっきりものを言うおっさんが、なにを躊躇っているのか?
「これは飽くまでも噂でございますが」
「それはさっきも聞いた」
「このような話をお耳に入れるべきかどうか悩みどころではあるのですが、私は殿下に嘘は言わぬと決めておりますので敢えて申し上げます」
前置き長いな。
けど、それだけ僕に言いづらいことってのは分かった。なんか知らんけど、良くないことらしい?
「バスティア侯爵令嬢は他の王位継承権を持つ者と通じたのが王后殿下の知るところとなり、不興を買った、と」
「へえ………………え!?」
王位継承権を持ってるのは王太子である長兄、そして次兄と僕。他にもいるけど、形だけの継承権で現実的じゃない。
そして次兄はロゼと然程親しくない。
「僕?」
ハゲ狸は大汗をかいていた。それを拭き拭き、
「恐らくは」
そりゃ、ハゲ狸だって本当のところは知らないよね。大商会の会頭だから貴族の情報が集まるパイプを僕より遙かに多く持っていても、なにもかもが分かるわけじゃない。
特に国王や王后周囲となるとね、情報の守りも他より堅いから。
「だって、アンネローゼ嬢とは散策の途中でちょっと立ち話したり、年に1、2回、お茶するぐらいだよ。通じるってほど会ってないんだけど」
「私に言われましても」
そうだよね、ハゲ狸がなにかしたわけじゃないから困るよね。
僕も別に会頭が回答できると思ってるわけじゃない。……なんか、上手いこと言った?
話の流れ的に、問い掛けのような言い方になっただけ。
いや、ホントにね、アンネローゼ嬢と会うのなんてたまにだよ。そのときに世間話として相談されたりもするけどさ。あんなので通じてるって。
ロゼも一応気は遣ってたな。
普通に面会室とか談話室を使うと僕と会ってるのが記録に残っちゃうから、王宮の庭園の端、僕の離宮近くを散策するついでというか、散策を装ってガゼボで偶然会うとか。
どこかでじっくり話し合うなんてしてないのにね。
「僕のせいとなると気分悪いな」
そもそも僕の用事で会ってたわけでもないから余計に変な後味の悪さがある。
僕と王后殿下の確執に巻き込まれたんだよね。ロゼもある程度まずいとは思ってたから、会うのにも慎重だったのに。
誰が密告したんだか。
他人の足を引っ張りたがる輩はどこにでも湧いて出るからね。
「婚約破棄だけで済めばいいけど」
「そこは、貴族様の社会ですからな」
体面を気にするからね。王太子との婚約話が流れたってだけでもダメージだろうに、それが他の継承権持ちと通じたせいだってなったらどうなるか。
「アンネローゼ嬢を失うのは王太子殿下としても痛手だろうし、国にとっても大きな損失になると思うんだけど。
厳重注意ぐらいで済ませれば良かったのに」
どうして僕と会ったぐらいでいきなり候補から外すのか。
器小さ過ぎない?




