厨二期のポエムその2 〜朝起きたら午後だったのがマジつらくてぴえん〜
なんかもう全部出しちゃえって気分になった。
覚醒。
胎盤の中にいるような揺蕩う様な感覚を置き去りに、微睡の中私の意識はノンレムの海の底から浮上した。
時刻は午後十二時四十二分。
無意識のうちにSEIKO の目覚まし時計をみた私の心に、焦燥混じりの喪失感が吹き抜けた。
気候は曇り。雲が空の十割を占めており、午後にしては明らかに薄暗い、陰鬱な様相であった。
しかしそんなことには構わず、一瞬の内に覚醒した私は同じく覚醒した瞳をギョロギョロと動かし、周囲を見回した。
私の右手には先日買った最新式のスマートフォン。左側には幾つものポテトチップスの袋が無造作に入れられたゴミ箱、「明日は休み」という意識を免罪符に怠惰を貪った跡が残っていた。
取り敢えずこの惨状を親に見られたが最後、数週間は我が至高である嗜好品を嗜む事を禁じられるのは想像にかたくなかった為、即座にベッドから跳ね起きスマートフォンは卓上の指定の位置に、ゴミ箱はポテトチップスの袋が側から見て分からない様にゴミ箱の内周を務めていたゴミ袋の端をポテトチップスの袋を押し込むと同時に力一杯に引き上げ、証拠隠滅を図った。
一通り部屋を見回し、一切の違和感もないことを確認した後、私はようやく一息をつき、私の体温が籠った生暖かいパジャマ用のジャージを脱ぎ捨て、先日用意した着替えに着替え、父親に言いつけられた「一日に数時間は勉強をしろ」という言いつけを守っている風に見せる為、座り心地の良い椅子に座り、勉強机に向かった。
だが当然、授業も終わり、受験も終わり、寝過ぎのため若干の頭痛がその存在感を主張している状態である私がそんな謹厳実直な真似をする筈もなく、昼食の準備ができたことを告げにきた弟が扉を蹴破ってくるまで私はひたすら勉強机の前で呆けていたのであった。
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起きる時間が遅かった場合、私に起承転結の転が訪れることは無い。
有るのは「朝起きたら午後だったのがマジつらくてぴえん」という転抜きの起承結のみだ。
一日における転が起床時の起にて同時並行で起こる為、その後どう足掻いてもそれ以上の事象は起こり得ないからである。
しかし、ここで早起きをした場合は話が違ってくるのである。
この場合、一日における起が起床時とするのなら、転はその登場機会を潰されることなくまた別のタイミングで現れることができるのだ。
早起きをしたことで、トラックに轢かれそうになっている猫を助け、自分が代わりに轢かれることで異世界チート系主人公になることもあるかも知れないし、早起きをした事で早朝練習をしていた野球部のホームランボールが脳天に直撃して脳震盪を起こす可能性だって有るのだ。
時に昔の人間は早起きは三文の徳という言葉を残し、後世に、今現在にまで伝えてきたわけだが、それは言い換えれば寝坊は三文の損という事だ。
三文。現在の価値で表すなら凡そ百円の差。
しかしその百円の差が物事を左右させることもあるのだ。
早起きした者と、寝坊した者。この六文の差が、人生における明確な差異を隔てるのだ。
たかが六文と考える人もいるだろう。
だがそれは違う。
思うに、人生における重要なターニングポイントとは、ほんの小さな事柄である。
老爺の不満がメロスを走らせ、やがて国を変えた事然り、
一言の失言がやがてその政治家を辞任へと追い込むこと然り、
一発の大口径から始まった世界大戦然り、
これらは一種のバタフライ・エフェクトである。
ほんの小さな事柄、ほんの小さな事象が、本人、家族、友人知人を巻き込み、やがて世界までもが激震に見舞われるのだ。
例え起承転結の転がどんな物であったとしても、私はこれ以上怠惰を貪り、起承結な人生を送るつもりはない。
人生には刺激が必要不可欠なのだ。
よって、私は今から昼寝をし、明日寝坊しない様に努めることにする。
それこそが、私が刺激的な毎日を送るための一歩であるはずだから。
終