失-16 記憶違い
男は笑った。
ようやく、待ちに待ったこの時が来た。
これほどまでにコケにされたのは久しぶりのこと。
そう……かつての学園祭、護衛の際に、ある黒髪の男からコケにされた時以来の屈辱。男は青いローブを揺らし、ステージへ上がる。
「ふっ、ははははは! さぁ、愚かな黒髪よ! 我が蒼き魔法の前にゴミクズ同然と消えるがよぶげらっはぁ!?」
そして、数秒と経たずに退場した。
『おおっと! ここまで頑なに後の先にこだわっていたクロノス選手! ここに来て普通に殴ったぁぁぁあああああ!! アオイル選手、瞬殺!』
その場に残ったのはクロノスただ一人。
彼女は不思議そうに拳を開閉させると、少し困ったように口を開く。
「ふむ……。あれだけ大口を叩いていたのだ。よもや眷属の関係者か……とも、思っていたが。どうやらただの阿呆だったらしい」
彼女はそう呟くと、無傷のままステージを後にする。
サタンとギルとの戦闘から、早一時間。
彼らの激突以降、数名の『常軌を逸した実力者』たちが試合を瞬く間に片付け続け……こうして、想定を遥かに上回る速度で準決勝へ出場する四人の選手が選出された。
『と、言うことで、以上、上位四名の方が準決勝へと駒を進めました!』
かくして、読み上げられた名前は四つ。
一回戦にてサタンを下した男――ギル。
いずれも相手を一撃で屠ってきた怪物――空亡。
危なげなく敵を倒してきた偽勇者――アーマー・ペンドラゴン。
そして、ラスボス【混沌】。
これらの中から、準決勝、そして、決勝の相手が決定する――!
☆☆☆
はず、だったのだが――
「というわけで、アーマー様は棄権させました」
「…………ん? えっと……えっ?」
紺髪のメイド、マルタが私の眼前でそう言った。
彼女は気絶したアーマーを脇に抱えている。この男……仮にもギルの奴を足止めできるだけの強さを持ってたはずだが。一体どうやって気絶させたのだろうか。凄く気になる。
「今回の大会は……言ってみればリハビリ目的での参加でした。……まぁ、アーマー様は『故郷の復興』をするための資金繰り……という、目的もあったのでしょうが、今回はさすがに勝ち目がないと判断致しました」
「まぁ……そう、ではあるが」
なにせ、相手はギルに空亡だ。
唯一勝ち目があるのが……私だろうか。私は彼を『悪』と見ていない。かつて間違いを冒したとは聞き及んでいるが、それでも根は真面目な一般人。こちらから暴力を振るえない以上、万が一に敗北する可能性は残っていた。
が。仮に準決勝で私に当たり、勝てたとしても、次に当たるのはアイツらの内どちらか。勝ち目などあるはずもない。
「確かに、リハビリ目的で来ているのならば棄権するのが良いだろうな。これから先は、間違いなくリハビリ所ではない戦闘になるだろうし」
「というか、リハビリしないと行けない体にした張本人が出場しているようですし。彼はここでリタイアさせることとします」
そう言ってマルタは一礼し、控え室を後にする。
今、この控え室には私一人しか残っていない。
どこぞの孤児院のガキも案の定一回戦で敗退……というか、棄権していたし、空亡とギルもまた別の控え室に移動となった。
だからこそ、なのだろうか。
控え室の扉を開けたマルタは……ふと立ち止まり、私を振り返った。
「何より、【彼女】はどうにも怪し過ぎるので」
「……空亡、のことを言っているのか?」
マルタの言った『彼女』という言葉。
今までの話の流れからして、十中八九アイツのことだろう。
「お知り合い、なのでしたね。信用出来る方なのですか?」
「……さてな。私も詳しいことは知らない」
初代の悪魔総統、空亡。
歴代最強の悪魔にして、物理戦闘において並ぶもの無しと呼ばれた傑物。神王ウラノスよりも先に壁の向こうへと到達した、世界最古の到達者。
それがあの女……の、はずだったが。
「何故、怪しいと?」
「いえ、ただの直感です。アーマー様をあの女と戦わせてはいけない。……何故か、心の底からそう思った。それだけのことです」
