マスコット人形の怪(前編)
第1章 野球、好き?
「これなら、あの子も気に入ってくれると思うのよ」
アデラはそう言って電話の向こうの声に答えた。
『中古のコレクターものになっちゃうけどいいのかな?』
電話の向こうでやや能天気そうな男性の声が言った。
「いいのよ。ただで譲ってくれるんだからケチのつけようもないわ」
『それならいいんだけどね。言っとくけど、新品じゃないんだからな』
「わかったわ。そのつもりでいただくわ……ありがとう!」
礼を言って電話の受話器を置き、アデラはやや恰幅のいい体格をし、あごひげを生やした夫・イネスの方を向いた。
「アメリカから船便で来るって」
「そうか。いいものくれたなあ……。」
彼も今回のもらいものについては、かなり満足な様子であった。
「なんですか?やけにうれしそうね。いいことでもあったの?」
自室から出てきたロリーがアデルに聞いた。よく似た顔立ちの2人が並ぶと、ロリーの若い頃の面持ちが想像できた。
「レア物のお人形!野球のマスコット人形よ」
「人形がどうかしたの?」
「アメリカの親戚が送ってくれることになったんですよ、お義母さん」
イネスの補足説明を聞き、ロリーはうなずいた。
「よかったじゃない。有名な球団のなの?」
「ぜんぜんッ!聞いたことのない名前だったわ。メキシコの球団マスコットですって」
「……マニアックね」
ロリーは唸った。彼を家族に迎えてから5ヶ月、なんとかやってきた訳であるが、近頃彼のハマっているのが野球であった。
……と、この話はアメリカからの荷物が着いたところから始まる……。
クリスマス休暇から少しして寒さも厳しさを増してきた頃、船便で片手で抱えられる程度の大きさのダンボールが届いた。重量は大きさの割にごく軽かった。配達伝票にサインをして受け取ったのはアデラで、休日で家にいたイネスにそれを渡した。
もみの木とクリスマス飾りもなくなって、やや寂しくなったリビングで遊んでいたロディは、父に呼ばれて玄関へと駆けていった。
「お前にサンタさん以外からのプレゼントだ……。今から開けてやるよ」
「サンタさん以外?じゃあ、誰からなの?」
不思議そうに箱を見やるロディに笑いかけながら、イネスはカッターナイフで箱をぐるぐる巻きにしていたガムテープを切っていった。
「結構しっかりと梱包してくれたのね」
「まだ梱包材が……」
クラフト紙がまず現れ、その中には大量の楕円形のパフに包まれてた一体の『お人形』が眠っていた。赤い野球帽をかぶり、白いシャツを着た犬っぽい外見のマスコット人形は、生産量が少ないことから希少価値がつき、ネットオークションなどで買おうと思ったら、結構なお値段がついていた。
「さあ、受け取りなさい。大切にするのよ」
やさしくアデラが言い、箱の中から出てきた『お人形』を子供に渡した。
「わあ、ロナウド君だ……」
ロディは『お人形』を受け取り、しげしげと見回した。中古品だと釘を刺されていたが、状態はよく、コスチュームなどにもほつれはなかった。
「そんな名前なのね。よく知ってるのね。母さん、全然わからないわ」
「『全世界野球名鑑』を暗記しとるのか。たいしたもんだ」
口々に褒められ、ロディは誇らしげな顔になった。
「兄さんにもみせてあげるんだ」
ちょうど自室から出てきて、台所の方に向かう途中だったルークに向かって、ロディは歩いて行った。
残されたダンボールと梱包材を片付けながら、アデラとイネスは満足げに笑いあった。
「気に入ってるわ」
「よかったよかった。アメリカからちょうどいい電話があったもんだな」
彼らはリビングに戻ると、お茶を淹れに台所へと向かった。ちょうどルークがロディにメキシコの野球リーグについての説明を受けているところだった。しゃがみこんでロディの話しを聞いているところから察すると、彼もアメリカ渡りの人形に対して興味はもっている様子であった。
「大切にしてやるんだ」
弟の頭を撫でて、声を掛けると、ルークは台所にやってきた用事を思い出した。
「うん。一緒にあそぶんだ」
