アレ
不定期投稿になりますが、気長に読んでもらえれば幸いです。
男が一人早足で先を急いでいる、時間を気にしながら何やら慌てた様子で歩道を走るが信号に捕まってしまった。
パーカーのトレーナーにジーンズといったラフな格好で歳は二十五ぐらい、見るからに学生ではなさそうな精悍な顔立ちだが行動にはまだ幼さが残っていた。
苛々として信号の変わる僅かな時間すら待ちきれない様子で、その場で地団駄を踏みをして青になった瞬間に一気に走り出す。
代わってこの町の有名な銅像前でも、苛々した様子の女性が運動靴で地面を叩きながら腕を組んでいた。
こちらの見た目は昔風のOLのようなソバージュの髪型で、やはり学生というより社会人といった風格だが、服装はトレーナーにショートスカート、背中にはショルダーバックといった若さを強調した格好をしていた。
そこに男が銅像前に走ってくるのが見えた。
男は女の顔を見るなり火照った顔を真っ青に変えながら、
「ご、ごめん……」
男が開口一番謝った。
「……何時だと思ってんのよ」
しかし女は膨れっ面で応えた。
「ううぅ面目ない、目覚ましが……」
「言い訳は後よ、さっさと行くわよ」
「……はい」
有無を言わさない態度で女性が先頭に、男は申し訳無さそうに付いて行く。
直様駅に向かい一番早い電車にとりあえず乗り込むと、男性が再度謝ろうと手を伸ばした瞬間、
「ひっ……触んないでよ! あっ……ごめん」
電車の中で声を上げた女ははっとして口に手を当てながら、いけないと言った顔で男に謝った。
「分かったから近寄らないで」
「ええ……酷え、いつもそうだよな霧……」
ハンサムな男の顔がげんなりして下を向く。
霧と云われた女の方は本気で怒ってはいなかった、それに別段男の事が嫌いなわけでもないのは赤らめた顔がそれを示唆していた。
(ううっなんで私ってば口が悪いのかな、こんなんじゃいつかは雫に嫌われちゃうのが分かってるのに……でもどうしてもアレに触れるのが嫌なんだもん)
雫という男はどう思われているのかなんて知りもしない、何を云われようと雫の方は霧の事を嫌いにならず付き従っていて、いつも二人は一緒だった。
奇妙な関係の男女。
いつも怒っている霧と何を云われようが離れようとしない雫、こんなに嫌われてるなら会わなければ良いのにと思ってしまう二人だが、何をするにもいつも一緒なのが奇妙に見えた。
その後は何事もなく一定の距離をとって電車に揺られて目的の駅に着いた。
何もない広い視界には山と田畑ばかり、こんな所に何用かと場に不釣り合いな二人は駅を出て山の方を目指して歩き出す。
霧が誰かに電話しながら早足で歩くのを雫は数歩遅れて無言で付いていた。
霧の後ろ姿を羨ましそうに眺め、お互い必要な言葉以外無駄な会話もせず、黙々と山道に入り私有地の看板を無視するように山を登っていく。
駅を出てもう二時間、かなりの標高まで登って来た所で休憩を取った。
息を切らし周りを見渡せど木々で景色など皆無、見えるのは山頂近くに見える白い家が一つだけだ。
「もう少しだから頑張ってよ」
霧はバッグから水を取り出して美味そうに喉に流し込むと、
「俺にもくれよ」
「ひいっ……嫌ぁぁ」
と霧が身をよじって雫にペットボトルを投げつけた。
ぐっ、呻き声が聞こえたかと思うと雫は顔を覆って痛がっていた。
「なんで……投げんだよ、貴重な水が……痛え」
「わあっ、ご、ごめん……あんたが触ってこようとするから……」
「水を貰おうとしただけだろ、俺はお前に危害を加えた事あったかよ」
「な、ないけど……」
(あんたじゃなくて、あんたの後ろの奴が怖いのよ)
とは言い出せず、霧は雫の後ろを睨んだ。
何もいない虚空に向けて一瞥をくれると霧は何事もなかったように歩き始め、落ちたペットボトルを拾い上げた雫は残った水で水分補給をした。
