リーチェとの修行・下
リーチェと正面向かって対峙する。
お互いに剣の届く間合いのギリギリ外。
僕もリーチェも青眼に構えているけど、リーチェは次の馬術が楽しみなのか余裕というか、油断がある。
リーチェはいつも通り軽鎧を着ているし、大丈夫だろう。
僕がやろうとしていることがうまく行くとは限らない。やっぱり、身体が小さいのは不利だよ。
リーチェは僕の出方を窺っている。僕がなにをしても潰す自信あるんだろうね。
だから付け入る隙があるんだけど。
僕は間合をつめずに剣を投擲した。
破れかぶれじゃないよ。
さすがにリーチェがびっくりした表情を浮かべる。
それでも飛んで来る剣に当たるほど鈍くない。
打ち落とさずにひょいと躱す。
剣を弾かれようと躱されようと、僕としてはどっちでも良かった。
意識を、リーチェの注意を一瞬でも逸らすことが出来たなら。
剣を投げると同時に踏み込んでいた僕はリーチェの懐に迫っていた。
剣だろうと槍だろうと最適な間合というものがある。その武器に適した間合を外れると途端に優位性が失われ、攻撃が届かなかったり、取り回しが厳しくなる。
肉薄した間合は剣には近すぎる。
僕は殴りかかる真似をする。
距離を取るか、剣以外で対処するか。剣の柄で打つという手もある。
リーチェは左手に剣を持ち、右手を空けて握り拳を作った。
ここでも体躯の不利。僕とリーチェがお互いに腕を伸ばせ、先にリーチェの拳が僕に届く。そして僕の拳は相手に届きすらしない。
僕はそのリーチェの伸ばされた右腕を取った。
僕の拳がリーチェに届かなくとも、伸びて来た腕を掴むことはできる。最初から、それが狙いだった。リーチェなら、僕の拳に即応してやっぱり殴ろうとすると思った。
僕の狙いはリーチェを殴ることでは無くて、リーチェに拳を出されることだ。
投げ技というものはね、この世界にもあるよ。
でも雑な、力任せ的なものが多い。
時間を掛けて合理的に編み出された技術とは言えない。或いは、今後そういう技術が磨かれて行くのかもしれないけど、今現在は僕の知る限りはそういうものはない。
全身鎧の者同士が一騎打ちになれば相手を抑え込んで鎧の隙間に短剣を差し込む。
そういうときに組み打ち術的なものが使用される。
その流れは柔術や柔道の原型みたいなものだけれど、それらを纏めて技術にまで発展させてはいないはず。
経過した時間=熟考された時間
まだまだ歴史が浅いんだね。
僕は昔々先人たちが研鑽を重ねた技術の上澄みを少し習ったに過ぎないけど、それでも柔道知識のない年上の女の子を投げることぐらいはできた。
必殺山嵐!
……嘘です、ただの一本背負いです。
リーチェの勢いをそのまま利用しての背負いは思った以上に綺麗に決まった。
できるだけ優しくしたのは怪我をさせる気がないから。
リーチェだって落馬なんかに備えて受け身の訓練ぐらい受けてる。
それに彼女には天性の才能があるからね。
うまく衝撃を殺してくれたみたい。
仰向けになったリーチェは動かない。
気絶してるんじゃない。肉体的ダメージはそんなにないはずだ。頭も打ってない。
僕もね、経験あるよ。
昔々、高段者の人に稽古をつけてもらったとき、組んだと思ったときには天井を見上げてた。
なにが起こったかも理解できなかった。
ここは競技用の畳じゃないから、それなりに衝撃はあったろうけど、動けないほどじゃないはずだ。
うまく投げられた人間はなにが起こったか分からないうちに倒されてる。状況を理解するには少しかかる。
「あ、倒れてるんだ」
眼をパチパチとやった後、リーチェはそう呟いてからすぐに立ち上がった。
いや、リーチェさん、なんでそうじっと見てるのかな。
尊敬の眼差し?
そういう眼で見られるのは悪い気はしないけどもさ、なんか嫌な予感するんだけど。
と思ったら、リーチェが抱き付いて来た。
というか、突進? タックル?
