魔法玩具師とぬいぐるみ妖精シャーキスの雨上がりの魔法の泉と青い小鳥
さわやかな初夏の午後。
僕は中庭にあるぶどう棚の日陰に座り、金槌とノミで木切れを削っていた。
「るっぷーい!」
ピンクの小花模様のテディベアが宙を飛んできた。
ぬいぐるみ妖精のシャーキスだ。普通の布地と綿で作ったのに、完成したら魔法の生命が宿ってぬいぐるみ妖精になったのである。
「るっぷりい、ご主人様、今度は何を作るのですか?」
シャーキスは空中で首を傾げた。
見てわからないのかな。
「木彫りのハトだよ」
僕は、荒削りを終えたばかりの木切れを左手に乗せた。まだハトらしい形になっていないけど、鳥には見えるだろう。
「るっぷ! だから昨日、ハトポッポの絵を描いていたのですね!」
シャーキスは空中をくるくると飛び回った。シャーキスはいつも陽気で、何をやっていてもとても楽しそうだ。
親方は、シャーキスのようなぬいぐるみ妖精は珍しいという。
僕は、シャーキスがぬいぐるみ妖精になったのは『グラウラー』――テディベアを抱っこしたときに音が出る部品――が、魔法界の生き物『フェニックスもどき』の羽根軸を加工して使っているせいかも知れないと思っているが、親方はグラウラーではないという。
たしかにうちの魔法玩具工房では、ほかにぬいぐるみ妖精は誕生していない。
あの日、シャーキスがぬいぐるみ妖精になって驚いていた僕へ、親方は、
「魔法玩具に不思議なことは付きものだ」
と、笑ってすませた。
親方のような一流の魔法玩具師には、魔法の現象なんて珍しくもないのだろう。
そんなすごい親方も、今日は小さな木彫り細工を作っている。
手にのる木彫り細工の玩具は、その手頃な大きさと価格で人気が高い。
暖炉の上にならべたり、子ども部屋の棚に飾ったりする売れ行き商品だ。
今年も、クリスマス用の細工物を作り始める季節になったのだ。
僕が作った木彫の小さなハトを右手にのせて眺めていた親方は深い溜息を吐き、ハトを作業台へ置いた。
まだ完成前で木の色をしたハトは、お行儀良く作業台にうずくまっている。
かわいらしく小首をかしげたポーズは「これからエサをもらえるのかしら」と待っているようだ。自分でもなかなか上手く彫れたと思う。
「木彫り細工については、わしが教えることはもうなさそうだ。よくここまで上達したな、ニザ」
親方がほめてくれた!
でも、これで喜んじゃいけないのはわかっている。特に木彫りの細工物は、いつか親方と同じくらいに上手く彫れるようになりたいから。
「何を言ってるんだ、今だってほれ、わしのと比べてもぜんぜん見劣りしないぞ」
親方は自分が作った鳥の横へ、僕のハトを置いた。
僕のハトは無彩色だが、親方の鳥は赤や青できれいに彩色されている。
僕のも形は整っているから、立派な大人の職人が作ったみたいだけど、親方の作品とならべたら、何かがもの足りなく感じられる。
どんなに親方がほめてくれても、僕がどうしょうもなく、そう思ってしまうんだ。
でも、自分に何が足りないのかは、さっぱりわからない……。
正直にそう言うと、
「ふむ、べつに足りない物はないんだがな。ニザもとうとう、そんなことを考える職人になったってわけだ!」
親方はうれしそうに言い、道具棚から箱を取ってきた。
縦横30センチほどの平たい木箱だ。
蓋を開けると中は細かく仕切られ、ガラスの小瓶や石のカケラや、貝ガラが入っている。
「前にも見せたことがあるが、これは顔料の材料だよ」
親方は自分で絵の具を作る。
顔料は、鉱物などを磨り潰し、細かい粉にして作る絵の具だ。扱いが難しく、塗ったときに色を定着させるために、定着剤と混ぜて使わなければならない手間がかかる。だが、色が非常に長持ちするのだ。
顔料の中で、原料がもっとも高価なのは、青色だそうだ。
親方は深い青紫色をした艶のない石のカケラをつまみあげた。
きれいな青紫色だけど、僕の好きな空や海に近い青色とはまたちがう。
「ほら、これが昔から青色に使われるラピスラズリという宝石だ。瑠璃色とも言われる最上の青色は、こいつから作るんだよ」
「プルシャン・ブルーはだめなんですか?」
僕のお気に入り『プルシャン・ブルー』は科学的に合成された青絵の具だ。伝統的なオモチャの彩色には向かないと親方は言うので、僕はオモチャのデザイン画を描く時だけ使っている。
「あれはあれで良い色だが、わしの好みじゃない。やはり納得のいくものは、自分で原料から選んで作らないとダメだな。それが職人というものさ。今日はそいつを教えてやろう」
親方がにんまり笑ったので、僕はすぐにピンときた。
親方秘蔵のあの青色のことだ!
