理想と責任
(マナ視点)
「ふんふふんふん~♪ むっふふん~♪」
お茶とお菓子を持ってマスターの部屋に向かう間、鼻歌なんて歌っちゃってご機嫌なわたし。
いいないいな~♪ お姉ちゃんばっかりいいな~♪
私もあんな風に良いところいっぱい言って欲しい。褒められたい。
でもそれはそれとしてお姉ちゃん嬉しそうだったな~!
お姉ちゃんは怒るとちょっと恐いけど、本当はすっごい乙女なところマスターがちゃんと見ててくれたんだって思うとわたしもなんだか嬉しくなっちゃう。
「ふっふふん~♪ むっふふん~♪」
ドアが見える。お茶を持っていったら「マナはいつも気が利くなぁ」なんて言って撫でてもらえるだろうか。そんな事を思っているとドアの向こうから二人の声が聞こえてきた。
「……わかりました、ゲオルグさん。と、なるとやはり……」
「えぇ…………………残念ですが奴隷商を呼んで子供たちを引き取ってもらうしか……」
(おっさん視点)
ガシャン!
物音がして心臓が飛び出そうになる。
「誰だ!」
素早くケイルさんに目配せをして壁に背をつけつつドアを開けると、足元に割れたコップと……顔面を蒼白にして震えるマナがいた。
「……マナ?」
「ま、マスター…………あ、あの。嘘だよね? さっき、子供たちを売り飛ばすって……」
聞いていたのか……だが今隠す事に意味はない。どうせすぐにでも言わなきゃいけない事だ。
「……嘘じゃない。子供たちをこの村に置いておけない」
苦し気にそう告げるとマナが驚愕に目を見開いた。
「ウソでしょ!? そんなっ! どうして!」
説明しないといけない。冷静に。だが開こうとした口は鉛のように重かった。それはつまり……あぁ、俺自身が納得いってないって事なのか……
「マナ、お前もこの村の現状を見ただろう? 青年と呼ぶにはあまりに若すぎる少年が数人だけ。あとは同じ年頃の少女。そして大多数が……完全な子供と年寄りばかりだ」
この子だってその事はわかっているはず。俺は言葉を続ける。
「この村には現在武器をとって戦えるものがいない。そんな情報はすぐにでも伝わる。ここを村として存続させればひと月の間にでも盗賊達の餌食になる。……ここに残るより街で暮らした方が安全なんだよ」
そして盗賊に占拠された後は根城になってしまう。周囲の治安を鑑みてもそれは許されない。
焼き払って放棄する選択肢もあるが、幸い畑も家屋も無事なのですぐに買い手がつくだろう。
だが難民同士の合流は様々な危険を孕む。その前に住民の処遇を整理しておいた方が良い。
「そんな! だからって奴隷に売り飛ばさなくても!」
マナの必死な抗議にケイルさんが口を挟む。
「マナちゃん。落ち着いて聞くんだ。奴隷と言っても出自のしっかりした農家から働き手として出される場合と、犯罪奴隷や借金奴隷とではそもそもの等級が違う。
約束の期限が過ぎたら解放する事や、性奴隷として扱わない事などを条件につける事が出来る。そして奴隷商は彼らのネットワークを使って買い取られた奴隷たちがどのように扱われているか監視する。
奴隷商にとって買い付け先からの信用は何よりも大切だからね。この村にはもうその影響力はなくなってしまうけど、ゲオルグさんがシグリスの街で冒険者として幅を利かせる限り、彼らはそれを無視できない。売り払ったお金だって解放された後でちゃんと本人に還るんだ」
そう説明するケイルさんの顔はそれはそれは苦しそうだった。
わかってる。その条件はつけることが出来る。そして奴隷商がその責任を受け持って真面目に監視をするであろう事も嘘じゃない。
だが、それでも少女達……いや、少年もか。立場的に彼女達の貞操が100%守られる訳じゃない事を知っているからだ。合意を強要されて。
そしてその危険は労働力として期待できない幼子ほど高まる……
「でもそんなのわたし嫌だ! みんなだってきっと離れ離れになるのは嫌だって言うよ! ねぇ、マスターお願い。みんなを助けてあげて!」
マナが泣きそうな顔でお願いしてくる。出来る事なら何よりも優先して叶えてあげたい。だが今回は……!