『お人形』を見つめて、独り言のように呟くと、ロディはプレゼントにうっとりとなった。それを見守りながらルークはオレンジジュースを冷蔵庫から出すと、紙パックのまま飲んだ。
「こら。コップに移してから飲みなさい。ロディが真似するでしょ」
水の電気ケトルにいれていたアデラは兄の行動を見て注意した。ルークは笑いながら、もう一度ロディの頭を撫でると自室へと戻っていった。
「アデラ、アールグレイと普通の、どっちの茶葉にする?」
「じゃあ、香りのある方にしようかな」
両親の他愛ない会話を聞きながら、ロディは『お人形』を抱いてリビングへと向かった。リビングではロリーとエイドリアンが仲良く向かい合って窓辺の椅子に座っていた。彼が近づくと、ロリーは編み物の手を休めて、目を上げた。
「よいものをもらったわね」
「いっしょにお風呂にはいれるかな?」
雑誌を読んでいたエイドリアンが言った。
「それは無理だ。風呂に入っている間はおじいちゃんが預かっておいてあげるよ」
「うん……」
なんだか煮え切らない顔で頷くと、ロディは人形の腕で祖父にタッチした。
「人形を完全防水にする方法もなくはないが、そこまでしたら大変だ……我慢してくれ。それにしても間抜けな顔をした人形だ。魂が抜けとる……」
「あなた、このくらいがいいんですって。ほら、ゆるキャラっていうの?」
「ふん。わしはキリっとした顔が好みだな……でも怖いのは勘弁だ」
なにかを思い出したのを振り切るように、エイドリアンは頭を振った。
「一緒に野球するんだ」
「それがいい。お父さんに遊んでもらいなさい」
「うん、お祖父ちゃんもいっしょにあそぼうよ」
「またな」
会話を聞いていたロリーは、微笑むと、ロディを呼び寄せた。そして、ほぼ形が出来上がったマフラーを彼の首に巻きつけて寸法を測った。近所の手芸店で買ってきた黄色い毛糸でつくったマフラーはもう少し編み足せば出来上がりといったところであった。
「これからもっと寒くなるからね、こうやって暖かくしておくんですよ」
お茶を淹れ終わってアデラとソファでくつろいでいたイネスは、ベルガモットの香りを吸い込みながらひと時の安らぎに浸った。
「ロディ、お茶を飲み終わったらお父さんと公園に行かないか?お人形も一緒にキャッチボールをしよう」「やった!兄さんも一緒がいいな」
「わかった。声をかけてみよう」
イネスはうなずくと、お茶を一口すすり、クッキーをつまんだ。アデラは『お人形』も一緒に遊べるように、布の切れっ端を引っ張り出してきて、即席のタスキにした。布切れはパッチワークの切れっ端らしく、色々な図形が並んであった。
ロディは待ちきれない様子で玄関に行くと、収納から野球ボールを取り出した。それからリビングに帰ってきて、1人で床の上をボールを転がして遊び始めた。
イネスはそれを見ると、残りのお茶を流し込み、もう一枚クッキーをつまむと、おもむろに立ち上がってルークの部屋へと向かった。大学の課題があるからといって朝食後から部屋にこもっているルークも気分転換になるだろうと、ドアをノックして声をかけた。彼もこの提案には賛成だったらしく、部屋の中から返答があった。
「俺も行く。こぼれ球整理するよ」
ルークは図書館でかりてきた資料類を整理してしまうと、レポートを書いていたノートパソコンを閉じ、部屋をでた。
3人は玄関へと向かい、上着を着込んだ。アデラがロディの背中に『お人形』をくくりつけ、両手が自由になるようにした。彼らは
家を出てから歩いて3分とかからない場所にある、よく近所の老人たちが日光浴をしている小さな公園に向かった。今日は寒かったからなのか人気がなく、ロディとイネスは遊具を避け、公園の中央付近でのびのびとボールの投げ合いを始めることができた。ルークはロディの背後に陣取って、こぼれ球の整理をした。イネスも注意して緩い球を投げているのだが、5球に1球くらいは捕り損じした。
転がった球を追って葉っぱの落ちた木立の中へと分け入って行くと、ルークはふと背後からの強い視線を感じた。まるで熱心にこちらを見つめているかのような視線……。振り返ると、こちらに背を向けていたロディも振り返り、目が合った。
