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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

赤と白

作者: Nicola

 壁から天井まで分厚く透明なガラスで囲われたここには、必ず何かしらの花が色をつけている。白の花に赤の蕾。

 常春の、外界から線引きされた、黙した植物が大量に戯れる透明の箱だ。

 中心には透かし模様の入った白い丸いテーブルと、それと同じ系統の白い椅子が二脚ある――はずだった。

 その白の椅子が狭い温室を横切った。背のある靭やかな枝葉などにぶつかってガサガサドシャンと派手な音を立てて落ちる。

 ガラスを割りかねない暴挙に出たのは、背筋の伸びた白髪のひとりだった。細く編んだ長い三編みをぱっと背中へ払い、椅子の軌道を辿るように敷き詰められたタイルを蹴った。三編みが一瞬遅れを見せるようになびくが、即座に体へとまっすぐ引っ張られていく。

「リショウ。なるべく荒らさないでほしいよ」

「まだ壊してはいませんよ」

 リショウはひとつも息を乱すことなく、答えた。

 要望を出してきたのはガラス製の扉の横に立つ赤髪のひとりだ。整った格好で、リショウと比べて身につけているものの価格帯が上だと見て分かる。汚れも皺も知らないシャツの襟はボタンがふたつ開けられているが、だらしなさは感じられず、本人の穏やかさを表しているようだ。

「壊すは最悪の状況だね。私は荒らさないよう頼んでいるんだよ」

「それは私ではなく()()()の殿方に頼んでください、ケシ様」

 とっくに椅子の着弾地点に辿り着いていたリショウは、男の顔面を片手で鷲掴みにしていた。片腕で悠々と男を持ち上げ、ガラスの壁に押しつけている。林檎でも割るように指先が白くなっているが、リショウの表情は特に変わっていない。

 椅子が直撃した痛みを堪能する間もなく顔を掴まれた男は呻いて、リショウの腕を引っ掻いているがそんなものも気にしない。もう一方の手は銀の銃を持ったまま跳ね上がっており、視線も弾道の先だ。

 男が暴れようが関係なく、リショウはケシを見ていた。

 いや、正しくはケシの隣に咲いた赤の花を。

「……今飛び出してくるとは」

「三人目も来ますよ」

 リショウの銃がひらりと舞った。同時に呻いて暴れている男から手を離し、軽く投げた銃身をその手で握る。勢いを殺さず、男の顎に銃のグリップを下から強く叩きつけた。

 その間にも空いた手は二丁目の銃を抜いていた。鈍色が軽やかに跳ねる。弾丸が真っ直ぐ、緑のカーテンの向こう側を撃ち抜いた。

 花が咲く。

 ドサ、と誰かが倒れる音を最後に温室に静けさが戻った。

 リショウは銃を音もなく片付け、うつ伏せの男を蹴って上を向けさせる。完全に気絶しているのを見てから、どこからともなく取り出した縄で気絶している男の腕と足を縛り上げる。

「申し訳ありません」

「ここを荒らしたことに対してかな」

「いいえ。吐かせる前に気絶させてしまったことに対してです」

 男の足を掴んでずるずると引きずってケシの前までやってきたリショウの靴は土で汚れているし、体にぴたりと沿うズボンの裾には草の汁が付着している。それに、リショウが投げた椅子は細い枝を折って、若々しい葉をずたずたに落としていた。芽を出していた若葉も踏み潰されている。

「それに、荒らした云々はこちらの殿方たちが原因です」

 リショウはここに入ってきて、まずひとりを迎撃、そのままタイルを踏んで中心まで移動し椅子をぶん投げた。草木を踏んだのは椅子をぶつけた男を捕らえるためのあの一箇所だけだ。

「だが、撃ったのはリショウ、君では……」

「では、次回があれば格闘で処理しましょうか。比較的、血は散らずに済むかと」

 ここに侵入していたうちのひとりはケシの登場に合わせて草を薙ぎ倒し、花を散らしての華やかな登場だった。即座にリショウの反撃に合い、土を荒らしてプランターを蹴倒し、緑のカーテンを引きちぎって奥へ一旦逃げ込んだ。正面にいた男はそれこそ椅子を投げつけられるまで場所を動いていないので、荒らす云々の罪は小さいかもしれない。そして、途中で飛び出してきた一番に花を咲かせた男はどこを踏んで侵入したのかを知らないので保留とするにしても、ここを荒らした犯人としてはリショウよりも三人の方が重罪のように思えた。