二人が目指していたのはあの白い家だった、そこに行くにもこの登山道では車は無理で歩くしかない。
生活用品などどうやって手に入れて暮らしているのか不思議な感じはしたが、世の中どうとでも出来るんだから何とか上手い具合に入手ルートを確保しているのだろうと、それ以上の興味は湧いてこない。
それよりも何故、霧が雫を毛嫌いしているのか、いや嫌っていると言うより怯えていると言った方がいいか。
本当に嫌いならこうして一緒に探偵家業などしていない。
(こんな事になるなら探偵より普通の会社に再就職した方が良かったかな……)
探偵とは聞こえはいいが、世間の建前上そうした呼称を使っていると言った方がいいだろう、幽霊、オカルト、UMAといった不可思議な事が好きだった雫が霧に話したら、霧はそれなら探偵にすればいいじゃないと云ってきた。
何故と聞くと、オカルト研究より探偵の方が聞き込みや調べ物で建物に入る時に都合が良いでしょう、というのだ。
それが大学卒業する前の出来事、で卒業して一年は普通に企業に就職していたが色々あって辞めてしまった時期に霧と町で出会ったのだ。
その時、あの時の事を思い出したのか、彼女から一緒に探偵をしようと誘われたのである。
彼女は実家が神社で卒業後実家の手伝いをしていたらしいが、毎日親と一緒じゃ生き遅れてしまうのが常々嫌だったらしい。
で、家から飛び出したい願望があった時に雫と出会い探偵を思いついたようだ。
俺の方は悩んでいた。
仕事はやっと慣れてきた所だったが、会社は中小で未来があるとはいい難い弱小企業、いつ何かがあれば直ぐにでも倒産しそうなぐらい雰囲気が悪かった。
俺が入ってから怪我や病気で社員の入れ替わりが激しく、噂では呪われるんじゃないかとさえ云われていたのだ、今まで何事もなかったのに俺が入社してからだったので、俺が何かしているのではと冗談交じりで云われていたが、目だけは真顔で話してくるのだ。
より一層雰囲気の悪くなった会社では長居は無理かなと心の何処かで思っていたので、逃げるように会社を辞める事にした。
霧は大学時代から霊感があると云っていた、大抵の霊なんて見飽きてるから怖くないし、巫女だからお祓いとかも親のを見て知ってると目を輝かせ自信満々に云っていたのを思い出した。
でも俺には霊感なんてないし、気持ち悪いみたいなぐらいの雰囲気は感じる事はあるが、それもただの気の持ちようだと思っていた。
まぁ仕事をやめてフリーになったんだ、暇つぶしに霧と遊べるならいいかと思っていたのだが、小さい事務所を借りようと霧が云ってきて本気でやるのかと俺は驚いた。
事務所と言っても安いテナントを借りて机と書類棚ぐらいしかない殺風景な部屋だ、しかもまだ仕事すら始めていないのにどうやって家賃を払うんだと思っていたが、今やネット環境さえあれば日本全国に連絡網が張れるから直ぐに仕事は来るよと霧は心配していなさそうに楽観していた。
しかし霧の云った通り事務所を構えてから直ぐに一件の依頼が舞い込んできた、そこからトントン拍子に依頼が来ては解決していくと、俺の知らぬ間に通帳には凄いお金が入ってくるようになっていた。
経理は霧が仕切っているので俺には毎月振り込まれるお金だけしか知らない、それでも一体どれだけの大金が事務所、会社に入っているのだろうと思わずにはいられない額だ。
「大丈夫、ちゃんと会社のお金は別に貯めてるから」
とにかくお金関係は霧がやっていて、国から源泉徴収も来ているのでしっかりとやっているのだろう、俺は依頼を解決する為に尽力するだけだった。
なので霧は俺を嫌っているのではないとは思うのだが、どうも仕事を始めて直ぐに成功報酬だと飲みに行った帰りに、酔っ払った霧を介抱する為、肩に手を置いた瞬間、驚いた様子で霧が飛び退いた。