(気のせいか……)
あたりを見渡してみても彼ら以外には人はいない。ルークは付いてきた落ち葉を払ってボールを弟に渡すと、もとの立ち位置に戻った。
その後も30分ほどボールの投げ合いっこをしてから、日の傾く前に彼らは家に戻った。
「ああ、寒かった。ロディ、風邪ひくなよ」
「大丈夫!」
ロディは元気よくルークに返事をすると、背中の『お人形』を外しにかかった。ルークは弟の胸のところの結び目を解いて、背中の『お人形』を渡してやった。
「ありがとう」
礼を言うと、玄関から彼はリビングへと駆けて行った。それを出迎えたロリーの編み物はすでに完成済みであった。ロディの首にもう一度当てて寸法を確かめると、彼女はそのマフラーをロディに手渡した。
「公園でな、なんだか人に見られているような気がして……。お前はなにか感じたか?」
「父さんも?俺もなんだか視線を感じたけど……。気のせいだと思ってた」
「そうか?なんだか気持ち悪くてな」
「うん」
彼らは顔を見合わせると、うなずきあった。
「気のせいってことにしとこう」
第2章 お友達
次の週も、ロディは近所の公園でイネスとキャッチボールをして遊んだ。前との違いは、ルークが大学の友達と遊びに行ってしまっていていないのと、アデラがいることであった。キャッチボールに参加するつもりのないアデラは、冷たいベンチを警戒してかなり着膨れした格好であった。
「ロディ、ちゃんとボールを受けるのよ!お母さんは見てるだけだから、お兄ちゃんみたいには便利に使えないわよ」
しかし、ロディから返事はなかった。彼は今日はなんだか機嫌が悪い。アデラをやけに警戒するのである。
『お人形』を背中に背負う時も、なぜかアデラを無視してロリーに手伝わしていた。
(おかしいわね……気に障ることでもしたかしら?)
特に思い当たる節のないアデラは、せっかくのロディとの関係が壊れてしまわないかと不安であった。イネスもロディの異変に気付いたらしく、いつもより頻繁にロディに声をかけていた。
ボール遊びも佳境に差し掛かったとき、アデラの横のベンチに1人の中年男性が腰掛けてきた。栗色の髪を耳の上あたりで切りそろえた独特の髪型をしており、ニットの暖かそうな外套を着込んでいた。
おじさんは日光浴をしながら小説を読もうかと、カバンの中から本を取り出し……、彼の目はあるものに釘付けになった。
「もし、あの人形はメキシコリーグのロナウド君ですか?」
おじさんはアデラに遠慮がちに声を掛けると、もう一度少年の背にある『お人形』を見た。
「ええ、ご存知なの?」
彼はたいそう興味深そうにうなずくと、オークションでもあまり出回らない品だと答えた。
「ふーん、わかる人にはわかるものなのね」
アデラは彼に相槌を打つと、ロディを呼び寄せた。彼はボール遊びを中断して、ちょっと警戒気味に母に近づいてきた。
「このおじさんがね、あなたのお友達を褒めてくれたのよ」
「おじさんはロナウド君がわかるの?」
「ああ、テレビの中継でよくみていたよ。おじさんはアメリカにいたんだ」
ロディはおじさんと野球のよもやまばなしを始め、背中を向けて『お人形』をおじさんに見せながら話しを続けた。
「ロナウド君、アメリカから来たんだ。おじさんと一緒だね」
それを聞いたおじさんはちょっと曇顔になった。
「アメリカから……。私の友人も野球ファンでね。キミと同じお人形を持っていたよ」
「そうなんだ」
何の気なしに相槌を打つロディであったが、おじさんが妙に元気がなくなったのが気になった。おじさんはなにかを振り切るように表情を切り替えると、またロディとよもやま話しに打ち込んだ。
相手がどっかに行ってしまってボールを弄びながら、イネスはアデラに話しかけた。
「盛り上がっているじゃないか……」
「そうなのよ。趣味が合うっていいわね」
おじさんはちょっとはしゃぎすぎたと思ったのか、少年の両親に挨拶をした。
