九章・最終話 彼の口元には微笑みが浮かんでいた
まだ、ショカとデュオーリオンの結婚で、幸せの余韻にひたっている数日後。
珍しく・・・
いや、初めて、アンバーはコズリに散歩に誘われた。
涼しい、ぐらいの秋風が心地いい。
コズリ氏はもう、セーターにジーンズ、ブーツを履いていた。
「そこに座ろう」
「はい」
ベンチに隣り合って座る。
コズリ氏は持っていた一冊の本を差し出した。
「前に、伝達について話したのを憶えているか?」
「はい」
「そのことについてだが、やっと本にすることができた」
「読んでも?」
「ああ。まだ出版前だ」
「出版前っ?」
「そうだ」
「貴重っ」
コズリ氏は微笑。
「しおりをはさんである。そこから読んでくれ」
アンバーは本を開いた。
しおりは、マスカレードの時の、手の甲にキスをされた写真だった。
「これは・・・」
「いいから、読んでくれ」
* * * * *
サブタイトル『伝達』
ひとは何のために産まれてくるのか・・・
ずっと考えていた。
ひとは子を作り、生み、遺伝子情報を伝達する。
子育てをすることで自分の知識や技術や思想を伝達する。
では、子供を持たないものには生きる意味がないのか。
それは、違うと思う。
何故、ひとは異常なまでに思考をするのだろう。
なぜ学ぼうとするのか。
なぜ子供を産み、育て終わって、老後というものがあるのか。
ひとにだけそなわった時間ならば、それはきっと使命なのだ。
ひとがひとたる理由が、そこに隠れているのではないのか?
著者、わたしマテラス・コズリは先天的に子供ができない体をしている。
しかし、子供を作るという以外に、伝達法を持っている。
詩や小説、ものを書く、研究する、という行為で、伝達法を手に入れた。
子供を作り、生み、育てるという行為より、それが重んじられる場合すらある。
きっとそれは、ひとだけの思考、価値観なのだろう。
なぜ、ひとだけなのか・・・
どうしてわたしはひとに生まれ、ここにいるのだろう?
わたしは処女作、『短命種と薬学』にも出てくるが、そこで長寿薬を研究している。
短命種のためだ。
わたしは老後が欲しい。
子供もだ。
しかし、現実は、そう甘くは無い。
わたしは結婚しないだろう。
三十歳まで、生きている気がしない。
それでも、いいと、思っている。
それが短命種の思考の傾向性らしい、と統計がとれている。
わたしの残す作品がわたしの子であり、子供がほしいから、教師という道を選んだ。
わたしは短命種だが、子宝に恵まれた。
後悔はしない。
他の短命種、そしてそれ以外の種族にも、そうであって欲しい、と切に、願っている。
* * * * *
「これは・・・あの時から、こんなお考えを?」
「そうだ」
アンバーは、その章を真剣に読み返した。
重み。
「え?」
肩に、コズリ氏の頭が凭れてきた。
「いいか?」
「あ、はい」
思わず返事をしてしまう。
「眠い・・・」
「寝不足ですか?」
「そうでもないが・・・昼寝をしたい・・・」
「こんなところ、誰かに見つかったら・・・」
「わたしが責任をとる」
「責任って?」
「結婚しよう」
「は?今、本を読んだばっかりなんですが・・・」
「膝をかりても?」
「ダメです」
「断る」
「は?」
コズリは勝手に寝転び、アンバーの膝を枕にする。
仰向けになる。
「分かりました。いいです」
コズリ氏は口元を上げた。
数秒の間・・・。
「わたしに子供はできない」
「存じています」
「伝達について考えていたのは、複数の理由があるが、君がその理由でもあるんだ」
「私?」
「そう。だからこの本は、わたしと君の子供だ」
アンバーは驚きすぎて、反応できない。
コズリ氏はじっと、アンバーの瞳を見つめている。
「きっと、結婚式を見たから、そういう発想が沸いたのだと思う」
「ああ。あの結婚式は素晴らしかったわ」
アンバーは笑う。
「短名種は天才で短命だから子孫を残せないのではなく、子孫を残せない上に短命であるから、子供のかわりになる『伝達』法、つまり才能が与えられているのではないかと、わたしは思っている」
「それは・・・この本に書いてるんですか?」
「いいや」
アンバーはコズリの目を見つめ、何も答えなかった。
「前にカルク派について話したことがあったな?」
「図書館でのことですね?」
「そうだ。十三歳の、五月五日」
「五時、三分前からでした」
コズリは意外そうに瞬く。
微笑。
「わたしがカルク派だと言ったことは?」
「憶えています」
「本の裏表紙を見てくれ」
「裏表紙?」
そこには、作者のプロフィールが載っている。
誕生日が記載。
「十一月四日?」
「ああ。実は、仮のバースデーを載せてみた」
「じゃあ・・・本当は違うんですね?」
「情報操作だよ」
「これ、大変な反響になりますよ?」
「だろうね」
秋風が吹く。
アンバーの茶髪が揺れる。
その髪先に、コズリが触れた。
髪をひっぱり、アンバーの顔を近づける。
「痛いんですが」
「わたしの本当のバースデーは、十一月二十五日だ」
アンバーは目を見開く。
数秒の間。
「先生、今日は少し、大胆というか・・・変ですよ?」