酔いが一瞬にして醒めたように俺を見た霧の顔は今でも覚えている、それ以来、霧は飲みに行っても酔うまで飲まなくなった。
(あれから触れようとすると怒るんだよな……変な事するつもりはなかったのに、霧の事は大学の時から好きだけど酔った勢いで襲おうとは思ってない)
「着いたわよ」
緩やかな長い坂の先に白い家、邸宅といった場所に似つかわしくない洋館が建っていた。
広い敷地には庭園もあり手入れはちゃんとされてあるようで、玄関まで続く石畳は綺麗に掃除がされている。
霧は敷地に入る前に家をまじまじと眺めた、こういう時の彼女は霊視をしてどの様な物がいるのか確かめているそうだ。
「何かいるのか?」
「しっ、煩い」
「ごめん」
霧が家を眺めて数分、
「居た……凄い怨気、家が黒すぎて見つけにくかったわ、でも見つけた二階の右部屋に居たよ、行きましょ」
霧が呼び鈴を鳴らす、どうぞとインターホン越しに声が掛かると二人は敷地内に足を踏み入れていく。
敷地内に入った瞬間、ぞわっと背筋に寒気を感じる雫と、緊張した面持ちで周りを見渡しながら慎重に歩く霧。
玄関にあと数歩という所で霧が悲鳴を上げた途端、雫の体にも電気が流れた様に硬直して呻き声を漏らした。
「うう……何だ、ビリっと来たぞ……何か金属に触ったのか静電気みたいなのが来た」
見ると霧は軽く吹き飛ばされた様に後方に退いて驚いた顔で雫を見ていた、いや彼ではなくその後ろを。
「ふう……もういいわ」
深呼吸した霧に、何が、と聞こうとしたが霧はもう普段と変わらない様子で玄関扉の前に立つと、扉が向こう側から開けられた。
「お待ちしておりました」
と、この家の奥さんが出てきて挨拶をしてきたが、霧からは意外な一言が。
「終わりました、もうこの家は安全です」
と霧は言ったのだ。
当然、奥さんの方は、
「えっ?」
という顔をしてくる、。
当たり前だ、今来たばかりで何もしていないのに終わったと云われれば疑ってくるだろう。
「お子さんの様子を見てきて貰えますか?」
奥さんが家に消えて戻ってくるまで二人は玄関前で待った、すると次に見た奥さんの顔は晴れやかな笑みを浮かべて、
「幸久が……笑ってました、もう人形のようにずっと無表情のままだったあの子に感情が戻っていました、ううっ……」
そういうと奥さんは泣き崩れ、奥から旦那さんもやって来て妻を抱き起こす、その旦那さんに霧は、
「数日もすればお子さんも元気になりますよ、これで依頼は完了ですので私達はこれで帰りますね、振り込みの方……宜しくお願いします」
霧は家にも入らずくるりと踵を返して敷地から出て行こうとする、そして雫の方はというと、唖然としながらそれを見送り家主達に慌ててお辞儀をすると小走りで霧を追いかけた。
一体何が起きたのか、霧に聞いても詳しく教えてくれない、ただ雫をじっと睨むように見つめただけで、
「良いのよ、もう終わったんだから……あとの問題はちゃんと報酬が入ったかどうかの確認だけ、それでいいでしょう」
少し怒った様にズカズカと今来た道を下って行く、それでもしつこく雫が聞こうとすると、
「あの家のお子さんは数年前から感情を失くしていたそうよ、何も感じない、話さない、何もしない無気力な人間のようになったそうなのね、医者に見せても健康そのもの、脳にも異常はないから精神科医、霊媒師、祈祷師、神職、色々な精神系の人に見せたらしいけど、その誰もが数日後にこの世から居なくなったのよ」
「え……それなら俺らもヤバいんじゃないのか?」
そんな危険な所に俺は何も聞かされずに来たのかと、雫は身震いをしながら軽く文句を言うと、
「なんであんたが……いや、だからもう大丈夫だって言ってんでしょう、馬鹿近寄るな!」
結局、何が大丈夫なのかも云わずに逃げるように霧が山道を走っていく、雫も置いてけぼりは御免だと声を張らして霧を追いかけて下山して行った。