 ケシは苦い表情でその惨状を眺めてから、オールバックになった髪に指を通す。くしゃ、と柔らかい髪が崩れた。

「その方が散らかりそうだ。もう少し上品に終わらせてくれればよかったものを」

「ケシ様のように上等な教育は受けておりませんので」

 リショウが軽く笑みを作り、縛った男を肩に担いだ。リショウの体格でそんなパワーがどこに秘められているのか、付き合いの長いケシにも分からない。少なくともケシの知る一般人は自身と大差ない身長の男を片手で持ち上げないし、リスを肩に乗せるような気軽さで人間を担がない。

「はあ……。お気に入りの場所なのに。ずいぶん荒れてしまった」

 そう呻くケシの崩れたオールバックに血が散っていることに気づき、リショウはズボンから白のハンカチを引っ張り出してぐいと強く拭った。

 突然押しつけるように拭われ、ケシの頭が前へ傾ぐ。

「なんだ……!」

「血がついていました」

「そんなもの、顔にも服にも大量についているよ、リショウの対処が遅いせいで」

 温室に次いで、すぐ近くで男を撃ったことも気に触って障っていたようで、ケシは苛立ちを鼻から排出した。

「あれはケシ様が対処されるかと」

 機嫌の悪くなったケシに対し、リショウはどこまでも調子が変わらない。肩に担いだ男を揺らしてケシに先を促す。

 閉じ込められた春の暖かさは生臭さをどんどんと濃くしているようだ。リショウは早く出ましょうとケシを見ているが、ケシはふんすとまた鼻を鳴らした。

「主人に処理させる奴がどこにいる。そう教育されたか」

「いいえ。これは私の性分です」

「それは……難儀な性分だな……」

 よく知ったリショウとのやりとりにケシの腹立たしい気持ちを幾らか肺から抜き、ようやく扉のノブを下げた。

「そうだ。後で片付けを頼んでおいてくれ」

「かしこまりました。ついでに警備もつけられては」

 この場所で襲撃を受けたのは初めてだった。そもそもここはケシの屋敷にある広大な庭の一部だ。この温室の周囲だけはケシの要望――当主からすればただの我儘だろう――でひと気がないが、庭には大量の警備が昼夜問わず目を光らせている。本来であれば侵入を許してはいけない場所だ。

「静かで心休まる場所がひとつくらいあっても罰は当たらない」

「当たったのが本日なのでは……」

 今回のようなことがあれば我儘も貫き通せないかもしれないが、ケシはきっとこれからも新しく警備を近づけないよう言い続けるだろう。

「ここに来る時は必ずリショウがいる。それだけで十分な警備だ。それと――、」

 ケシが扉を押して外へ出た。

 続いていた言葉を受け、リショウがひとつ頷いた。

「かしこまりま――」

 ガラスの扉が閉まって、リショウの言葉も締め出された。

 血の匂いが籠もる温室は静けさを取り戻した。


  ✿  ✿  ✿


「――うやく片付いたな」

 扉が開いて聞こえてきた声はケシでもリショウでもなく、そのふたりから片付けを命じられた男と女だ。

「後は庭師に引き継いで終わりですね」

 男に続いて入ってきた女はガラスの天井を見上げた。壁には蔦や草木が伸びているせいであまり外は見えないが、天井までは流石に緑は伸びていない。

 晴れた空、白の星が輝いていた。

「今夜でしたっけ」

「うん? ああ、次男坊か。らしいな、ここに忍び込んだ奴が早々に吐いたんだと。おお、怖い怖い」

 男が置いてあったバケツを持ち上げ、入ってきたばかりの扉へ向かう。

「さあて終いだ、こんなとことっとと出ちまおう」

 女はデッキブラシを二本持ち上げ、それについて行く。

 扉が閉まる。

 汚れも匂いも落ちた温室は、星の囁きが聞こえそうなほどの静けさになった。


  ✿  ✿  ✿


 扉から入ってきたのはリショウだった。

 口をつぐんだまま右を見、左を見、先客がいないことを確認してから中心にある椅子の一方へ腰をおろした。

 先日荒れてしまったここはすっかり綺麗に戻っていた。穏やかな春があって、ただそれだけで他の邪魔はない。リショウが踏んだ箇所は新しい草が植え直されていて、柔らかそうな新芽が天井からの光を浴びていた。

 おおよそ元通りの雰囲気に戻った温室をぐるりと見渡したリショウだが、気にしたのは草木の調子などではなく壊れた場所や傷がついた場所がないかだった。投げた椅子も綺麗なもので、大きな傷が入った様子もない。

