無関心な故郷の在り処
男が一人、街中にある顔なじみの喫茶店にやってきた。街中、といっても老若男女様々な人々が行き交う都市の中、というのでは決してなく、逆に閑散とした田舎、というような所でもない。ダウンタウン、そこは他の街の人々にはそう呼ばれている。
男は店に入ると、深い溜息混じりに紅茶を注文した。埃っぽい店内に、昼間からこんな寂れた所で紅茶を飲むような奴は他に誰も居ず、独りは慣れっこだ、と思いながら少し考え事を始めた。
その中で彼が数十年生きてきた中で、良いと思えるような事を数えてみたが、やめた。この男には、過去を振り替えり、その中から印象づけられた物事を、いちいち探して見つけ出す事など、馬鹿らしく感じられるのである。
男はまだ幼い頃、友人を亡くした。家からそう遠くない岩山で騒いでいて、少し突き飛ばしたところ、手加減を誤ったか、打ち所が悪かったのか、彼の友人が息を吹き返す事はなかった。
それからその男からは、人が近づいて来る事は無くなり、彼の両親兄弟や親族でさえも近付こうとはしなくなった。彼も自分がした事は「殺人」だと理解できる歳にはなっていた。
数年後。相変わらず辺りは彼を疎遠視し、青年となった彼も独りで生きていくのに慣れるには充分すぎる日々年月が経ったある日、その街の人口が一人、新たに増加した。そいつは気さくで、当然のように街外れに住んでいる男にも近付こうとしたが、止められた。それでもそいつは、その男に近付くのをやめなかった。結果そいつも、周りの人間から疎遠視されるようになった。
一方男の方も、そいつの事をあまりよく思って居なかった。掛かっている鍵を木の棒で開けるような、そういう態度が気に食わなかった。それでもそいつは事ある毎に男を訪ねて、押し戻されるのであった。
そんな事が続いたある日。一人の友人を亡くしてから石を投げられる生活に慣れ、忍耐力だけは無駄に存在する男も、我慢の限界を迎えた。その日も、今までの日が無かったのかのようにそいつが来た。男は、そいつを拳で追い返した。それでもそいつは向かってくる。さすがに男は恐怖を抱き、そいつを殺した。
男の事は無関心になっていた街の人々が、その日ばかりは、前に一度やったように、男を攻撃した。それに加え、男は都市の裁判に掛けられた。その国では殺人が最も重い罪で、当然裁判でも、数年前の前科も加え、彼は十数年もの懲役労働を科せられた。
そしてあっという間にそんな日々は過ぎていって、男は街に戻った。彼を知る人はあまり残ってはいなかったが、彼はこの街ではもう生きてはならないと考え、むしろもう来たくもなかった。男は街を出て、川と山を超えた先にある街に引っ越した。引っ越す、といっても持っていく品なんて男には有るはずもなく、手ぶら同然だった。
そこでは男は、自分がかつて殺めた奴のように、明るく自分を演じた。十数年も集団の監獄のような環境下に居れば、冗談の言葉、いわゆるジョークというのも伝わってくる。
しかし、そこに彼の誤算があった。もともと彼は、少なくとも二十年は、誰とも碌な会話を交わしていなかったのである。そんな人間が、明るく振舞おうとしたら当然空回りする。彼も例外ではなく、化けの皮が剥がれるまで時間は掛からなかった。長居は、したくなくなった。
彼は、次に都市へ移り住んだ。ここなら小さな田舎や街と違って、人々の個人的な交流が少ない。外を歩いていても、怪しい者でない限り話しかけられる事はなかった。
しかし、そこは言い換えれば、あまりにも他人に無関心な世界であった。行き交う人々は、それこそ「人々」なのであって、「一人の人」ではない。それに窮屈である。空気が重い。そんな独特の環境に耐えられず、また男は長居せずに都会を去った。
次はどこに行くべきか、男は迷った。各地を転々とした結果、彼にはもう、行くべき土地は、残っていないのである。
そして心の中で思いを迷わせながら、彼は、故郷にたどり着いた。そして、その街外れに、ひっそりと家を建てて暮らす事にした。
逆戻りだ、と彼は自分を嘲笑した。馬鹿らしい。自分を守り、生きていくために街を出て、各地を動き回り、その結果が帰郷であるのだから、こんな馬鹿な話は無い。彼は届いた紅茶をゆっくりと飲み干し、適当に金を払って、店を出た。
彼は、いま自分がどこに居るのかという事を、まだ知らない。
無関心。それほど怖いものはない。
無関心。それほど安心できるものはない。
でも、「あいつが居れば良かった」というのは関心を持っている事だと思う。