シリンダー少女の惨状推理
『ふふふ、今日こそ謎を解いてやる!』
薄緑の液体に包まれながら、私はそう宣言した。
シリンダーの中で浮かぶ私は、実際には声が出せない。空気を肺に吸い込めないからだ。
なので現実に出た声は、私の思考を送り込んだコンピューターがスピーカーから発生させた音声だ。
そしてそれを受け取るのは、シリンダーの外での白い床で寝っ転がっている機械だった。
「……またそれ? 飽きないよねぇ」
短い手足で器用に腕枕を作るのは一見パンダの玩具に見えるロボットだ。なんでも研究者が自分の子どもに送るつもりで作っていた高性能AIを搭載したコミュニケーション玩具らしいが、それにしては受け答えがハッキリしている気がしないでも無い。無駄な技術力だ。
名前は安直にパンダくん。
玩具でも何でも、彼だけが私の話し相手だ。
『飽きないも何も、それしかやることが無いじゃん! ほらっ!』
ぼやくパンダへと私はシリンダー内部にホログラフのディスプレイを浮かべ、操作する。すると、シリンダーの横にあったモニターへと映像が映る。
そこには荒廃した施設の数々。あちこちの機材が壊れた研究室に、死体らしきものの転がる廊下。枯れ草ばかりの食糧プラントに、バチバチと火花の散る千切れた配線。
そしてそれは何を隠そう、この部屋のすぐ外だ。
『外に出れない、誰も来ないここじゃ、他にすることが無いんだもん!』
私――名付ける人もいないからこう呼ぶしか無い――は、シリンダーの中に浮かぶ白い人間だ。ガラスに映る容姿は一応女の子だけど、正直言って気持ち悪い。だって肌の白さが病的を通り越して真っ白なのだ。まるで白いコップに注いだミルクのよう。液体の中で呼吸していることといい、明らかに普通の人間では無い。
そしてそんなことが考えられる程に、知識を持っている。生まれてこの方シリンダーの外に出た事なんて無いのに。
多分、私はここで作られた人工生命体だ。生まれた時の記憶は無いけれど、多分そう。この施設に残された僅かなデータにもそう書かれているし。
私に唯一出来ること、それはコンピューターを操ることだ。念じるだけでコンピューターのデータが頭の中に浮かぶし、アクセスして操作も出来る。スピーカーから声を出したのもこの力だ。しかし肝心のコンピューターの一部がバグっているので、外に出ることは出来ない。
そして更に……この部屋の外は壊滅している。
私は監視カメラにアクセスして外の様子を探ることが出来るのだが、その外の様子は先程映したように廃墟ばっかりだ。目に付く人間は死体だらけ。どこもかしこも壊れてて、動く物は狂った自動掃除機か時たま散るスパークだけだ。生存者無し。どう見ても廃墟です。
でもだからと言って、外に助けを呼ぶことも出来ない。私がアクセス出来るネットワークはこの施設の内部だけのようで、どうやら外とは回線自体が繋がっていないらしい。なんてこったい。
つまり私が接触できる相手は目の前の玩具ロボットだけ。彼は賢いが、それにしたって一人としか話せないならどうやっても飽きる。
つまり――暇なのだ。
『外は廃墟! 話し相手はロボット! コンピューターの中に残ってた職員の私物の娯楽作品はひゃっぺん見返した! じゃあもう……どうしてこうなったか論じるしか無いじゃん!!』
そう……私にはやることが無い。
外には出られないし、誰かが来る見込みも薄い。コンピューターにアクセスして情報を閲覧する遊びはもうとっくのとうに飽きたし、誰かさんのコンピューターに入っていた映画や漫画は全部見た。ならもう、どうしてこうなったのか? それを推理するしか無い。
だから私とパンダくんは、何がどうしてこの惨状なのか、論じ合っているのだ。
『まず、状況を整理してみよう』
誰かの端末に残されていた大人気探偵アニメの真似をする。ふふ、かっこいいかも。
『この研究所はどうやら地下にあり、入り口はエレベーターのみ。ちなみに、三つあるエレベーターは全部塞がっている』
コンピューターに残されていたデータによれば、ここは地下1500m。エレベーターのみで行き来が可能で、それらは全部崩落して機能停止している。
