俺のクラスの担任、ラノベ作家になりたいらしい
遠くから聞こえる陸上部の掛け声の他には、PCのキーボードをパチパチと打つ音、それと俺の呼吸だけ。そんな平穏がガラガラと音を立ててぶち壊れたのは、ちょうど時計の針が四時を指した時だった。
「私の原稿、読んでください!」
ガラガラと音を立てて部室の扉をぶち開けた彼女は、その後ずかずかと部屋に入り込んだかと思えば、俺の目前に謎の紙の束を突きつけた。
「……は?」
突然の出来事に慌てふためくことも出来ず呆然としていると、彼女はふんっ、と自信満々に鼻息を吹かせた。
「君、ラノベ書いてるんだって?」
「え、ええ、まあ」
俺は一年ほど前、とあるレーベルの新人賞を受賞して、まあ一応、ラノベ作家という肩書きを名乗っても良い身分だった。
「実はね、私、ラノベ作家目指してるんだ。今度の新人賞に作品出そうと思ってる。でも、自分じゃなんかよくわかんなくて。で、君がラノベ書いてるってことたまたま知って。だからね、」
君に先生になって欲しいの。そう言って彼女は紙の束を俺に差し出したまま、頭を下げた。
傍から見ると……、いや傍から見ることは出来ないのだけれど、きっと傍から見ればひどく奇妙な光景だったと思う。
大の大人が高校生相手に頭を下げているのだ。
「……なんだかよく分かりませんけど、とにかく、頭を上げてください。……小石先生」
小石桃。社会科教師。教師一年目。……俺のクラスの担任。
小石先生は顔を上げ、期待の籠った目を俺に向ける。
「そんなキラキラした目を向けないでくださいよ。……だいたい俺、別に人にどーこーアドバイスできるほどの実力なんて……」
「御託はいいから!私より上なのは確かだから!とにかく読んで感想伝えてくれるだけでいいから!」
小石先生はぐいぐいと原稿と思しきものを俺に押し付ける。
「あー、はいはい!分かりました!……本当に読むだけですからね?」
俺は受け取った原稿をぱらりとめくる。
「どお!?」
「まだタイトルしか読んでないですって!」
「タイトルは、どお!?」
「……高校生の健全な精神の発達に悪影響を及ぼしそうなタイトルですね」
「まじ?変えた方がいい?」
「うーん……、どうだろう」
俺が首を傾げていると、小石先生は何かに気づいたように辺りを見回した。
「あれ?そういや、文芸部って部員君だけ?この学校は部員三人以上居ないと部活として成立しないんじゃなかったけ?」
「ええ、そうですよ。俺以外にも部員が三人……文芸部は全員で四人です」
「……見当たらないけど?」
「今ここに居ないからですね。一年の今中さんは交通事故で入院中。俺と同学年の……、二年の安田くんは二ヶ月ほど前から学校に来ていないようです。同じく二年の速野くんは陸上部と掛け持ちで、三ヶ月に一回ほどしか顔を出しません」
「へー、実質君一人なんだ。寂しくない?」
「いえ、別に。むしろ……」
「原稿が捗るって?」
からかうようにニヤリと笑った小石先生を、むっと睨んで、また原稿に目を落とす。
「あ、じゃあ顧問は?居ないの?」
「いえ、居ますよ。副担任の高浜先生が顧問です」
「げっ、高浜先生!?」
小石先生は露骨に顔を顰めた。
「苦手なんですか?」
「天敵なのよ!あの人すぐ怒るから!」
「そうなんすか。ちなみに、高浜先生は毎日今ぐらいの時間に文芸部に顔を出しに来ますよ?今日もそろそろ来ますかね」
俺の言葉を聞いた小石先生は慌てた様子で椅子から立ち上がった。
「それをさっさと言いなさい!高浜先生にこんなとこ見られたら絶対怒られるじゃない!」
「高浜先生じゃなくても怒ると思いますけど……。ていうかこの原稿は!?」
小石先生は今にも駆け出しそうに足踏みしながら、俺の持っている原稿を乱暴に指さし、くるくると人差し指を回した。
「あー、それは、明日!明日も私ここに来るから!その時に感想聞かして!じゃね!」
小石先生は、ドヒューン、と効果音が付きそうな、なんだかコミカルな動きで文芸部を去っていった。