 ここはケシにとっては大事な場所だと把握しているが、リショウにとっては全くどうでもいい場所である。ここで丁寧に扱われた上等な草花も、外で伸びる雑草も大差ない。

 主人であるケシの機嫌が悪くならなければそれでいい、と机の上で組んだ指に視線を落とす。

 しばらくは指先を動かして気を紛らわせていたが、そのうち瞼を下ろした。頭が下がり、白い首筋にガラスで濾した太陽光が降る。白の三編みも光を受けて輝いている。

 音はない。

 ガラス張りの箱の中では風もなく、葉がこすれるざわめきもない。ここの環境を整えるための空調機の音は僅かに聞こえてはいるが、自然なものはない。

 リショウは己の呼吸音に耳を澄ませながら、意識を眠りへと踏み出した。僅かな意識の破片が太陽の届かない底へとちらちらと光って落ちていく。

 静かな、動きもない春。

 程よい日差しに外の季節を忘れて、意識の輪郭を滲ませていく。ただし、芯は常に現実に残したまま。

 水彩絵の具が溶ける――そんな寸前、リショウは顔を上げて立ち上がった。

 扉が開く。

 姿を見せたケシは入り口を振り返って、側までついてきていた護衛のふたりを手で追い払う。

「待たせた。それとももう少し居眠りをしていたかったかな」

「おかえりなさいませ」

 ケシがガラス扉を閉めてリショウの元へと進んだ。リショウは寝起きとは思えない明瞭な意識で、ケシが座る椅子を引く。

「彼らはよろしいのですか」

「彼ら? ――ああ、いいよ。リショウがいるのだから」

 ここに来るまでの護衛はケシの指示通り、すでに姿がない。ケシはひらひらと手を揺らしながらリショウが引いた椅子に腰掛けた。

「私だけでは不足、といったお話だったのでは」

「おや、察しがいい」

 当主からの呼び出しを受けていたのはケシだけだった。呼ばれなかった――むしろ来るなと言われた――リショウはここで待っているよう指示されたのだ。

「先日の襲撃のこともあります。護衛を増やすのは当然のことかと」

 それに、と言葉を続けようとしたリショウは、ケシの視線に気づいて口を閉ざした。先は言うんじゃない、と強く押さえ込んでくる目だ。

 風のない温室が静まり返る。穏やかで、優しい沈黙。

 静止が続く中、先に動いたのはケシだった。足を組み直したケシは深く背にもたれる。

「表にも顔を出す兄上と違って、私は完全な裏だ。父上がおっしゃる通りに周りを木偶で固めては動きも取れない」

「そこは動ける者をつけるのでは……」

「リショウほどの手練れを探すのは難しい」

 ケシの赤みがかかった瞳が天井を見上げる。太陽は少し傾いでいるが、十分な明るさが差し込んでいた。

「――あれは、兄上がリショウを手に入れるための口実なだけだ」

 リショウは顎の上がったケシをじっと見ている。

「当主様の命であれば私は誰にでも仕えます」

 ケシの目と人差し指がぴっと真っ直ぐにリショウに向いた。

「リショウがそうだから私が阻止しなければならない」

 そしてケシは笑った。指を下げ、広げた手のひらを体の前で動かしながら話を続けていく。

「幼い頃から『これがお前の手足だ』と言われ育ったというのに、やれその手足は優秀だ、やれお前には不相応だ、別の人間にすげ替えよう――というのはおかしな話だ」

 リショウの、はて何がおかしいのか、と言いたげな顔に、ケシは真っ赤な口内を見せて笑い声を上げた。犬歯が鋭くちらつく。

 まるで狼だ、とリショウは思った。普段は隠した凶器を、威嚇に見せつける狼。自身のような飼い犬のそれとは全く違う鋭さだ。

「ルールに則っていない」

 ケシが立つ素振りを見せたので、リショウが椅子を引いた。

 なんの抵抗もなく立ち上がったケシは新しく植え直された若い葉を見下ろす。

「我々はルールを守る者だ。我々こそが秩序だ」

 ケシは後ろに指を組み、踵を鳴らして体を反転した。背を向けていたリショウへ顔を向ける。

「ルールは守るべきもので、我々はそのもの。我々がルールを破ることは許されない」

 リショウは両の手をだらりとぶら下げたまま頷いた。

「はい。――ですから、私は当主様の命を第一として従います」