『外界からは隔絶されていて、ハッキングは不可能。外部からの犯行ならば、帰れない覚悟を決めなくてはならない……』
もしこの研究所の外から来た誰かがこの惨状を起こしたとして、まず間違いなくそいつも廊下の屍の仲間入りをしている。エレベーターから脱出できた形跡は無い。
『残された設備は私の今いるこの部屋と、地熱発電所。辛うじて電気が供給されているから今私は生きていられる』
研究所はほぼ全滅していて、残されているのはこの部屋とこの施設よりも深い場所に位置する地熱発電所のみ。発電機も全部で八つある内の六つが機能停止していて、残っている中の一つも半稼働だ。最後の一機が踏ん張っているおかげで私は生命維持出来ている。
あ、ちなみに酸素供給はストップしているので生存者はあり得ない。
『所々生きている備品もあるけれど、精々がカメラやコンピューター……しかも研究所を統括する中枢コンピューターはとっくに死んでいるから碌なことは出来ない』
もし中枢コンピューターが生きていれば研究所がこの惨状になった経緯が分かるんだろうけど、生憎実物が爆発しているので真実をサルベージすることは出来ない。
『これが現状……』
「分かりきったことだよね」
『うるせいやい。……うーん、今日は、着眼点を変えてみようか』
この推理も、散々繰り返された。地震、大爆発、テロリストの襲撃。考えられる原因を片っ端から思い浮かべて推論した。
しかしその度、パンダくんによって否定されるのだ。「地震だったら機材が軒並み倒れている」とか「施設全部が大爆発したならここが残っているのはおかしい」とか「廊下で転がる死体に外傷は無い」とか言われて。
なので、今日はもういっそのこと、あり得ないような観点から推理してみる。
『例えば、バイオハザード!』
「お、いい着眼点だ」
『うん、きっとゾンビが大量発生したんだ!』
「そっちのバイオハザードかぁー」
カクッと崩れるパンダくんに構わず、私はうんうんと頷く。残されていたPCゲームをダウンロードしてプレイした。その経験に基づいて導き出したこの推理!
『恐ろしいウィルスが蔓延し、みんなゾンビになっちゃったんだ』
「ゾンビって……死体に外傷は無いって言っただろ?」
『いや、分かんないよ! 歯跡程度なら見えないかもだし、ほら……』
私はモニターを映し、まだ生きている研究所の設備を動かした。使用するのは物を引っ張る牽引レーザー。それをその辺に転がっていた死体に照射する。
すると、レーザーで死体が持ち上がった。宙づりになった死体の手足にさらにレーザーを当てて上下させ、動かしてみる。動画で見たマリオネットみたいに。
手を伸ばしてぎこちなく動くその姿は中々ゾンビっぽい。
『ほら、こんな風に動いて、みんな噛み殺しちゃったのかも!』
「うわーい、鬼畜の所業。肌の色が白じゃ無くても人間名乗れないね」
パンダくんはため息(の音声)をついた。
「……あのね、君」
あ、やば。
こうやって始まるのはパンダくんによる私への反論だ。私の見事な推理のアラを見つけて否定してくるのだ!
だけど、今日はそうは行かない。だって私の中でゾンビ説は意外と有力だ。もし死体が動き回って全員が感染したのならこの惨状にも納得がいくし、ゾンビじゃ電子機器が動かせないから研究所もこうなる。あるいは、ゲームみたいに誰かが自爆させたのかも……。
大丈夫、反論の反論も出来る!
果たしてパンダくんがどこから攻めてくるのか、私は待ち構えた。
「……仮にゾンビになったとして、じゃあなんで今は動いてないの?」
『あっ』
私の推理がガラガラと崩れ落ちた。
慌てて外の様子をモニターで見るが、死体は全部倒れていて当然動いていない。レーザーで動かしている一体を除いて。
ゾンビだったら、動いてなければおかしい、よね?
『……あー』
「はい、お終い」
『いや、待って!』
ころりと寝転がってスリープモードに入ろうとしたパンダくんを止めた。
『い、今のは前座だよ前座! もっと確証のある推理が別にあるって!』
「……ホントかぁ?」
『ホントだよぅ、ホント!』
いや嘘だけど。
でもここで引き下がったら今までと同じだ。私は進歩する人類なのだ!