「嵐のようだった……」
俺は原稿を机に置き、ふぅ、とため息をついた。
緩く巻いたセミロングの髪が残したフローラルな香りが、まだ部室を非日常に染めていた。ぼやけたガラス窓から、小石先生より1.5倍ほど横に大きいシルエットが近づいてくるのが見えた。高浜先生だろう。俺は原稿を、横に置いたリュックに入れ、PCに向き直った。
宣言通り、小石先生は翌日も部室に来た。
「感想聞きに来ました!」
俺はうげっ、と思いつつも彼女を待っていたことも確かなので、PCから目を離し、貰った原稿を机の上に置いた。
「……ほんとに俺、アドバイスなんて何も出来ないですけど」
「いいって、それは!……それで、どだった?私の小説」
「まあ、そうですね。うーん……」
小石先生はゴクリと喉を鳴らした。
「……これは、読者としての感想なのですが」
「う、うん」
「誤字脱字が多すぎて、読みにくいことこの上ないです」
「内容以前の問題だったか!」
小石先生はふがっ、と仰け反った。
「自分で読み返しました?」
「……読み返してない」
でも、と小石先生は身を乗り出す。
「それはしょうがないのよ!教師ってスーパー忙しいんだから、時間がとにかく無いの!」
「それはまあ、お疲れ様ですって感じですけど。漢字が変な風に変換されてるとこが多すぎるんですよね……」
俺がボヤいていると、小石先生は急かすようにペンペン、と指で机を叩いた。
「それでそれで、内容は?気になるとことか、有った?」
「内容ですか……。まあ、面白かったと思いますよ。ただ……」
「ただ?」
小石先生は首を傾げる。
「話の中でやたらぶっこんでくる社会科の雑学、あれなんですか?物語に全然関係ないですよね。強引すぎる上に詳しすぎてあれで文字数めちゃくちゃ稼いでるように思うんですが」
「私、日本史が特に得意なの」
「知りませんよそんなこと」
「でもでも、政治のこととか入れると物語が現実的になるっていうかぁ」
「それでいうと、主人公とヒロインの年齢差結構ありますよね。あれは全然現実的じゃないと思うんですが」
小石先生は馬鹿にしたようににやっと笑った。
「君もそういうとこはちゃんと高校生ね。大人になればね、六歳差なんてざらなのよ。まったくもって現実的よ」
「……いやでもこの主人公、こうこうせ……」
「しゃらぁっっぷ!」
……まあそんな風に、その日も高浜先生から逃げるように小石先生は部室から去り。
意外にも、俺と小石先生の交流はその後も続いた。
小石先生は、ふざけたような人に見える……実際そうなのだが、けれど彼女は諦めない人だ。俺が指摘した部分を的確に直した原稿を持ってきては感想をねだり、感想をねだり……。
いつの間にか、小石先生と過ごす放課後が日常になっていた。
初めて部室に押し入られてから一ヶ月ほど経った日だったろうか。その日は授業が午前中に終わり、俺は軽く昼食を取ってから、部室で原稿を進めていた。
俺の隣では、小石先生が同じくPCを前に唸っていた。原稿の改善点をこの時間のうちに直したいんだとか。夕方と違って、日光が差し込む明るい部室がなんだか新鮮だなあ、なんて俺はぼんやり思って。
「ねえ、高浜先生はまだ来ないんだよね?」
「え?ええ、まあ。いつも通りの時間に来るなら、まだあと数時間くらいは大丈夫じゃないですか?」
「そーだといいねぇー」
小石先生はそう言いながら、ぐい、と伸びをした。
「原稿、書けば書くほど君を尊敬するよ。こんなにムズいことしてたんだ」
「……そう、ですかね」
「そうだよ。……ねえ、君はなんで小説書こうと思ったの?」
ちらりと隣を見ると、小石先生は頬ずえを着いて遠くの方をぼけっと眺めていた。質問の意図は特にないようだ。
「なんでって……。別に、ただ……、賞金が欲しかったから、ぐらいの軽い動機です」
「それで賞とれちゃうんだ。そりゃ才能だ」
小石先生はふっと息をついた。機嫌を損ねている、様子でも無さそうだ。
