領主との対談1
「うっへぇ…………」
「マスター……大丈夫?」
マナが心配そうに声をかけてくる。
……間一髪だった。きっと間一髪だった。
もう少し判断が遅れれば、前を歩くこの執事のじいさんは今頃心臓発作で大往生していたかもしれない。
勢いよく扉を開かれて俺は驚いた。ヘルメスも驚いた。
そして思考が停止した世界の中で、一瞬だけ俺の方が先に我に返る
『あ、これヤバい』
直観は正しかった。ほとんど脊髄で反射するように彼女の腕を掴んでマナに交代してもらった。
彼女は俺の中に戻ってから状況を理解すると、火傷するような熱さを感じさせるほど恥ずかしがり、そしてそのあと……
「だ、大丈夫だ……なぁ、ヘルメスもちょっと落ち着いてくれよ」
「私は落ち着いてます!……ふんっだ……」
すっげぇ不機嫌になった……
だが偉い人を待たせる訳にはいかない。俺は魂の中で暴れる闇の波動に必死に耐えながら廊下を進み、そして……
「どうぞ。こちらへ……」
案内された部屋は館の他の内装と比べて妙に質素なものだった。
調度品の類が全くない訳ではないが、どれも地味と言うか枯れていると言うか……
派手さや煌びやかさを一切感じさせない代わりに、なにか無言で語り掛けてくるような趣があった。
「失礼します」
一歩踏み入れただけで自然と背筋が伸びる。珍しくマナも外行きの顔だ。
「執務室ですまない。急いで確認したかったものでな。なにもない部屋だがかけてくれるか」
この人が……
奥の机に40から50代くらいに見えるずいぶんと男前の男性がいた。
長年の苦労を感じさせる険しい皺の入った堀の深い顔と、今なおそれらの困難に立ち向かい続けている事を示す眼光。
あー、これ絶対強い人だ……剣術のイロハなどさっぱりだが座ってるだけでもう絶対勝てない事がひしひしと伝わる。
「アケレイより参りましたゲオルグと申します。今回はご面会をお受け下さりまして誠に感謝いたします。この度は危急の事とは言え数々のごぶれ」
「気にするな。挨拶は結構だ」
「……は。失礼します」
人差し指で着席を指示される。まぁ俺も礼儀作法なんて詳しくないので助かるが。
「私がシグリス領主のエドガー・マクラーレン辺境伯だ。ある程度の事情は書面で確認しているつもりだが少しだけ確認させて欲しい」
「は。仰せのままに」
「随分と珍しい魔物だが、他に協力者の痕跡はなかったのだな? 特に人間のだ。重要な事だからよく思い出してくれ」
「はい。現場は未だ調査中ではありますが我々が確認した限りでは……」
「遺体の一部を確保したとあるが、それは今ギルドの方に?」
「左様でございます」
「元が異国の猿のように見えると書いてあるな。……お前の推測で構わない。どこから来たと思う?」
……推測で構わないと言われてもヘタな事言えないんだがな。ただ、これに関しては救援に来た冒険者達ともケイルさんとも見解が一致してる。
「例の魔物は人間を積極的に襲い、その被虐を楽しんでいる様子がありました。
で、あればここにくるまでの経路にて多大な被害報告が出ているはずです。それが確認されないと言う事でしたら何者かが持ち込んだとしか……
それに水の精霊と陸上の猿と言う組み合わせは不自然です」
「ウーノも同じ見解のようだ。心当たりは?」
これについては隠し立てをするつもりは一切なく、本当に全く心当たりがない。
「申し訳ありません。まったく……」
領主の男は「そうか……」と一つ息を吐いたあと、脇に立っていた側近らしき人を呼び寄せて何か指示を出していた。
聞き耳をたてればギリギリ聞こえなくもなさそうな距離だったが、それもなんだか失礼かと思い、そのまま座っていた。
「……わかった。魔物の詳細についてはこちらで調べておこう」
側近らしき人が出ていくと、領主は疲れたような顔をしてため息を吐いた。
「しかし、このタイミングでアケレイとはな……」
そう言って領主の男はそれはそれは難儀そうな目で俺を見つめた。
領主の男がなぜそんな目でこちらを見るのかは知らないが、向こうの事情ばかりに構ってもいられない。
こっちはこっちで目的があって来ているのだ。
「あの、閣下。よろしいでしょうか?」
右手をヒジから上げて発言の許可を求める。
「なにか?」
「書類にもありましたが、村は甚大な被害を受けております。生存者は怪我人や幼少、高齢の者が多く早急に人員の派け」
「ダメだ」
本日2回目の割り込み。速攻で断られてしまう。
「すまない」
俺と彼とでは天と地ほどの立場の違いがあるのだが、そんなものに意味などないと言わんばかりに申し訳なさそうに謝ってきた。
驚いたのは事実だが、そんな事に関係なくこっちには引き下がれない事情がある。
「恐れながら閣下。我々は今回の件で多少の報奨金を得ております。本日銅級に上がったばかりの身ではありますが、すぐにでも資金を調達出来るように」
「違う」
領主は苦々しくため息を吐くと、首を左右に振った。
「金の問題ではない。いや、巡り巡れば部分的にはそうとも言えるが……とにかく直接的な理由はそうではない」
「ではなぜ」
まいったな。どうにも厄介そうな雰囲気だ。とりつくしまもない。
「トレイランの政変の事は?」
トレイラン……なんでこんな田舎の小さな村に人を寄越してくれって小さな話に隣国とは言え違う大陸の話をされなきゃならんのだ。
少しばかりじれったくも感じたが、今は相手の心象を悪くすることに得はない。
「人並みには」
「そうか。公に語られている通り、穏健派で知られる第3皇子が……いや、いい。ともかくアムルゼンと和平に向けて動いている事は知っているな?」
北の大陸では、北に位置する魔道皇国アムルゼンと、北の大陸の南半分を占めるトレイラン帝国が長く戦争に明け暮れていた。それが5年前の代替わりから対話路線に舵をきったのは割と有名な話だ。
ちなみに俺達は北の大陸と海峡を挟んだ南の大陸の最北端に位置している。
「存じております」
「正式な終戦条約の締結には時間がかかるとは言え、最早終わりの見えた戦争だ。命がけで総力戦をやるようなバカはいない。さて、戦争が終わって一番困る連中は誰だ?」
兵士は別に全員がクビになる訳ではない。むしろ駐屯地に戻れて喜ぶものも多いだろう。武器商人は不平を漏らすだろうが、結局彼らは文句を言いながらも鞍替えをこなしていくだろう。
「……傭兵……ですかね。やっぱり」
「そうだ。一部の貴族にとっても大問題だろうがすぐに飢えて死ぬような事はない。最も即座に、直接ワリをくうのが傭兵達だろう。……銀狼団の事は?」
「……名前だけでしたらなんとなく」
銀狼団……確か戦争で活躍してるかなり強い傭兵団ってくらい。本当に名前くらいしか知らない。
「それで構わない。奴らは既に北部戦線から手をひいて次の獲物に狙いを定めている。そして奴らが狙っているのが……」
領主は地図の上にチェスの駒のようなものをポンと置いた。