親方は、作業机の引き出しから薄緑色したガラスの小瓶を取りだした。
これまで僕には絶対に触らせてくれなかった、親方だけの『特別な青絵の具』。
手作りガラスの小瓶の底には、ひとつまみほどの青い粉。光が溶け込んだような青色。
ラピスラズリとも異なる、澄んだ空と明るい海を混ぜて溶かした一滴。水で溶いたら細筆で三塗り分くらいしか残っていない。
「こいつはどこにも売っていない、わしが特別な花から自分で作った染料なんだ」
染料は顔料とちがい、水やアルコールなどの溶剤に溶かして使う。
親方の特別な青色の使い道は、木彫りの一角獣の瞳や不死鳥の羽根の差し色や、ドールハウスの壁に飾られる額縁の南国蝶の羽の色だ。
そういう仕事をした時には、筆先にふくませた青絵の具はたっぷり残る。
それも親方は無駄にしない。
作業台の片すみには、つねに親方の親指の先くらいの木彫りの小鳥が留まっている。
親方はその小鳥へ、筆先に残った青色を丁寧になすりつけてやる。
筆から青色がすっかりなくなるまで。
一回の作業では、小鳥は青に染まらない。白っぽいその羽根が、親方が『妖精鳥の羽根色』と呼ぶ目の覚めるような青色に染まりきるまで、小鳥は作業台の片隅に留まりつづける。
「さて、青色の残りはもうこれだけしかない。そろそろ補充しないとな。今年はニザも一緒に取りに行くか!」
親方はこの青色の原料を、どこへ取りに行くのだろう。
それはな、と、親方は急に声をひそめた。
「裏の森の奥に、夏になると、雨上がりの夜にだけ、小さな泉ができるんだ。その泉のまわりに、ちっちゃな青い花が生える。素晴らしい青色の、美しい花だ。その花から作ったのが、この染料というわけさ」
その青い花はとても貴重で、夏中がんばって採取しても、この小瓶いっぱいくらいしか作れないという。
「なにせ、花を摘むときには、絶対に守らなければいけない約束があるんだよ」
摘めるのは夜、月が出ている間だけ。摘んで良い量は、自分の両手にいっぱい分。それ以上採ってはいけない。……というのが、泉と花を守る妖精が定めた厳しい掟だそうだ。
昼間に涼しい雨が通りすぎて、すっかり晴れた夜。
親方が角形ランプをかざして進む後ろから、僕は藤蔓で編んだ小さいカゴを二つ持って付いていく。
もう夜の八時だけど、晴れた夜空には満月が輝いている。森の中、月光が届く場所は本が読めそうほどに明るい。
「そら、ここだよ。『雨上がりの魔法の泉』が湧くのは」
工房から歩いて10分。到着したのは、僕も昼間に来たことがある、薪を拾える場所だった。
「さて、花が咲くまでもう少しかな」
親方はベンチみたいに大きくて平らな石の上にランプを置き、その横へ腰かけた。僕も親方の横へ並んで座った。
そして――……待った。
銀の星がまたたく空は、果てしないインディゴ・ブルー。
雨上がりの地面はぬかるんで黒いばかり。
小さな水溜まりに映ったお月さまは、真新しい金貨にも似て、曇りのない金色だ。
僕と親方は、待っていた。
「親方、あとどのくらい待つんですか?」
僕は少し退屈してきた。
こんなぬかるんだ地面に、親方から聞いた夢のように美しい青い花が、本当に咲くのだろうか。
「うーん、月がだいぶ上にあがったから、そろそろかな」
親方が懐から懐中時計を出した、その時だ。
突然、水溜まりがキラキラ光りだした。
「あっ!?」
「しッ!」
親方はすばやく口唇の前へ右手の人差し指を立てた。
水溜まりの中央がゆるやかに盛り上がり、コポコポコポ……水の湧き出す音が聞こえる。
水面に、透明な波紋が広がった。
僕は息を呑んで見つめた。
水溜まりの水がどんどん増えていく。水は僕のすぐ足下にまで広がってきた。