「……先生は、なんで書こうと思ったんです?」
「え、私?」
「はい」
「んー……」
夢なんだよね、ずっと。小石先生はぼそりと言った。
「……夢」
「そう、夢。高校生くらいかな、ラノベ読み始めたの。面白くってさ。書きたいって、思っちゃったんだよね。それで、大学生のうちにさ、"期待の新星、現役女子大生ラノベ作家デビュー"って感じで華々しくデビューするつもりだったんだけど」
気づいたら卒業しちゃってた。小石先生は目を細めたままふっと笑った。
「自分でも不思議。教師になるなんてね」
「……教師、いやですか?」
「ぜーんぜん。楽しい。生徒のこと大好きだしね」
「そう、ですか」
それを聞いてどこかほっとした自分がいた。
「でも、辞めちゃうんですよね。もしデビューしたら」
「まあねー、公務員だしねー」
もしかして寂しいのかー?と小石先生が俺の顔を覗き込む。
「取らぬ狸の皮算用……」
「なんですって?」
俺は小石先生から目をそらす。
「ま、でもその時はさ、お互い鎬を削るライバル作家として売上で勝負しようよ」
明るく言った小石先生の言葉に、俺は頷くことが出来なかった。
「……その頃に、まだ俺が小説出せてるとも限りません」
「なんだー?弱気だなあ。才能あるくせにい」
「……才能っていっても、俺は分かりませんよ。未だに俺の書く小説の何がいいのか自分でも分かりません。矜恃だって、ない。適当に書いたら、なんか勝手に賞とか貰っちゃっただけで。それにそもそも、多分俺は、あまり小説を、ラノベを……愛してもいない。出せなくなったら、きっともうそれで終わりですよ」
反射的に言葉を吐き出して、しまった、と思った。
恐る恐る小石先生の方を窺う。
「ほーん?じゃあまだ進路未定かー?いいじゃん、自由で」
のほほんとした予想外の反応に、俺は少し拍子抜けした。
「……怒らないんですか?」
「逆になんで怒るのよ」
「いや、俺はてっきり、"デビュー目指してる人の前でなんてこと言うんだー!ずるいー!"って言うのかと」
「そんなこと言う教師がいてたまるか」
「ああ、そういやあなた教師でしたね」
「なんてこと言うんだ貴様」
まあでもさ、と小石先生は言葉を続ける。
「意外とやってみたら、なんでも楽しかったりするよ。元ラノベ作家って肩書き、なんかかっこいいじゃん。ま、好きにやってみな」
小石先生はなんでもないような顔でキーボードを叩いていた。
「……はい」
俺は掠れた声でそう返した。
そうして年がぐるりと、あと少し回って、いつの間にか卒業式。
桜舞う校舎に、小石先生の姿はなかった。
***
書店に入ってまっすぐ進んで、たーんれふと。
ラノベコーナーは奥まった所にあった。
俺は作家の名前に視線を滑らせ、お目当ての本を手に取った。その時、ふと、その横に置いてある本に目がいく。手に取った本の作者の、デビュー作だった。
俺はその本も一緒に会計を済ませ、二冊の本を鞄にしまった。
店の外に出て、すっかり暗くなった空を眺めながら、俺は電話をかける。
「駅前の本屋に、新刊売ってましたよ」
電話の相手は、六年前と変わらない弾けたような明るい声で返した。
「え、まじ?そういや今日か」
「忘れてたんですか……?ああ、あと、先生のデビュー作も合わせて買ったんですよ」
「え?君、もう持ってたよね?」
「ええ……、でも、なんか懐かしくて」
「そうだねー懐かしいねー」
「六年、あっという間ですね」
「そうだねー、でも君は六年のうちに、高校生から大学生になって……、もう就職したんだね。ねえ、高校はどんな感じだった?文芸部、変わってた?」
「全然です。あの時のままですよ」
「そか。……まさか、君が教師になるなんてねー」
「自分でもびっくりです」
「ほーんと……」
俺は電話を切って、駅へ歩き出した。
小石先生の言っていたことは正しかった。
確かに、大人になれば六歳差なんてざらだ。
俺の鞄の中で揺れている、小石先生のデビュー作。
『俺の担任の新人教師が、彼女になった件』