イネスとアデラはロディを抱き寄せ、お邪魔してゴメンナサイと言った。
「いいえ、私の方こそ……。一家の団欒を邪魔してしまって」
彼はちょっとスーパーに寄ると言って帰っていった。
「よかったわね。話しの合うおじさんがいて」
「…………」
ロディはまた微妙な顔をしてアデラを無視した。
「どうしたの?」
「機嫌を直さないか。話しをするんだ」
父に言われて、ロディはチラっとアデラを見た。
「ロナウド君をいじめないでね……」
「……お人形さんを?母さんが?」
イネスは合点が行かないといったふうに尋ねた。
「取り上げたりしないわ。安心なさい」
アデラはロディの髪をかきあげると、額にキスした。
「うん……。そうだといいんだけど」
機嫌は治ったようだが、まだロディは不安げであった。
異変はその晩に起きた。夕食が終わり、友達と一杯飲んできたルークが帰ってきた後のことであった。ロディを風呂に入れて寝かしつけていたアデラはロディの横で、『お人形』がなにかごそごそと動いているのを目撃してしまたのだ。
目の錯覚かロディのイタズラかと思ったが、よく寝ているロディがイタズラを仕掛けているのではないのは確かだった。
「なんですって……」
アデラはあわてて『お人形』を掴むと、ロディから引き離した。その時、ロディが目を覚まし、『お人形』がいなくなっているのに気がつき、泣き始めた。
探していたものがアデラの手の中にあるのに気が付くと、彼はそれめがけて手を伸ばした。アデラがそれを阻止すると、ロディは一層泣き始めた。
「これは危ないの!」
「ロナウド君は俺が守るのッ!」
アデラは『お人形』を締め上げると、子供部屋から逃亡しようとした。
「『お人形』は首をもがれて死んじゃうんだ!俺がまもるの!」
「死んじゃう?首をもがれる……あなた、また夢を見たの?」
ロディは本格的に泣き始めた。
「大丈夫よ。お人形さんは死んだりしないからね。母さんもひどいことはしないわ。でも、このお人形さんは危ないからね、預からせてもらうの……」
「本当にひどいことしない?」
「ええ、大丈夫よ」
アデラは『お人形』を片手でしっかりと掴んだまま、ロディを抱き寄せた。その時、イネスが子供部屋の扉をそっと開けた。
「おい、アメリカの親戚から電話だぞ……。なんでも急ぎの用らしい」
「…………」
アデラは無言でロディの頭をもう一度撫でると、子供部屋から出た。『お人形』はとりあえず鍵のかかる収納に押し込んでみた。
電話を受けたのは、まだ酔いが少し残ったルークだったらしい。電話の主と笑いながら何事かを話している。
「私に用なの?」
「ああ、マジクおじさん、母さんが来たから替わるよ」
上機嫌なルークに多少イラッとしつつ受話器をひったくると、アデラは呼吸を整えた。
『アデラ、ご機嫌いかが?』
「なに?なんか用?」
『あの野球マスコットの件なんだけど……』
「…………」
マジクはいつもより小声でひそひそと話し始めた。いやな予感にアデラはこめかみがひくつくのを感じた。
『大いにワケありだったわ。あはははははは!』
「馬鹿ッ!さっき見たらなんか動いてたわよ!?なんなのよッ!」
『いや、なんか憑いてるらしいんだ。昨日、全米人形保存協会ってのが来てな。前の持ち主の家族から捜索願が出されているって……』
「捜索願??そんなややこしいのをくれたの?」
「あげた時点ではそうでもなかったんだよ。前の持ち主の家族が引き取って欲しいって持ってきただけだったから』
「はあ。じゃあ、私はなにをしてらいいわけ?」
アデラはなんとなく話しの方向性が見えてきた。
『姉妹団体の全英人形保存協会に話しが行っているみたいだから、一度連絡をとってみてくれ。たのむよ』 「めんどくさいわね」
ごめんよ〜、とマジクは謝った。彼はアデラにとっては従兄弟にあたる、能天気なおじさんだった。
電話を切り、異常を察して聞き耳を立てていた面々にアデラは事情を説明した。
「ちゃんと人形は閉じ込められたの?」
心配顔でロリーが聞いた。
「ええ、鍵付きの収納に放り込んだわ……」