水面の輝きは、透明なガラスの粒をまき散らしたようだ。
そのきらめく粒々が丸くふくらんで、地面から浮きあがった。いや、光る粒の下から、金色の茎が押しあげているのだ。茎からは細い葉が生え出し、先端の光の粒はどんどん青味を帯びていく。
水溜まりはやがて小さな池となり、一面青い花の蕾でびっしり覆われた。
月の光を浴びて蕾がひらく。
ゆっくりと、長い眠りから覚めるように。
ぬかるみだった地面はいまや見渡す限り青く輝く小さな花が咲き乱れていた。
「さあ、摘んでいいぞ!」
親方が腰をかがめて花を摘みはじめた。
僕もしゃがみ、目の前の花へ手を伸ばした。
水から伸びた花の茎は細く、高さは10センチもない。
茎も絵の具の原料になるから、できるだけ長めに摘もうとしたら、水に手が浸かる。底の泥にさわって指先が汚れたら、少し水が深いところで指先を洗ってきれいにして、また花を摘みはじめる。
茎は直径1ミリほどもないくせにやたらと丈夫で、ちょっとやそっと引っ張ったくらいでは切れてくれない。何度もなんども角度を変えて引っ張って、最後には爪で傷を付けて折り取った。
ハサミで切れたら簡単なのに。
「親方、茎を切るのに、ハサミを使っちゃだめなんでしょうか。家へ戻って取ってきますけど」
一度戻るのは手間だけど、ハサミがあった方が楽だろう。
「いや、ダメなんだ。妖精は刃物をきらうからな。それに、この花の色素は、鉄分に反応して色が悪くなってしまうんだよ」
親方の返事を聞いた僕はあきらめ、せっせと手を動かすことにした。
しばらくすると親方が、よいこらせっ、と腰を伸ばした。
「よし、このくらいだな」
親方の両手の上に、摘まれた花がこんもりのっている。親方は岩に置いていた自分の蔓カゴへその花を入れた。ちょうどいっぱいだ。
「さて、ニザはどのくらい摘めたかな?」
「僕も両手にのる分は摘みました」
僕の手は親方よりも小さいから、カゴはいっぱいにならなかった。
咲き乱れている青い花は、少しも数が減ったように見えない。
もっと時間をかけて摘めれば、絵の具もたくさん作れるのに。
僕が残念そうに地面を眺めていたら、
「明日また来ればいいんだよ。青い花は、この水溜まりが乾いてなくなるまで咲いているからね。さあ、1日のうちに摘んでいいのは、自分の両手の平にいっぱいだけだ。あとは青い花を守る妖精の取り分だよ」
親方は、僕の考えを見透かしたように優しく注意をくり返した。
「その妖精も、いまここにいるんですか?」
僕はキョロキョロした。
小さな青い花のほかは虫一匹見かけない。
すると、親方は、むむ、と眉をしかめ、
「いやいや、油断してはいかん。妖精はどこかでわしらを見張っているぞ。この花はその妖精の食べ物なんだ。わしらが約束を守っていたら花を摘ませてくれるが、約束を破ったらものすごく怒るんだ。なんせ『幸運の妖精』の仲間だからな、わしらの幸運なんか、一口でペロリ、だぞ!」
親方は目をむいて、歯をむき出した。
僕はもう小さな子どもじゃないから、そのくらいで怖がったりしないぞ。
親方の顔よりも、僕は『幸運を食べられる』という方が気になった。
「幸運の妖精に幸運を食べられたら、どうなるんですか?」
「そりゃあもう、悪運が続くようになる。しょっちゅう道具が壊れたり、椅子に足をぶつけたり、散歩をしてたら鳥のフンがかならず頭に落ちてきたりするんだ!」
親方はガッハッハ! と大いに笑った。
なんだ、冗談か。と、思ったら、
「まあ、ニザも、ひとりでここへ来るときは、くれぐれも気をつけるようにな」
親方はニヤニヤして付け加えた。……本当に、冗談なのかな?