僕が吹っ飛ばされなかったのはリーチェが僕を抱え上げたからだ。
ちょ、やめ……
7歳は、こういうのもう恥ずかしいから。
「凄い、凄いよ、レリー。どうやったの? 全然分かんなかった」
婚約者を振り回すな。
リーチェは僕を軽々と振り回し、自分勝手なダンスを踊る。
僕、足付いてないからね。一緒にダンスを踊ってる、とはとても言えない状態。
褒められること自体は悪い気はしない。
でも、内容がね。
なんとかやれたけど、結構ギリギリだった。
リーチェだからうまく行ったけど、大人、例えばスーアンク相手だとどうだったか。
鍛錬していても7歳の身体。
無理はある。
で、いい加減やめれ。目が回って来た。
というかね、ぬいぐるみじゃないんだから、頬ずりしないように。
淑女でしょ、君。
前から思ってたけど、リーチェは僕をぬいぐるみかなにかと思ってる節があるんだよね。
すぐ抱き付くし。
「殿下、今の投げは偶然ではありますまい」
リーチェが止まったと思ったら違った。
スーアンクが止めたんだ。
面倒臭い話しようとしてるのは分かる。
軍人だからね、今の見たら興味持つよね。
「質問は無し。僕の身体がもうちょっと成長したら解禁するよ」
嫌がらせとか意地悪じゃなくて、今の身体じゃお手本見せるのもきついからね。
写真ないから技の説明は図説か実際に見せるか。言葉だけじゃ難しいんだよね。
図説したものを纏めるにしろ、年単位で時間が欲しい。
「それはつまり、ああいう技は1つだけではない、と?」
「原理があり、派生があるんだよ。体系的な技術としてね。
今見たものから自分で考え、編み出すのは自由だけれど、僕が人に伝えるのはもう少し大人になってから」
スーアンクの専門は剣。
それでも人を打ち倒す技術にはそれなりに精通してる。
投げ技1つ見ただけでも気付くこともあるだろう。
他の騎士たちも興味津々という顔。交渉役としてスーアンクが僕に話し掛けてなかったら、別の誰かが話しかけて来たろうね。
触りだけでも教えれば自己研究して柔道の改組になったりしてね。
僕は無理だよ。
いくつか技を知ってても、達人レベルじゃなかったし、その方面の才能が豊かとも思えない。理論や技術に関して知識は与えられても実践となるとね。僕じゃ力が足らない。それは身体の生育がどうこうという話じゃないから、大人になったところで無理。
それだけに打ち込む人生ならいざ知らず、片手間にやって極められるほど簡単な話じゃない。
どの道でも、一流になるのなら相応の時間をかけないと。
今の世界情勢で言うなら軍人とか傭兵、武人と呼ばれる人たち。
僕じゃない。
って、真面目な話してるけどさ、まだリーチェに抱えられてるからね。
この子、放してくれないんだ。
女の子との密着は嫌いじゃないよ。この体勢はかなりプライドが傷付くけど。
「リーチェ、いい加減おろして」
「え、嫌」
当たり前のように断らないように。
「リーチェ」
「だったら、さっきのどうやったか教えてくれたら下ろす」
なに、その交換条件。
僕にメリットがないから交換ですらないじゃないか。
僕が答えずに睨むとリーチェは不服そうな顔で下ろしてくれた。
いや、ずっと抱えてるつもりだったわけじゃないでしょ?
というかね、僕より年上なのに、そんな頬を膨らませて拗ねるんじゃありません。そのうち教えてあげるから。
でもリーチェは運動方面の才は豊かだから、ちょっと教えればすぐに僕なんて追い越すんだろうな。今の背負いだって、初見だから通じたけど次は無いだろうし。
僕の柔道無双の時代は短いに違いない。
柔道、いや合気道のがいいかな。あれは剣を持たない女性の護身術としては悪くないから、僕の奥さんたちには覚えて欲しいな。役立つ場面がないことが一番だけど、なにがあるか分からないからね。
衛兵たちにも是非覚えて欲しい。
賊を生かしたまま取り押さえるのに有効だから。
……なんか、仕事増えそうな気がする。
これも将来のんびりするため、今は我慢我慢。
「さ、リーチェ。勉強するよ」
リーチェは、げ、という声は出さなかったものの、そういう顔をした。
うん、忘れてたね、君。
でも僕は忘れてないからね。
この後はリアルテと一緒にお勉強だよ。
嫌だろうとも約束は約束。
リーチェは泣きそうな顔になりながらも、手を引く僕に逆らうことはしなかった。
投げ技は危険なので、正しい知識のない人は決して真似しないように