「そう、変だ」
コズリは笑った。
「二・三日前から、分かっていた・・・」
「何をですか?」
「言わない」
「変になること?」
「違うがそうだ」
「どういうことですか?」
「言えない・・・」
アンバーは眉間にしわを寄せる。
「何なんですか?」
「怒らないでくれ。そういう感情をぶつけられるのに慣れていない」
「ぶつけてなんかいませんよ」
コズリは髪先に触れていた手をやめて、胸に置く。
「なんだか眠いんだ・・・」
「もうすぐ授業なんですが・・・」
「側にいてくれ」
「今日は何なんです?」
「側にいてくれ」
「本当に責任とって下さいよ?」
「分かった」
「先生、今日、本当になんか、いつもと何かが違いますね?何か隠してるんですか?」
「女性の勘は怖いな」
「はぐらかさないで下さい」
「おやすみ」
コズリ氏は微笑を浮かべたまま、目をつぶった。
アンバーは呆れて溜息を吐く。
「お願いがあるんだ」
「何ですか?」
「頭を撫でて欲しい」
「分かりました」
「それはいいのか?」
「なんだか、そうしなかったら後悔しそうなんです」
「そうか・・・ありがとう・・・」
「何を隠しているんですか?何か悩みが?」
「いや、いい。おやすみ・・・」
アンバーはコズリ氏の頭を優しく撫でながら、本を最初から読み始めた。
「・・・ん?」
近くを通りがかったのは、ロバートだった。
いつもどこか小洒落たスーツを着ている。
ベンチに座っている女子に近づく。
「君、授業はどうしたんだね?」
本を読んでいたアンバーが振り返る。
「休みです」
「ああ、君か・・・」
ロバートはさらに近づく。
「んん?」
膝枕をしてもらっているコズリに気が付く。
「大問題だっ」
なぜか、嬉しげにロバートは言った。
「コズリ君」
彼はしゃがんでコズリを揺さぶった。
「コズリ君、起きたまえよ。もうすぐ会議の時間だ」
コズリの口元は、微笑を浮かべたままだ。
揺さぶられたせいで、溜まっていた涙が、一筋、ほほに伝った。
「コズリ君・・・?」
「どうしたんですか?」
「おい、コズリ君?」
ロバートはコズリの脈を計った。
約一分・・・
「医者を呼んでくる」
「え?」
ロバートは立ち上がった。
「君はそのままでいてあげなさい」
コズリの腕が、だらりと力無く、ベンチの枠外に投げ出された。
マテラス・コズリ、享年、十九歳。
天才の死は、すぐに新聞にも掲載された。
彼の遺作となった最後の作品は、売れに売れた。
彼の書斎から遺書が見つかり、弁護士が指定された人物達を呼んだ。
いつもの、極秘のお茶会のメンバーだ。
内容は、こう。
【 私のことは何も語ってくれるな 】
ただ、それだけだった。
ただそれだけで、彼がなぜそう言ったのかが、分かる人物ばかりだった。
彼の意思を尊重し、親しい者達は約束をした。
彼について調べようとする動きがあっても、メモすら残さない、と。
すぐに憶測での逸話が広まった。
アンバーとコズリの仲について情報を流した者がいたようだ。
アポロリック家でもそれが問題になったが、もみ消したらしい。
五百年ほどたった今では、短命種のことを『コズリス』と呼ぶ。
デュオーリオンは父のあとを継ぎ、魔法学校の校長になった。
ショカは七十歳で死去。
以来、デュオーリオンは独り身だ。
アンバーはHRKを卒業後、政略結婚。
二人の女児をもうける。
ササラ・アンバーはマスカレードでダンスの相手をした相手と恋愛結婚。
息子をひとりもうける。
子育てを終え、コズリ秘伝、そう。
『短命種と薬学』に記載されている長寿薬を応用し、新しい薬を作った。
残念ながらロバートとデュオニュシウスには効かなかった。
しかし、デュオーリオン、アンバー・ササラにはなぜか効果があった。
効き目が現れたのは、六十代から七十代の頃だ。
ササラは自分の目標どおり、教師になった。
デュオーリオンの依頼で、HRKの教員になる。
コズリの直接指導を受けた上、アンバーという名前なので、彼の想い人、逸話化した話に出てくる『アンバー』は、ササラではないのか、という説があとをたたないが、『アンバー』という名前が当時流行りで、偶然にも複数人いたため、うやむやになっている。
ササラ・アンバー。
彼女は、アンバー・アポロリックのひひ孫、ルイカの授業を受け持つことになる。
ルイカは『後天性コズリス』という珍しい短命種だ。
長寿薬の調合は、いまだに秘伝。
その薬、長寿薬が原因で後天性コズリスが生まれるのでは、と医師会で言われている。
ササラ・アンバーは数多くの出版社からコズリについての本を出さないか、と依頼をされているが、未だあの約束を守り、全ての依頼を断っている。
* * *
――
――――・・・
アンバー・アポロリックは本を読んでいる。
しおり、あのマスカレードの時の写真をはさんだ。
世話役のカラス獣人、ジャックに言った。
「ジャック、お茶を淹れてちょうだい」
「はい」
ジャックは書斎から出て行く。
アンバーは再び、本を開く。
マテラス・コズリは最後の本を、こう、しめた。
【 最後に言っておこう。
伝達法は、いくらでもある 】、と。
《おわり》