ひょっとして魔法玩具師の親方には、妖精も見えるんだろうか。
僕に見えないのは、修行が足りないせいかしら。まだまだ修行が必要なのは、わかっているつもりだけどなあ……。
僕と親方はめいめい摘んだ花のカゴを大事に抱えて、この日は引き上げた。
翌日、日が暮れてから、僕と親方はふたたび出かけた。
ところが、青い花はなかった。
地面に落ちた花や葉っぱの痕跡すらない。
昼の間、雲一つない晴天だったから、森の水溜まりも1日で乾上がってしまったんだ。
「うーん、雨の量が少なくて、浅い水溜まりだったからだな……」
親方は残念そうにつぶやいた。
魔法の青い花は、雨上がりの魔法の泉が消えたら一緒に消えてしまうらしい。
「それじゃあ、今年の夏は、もう青い花は取れないんですか?」
昨日、僕と親方が摘んだ花を全部合わせても、不純物をより分けて加工したら、小瓶に半分くらいだろう。僕が使わせてもらうにはとても足りないや。
「まあ、夏の間にあと何回か雨は降るさ。そうしたらまた来ればいいよ」
親方はほがらかに言い、僕らは家に帰った。
その2日後の午後、はげしい雨が降った。
その日、親方は仕事の用で、別の街へ泊まりがけで出かけていた。
ふだんは夜の森へ入ってはいけないが、今夜は特別だ。
「一度行った場所だしな、あそこには青い花の妖精が居るから危険な獣は出ないだろうし、シャーキスと一緒に行けばいいだろう」
親方が出かける前に許可をもらっていた僕は、夜を待ってランプを持ち、ぬいぐるみ妖精のシャーキスを連れて森へ出かけた。
あの場所へは、10分とかからずに到着した。
石に座って待つうちに、雨上がりの魔法の泉がこんこんと湧き出した。
やがてあたり一面、青い花が小さな星のように咲き乱れた。
「採るのは自分の両手の分だけ」
僕が採った量を気にしながら花を摘んでいると、
「ご主人様!」
「なんだい、シャーキス?」
そういえば、シャーキスもいたんだ。
花を摘むのに夢中で、すっかり忘れていた。
「さあ、どうぞ。たくさん摘みました!」
顔を上げた僕の左手に、トサッ、と、重みが加わった。
僕が摘んだ花の上に、さらにこんもり青い花が。量にしておよそ僕の両手を合わせた二倍分以上、掌からぽろぽろとこぼれている!
「うわあ、取り過ぎだーッ!!!」
そういえば、シャーキスには親方に注意された花の摘み方を説明していなかった!
しかもこの量、シャーキスの両手にのる量すら、はるかに超過しているぞ。
ザワワッ。
突然、空気が重くなり。
ゴウッ!
生ぬるい風が吹き抜けた。
次の瞬間、音をたてて僕の前を、青い風が吹き抜けた。
それは水溜まりの青い花から湧き出して、夜空へ高く舞い上がり、一直線に僕の方へと落ちてくる!
ぴー、ちちちちちちちッッッ!!!
「鳥だッ!」
うっすら青く光る、すごく小さな青い鳥の群れが、来る!
青い小鳥の集団は僕を包囲し、鋭いくちばしで、ツンツン、ツンツン、突ついてきた!
「うわあッ!」
ものすごく怒っている!?
ツンツンツンツンツン!
