ウォレスの恐ろしさ
謁見が終わった後、ウォレスさんは宿に帰ってしまった。
あの人があんなにもお父様の前で緊張するとは思わなかったな。
平民であることを考えれば当然なんだけど、あの獰猛な戦いぶりからは想像もつかない。
私は事前にお父様と話して、ウォレスさんにあの二本の剣を託すように伝えていた。
お父様も快諾したというのに、あのウォレスさんは本当に自分に厳しい。
あの場で剣をもらっても誰も責めないというのに。
そんなことを考えながら、私はウォレスさんが滞在している宿に向かった。
城の外ではフードをかぶっているし、ほとんどの平民は私の顔なんて知らない。
更に服装と髪型を変えればまず気づかれなかった。
宿の前に行くと、あのソマリが正面から歩いてくる。
少しおぼつかない足取りで一瞬でも別人かと思ったほどだ。
「ソマリ? 宿に何か用?」
「……リエール様」
顔を上げたソマリはどこか焦燥しきっているように見える。
これまで表情一つ変えずにお父様を狙う刺客を排除してきた彼女からは考えられない。
中には一級相当の魔術師もいたというのに、ソマリはたった一撃で葬った。
私の中での目標としている人物だけに、ソマリの様子を見るとこっちまで動揺してしまう。
そもそもお父様のそばから離れること自体が滅多にないというのに。
ここでハッとなって私はソマリを自分がとった部屋まで連れていく。
ティーカップを差し出したけど、なかなか手をつけようとしない。
リエール様なんて話しかけられてるのを聞かれたら面倒だ。
「ウォレスに会ってきました」
「ウォレスさんに? ど、どうして?」
「謁見の間で彼を見た時、生まれて初めて恐怖したからです」
ソマリのティーカップを持つ手が震えている。
相手がどんな重鎮だろうと、お父様の傍らで冷ややかに見ていたソマリが信じられない。
はぐれ魔術師数十人の集団をたった一分で壊滅させたソマリが、何かに怯えるなんて。
「ソ、ソマリがそこまで? 彼に魔力がない以上は魔力感知で感じ取ることはできない、よね?」
「謁見の間に彼が登場した時、ドラゴンかと錯覚したほどです。全身の血の毛が引くかと思いました」
「ウォレスがドラゴン……」
「いえ、今思えばもっと大きな何かです。見たこともないような無限の凶暴性を持つ未知の怪物……。魔力云々ではない、感じたことがない恐怖……」
ソマリが感じているのは人の本能に眠る恐怖だ。
原始の時代から人が受け継いできた野生への恐れ、なまじ魔力に頼ってきたからこそより怖く感じる。
でもあのソマリがウォレスさんと会ってこんなにも怯えるなんて、何があったんだろうか。
「私は陛下の思想に共感しており、共に歩めると判断しております。だからこそ魔力を持たない人間にも偏見はなかった……はずなんです。しかしやはり心のどこかで見下していたのでしょう。今は自分が情けないんです」
「待って、ソマリ。ウォレスさんに何かされたの? あの方はそんな人ではないはず」
「私は試しにウォレスを攻撃しようと思いました。今思えば血迷ってました。しかしどうしても、そうしたくてたまらなかったのです」
「つまりウォレスさんはあなたの攻撃意思や初動に気づいたと?」
私がそう言うとソマリが目をかすかに開いた。
なぜわかったのですかと言いたげだ。
「いえ、でも直前で思いとどまりました」
「あなたは自分でも気づかないうちに攻撃の動作を行おうとした。ウォレスさんはそこに気づいた。町のならず者の集団を倒した時もそうだったんだよ。ほとんど何もさせずに先手で倒してしまった」
「しかし魔力がないのにそのようなことが可能なのでしょうか!?」
「ソ、ソマリ?」
「不可能です! いえ、魔力があってもそのレベルで察知するなど! 魔力筋や魔力発動時の魔力増減、あらゆる感知を試みても不可能でしょう!」
私は言葉を返せなかった。
あのソマリがここまで声を荒げるなんて、今までなかったことだ。
いつも蚊の鳴くような声で申し訳程度に話すのがソマリだった。
私はどうしていいかわからず、ソマリの手を握るしかなかった。
「私はお父さんに勝って自惚れていた……。名誉だの誇りだの口うるさかったお父さんなんてせいぜい特級魔術師程度の力しかない……。いや、あんなものを見てしまった以上はもはや等級なんて何の意味もない」
「私が見た時の戦っているウォレスさんは最低でも一級に比肩するでしょう。でもソマリ、よく聞いて。あの人の本領は剣を持って発揮されるの」
「剣? そういえば、それらしきものを持っていたような気がします」
「謁見の間で見た時はどこで見つけたのかわかりませんが、それらしいものを腰と背中に身に着けていました。つまりならず者達を倒した時より遥かに強くなっているはず」
私はあえてソマリに現実を突きつけた。
ここで潰れてしまわないか心配だったけど、心地いい言葉で慰めるのは違う。
あなたは強い、自信を持って。
そんな言葉がソマリのためになるとは思えない。
もしそれでソマリが自信を取り戻しても、彼女は何も変わらない。
私はソマリに認識の誤りに気づいて成長してほしかった。
ソマリは両手で頭を押さえるほど打ちのめされている。
初動に気づかれたくらいで、と思うところだけどソマリはそれで察したんだ。
戦っていたら負けていたかもしれない、と。
「あのまま攻撃しても、おそらく反撃されてました。間合いを取らずとも、そのまま私の首を掴んで握りつぶすことくらいできたはずです」
「そう、だから落ち込んでいるんだよね。実質、あなたは敗北を認めた」
「でもあのウォレスは私を殺すつもりなんてなかった。ただそれだけです。もし私が敵として認めらていたらと思うと……」
「ウォレスさんと戦って命拾いしただけ運がよかったんだよ。ソマリ、顔を上げなさい」
私はソマリの頬を両手で触った。
「あなたはこれからもセルクリッド王国の魔術師として仕えて。そんな人が拾った命に感謝もせず、俯いているなど許さない」
「リエール様……」
「ウォレスさんは常に現状の強さに満足することなく、上を目指している。それこそが彼の強さの本質だよ。あなたはどう?」
「私は……」
ソマリは下唇を噛んで苦々しい表情だ。
一番になった気でいたのに実は上がいた。
それは確かに耐えがたい事実だと思う。
だけどあのウォレスさんは自分が一番だと思っていない。
道中、二級の魔物であるマンティスブラッドを数秒で討伐した時もまったく明るい素振りを見せなかった。
魔術師に姿を見せることなく惨殺する凶悪な魔物を素手で討伐したなんて、あの人にとっては通過点でしかない。
「あなたはセルクリッド王国の親衛隊長だよ。さぁ、胸を張った背筋を伸ばして」
「はい、すみません。見苦しいところを見せてしまいました」
私はソマリから手を離す。
ソマリが立ち上がり、部屋のドアノブに手をかけた。
「私はまだ終わりません。黙っているなんて、できるはずがありません」
ソマリの口調は迷いがなさそうだ。
私はそれ以上何も言わず、黙って彼女を見送った。
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