第7話 神様の飲み物
ソーラの本はいろいろあった。ソーラの原材料の植物の本。ソーラの美味しい淹れ方。俺の興味を一番引いたのは神様とソーラの話だ。化け物を倒した後、神様がソーラを飲むとすぐに体の全ての悪いところが治ったという話だ。ただ、他の本を見る限りソーラはそこまですごいものじゃないらしい。昔にもあったお茶のように嗜好品としての役割が大きいようだ。
つまり、『ソーラは神様を治した万能の飲み物』という伝承が残っているから、俺が飲む分には万能薬としての機能を果たすのだろう。一つ賢くなったな、と思う。それにしても
「この寝具すごいな!!何か台の上にあるしフワフワ!いや、モフモフ?!」
俺は初めて見るベッドにダイブした。ベッドの淵に腰掛けていた彼女が驚く。驚いたことが動作から、それに、目から伝わってきた。ああ、目は口ほどにものを言うだっけ。片目だけだけど最初に目を取り返せて良かったと思った。
「何読んでるの?」
ベッドの上をのそのそ動いて彼女の手元を覗き込む。彼女はソーラの美味しい淹れ方の本を読んでいた。彼女が優しく目を細めて本を指差し、俺を指差す。
「俺に淹れてくれるの?」
尋ねれば彼女は恥ずかしそうに、でもどこか嬉しそうに頷いた。あー、もう!本当に可愛いな!!俺が悶えているのを彼女は不思議そうに見ていた。そんなことをしているとお屋敷の廊下から話し声が聞こえた。そっと扉を薄く開いて会話の内容を聞く。彼女に関係する話の可能性もあるからな。
「お嬢様、もう今週誕生日よね。」
「あの病は誕生日に最期が来るんだったよな……。」
「私たちには何にも出来ないのかしら。」
どうやら、この屋敷に住んでいるお嬢様は不治の病に罹っているらしい。それも、もうじき死ぬような。彼女さえいればどうでも良い俺なんだが……。
「上手く使えるかな。」
それにしても13歳の誕生日になると体がバラバラになる病気なんて昔は無かった気がする。500年の間に発生した病気なんだろうか。13歳。俺は13歳になったんだったか?少し考えてみたが12歳になった記憶はあったが13歳になった記憶は思い当たらなかった。
お嬢様の誕生日までもう3日。皆で用意するお祝いがお供え物にならないように、祈ります。ああ、神様は子供の姿をしているというのにどうして子供の命を奪おうとするのでしょうか。そう思いながらソーラの粉をゆっくりミルクに溶かしていく。涙がソーラにはいらないように注意しなければいけませんでした。
「おばあさん。」
唐突に名前を呼ばれて私は振り返りました。そこには数日前から屋敷に泊まっている少年がおりました。ソーラが大好きで名前はくう。お嬢様と同じくらいの年齢に見えますが、旅が出来るのなら健康なのでしょう。それに少年の連れの女の子。彼女はお嬢様より年上のようでした。お嬢様が生きられないかもしれない年を生きている。たとえ全身に大やけどを負っていても生きていけることは素晴らしいと思い、羨ましいと感じていました。そんな感情を隠してくう君に話しかけます。
「どうしました?」
くう君は私の手元を覗き込んできました。ちょうどお嬢様のためのソーラを淹れていました。ですから私はくう君もソーラが飲みたいのだろうと思いました。好奇心旺盛な少年らしい動作が可愛らしい。つい口元に笑みが浮かんでしまうほどでした。
「坊やたちのソーラはまた後で淹れてあげますね。」
そういうと、彼は緩く首を振った。否定されるとは意外でした。しかし、そうなると彼の要件は別にあることになります。私は彼の言葉を待ちました。
「ねえ、俺、神様なんだ。」
くう君はそんなことを言いました。一瞬驚いて呆然としてしまいます。神様?神様!!私は自分に言い聞かせるように首を横に振りました。
「そんなこと言っちゃ駄目ですよ。本当に神様が来ちゃいますよ。」
そう言ってくう君の頭をなでます。丸っこい頭が可愛らしい。子供は敏いと言いますからね。私がお嬢様の生存を願う気持ちが伝わってしまったのでしょう。それを申し訳なく思いました。けれど、くう君は笑いもせずまっすぐに私を見ていたのです。その瞳に宿る意思は、さっきまでのくう君とはまるで別人のようでした。その瞳が、この空気が、私の中の常識を揺らします。
「ま、まさか?」
くう君は私の反応に少し満足げな顔をするといれたてのソーラを指差しました。
「信じてくれるなら、お嬢様、助けてあげようか。」
ああ。神は子供の姿をしているというのは、本当だったのですね。私はその場に膝をつき、目の前の神に縋りました。だってお嬢様の病にはもう何も打つ手がなかったのですから。
病気が進行しているのが何となく感覚的にも分かる。こうなってしまえばもうダメだろう。きっとすでに体の中は粉々なのだ。窓から外を見る。ああ、空が、青い。もうすぐ、私が、還るところ――――。
「お嬢様、失礼します。」
ばあやの声に振り返って驚く。だってそこには使用人じゃない少年と少女がいた。使用人じゃない彼らは何者なのか。この前屋敷に泊めるとか言っていた子たちなのか。まだいたのか。いや、そうだとして、何で後3日で死ぬ私の部屋に入ってくる必要があるのか。
「お嬢様。ソーラは神様の飲み物です。神様の万能薬なのですよ。」
小さい時に効いたおとぎ話みたいなことをばあやが言う。ばあやが信じているのは知ってたけど、そんなのは迷信だ。ばあやがソーラを淹れてくれるから飲んでいたけど、もういい加減嫌になった。治らないのに、治す目的でソーラなんて飲みたくない。ばあやとばあやの持っているソーラから目をそらす。
「はい。俺が飲ませてやるから。」
「は?!」
いきなり名前も知らない少年がソーラの入ったカップを持って近づいてくる。
「い、いらない!!ばあや!」
ばあやに助けを求めるが、ばあやはどこか恍惚とした表情で少年と私を見ていた。その様に背筋が寒くなる。
ばあやが、変だ。おかしい。
この少年は何だ?