手を振りまわそうが足で蹴ろうが、相手は鳥だ、すぐ飛んで逃げる。取り囲まれて、追い払えない。髪の毛まで引っ張られた。
「うわあッ、イタイッ、引っ張るな、つつくなってばッ、イタタ、いたいってばッ!!!」
「るっぷりい、だめです、みなさん、ご主人様を突つかないでくださいッ!」
シャーキスが叫んだら、
ピタッ。
くちばし攻撃が止まった。
空中に浮かぶシャーキスのまわりを、僕から離れた青い小鳥の群れがクルクルと周回している。
ぴちちちちち、ちい、ぴい。
シャーキスはふむふむとうなずいている。
ぬいぐるみ妖精だから、妖精は妖精同士で言葉が通じるのだろうか?
「シャーキス、なんて言ってるんだ?」
訊ねる僕の前へ、シャーキスは、スーイッ、と戻ってきた。
「えへん、ご主人様は花摘みの取り決めを破りましたので、もうお花を摘んではいけません。それに彼らは、ここには二度とお花を咲かせない、と怒っているのです、ぷいっ!」
「ええ、そんな~っ!?」
僕が摘み過ぎたわけじゃないッ。……といっても、通じないだろうな。
「それは困るよ。どうしたら許してもらえるのか、きいてくれよ」
「わかりました!」
シャーキスは「ぷーい!」と、妖精鳥の前へ飛んでいった。
「るっぷりい、ご主人様が花を摘み過ぎたのは、勘ちがいのまちがいだったのです。ご主人様はとてもとても反省しているので、どうか許してあげてくださいな!」
シャーキスはわかって言ってるのかな。
たしかにシャーキスは悪くないけど。
花摘みのルールをシャーキスに説明しなかったのは僕だ。
だから、悪いのは僕だけど。……うん、ちょっと、納得しがたいな。
シャーキスが両手をブンブン振りながら話していると、小さな青い鳥は、ぴぴぴピーチク、甲高い鳴き声を少し小さくした。
何かを相談しているようだな。
ぴーぴぴぴぴ、ぴっぴい!
人間の耳には意味を成さない小鳥の声を、ぬいぐるみ妖精のシャーキスが翻訳してくれた。
「るっぷりいッ! 良かったですね、ご主人様。お詫びのしるしとして、栗の蜂蜜漬けをひと瓶持ってきたら、許してくれるそうです」
「栗だって!?」
なんという無茶な要求!
あんなに小さな鳥の頭でどういう知恵が回るんだろう。妖精だから人間みたいに意地悪なことも考えるのだろうか。
「栗は秋にしか取れないんだから、真夏には作れないよ!」
僕が抗議すると、
ぴーちちち、ちちッッッ。
一羽だけが、僕に応えるかのようにひときわ強く鳴いた。
「でも、持ってこなければ、花を取るのはあきらめるしかありません。この鳥さん達は二度と魔法の泉を作らないそうです。そして、代償として、ご主人様の『幸運の芽』を、向こう一年間おやつにして食べちゃうそうです、ぷいッ!」
「なんだって、僕の幸運の芽を食べる? どういう意味だよ、それ!?」
「るっぷりい、それはですね、彼らは幸運の妖精の仲間で『幸運を運ぶ青い妖精鳥』という種族だそうですよ。だから、人間に新しい幸運の芽を与えたり増やしたり、食べちゃったりもできるのです。どうします、ご主人様?」
無邪気に翻訳したシャーキスは、僕の頭の上をブンブン飛び回った。
そんな恐ろしい脅迫を聞かされた僕が、落ち着いていられるわけがない。
僕は家に帰り、コソコソと台所へ向かった。
今は夏。
森に栗の木が生えている場所は知っているけれど、実がなるのは三ヶ月以上先。自分で栗を拾って瓶詰を作ることはできない。
しかし、家の食料棚から、保存食をこっそり持ち出してくることは、できる。
「るっぷりい、ご主人様、どうしてそんなにこそこそ歩くのですか?」
後ろから飛んできたシャーキスは、僕の頭へポスンとお尻をのっけた。