(もう……私ってなんて嫌な女なの、いつまでもこんな状態だといつかは嫌われるのは分かってるけど、アレを見るとどうしても苛々してキツく当たっちゃう、昔に見た時よりも強くなっちゃってる……私だって雫と)
そこまで考えて霧はちらりと後ろを振り返る。
あんなにキツく当たってるのにどうして雫はいつも笑みを浮かべて私を追いかけてくるのだろう。
「……」
反対に雫の後ろの者は鬼の形相で霧を睨んでいた。
霊感がある私しか知らない雫の後ろの者、それが何なのかは霧にも分からない。
ぼやけた黒い影のようではっきりと分かる敵意、雫を守る者……いや雫にとっても幸せですらない。
仕事も上手くいかず恋人にすら逃げられてしまうのだ、幸せすらも遠ざけるなんて不幸としか言えないのだ。
格好は良く寄ってくる女性は多い、だが皆お近付きになると恐ろしい物を見た様に去っていく、それは女性だけではなく絡んできた輩も雫に触れた途端失禁をして逃げていくという。
雫にとっては何が何だか分からない。
彼らは見たのではない感じたのだ。
人の深淵にあるトラウマにずけずけと入り込んで来て、自我をぐちゃぐちゃに荒されるような恐怖を感じているのかも知れない、その一歩手前で危険を察した霧には分かる、あれは神でも悪魔といった一言で片付けられる単純な物ではない、では何なのかと云われれば分からないとしか言えなかった。
雫に近寄る者に攻撃的だが触れなければ何もしてこない、ただ睨んでくるだけ。
どうしてこうなったのか。
霧にとっても雫は一目惚れの相手で、その時はまだ変なのが憑いてるなぐらいにしか思っていなかったし怖くもなかった、大学の頃から一緒になりたいと思っていた恋心もタイミングを逃し卒業をした後、会う機会もなく神社の手伝いで忙しく一年はあっという間に過ぎていった。
偶然、町に買い物に来た時に雫と出会った。
相変わらずの童顔で少しぼうっとしてる彼に変化はなかったが、放って置いても直に消えるだろうと思っていたアレは一年前より恐ろしく育っていた。
卒業してからのどうしていたのか話を聞くと、仕事は職場の雰囲気に馴染めず辞めたし、女性とは何人かと付き合ったが直ぐに別れようとか音信不通になって逃げられたり、身の回りに不幸が起きるからと気味悪いといって長続きしないお付き合いばかりだと聞かされた。
雫にとっては訳も分からず振られるという不幸話だったが、巫女である霧にはその人達の気持ちが良く理解出来たが、彼女にとっては幸いだった。
好きな人と一緒に居たい気持ちと触れられたくない気持ちの混雑する中で、霧はある考えを弾き出した。
どこまでアレと距離を取っていれば大丈夫かは分かるのだ、一緒に居たいのなら距離を取って付き合えばいい、そこで一緒に仕事をしようと提案したのだった。
パートナーとして一緒に仕事をしていれば程良い距離でいられて、雫に女性問題など皆無なのだ、アレの問題が解決するまではだ。
彼を見守り共に過ごす事が出来る何とも霧的には一石何鳥という良い案だった、雫から見れば悪女と見られるかも知れないが、それもこれもアレが悪いのだと一人納得していた。
(こんな女ただの嫌な女じゃない、でもアレの所為なんだもん……これも霊障って言うのかな)
結局の所、雫も霧もお互いに好きなのだ、その二人の仲を裂くようにアレが邪魔をしている為に、一緒にいたくても一緒になれないという奇妙な関係が出来上がっていた。
(絶対アレを退治してやるんだから、巫女を舐めるな)
そう意気込む霧とは裏腹に、雫はまた長時間掛けて帰るのかと喉の乾きを訴えながら霧を追いかけていく。
何かに取り憑かれた男とそれを利用して除霊稼業に励む二人の奇妙な心霊探偵。
心霊でお困りの方は、是非ご一報を。
すぐに浄霊致します。