混乱している私の視界の端に、フードを深くかぶった少女が映る。その少女はゆっくりと顔をあげた。包帯でぐるぐるにまかれた顔。その中で左目だけが温度のない目で私を見ていた。その目を見て私は上手く動けなくなってしまう。
これは、何だ。この状況を作り出しているものは何だ。
人知の及ばない何か―――――
「神様ですよ。お嬢様。」
にっこり笑うばあやが見えた。
そう思った瞬間口の中に入ってきたドロッとした甘い液体を飲み込んでしまう。喉に絡みつくようなそれは、ソーラだ。甘ったるくて、嗜好飲料で、だけどばあやが私のために毎日淹れてくれていたから――――大好きだったソーラだ。
「う?……あ、あう?!」
なのに
(熱い!)
ソーラは喉を越えても食道に流れ込まなかった。いや、食道にも流れ込んでいるが、正確には食道以外にも流れ込んでいるのだ。
(どういうこと?!どういうこと?!なにこれ!?何?何?何?)
気管とかそういう問題じゃない。体の管じゃなくて、細胞の一つ一つの間を。今にも離れそうだった細胞と細胞の間に流れ込むような感覚。意味が分からなくて少年を見れば、少年はぱちりと目を瞬かせた。
「へえ。こうなるんだ。」
少年の私を見る目も少女と同じように温度が無かった。
あれから3日たってもお嬢様と呼ばれた人物は消滅しなかった。医者によれば奇跡的に回復したらしい。ただし俺を見ると震えだすのであまり経過は観察できなかった。ばあやには神様を信じるように、そしてそれを皆にも広めるように言ってある。ばあやは屋敷を出て行く俺たちに容器に入れたソーラを渡してくれた。ソーラは一般的にはただの嗜好飲料だが、俺が使えば万能薬になることがわかった。
そして今までの一連のことから推測できることがある。……俺の能力は恐らく人々の信仰心に比例して強くなる。ソーラは神が使う(飲む・飲ませる)すれば万能薬になるが普通の人間が飲んでもただの飲み物なのはそのせいだろう。大地と一体化する、空を飛ぶ。それらは広く一般的にそう思われているからか何の制限もなく使える。けれど空の神様の本に神様の体について、力持ちとか子供の姿をしている以外の記載はない。つまり、おそらく怪我は普通にする。最初に地面から出てきた時に体に土が付着した時もドロドロになったし、汚れもする。
うーん。彼女の体を取り返しに行ったときに足を切り落とされたりしたら面倒だ。味覚も触覚もあるから痛覚もありそうだし。苦労なく彼女の体を取り返すなら更に強い能力を、さらに強い信仰を得ることが必要かもしれない。
……と、まあ現実逃避は置いておいて。
「あのー……。」
話しかけるが彼女はふいッとそっぽを向いた。心にグサッとダメージを負う。そう、あのお嬢様を助けてから彼女の機嫌が悪いのだ。え?あのお嬢様殺しといたほうが良かった?
「え?あのお嬢様今から埋めに戻る?いや、神様の力の実験に使っただからもう用済みだし!!」
そう言えば彼女はフルフルと首を横に振った。その瞳は俺を睨んでいる。やっぱり絶対怒ってる!!でもどうすれば良いんだ?!あたふたしていると彼女はおもむろにおばあさんから貰ったソーラの容器をあけた。そして、その飲み口を俺の口元にグイグイ持ってくる。え?何?
「飲めってこと?」
尋ねて容器をその手から取ろうとすると首を横に振られる。それから彼女は自分を指差して、容器をアピールして俺の口元を指差した。えーっと……つまり……
「俺に飲ませたいの?」
恐る恐る尋ねれば彼女は頷いて俺の口に容器を突っ込んできた。
「ぐっん?!ん!」
結構な角度でソーラを口に注がれるので咽ないように必死に飲む。全部飲み切れば彼女は嬉しそうに両手を合わせた。小さくパチパチと拍手するように動かす。どうやらはしゃいでいるようだ。うん。君が幸せそうなら俺も幸せだけど……。
これはつまり、俺があのお嬢様にソーラを飲ませたことに対する嫉妬だったのだろうか。分からなかったけれど彼女が満足気に俺の腕を抱きしめるようにして歩き出したから、何かどうでも良くなってしまった。ほんっとうに!可愛いな?!ていうか、距離が近い!やばい!恥ずかしい!!そんなことを思いながら俺は赤くなった顔を彼女に見られなくするのに必死だった。