「しッ! 静かにしないか。おかみさんがおきちゃうだろ」
僕は足音を立てずに台所へ行き、食料棚の扉に手を掛けた。
「るっぷりい、ご主人様の行動が不可解なのです。おかみさんに事情を話して、一瓶もらえばいいじゃないですか」
シャーキスは僕の頭を、両手でポフポフ叩いた。
僕は扉を開けかけた手を止めた。
「そ、それは、そうだけど……。だって、約束を破って、幸運の青い妖精鳥に怒られているなんて、恥ずかしいじゃないか」
それだけの言い訳を、今すぐおかみさんに告白する勇気が、僕にはない。
でも、あとで親方にはバレると思う。
親方いわく「心がみだれるとな、手元も狂うんだぞ。ぜったいにわかるから気をつけろ」
親方と一緒に仕事をしていたら、きっと見抜かれる。
「秋になったら、僕が森でたくさん栗を拾ってきて、おかみさんに栗の蜂蜜漬けを作ってもらうよ」
僕は食料棚を開けた。中は小部屋で、三方に棚がある。つぼ詰めや瓶詰めなど、保存食がたくさんならべてあった。
「るっぷぷーい、ご主人様が自分で栗の蜂蜜漬けを作るのならともかく、それは良い子の考えることではありませんよ?」
シャーキスが頭の上でフルフルと動いている。頭を振っているらしい。
「いやその、あ、朝になったら、ちゃんと事情を話すよ。借りたことも言うつもりだよ、もちろん!」
おかみさんはもう寝ているだろう。あしたの朝いちばんに起きて、朝ご飯の支度をするのはおかみさんだ。起こすなんて気の毒じゃないか。
僕は、ランプの明かりで棚を照らした。
栗の瓶詰めは見当たらない。
栗は一年を通してお菓子に使うから、まだあったと思ったのに……。
「だめだ、無いや」
台所の食料棚には、栗の蜂蜜漬けとおぼしき瓶は見つからなかった。
「ぷーい、地下の食料庫にありますよ~?」
「なんで知ってるんだよ?」
ぬいぐるみ妖精のシャーキスは人間のように食事をしないが、食べ物には興味があるのか、いろんな食材のことを知っている。
「去年の秋、地下の食料室へ運んで棚にならべるのをお手伝いしたのです、ぷいッ!」
僕は、ふわふわ飛んでいくシャーキスの後ろから、足音を殺しながらついていった。
お勝手口のドアから外へ出て、地下食料庫のドアを開けた。
階段を降りていくと……。
「ニザ」
前の地下室の暗闇から、おかみさんの声が!?
「うひぃッッッ!!!」
僕は跳び上がった。
地下の食料室の扉が開いて、中から蝋燭の灯りが出てきた。右手に燭台を、左手にカゴを持ったおかみさんが、階段をのぼってくる。
僕は慌てて階段をあとずさった。
台所へ戻ると、おかみさんはカゴを台所のテーブルへ置いた。
まだ寝ていなかったおかみさんは、こっそり戻ってきた僕が台所でゴソゴソやっているのに気付き、僕を驚かさないように玄関から外へ出て、地下室へいったらしい。
テーブルに置かれたカゴには、コルクと蝋引きの紙で封をした中くらいの瓶が二つと、茶色い紙袋が一つ入っていた。
「蜂蜜と栗の蜂蜜漬けと、お砂糖の固まりですよ。探していたのはこれでしょう?」
「その、栗の蜂蜜漬けだけでいいんです!」
おかみさんが去年の秋に作ったやつ、やっぱりまだあったんだ。
おかみさんはクスクス笑った。
「それだけでいいなら、それを持って、早く妖精鳥にあやまっていらっしゃいな」
「はい、ありがとうございます!」
僕は両手で栗の蜂蜜漬け瓶を持ち、家を走り出た。
あれ?……僕はおかみさんに事情を説明していないよね。どうして僕の欲しいものがわかったんだろう?
考えている間に、雨上がりの魔法の泉へ戻ってきた。
月明かりの下で、妖精の青い小鳥たちは、地面に降りて青い花を食べていた。
僕を見たら、
ピイーッ!
