竜-16 覚醒の代償
「ぜぇ、はぁ……っ、ぜぇ……っ」
僕、ギン=クラッシュベルは命の危機に瀕していた。
――炎天下。
ああ、能力じゃないよ。天候のほうね。
燦々と照り付ける太陽の下、僕は草原を歩いていた。
「こ、ここまで……酷いとは、なぁ」
『話には聞いてたじゃないの。ま、私の耐性まで消えるとは驚きだけど』
心の中で、某太陽神の声がする。
僕は苦笑しつつ、空を見上げる。
雲一つない青空。
心地よいお昼寝日和。
普段なら、アイツらとピクニックにでも行くところ。
それが……今ではこんなにも鬱陶しいとは、なぁ。
『いいかい、ギン。覚醒ってのはいわば呪いだよ』
ふと、頭の中に声が響く。
それは、僕に覚醒の技術を教えた父の声。
あの時のことを思い出し……僕は再び歩き出す。
『……呪い? それがどうやって強くなるんだよ』
『強くなる、っていう前提から間違ってるんだよ。ギン』
覚醒という技術を使い、機界王を蹂躙した男がそう言った。
『覚醒とは、いかに弱くなれるか、という技術さ。強さはその付随品に過ぎない』
『……言ってる意味が、よく分からないんだが』
矛盾したことを言った父に、僕は問う。
かくして父が語ったのは、彼の扱っていた覚醒と言う技術の本質。
『覚醒。それは取捨選択により自分の能力を一時的に高める技術さ。スマホで言うと、不必要なデータとかを丸っと消して、その【余分】に使っていた容量、性能を他に使う、みたいな感じ?』
『……そんな簡単な話なのか』
覚醒、と仰々しい名前の割には、割と身近に感じられる不思議。
いきなりスマホの話をされ、そんな感想を抱いた僕ではあったが。
彼の言っていたことの本質に理解が追い付くにつれ、顔から笑顔が消えていった。
『……って、待ってくれ。それって――』
『そう。君の【余分】をすべて消す。残すのは……そうだねぇ。太陽神、および影の神としての側面は残した方がいいよね。じゃないとまた灰色の世界になっちゃいそうだし。でも、残すのは【そこに在る】という事実だけでいい。太陽神の人格はそのままに、まるっと彼女の能力は全て消しちゃおう』
(なんですって!?)
心の中で、その太陽神が焦って叫ぶ。
(わ、私の力……本気で言ってるのかしら? 全部? 全部って言ったわよね)
『うん、全部。君の意識以外は全て【余分】に含めて消そう。当然、他も諸共ね』
僕の内に住み着いている何名か。
そいつらがこぞって息をのんだのが分かった。
『……でも、そうなると僕自身も――』
『そうだね。思い切って全部消そう。残すのは【影】を操る能力だけでいいんじゃないかい? ま、平時は影魔法、とも呼べない程度のおまけになるだろうけど』
『……そ、それは……なんとも』
僕は瞼越しに自分の眼に触れ、思わず呻く。
つまり、世界を渡るこの眼すら捨てる、ということか。
『……捨てる分には、いい。覚悟は出来てる。けど、捨てるだけで何が変わるんだ?』
『そう、一番大切なのはそこだね』
僕の疑問に、彼は人差し指を立てて言う。
『これは一種の契約でね。ま、【大禁呪】とも呼ぶけれど。契約時に捨てると宣言したモノ、その量、その質、その大切さを基準に、能力解放時の戦闘能力を大幅に向上させるんだ。そういった呪いを君に掛ける。当然、大禁呪だからね、解呪の方法なんて僕も知らないし、たぶん神霊王でも不可能だ。そんな不可逆の縛りを君に課す』
『……ぜんぜん、スマホの話とは違う気がするんだが……』
『アレは分かりやすいように言っただけの例えだよ、例え』
平然と『大禁呪』等と言う父。
禁呪だけでも厄介だって言うのに……その上ときたか。
確かに、そんなもの解除なんてできないだろうし、捨てたものが帰って来るとも思えない。
『加えて、捨てたからって、すぐに【覚醒】状態が完成するわけじゃない。捨てたもの、一つ一つを焔にくべて、灰になるまで燃やし尽くして……そうやって、時間をかけてその状態を体内で作る。当然、それまでは解放は出来ないし、君は全ての力を失ったまま……弱いだけの何者かに堕ちる』
……そう、完璧な話ではない、ということか。
『うーん……中々表現が難しいね。大禁呪だからそういうものさ、って説明するのが一番簡単なんだけど……』
僕の何とも言えぬ顔を見て、彼はややしばらく悩んだ様子だった。
しかし、はたと何かを思い出したのか口を開く。
『そうそう。身近に分かりやすい例が居たよ。もとはと言えば、この術は神霊王のヤツがクロノス……君風に言えば混沌かな。彼女へと教えたものでね』
『うげ』
えぇ……なんでここでアイツの名前出てくるんだよ。
そう睨む僕へ、父はなんのおくびもなく言ってのける。
『彼女は自身の【強欲】を対価にし【終焉】を得た。……まあ、あの時は施術があまりにも未熟だったから、喪失ではなく封印となり、結果として得られた力もさほど強いモノではなかったんだけど……分かりやすい例だろ?』
『もっと何言ってるのか分からなくなったんだが?』
強欲? 終焉がさほど強くなかった?