「鍵付きの?開いていたぞ?」
子供部屋からロディを寝かしつけて出てきたイネスが手に持っていたのは例の『お人形』であった。
『お人形』をテーブルの上に置いて、臨時の家族会議が開かれた。
「まず俺が様子を見てみるよ」
火を切ったのはルークであった。
「大丈夫?まだ酔ってるんじゃない?」
まだ少し酒くさいルークにアデラが言った。
「大丈夫さ。酔いも醒めたよ……」
真面目な顔つきでルークが言った。
「頼む。鍵が効かないとなると、早くこの人形の正体を明かさなきゃならん……」
『お人形』をしげしげと眺めつつ、エイドリアンが言った。彼は早めに自室に戻っていたところをロリーに呼び戻されたのであった。
「やってみるよ」
祖父に答えて、ルークは『お人形』に手を伸ばした。軽く触れて、意識を集中する……。
しかし、強い静電気のようなものが起こり、手を弾き返されてしまった。
「あ、このッ!」
ルークが悪態をつくと、『お人形』はそれに反応するようにテーブルから飛び上がり強烈なアッパーを放った。
「痛ッ!……いや痛くない」
顔面を『お人形』の綿の詰まったやわらかい手で強打され、ルークはのけぞった。
「こいつ、間抜けな顔してやりおる……」
殴られた顎をこすっているルークを見ながら、エイドリアンは『お人形』を鷲掴みにして、眺め回した。
「お父さん、危ないですよ」
イネスが心配そうに言った。エイドリアンのことだから、なにか宝石細工に応用できないかと考えているに違いなかった。
「マジクの言う人形……保存委員会?に連絡したほうがいいのかな」
「まあ、こんな夜中じゃ無理よね。明日連絡してみるわ」
アデラはイネスに答えると、『お人形』を見やった。台所から肉用のタコ紐を持ってくるとボンレスハムよろしくぐるぐる巻きにして、テーブルの上に転がした。
「これじゃ足りないだろうけど……」
「鍵も効かないんだ、しかたないさ。……今晩は僕が見張る!」
イネスは超常現象と向き合う覚悟を決めると、じっと『お人形』を見つめた。『お人形』は照れたように微妙に動いた。
「父さん、途中で交代するよ」
「いや、一緒に見張らないか?」
男性陣で『お人形』を見張ることにすると、エイドリアンとロリーは自室へと引き上げていった。アデラは念のために
ロディの子供部屋で眠ることにした。
現在はまだ12時を過ぎたところだった。夜明けまではまだまだある……。
見張りを続けて3時間、ルークがおもむろに席を立った。
「父さん、眠気覚ましにコーヒーでも飲まない?」
「ああ、頼むよ」
イネスは短く答えると、ふと目のマッサージをしようとして『お人形』から目を離した。次の瞬間、彼は思わず悲鳴を
上げていた。
「どうしたの?」
台所での作業を中断して戻ってきたルークも息を飲んだ。
『お人形』がタコ糸を残したまま消えていたのだった……。
「まだ近くにいるはずだ!探せッ」
「まさか……」
ルークが先を言おうとしたとき、子供部屋からアデラの悲鳴が聞こえてきた。
「アデラッ!」
2人は急いで子供部屋に向かうと、ドアを開けた。あわてて電灯をつけると、ベッドの上で起き上がっていたアデラがタオルでぐるぐる巻きにした『お人形』を持って呆然としていた。
「母さん、大丈夫?」
「大丈夫じゃないわよ!なにこれッ!」
アデラは『お人形』をルークに突き出した。
「……逃げたんだ」
「…………」
アデラは猛然と起き上がると、ルークを押しのけて台所の方へと歩いて行った。
「母さん、なにするつもり?」
後から追いかけながらルークが質問した。アデラはそれには答えずに台所のジューサーをセットすると、それに『お人形』を放り込んだ。
「あッ!」
ルークとイネスが止める暇もなくアデラはスイッチをオンにすると……。
「で、ジューサーが壊れて『お人形』は無傷っと……」
寝不足気味のルークがロリーに事の顛末を報告した。
「また乱暴な……。まあいいわ。私が見張っているから着替えておいで」
「はーい」
イネスとルークは眠そうに返事すると、着替えをしに各自の部屋へと去っていった。アデラはロディを起こしに子供部屋へと向かっていった。