「マナ、いい子だから聞いてくれ。この村にはもうこの村のために戦ってくれる芯がないんだ。
この状態で人を雇おうが、人を呼び寄せようが、その人達が裏切ってこの村の住民達を襲ったり盗賊に売り渡した時、誰が守ってくれる?
もしかしたら凄く良い人たちがきてうまくいく可能性もあるかもしれない。でもそれは危険な賭けだ。そんな無責任な決断俺には出来ない」
「じゃあ私たちが残ればいいじゃない! 私たちが守ってあげようよ!」
「俺達の稼ぎや蓄えからいくらかを寄付してあげる事は簡単だ。でも一生その人たちに寄り添っていくって言うのはそんな簡単な事じゃないんだよ。
お願いだから聞いてくれ……お前達と一緒に今まで通りの暮らしが出来なくなってしまう」
村人達は今は歓迎してくれている。だがそれが10年後20年後変わらないと言い切れるだろうか? 今の俺にはわからない。
「マナちゃん。僕はこの村に恩と愛着がある。それでもゲオルグさんをこの村に縛り付けてしまうような事はしちゃいけないと思うよ。
この村に起きてしまった事はもう元通りにはならない。でも彼がいけば起こる前に助けられる悲劇がたくさん、たくさんあるんだ」
「それでも! 新しい人たちがくるまでの間だけでも!」
そう。それが問題なのだ……
「昔……俺の村に4世帯ほどの難民がやってきた。彼らは俺達より優れた農耕技術をもっていて、瞬く間に収穫量を増やしてみせたよ。
そしてその結果……酒の席で殺されたんだ。突然にな。殺ったのは日増しに発言力を増す彼らを快く思わなかった村の重鎮達とその手下だ。
そしてリーダー格の男とその取り巻きを殺された難民たちのその後の村での扱いがどうなったのかは……思い出したくもない……
マナ。人間の群れが群れと合流するって言うのは本当に難しい事なんだよ。
この村を村として残したまま新しい住民を受け入れた場合、必ず元からいた住民とそうでない者たちとで別れる。そして彼らは隙を見て子供たちを迫害、支配しようとするだろう。
子供たちに力がないからじゃない。いつか子供たちが力をつける事を恐れるからだ」
新しい人間を受け入れるなら、そいつらが元いた住民を迫害しないように見張ると同時に、新しい住民達の不満も解消しなければならない。
それは一生ものの仕事になってしまう。そして人と話す事が苦手な俺にそんな能力は…………ない。
この村の住民と言う繋がりが子供らをもう守ってくれないのなら、もうそんな殻は脱ぎ捨てて誰かの庇護に入った方がいい。
そして俺に誰かを見守る能力なんてない。その道のプロたちに任せた方が良いんだ……
俺が思考を巡らせて無理やり自分を納得させようと黙っていると、マナが俯いたままボソリと呟いた。
「……わかんない……」
ヒック ヒックと涙を堪えてしばらく……彼女は堰を切って訴えた。
「わかんないわかんないわかんない! なんでそんな難しい事ばっかり言うの!?
私はただみんなを助けてほしいって言ってるだけなのに!!
ねぇ、いつもみたいに大丈夫って言ってよ!
私のカッコ良いマスターに戻ってよ!!!」
彼女の目に涙が浮かんでいるのが見えて心が痛む。
「もういい! マスターなんてだいっきらい!!!」
大嫌い……そう言って彼女は走り去ってしまった。
「ぐっ!………はっ………」
「はっ!? ゲオルグさん!? 大丈夫ですか!?」
大嫌い……胸をおさえてうずくまると、ケイルさんが声をかけてくる。
「あ、だ、大丈夫……です……」
大嫌い……実際言われてみると……大嫌い……
あぁ……大嫌い……コタエル……ものだな……