なにいってんだ、アンタ?
心の底からそう思うけど……まあ、この際置いておくとして。
『常時強いものを覚醒とは呼ばないんだよ。これは、言わば【0か100か】の技だから』
『……つまり、その覚醒解放が使えるようになったとしても、平時は弱いまま、ってことか』
『そ。君が求めているのは、君がかつて苦しめられた【終焉】の完全版さ。全てを失い、永劫の弱者となり果て、得るのは一つ【覚醒開放】の権利だけ。……その代わり、解放後の君は、今とは別格の強さを手にするだろうね』
……きっと、その強さが混沌の使っていた【終焉】と同じではないのだろう。
察するに――全てを捨てて、それでも残された【影】の極点。
そういった強さになるのだと……なんとなく察した。
でなければ、中途半端に残す必要も無いはずだしな。
『ただし! 大禁呪の成功には相応の技量が要るからね。この術を考案した僕か神霊王くらいしか使えない上に、言った通り馴染むまでに時間がかかる。一日二日とか、そういうレベルじゃないから、馴染むまではただの弱者を張り続ける覚悟が必要だよ』
『いや、だから覚悟は……今なんて言った? 考案?』
『細かいことは気にしなーい!』
……はぁ。
頭が痛くなってきたのを堪え、追及するのを諦める。
その代わり、一つだけ気になったことを彼へと聞いた。
『ちなみに、アンタの場合はどうだった? どれくらいで馴染んだんだ?』
『あっはー! 僕は君と違って天才だったからね! だいたい10年くらいかな!』
『じゅ……ッ!?』
10年?
この人、今、聞き間違いじゃなければ10年って言ったか?
僕は背中に冷たい汗が伝うのを感じつつ、緊張に喉を鳴らし、問う。
『なら、僕は……どれくらい、戦えないんだ?』
『うーん……。まあ、詳しいことは分からないけど、君は捨てる能力が多いからねぇ』
そうしばらく悩んだ様子の神王ウラノスは。
やがて計算が終わったのか、ぽんと手を打って結論付けた。
「――50年、ってかい。マジで言ってんのかあの人」
僕は日傘をさしながら、草原を歩く。
永劫の弱体化。
それこそが覚醒という技術を得るために必要な『代償』。
しかも、その対価を得られるのが50年後とかいう理不尽具合。
僕はそれに怖気づく……わけもなく、僕は代償を支払った。
……ごめん、嘘言った。
確かに怖気づいた。
怖いよ、全部捨てる上に、50年間僕は一切戦えない体になった。
その50年間に、もしも眷属が襲ってきたら。
仲間たちが、危険な目に遭ったら。
そう思うと、心が軋む。
――けれど。
『眷属ってのは便利に出来ていてねぇ。弱者は彼らの視界には映らない。一定以上の強者……今の白夜ちゃんでも足りてないくらいかな。そういうレベルじゃないと、そもそも奴らは認識できない。だから、君の仲間が襲われることは無いと思うよ』
とは、父の言葉。
そういう割には、白夜は機界王との戦いで傷を負っていたはずだが……。
そこは、『ギン=クラッシュベルという認めざるを得ない強者――の付随品』として認識されていた様子。白夜に聞かれれば「なんじゃそれは!!」とブチギレ待ったなしだろうが、本人が居ない上にしばらく会える機会もないため大丈夫だろう。
……まあ、白夜があれ以上強くなれば、眷属に観測される可能性も出てくるのだが……。
『それに、いざって時は僕がいるしね! 今はそんなに強くないけど、覚醒の契約はまだ残ってるし。シングルナンバー複数体が攻めてきたって返り討ちにしてみせるよ!』
……冗談か本音かも分からんが、あの人はそう言っていた。
そんな力があるならもっと前に出しておけよ、とは正直思った。
特にギルの時。
不在してた僕が何言ってんだって話になるので、言わなかったけどね。
『ただ、ギン=クラッシュベルという個人は、既に眷属らに観測されていても不思議じゃない。だから、弱体化したとはいえ、君個人を認識し、襲ってくる眷属は居るかもしれない。だから、君は弱体化したまま、身分を偽り、姿を隠し、50年間……ただの弱者として生きねばならない』