 先の言葉を再度口にしたリショウに、パチ、と拍手が降った。

「素晴らしい。それでこそだ、リショウ」

 上品なゆったりとした拍手。たったひとり、終演の拍手だ。

「それでこそ我々に仕える者としてふさわしい」

 ケシは白のテーブルの周りをぐるりと一周、その途中で一本の赤い花を手折った。柔らかく瑞々しい花びらが揺れる。それをリショウの白い髪に挿した。

「もちろん私もルールに則ろう。そのための我々だ」

 リショウが髪に挿さる花に触れた。不安になるほど柔らかい花びらが一枚、落ちる。

「――よし。ここからは仕事の話をしよう」

 ケシが再び座るので、リショウが椅子を動かした。

 その椅子が花びらを踏みつけたことに、ふたりは全く気づかなかった。



 ケシとリショウが揃って見ているテーブルの上には何もない。だが、ふたりは同じものをそこに描いていた。

「いいえ。私なら此方側に罠を仕掛けます」

「ならばそこを避けよう。では、その西の窓はどうだ」

 何もない空間を指差され、リショウは眉間を寄せた。頭の中にある立体的な建屋をぐるりと回す。

「下に植木があったかと。……ケシ様。これは二階ではなく、三階の話として進めていますか」

「正しいよ。三階の話をしている」

 リショウは何もない空間をまっすぐ貫いて、ケシを見た。

「――私は、それで構いませんが」

「私は、って……私もついでに抱きかかえて飛び降りておくれよ」

「それは私の嗜好に合いません」

 今度はケシの眉間に皺が寄る番だった。ほぐすように指先を添えるが、それは消えない。

「……それは難儀な嗜好だな。その時は主人の命を優先してくれないか……」

「かしこまりました」

 当然のことを今更のように頭を下げられ、ケシは小さく笑った。信用たる手足とは付き合いが長い。こんな当たり前を確認せずとも、リショウが必ずケシを守ることなど百も承知だ。

 切り落とすには惜しい手足は相変わらずの淡々とした、感情の読めない顔で透明の見取り図を見下ろしている。

 ケシはしばらく黙ってそれを眺め、ひとつ頷いてから立ち上がった。ケシを見ていなかったリショウだが、同時にすくっと立ち上がる。

「では、予定通りに行こう。実行は明日、日が沈む時に」

「かしこまりました」

 まっすぐにケシが出ていく。それにリショウも続く。

 ガラスを抜け、夕闇が中を染めていた。


  ✿  ✿  ✿


 温室の手入れを任された者だけが出入りする数日がすぎ、扉を開けたのはケシだった。

 ガラス張りの天井はようやく夜の終わりを告げる光が滲み出していた。空が薄く、青が伸びている。

 普段ならすぐ後ろを歩くリショウの姿はなく、ケシは別の人間を連れていた。

「ここは私のお気に入りなんだ。リショウは興味がないようだけれど、君はどうだろうか」

 常に春を閉じ込めた空間で、ケシは深く息をした。葉に花、そして土の香りで肺を満たす。

「お気に入りと言えば私はリショウも大層気に入っているんだ」

 ずるずると中央までやってきたケシが手を離した。首根を掴まれていた男がどさりと落ちる。

 血こそ乾いて垂れていないが蓄積したダメージは相当なもののようで、男の顔はそれに比例して満遍なく腫れ上がっていた。

 ケシは丁寧に中央に居座る無駄に重たいテーブルや椅子をずらし、開いた場所にしゃがみこんだ。手足を縛られた男の顔を覗き込む。

「さて、楽しいお喋りはここまでにして本題に入ろう。といっても、何か君から聞き出したいことがあるわけではないんだけれどね」

 男が普段の三分の一程しか開かない瞼を持ち上げ、ケシを見た。ケシの後ろにちょうど白の薔薇が咲いているのが見える。

「表にも裏にも顔がある兄上はお忘れかもしれないが、我々はルールを守らなければならないのだよ。そして、裏は表よりも遥かに頑強なルールだ」

 ケシは赤い髪に指を通す。緩く作られたオールバックが指の間で波を打つ。

「でなければ裏の世界は抑制出来なくなり、その先に待つは侵食された表の混沌だ。――我々はそれを防ぐための存在であることを、兄上は少々甘く考えておられるのではないか」