「困ったことになったわね。明日はみんな仕事や学校だし……」
ロリーは『お人形』を監視しながら言った。数分間、じっと『お人形』の目を見つめていると、『お人形』は恥ずかしがるように体をくねくねさせた。
ロリーはため息をつくと、一日中監視するなんて気が変になりそうだと呟いた。
「明日は工房のほうに置いておくかの」
「そうできる?」
「悪霊封じの棺桶にでもいれておこう」
エイドリアンは人形の寸法を測りたそうに手をわきわきさせた。
「いいではないか」
「やめてください」
エイドリアンを阻止し、ロリーは懐から家宝の銀製の短剣をとりだした。手首から指の先程度の大きさの鈍い輝きを放つ細身の剣。切れないにしても、魔術の媒介としては優秀なものがあった。
「それの出番ですか?」
服を着替えてきたイネスが、ルークと台所に朝食の準備をしにいく途中でロリーに声を掛けた。
「魔術ならいいんだけど……。悪霊とかだったら力技になるわね」
答えを聞いて、ぞっとしないといった風にイネスは肩をすくめた。
「そうなったら俺は全くの役立たずだからな……」
ルークが呟いた。『お人形』のリーディングも失敗した今、次の手はなかった。そこへ、ロディを抱き抱えたアデラがやってきた。
「ロナウド君は無事なの?」
抱き抱えられたロディは小さな声でエイドリアンにおずおずと声をかけた。
「ん?無事とは……?元気に動いとるぞ」
「私が『お人形』をぶっ殺すかもしれないって……」
「もう殺りかけたじゃないか」
「…………」
ロディが微妙な顔でアデラを見た。
「あれは仕方なかたのよ」
しれっとアデラが答えた。ロディはアデラの腕から逃れると、テーブルの上に乗ったロナウド君を抱きしめた。
「危ないわよ。動くんだから」
「大丈夫だよ。お友達だもん」
ロリーは苦労してロディから『お人形』を奪うと、またテーブルの上へと置いた。『お人形』はくねくねと体をくねらせると、少しばかりロリーのそばを離れた。
「え……?」
ロディはそれを見て思わず声を上げた。異様な光景と、その光景を見つめるこれまた異様な家族の雰囲気を感じ、彼は呆然と突っ立った。
「お友達、だよね……」
自分の目を信じたくなさそうにロディがつぶやいた。ロリーは沈黙で答えると、ロディを抱き寄せた。
「残念だけど、お別れが近いわ……」
「…………」
ロディは目を伏せて、うなだれた。その目から涙がこぼれ落ちた。
「お祖母さん、朝食の準備ができたよ。交代で食べよう」
リビングの続きになっている食堂から、ほどよく焼けたトーストを並べながらルークが声をかけてきた。イネスは紅茶を銘々の茶器に注いでいた。
「わかったわ。さ、ご飯ににましょう?」
ロリーに肩を叩かれたロディはまだ無言のままであった。ロリーは孫をアデラに渡すと、『見張り』を続けた。
「全英人形保存協会って電話帳に載ってる?それともネットで調べたほうが早い?」
ルークはイネスと共に、トーストをかじりながらだれにともなく聞いた。
「魔術師連盟の下部組織よ。電話帳に載ってるからもう少ししたら電話しましょう」
ロリーが『お人形』から目を離さずに言った。
「数十年前、何度直しても勝手にしゃべり続ける仕掛け人形の件で世話になったことがあったの……。あれは怖かったぞ」
エイドリアンが感慨深げに呟いた。
「ああ、私のお人形ね。たしかシェイクスピア演劇のセリフをずっと1人でしゃべり続けたのよね……」
アデラが遠い記憶を発掘しながら言った。彼女には妙な人形をゲットしてしまったロディの気持ちがよくわかった。
「母さんのお人形はどうなっちゃったの?」
ロディがトーストをかじるのをやめた尋ねた。まだ『お人形』のことを諦められていないようだ。
「さあ、協会にわたしてからどうなったかな……」
その時、玄関のチャイムが鳴った。
イネスが覗きにいくと、覗き穴越しにストレートの黒髪で白いコートを着た女性と、大柄で短く刈り込んだ赤毛の男性の姿が見えた。
「どなたですか?」