……ま、そうだろうね。
これでも眷属、何人か倒しちゃったわけだし。
星竜王さんに『格上の間違いだろ』みたいなこと言っちゃったし。
僕個人は、弱者であろうとなんだろうと、眷属には観測されるだろう。
だから、この50年間、僕は仲間に会いに行くことはできない。
会ってしまえば、仲間は『ギン=クラッシュベルの付随品』として観測されてしまう。
そうなれば、頼れるのは強いかどうかも定かではない神王だけ。
そんな一か八かに賭けるつもりはない。
僕は断固として、この50年間、仲間に会いに行くつもりはなかった。
「つーか、神界に会いに行けるだけの能力もないし……」
僕は小さな湖を通りがかった際、水面に映る自分の顔を見る。
僕の目は銀色ではなく、元の赤色へと戻っていた。
色を変えたわけではない。
ただ、月光眼の能力全てを【余分】として代価に入れたのだ。
あの目が無い以上、僕に空間をつなぐ力はない。
日本にも行けないし、神界なんてもってのほか。
ま、アイツらは神界から僕の姿は観測できるはずだし、寂しいのは僕だけだろうとは思うけどね。
「……で、なんで俺に護衛を頼むんだよお前は……」
湖で自分の顔を見ていると、あきれた様子の『護衛』が声をかけてきた。
えっ、一人旅じゃなかったのかって?
いやいや、今の僕は最弱なんだぜ?
そこらへんの最下級ゴブリンにすら引けを取る。
いくら平和になったとはいえ、そんな弱者が一人で目的地まで行けるもんですか。
なので、護衛を頼もうと思ったんだが……そこら辺の冒険者に頼んでもね。ほら、眷属に襲われたら可哀想でしょ? だから別に襲われたって構わない人を連れてきました。
「なぁに、僕らの仲だろ、久瀬くん」
「それは俺なら死んでも構わない、って話か? ……腹立つなぁ、相変わらず」
大丈夫大丈夫。
君、何だったら僕よりも主人公っぽかったし。一時期は?
それに死んでもほら、神界で蘇らせられるって。たぶん。
僕は彼を振り向きながらそう言って笑う。
久瀬竜馬は、義足を鳴らしながらため息を漏らした。
「こちとらギルとの戦いで足失って、もうマトモに戦えねぇんだぞ」
「それでも白夜より強いじゃんお前。大丈夫だって、お前なら僕を守れるさ」
僕はそうって彼の肩を叩き、わははと笑う。
頼りにしてるよ、久瀬くん。
ちゃんと僕のことを守ってね?
「それに、街までもう少しだし、お給金も弾んじゃうからさ」
「情けねぇ……。こんな奴の裏半面に勝てなかったのか、俺」
ギルにしっかりと負けた久瀬はそう言って、がくりと肩を落とした。
〇【覚醒】
とある大禁呪によってのみ成し得る契約状態。
自身の持つ何かを代償と定め、不可逆の契約を結ぶ。
契約と同時に、その『何か』は完全に消滅する。
契約では、その何かを消滅させた際のエネルギー。そして対象の消滅と同時に空白となった術者の容量をフルに使い、ただ一つ【解放】の権利を身に刻む。
ただし、【解放】が使えるようになるのは、その技術が完全に身に馴染んだ後。
対象を完全に消滅させる時間。
消滅後のエネルギーを開放へと作り替える時間。
そして、術者の身へとその技術を刻む時間。
それら含めて『馴染む』までには、おおよそ50年近く掛かる。
ギン=クラッシュベル。
彼が捨てたものは、己が強さ全て。
よって、彼は未来永劫、強さを失った。
彼はこの先も永遠に、弱者として生きていくのだろう。
だが、仮に50年後、全てが馴染んだその先で。
彼がまだ生き残ることが出来ていたのなら――
『手にする強さは、0か、100か』
平時の『最弱』とは裏腹に。
解放時の彼は、常軌を逸した強さを得るのだろう。
また、かつて最強として君臨していた神王ウラノスだが。
彼の場合は色々と規格外だったため、契約時に全てを捨てずとも相応の代価を得られた。
よって、覚醒時はシングルナンバーを凌駕していた神王だが、平時でもそこらへんの眷属よりはずっと強かった――と、神霊王イブリースは語った。
だが、同時に【捨てたものはギン=クラッシュベルの方がずっと多い】とも語っている。