 粗い息でしか返答のない男を見下ろし、ケシは膝を伸ばした。指を組み合わせて腕を頭上へ回し、背中を軽く反らせ、すとんと腕を落とした。

「まあ君に言っても仕方のないことだ。兄上に言伝を頼むわけでもない」

 そして、椅子を引きずって男の目の前で止めた。よいしょ、と両手で持ち上げる。リショウのように片手で軽々というわけにはいかない。

「ただ、君が消えることによって兄上が勘付いてくれればそれで十分だ。大丈夫、ここには私しかいない。勘付く、その程度に済ませるのは慣れたことなんだ」

 扉が開く。

 お許しください、申し訳ありません、と意味が空っぽの言葉を聞きながら、ケシは高く持ち上げた椅子を振り下ろした。

 扉が閉まる。

「それと、単純な話、私はお気に入りを壊されるのが嫌いなんだ」

「勝手に壊さないでくれませんか。精々、荒らされた程度です」

 片手を吊り、片目に眼帯をしたリショウが僅かに微笑みながら頭を下げた。

「申し訳ございません。ケシ様のお手を煩わせました」

「構わないよ。私も時々くらいは体を動かさないと鈍って困る」

 ケシは振り下ろした椅子の足元で死んでいる男に目も向けず、抜いた拳銃の引き金を何度も続けて引いた。

 乾いた銃声が、ガラスに反射して籠もる。花の匂いも血の匂いに負けて、生臭さが籠もる。

 リショウは死体に過剰なダメージを与えるケシを見ながら、血溜まりには踏み出さずに立っていた。

「――リショウの負傷を理由にした別の護衛がこれだ。私に負かされる程度の護衛になんの意味があるのやら」

「ケシ様が強すぎるのでは」

「おや、だからこそリショウでなければ務まらないんだ。それとも自身より強い主の方が守る手間が省けてよいか」

「いいえ。私の性分に合いません」

 くく、とケシが喉を鳴らした。赤い水溜まりの中で踵を鳴らし、体を完全にリショウへ向ける。

 鋭い犬歯が隠れた。

「それは難儀な性分だ」

 拳銃をリショウに投げ渡したケシは腰に手をあて、肉塊を見下ろす。

「その難儀を越え続けたからこそ最高の手足となったのがリショウ、君だ。これからも頼むよ」

「かしこまりました」

 そして、ケシは足元を指差して笑った。

「では、まずはここの手入れを頼もう。いい肥料が手に入ったんだ」



 ケシはデッキブラシの柄に顎を乗せ、リショウを見た。片手だというのにてきぱきと穴を掘り、肥料を埋めてくれたリショウはぎゅっぎゅっと力強くタイルの血を洗い流している。

 完全な元通りにはならないが、ある程度の血生臭さは薄れてきていた。後はいつものように片付けを頼めば綺麗になるだろう。

 怪しまれることはない。精々怖い次男坊だと話される程度である。

 ここは死体もなく、血が香る。そんな場所だ。

「リショウ。そろそろ終わろう。眠くなってきた」

「これから朝食の時間です」

「そんな気分ではない――と言いたいところだが、兄上に『お借りした護衛がひとりいなくなった』と伝えればどんな顔するかは見てみたい。では、着替えて食堂へ向かおう」

 リショウが汚れた水の入ったバケツを片手にぶら下げた。片手のリショウはそれ以上持つことが出来ないので、ケシは仕方なくデッキブラシ二本を拾い上げようとして白の薔薇が開いている様子が目に入った。

 棘に気をつけ、手折る。

 扉の方に体を向けているリショウの三編みにそれを挿す。

「……棘がついたままでは」

「顔の横でないから刺さりはしないよ」

 白薔薇に小さな赤黒い斑点が散っていた。

 ケシは顎に手を当て、リショウの後ろ姿を眺め、ふむと頷く。

「リショウは赤い花の方が似合う」

 斑点程度ではない、真っ赤な花。

 今度は赤い薔薇を植えさせようとケシが思いながら、デッキブラシを拾い上げた。

 リショウが扉の前でケシを待っていた。バケツを持っていては扉が開けられないのだろうが、一旦バケツを下へ置くなり手段はある。ケシは不機嫌そうに口をへの字にしながらノブを回す。

「わざわざ待ってでも主人に扉を開けさせる奴がどこにいる。そう教育されたか」

 そんな言葉を残し、ケシが扉をくぐった。

「いいえ。私の――」

 続いてリショウが後に続き、扉が閉まった。

 ここには春だけが残る。


  ✿  ✿  ✿


 ここは春を閉じ込めたガラス張りの箱だ。様々な植物が伸び、常に何かの花が咲く。蔦が荒すぎる目隠しとなり、花の香が腐臭を隠す、そんな場所。

 優しく温かい、外とは完全に隔たれた常春。

 そんな中で、今日は赤い薔薇が大きく開いていた。

 ――庭師から赤薔薇が見頃だと報告を受け、ふたりがやってくるまでもう少し。

 扉はまだ開かない。

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