必死に頭を回転させた私は、新たな推理を導き出した。
『……ゆ、幽霊説!』
「解散」
『待ってよぉ!』
寝ようとするパンダくんを、牽引レーザーで必死に引き止めた。
「痛たたた!! ちょ、パーツ取れる!」
『だってスリープしようとするから!』
「そうもなるわ! なんだよ幽霊って! あり得ないだろ!」
『なんでそう言い切れるの?』
私はレーザーで無理矢理パンダくんを正座させ、推理を披露した。
『この惨状……果たして人間に出来る? いや出来ない! つまりこれは人ならざる存在の仕業……だから私にも原因が中々掴めないんだ……うん、自然な推理だ!』
「どこがだよ」
四肢をレーザーで押さえられたパンダくんは呆れた声で言った。
「あのね、君……まぁまず、幽霊がいたとしても」
『うん』
「どうやって人を殺すんだ。外傷は無いって言っただろう?」
『えっと……呪い殺す、とか』
「曖昧だね。それでさぁ……」
パンダくんのカメラアイが、なんだか憐れんでいるように見えた。主に私の頭を。
「じゃあ電子機器はどうするんだよ。それも呪い殺したの?」
『うっ……それはその、ポルターガイスト……?』
「もう苦しいじゃん……で? ポルターガイストだとしても、データの破損は? まさか幽霊がハッキングしたとでも?」
『う、うぅ……』
理路整然とパンダくんに追い詰められていく。苦し紛れの反論もすぐに封じられ、私はあっという間に言葉を失った。
「それにそもそも……」
『うぁー、うぅー! じゃあ次! 次の推理!』
「懲りないね……」
『うるさいもん! えっと……』
「考えてから言いなよ」
『あるもん! ……そう、そうだ!』
グチグチと言うパンダくんを黙らせる、とっておきの推理を思いつく。
今まではファンタジー路線だったから駄目だった。だったらリアル路線だ!
『毒ガス……説!』
「ん、おお。今までよりまともだね」
『でしょ!』
パンダくんの反応に、手応えを感じた。これならいけるかも!
『きっとどこかから有毒ガスが発生して研究所を包んだんだよ。みんなそれに気付かずバタバタ倒れていって……それできっと引火して爆発も起こったんだ。データが消えたのは火災とかの所為! おぉ? これ結構イケてない!?』
「やっぱり今思いついたんじゃん……」
『いいの! それで、どう!?』
自分で言っている内にかなり真実に近いんじゃ無いかと思った私は、パンダくんに迫った。といっても私は動けないから、パンダくんをレーザーで引っ張って私の前に持ち上げたんだけど。
「……あのさ、君」
『う、やっぱ来るか。いいよ、どんと来い!』
「地下に研究所作るってんなら、ガスの問題は、多分人間たちは一番警戒したと思うんだけど……設計段階で」
『………』
……そりゃそうだ。
私やパンダくんは空気が無くても生きていけるから忘れがちだけど、普通の人間は必須だ。空気が無くなっては困るから、そこは一番気にする筈。そうならないよう、幾重にも対策するのが普通だ。例えばコンピューターで緻密な制御をするとか。
「火災だってそうだよ。燃え広がったら終わりってことが分かってるなら、スプリンクラーだって当然ある筈だよ」
『う、うぅ……』
「それに研究所だったらガスマスクや防護服ぐらいありそうだし……それさえあればガスが回るよりも早く地上に脱出できるんじゃ無い?」
『あぅー……』
「だからはい、論破だよ。降ろして」
『うぅぅー……ガクッ』
打ちのめされた私は、静かにパンダくんを降ろし、レーザーを消した。
また今日も勝てなかった……。
私が推理してパンダくんに勝てる日はいつ来るのだろう。
『おのれ……いつか必ず、論破してみせるぞ!』
「どうしてこうなったのか、惨状を推理して当てるのが目的なんじゃないのかよ……」
呆れたようなパンダくんを余所に、私は決意する。名探偵になってやるんだ!
「あのさぁ……そもそも」
『うん?』
パンダくんの言葉に私は顔を向けた。
「君はこの施設の電子機器全部を好きに操れるよね?」
『うん、壊れて無ければ』
私の操作能力は施設全てに及ぶ。このシリンダーのように開閉機能が破損していなければ、どこの機材だって私の思うがままだ。空調も隔壁も動かせる。もし不審者がいれば、隔壁で閉じ込めて真空状態にしてしまう、なんてことも出来る。誰も来ないけど。
「それから、時々記憶も無くなるよね」
『うん』
残されたデータによると、私はどうやら記憶野が不完全らしい。所々記憶が抜け落ちてしまうとデータにはある。要するに忘れっぽいのだ。そう言えば目覚めた時のことも憶えていない。
「でさ……もし殺されるとなったらどうする」
『え……抵抗するけど。私の全能力を持って』
殺されるって誰に殺されるのか分からないけど……もし死にそうになったら必死に藻掻くだろう。出来ること全てを使って。私を害する奴らがいなくなるまで。
「じゃあ、なんでこの施設がぶっ壊れているか分からない?」
『うーん……見当もつかないけど?』
「……何で分からないかなぁ」
パンダくんはがっくりと、ため息の音声を流した。
目線は、床に転がっている『廃棄処分予定』と書かれた紙に向いているようだったけど。