チェーンをかけた状態でドアを半開きにし、イネスは朝早くからの来訪者に尋ねた。
「全英人形保存協会の者です……。早くから申し訳ありません。」
「私はフィオナ・ドゥーリフで、こっちがブラッド・ドゥーリフです」
黒髪の女性は赤毛の男性をそう紹介した。
「兄妹でして……」
ブラッドは体格に似合わず小声でそう補足した。
「アメリカの協会から、ロナウド君が動き出したとの連絡を受けて、取り急ぎお伺いしたのですが……」
彼はそう続けた。
「家族争議の真っ最中でしたか」
協会員が来たことで、ロディがやはり『お人形』を守ろうと立ち上がってしまったのだ。
彼はリビングのテーブルの上の『お人形』をロリーから奪うと、自室に立てこもってしまった。今は後を追っていった
アデラと大喧嘩の真っ最中である。
「こちらとしては早く人形をどうにかしていただきたいのです」
イネスが2人にお茶を勧めながら言った。
「はい。保管容器に入れて協会に持ち帰りたいと思います」
フィオナが湯気で曇り、ずり落ちてきたメガネを上げながら答えた。
「そうしてもらえると助かります……」
子供部屋から、アデラの声が聞こえてきた。
「変なものためこまないでッ!」
「ルーク、応援に行くんだ……」
イネスは横で話しを聞いていたルークに言った。無言でルークは立ち上がると、子供部屋へと向かおうとした。その時、アデラの甲高い悲鳴が聞こえてきた。
「なんだ?」
イネスとルークは客人をほったらかして子供部屋へと走っていった。扉を開けると、そこではアデラと『お人形』が取っ組み合いをしていた。
『お人形』はアデラの顔の位置まで宙に浮き、胴体の空きが大きいので全然効いていなかったが、口を塞いでいた。
「このッ!妙な物体ッ!」
顔から『お人形』をもぎりとろうとしてアデラはもがいていた。イネスはアデラに加勢すると、『お人形』を無理やり剥いだ。
一方、ルークはベッドの上でうろたえているロディを抱き抱えると、『お人形』から距離をとって窓際へと移動した。
「馬鹿にしたわねッ!?」
アデラは堪忍袋の緒が切れていた。リビングに取って返すと、すぐに戻ってきた。なにをしにいったんだ
と不安を覚えつつあるルークが見たのは、その手に握られた銀の短剣であった。
「母さん、ちょっとひどいよ!」
アデラは構わずにイネスの手から『お人形』を奪い取り、宙に放り投げた。そして、短剣に意識を集中し、鋭い指笛を吹いた。
銀色の光が短剣から溢れ、その中から白いタカがどこからともなく現れた。それは高い声で一声鳴くと、『お人形』に襲いかかった。
タカは鋭い爪でばりばりと『お人形』を引っ掻くと、次は大きな嘴で目玉をぼじりはじめた。
「とどめをさすのよ」
沈んだ声でアデラが命令した。タカは床に落ちた『お人形』の上に乗っかって蹴りを入れ始めた。
「アデラ、せっかく人形保存協会の人が来てくれているんだ。任せないか?」
「あなたもルークと同じ意見?」
「いや、物事を効率的に考えるとだな……」
口ごもるイネスを尻目にアデラは『お人形』に近寄った。タカは出てきたときと同じように銀色の光に包まれて消えた。
「さよなら」
アデラは短剣を振り上げると『お人形』に向かって投げつけた!
しかし『お人形』は見事なローリングを決め、短剣を運良くかわした。
「っち……」
「母さん、落ち着いて?ここでぶっ殺さなくても協会の人がなんとかしてくれるんだよ」
弟を抱えたまま、ルークが小声で言った。
「仕方ないわね……」
「そうそう。任せればいいんだ……」
暴れ馬をなだめるように、イネスが言った。
あまりの騒動に、様子を見に来たフィオナとブラッドが目を丸くしているなか、『お人形』の身に異変が起こった。
ぐるりと頭が回転し、ごとりっ、と胴体から分離した……。
「うわ――――!」
ルークは思わず目を点にしているロディを抱きしめ、これ以上の逃げ場はなかったが、壁にへばりついた。
『お人形』の首は、ぽーんと転がると宙に浮き、わずかに開いていた窓の隙間から外へと出て行ってしまった。