見張り役の鳥が警戒警報を鳴らすや、青い小鳥はいっせいに舞い上がった。
僕の頭の上をグルグル、グルグル飛んでいる。ちょっと向きを変えれば、また一直線に攻撃してきそうだ。
「ほら、持ってきたよ、栗の蜂蜜漬けだ。ふたを開けて渡そうか?」
僕が瓶を見せると、青い小鳥たちはピチパチお喋りしはじめた。
シャーキスが通訳した。
「そのまま、渡せば良いみたいですよ。青い鳥たちの方へ差し出してください」
「こうかい?」
僕は瓶を少し上へ、ささげ持った。
青い小鳥がわっと集まってきた。
僕の手元が無数の青い羽ばたきに隠される、と、青い小鳥たちがササーッと離れていった。
僕の手から瓶は消えていた。
ピーイイ……。
頭上を飛び回る青い小鳥のさえずりが、夜空に高くひびき渡る。
ザーッ……。
風が高いこずえを揺らした。
そうして音が止んだとき、あたりに青い小鳥の姿はなかった。
でも雨上がりの魔法の泉はあって、青い花も咲いている。
「るっぷりい、最後に鳥たちが言っていました。お祝いのご馳走をもらったから、ご主人様は明日からお花を摘んでもいいそうですよ!」
「そうか、良かった。あれはご馳走か。青い花ばかりじゃあきるんだろうな」
青い小鳥たちは妖精界で、なんのお祝いをするのだろう。
もしかして、栗の蜂蜜漬けが手に入ったお祝いだったりして。
「るっぷ、渡した蜂蜜漬けの量は、ご主人様が摘んだ花よりもたくさんありましたもの、こころよく許してもらえて良かったですね、るっぷりいッ!」
そもそも怒られちゃったのは、誰のせいだよ?……僕は、そう言いたいのをグッとこらえて、足下に落ちていた今日摘んだ分の青い花を拾いあげた。
もちろん、シャーキスが摘んでしまった分も、一本残さず回収した。
妖精鳥に栗の蜂蜜漬けを渡して無事に許してもらえた僕は、家に戻ってホッとした。
そうしたら、ようやく考えられるようになった。
おかみさんはどうしてあんなにタイミング良く栗の蜂蜜漬けを出してきたのだろう。
ほかのジャムやジェリーではなく、蜂蜜とお砂糖と栗の蜂蜜漬けを持ってきたのは、なぜだろう。
僕は、自分の行動を順番にたどって考えていたが……ふいに、謎が解けた。
「そうか、前にも同じ事があったんだ!」
雨上がりの魔法の泉を僕に教えてくれたのは親方だ。あの森で雨上がりの泉を最初に見付けたのは、親方じゃないか!
きっと親方も、僕と同じ事をやったに違いない。初めてあの花を見付けたときに。
その次の日の午後、親方が隣街から帰ってきた。僕は親方が出かけていた間の出来事を、正直に報告した。
「そうか、そうか、ニザもやったか!」
親方は愉快そうに、自分も同じ事をやったんだぞー、と自慢げに語った。
「わしのときは、砂糖の固まりと蜂蜜の瓶も受け取ってもらったんだ。2回目は初めから栗の蜂蜜漬けだけを要求してくるとは、よっぽど栗が気に入ったんだな!」
その後、僕は親方から、青い花を乾燥させ、染料に加工する方法を教わった。
そして僕は、自分で材料から集めた『妖精鳥の羽根の青色』を完成させた。
その夏から、僕の作業台の片隅には、木彫りの小さな鳥が留まるようになった。
親方の真似をして、筆に含ませた青色がもったいなくないよう、いくつかの作品をならべて色付けをする。それから最後の最後に筆に残った分を、木彫りの小さな鳥の羽へなすりつけるのだ。
筆に何度も水をつけながら、色がでなくなるまで、繰り返し……。
こうして何度も重ね塗りされた小鳥は、木肌に青色がしっかり染みているから、歳月が経っても色褪せることがない。
僕の作業台の小鳥が深い青色になるまで、3年と3ヶ月かかった。
そして、その年のクリスマス2週間前。
僕は青い小鳥をオモチャ売り場の、親方の作品の横へならべた。親方は、僕の作品の値段を、親方の鳥と同じにしてくれた。
すると翌日、家族への贈り物を買いにきた人が、僕の作った青い小鳥を買っていった。
これは僕にとっての幸運かも知れないが、お客様が気に入られたなら、親方と僕のどちらが作った作品でもいいのだ。
今も、僕の作業台には、何代目かの白っぽい木彫りの小鳥が留まっている。
その翼がすっかり青く染まる日まで。
〈了〉