だから、確信はない。
そう続けるメイドの横顔には、されど確信があったように感じる。
その横顔を見た私は、しばしの沈黙の後に、問いで返す。
「一つ、聞いてもいいか?」
「……なんでしょう。あまりあなたの事も信用してはいないのですが」
あけすけな言葉に苦笑を漏らし、私は一つだけ問いかけた。
「ギン=クラッシュベル。奴をどう思う?」
「うさんくさい男。けれど、誰よりも強い男」
彼女の即答に、私は思わず吹き出した。
あぁ……、実に、その通りだ。よく分かってる。
私は席から立ち上がると、改めて彼女を見据えた。
「了解した。私はお前を信じよう」
「……一体、今の質問になんの位置があったのでしょう? 私も、彼とはあまり関わりがないのですが……」
関わりがない、それでもその答えが出てきた。
それだけで、私にとっては十分だ。
「さてな。意味などなかったのかもしれない。ただ、私の個人的な興味だったのかもしれない。……ただ、お前と同じことを私も考えていた。ならばその忠告、聞くに値するものと考える」
大悪魔、空亡。
奴を信用するか、しないか。
……まぁ、その答えもすぐに出てくる。
私はステージの方へと視線を向けると、ちょうど準決勝のくじ引きが行われていた。私が戦うにせよ……あの男と戦うにせよ、これで全てがハッキリする。
「まさか、クロノス。……いえ、混沌。あなたは最初から――」
マルタが、少し驚いたように言葉を紡いだ。
なに、お前が想像するほど私も頭は良くないさ。
ただ、獄神の息がかかった大悪魔。こんな不自然なもの、最初から『なにかある』と考えて然るべき。そうでなければ、それこそ獄神に笑われてしまう。
私は小さく息を吐くと、口の端を吊り上げる。
「さぁ、そろそろクライマックスと行こうか」
☆☆☆
『さぁ、やって参りました、準決勝!』
ステージへと上がる。
同時に大歓声が響き渡り、思わず眉をしかめた私は、真正面から突き刺さった鋭い視線に顔を上げる。
「まさか、お前と戦うことになる……とはな、クロノ小僧」
どこまでも赤い髪が、風に揺れる。
その髪はまるで炎の如く。髪の先まで紅蓮一色に塗り潰された、数億年前と一切変わらぬ、あの時代の神々における悪夢の象徴。
記憶の中にある彼女は、敵ながらよき『長』であったと思う。
空のようにどこまでも蒼い瞳。
その体は赤と白を基調としたドレスを纏い、その手にはシンボルたる真っ赤なハルバードを持っている。
「貴様は……変わらんな。あの時代から、今までずっと」
まるで、記憶の中からそのまま飛び出してきたような錯覚すら覚える。
髪の長さも身長も体格も、何一つとして変わらない。
よもや生き物では無いのでは。そう考えてしまうほどに人智を超越した存在。それこそが在りし日の彼女だった。それが神々の総意だった。そう記憶している。
「そのハルバードも……なんと言ったか? 貴様のよく使っていた――」
「…………ふっ、あまり気にするな。私が武器の名前を気にするような女に見えるか?」
空亡の問い。
それを前に、私はフッと笑みを零した。
言葉は返さない。
ただ、両の瞳で目の前の女を見据えた。
「まぁ良い、クロノ小僧。貴様とて無駄話に花を咲かせよう……などとは思っていないだろう? 安心しろ、それは私も同じことだ」
かくして、女はハルバードを構える。
まるで、長年その武器を使い続けて来たような熟練感。体と武器が一体化したような。踏み込めば叩き切られる。そんな感覚。
まちがっても、比較的経験の浅い『あの弟』からは感じ取れない、数億年を武に費やしたが故に踏み入れる、一種の【極地】。
それを前に、私は大きく息を吐いた。
「そう、だな。話をする必要性も、今失ったところだ」
「……何?」
私は首元へと右手を添えると、同時にアスタロトの声が響いた。
『それでは準決勝! 全て一撃必殺! ハルバードを主武器においた赤髪の怪物……ナッキーVS! 黒髪のどこにでも居そうな一般人、クロノス選手! 無駄な口上もアレでしょうし、早速バトル開始と行きましょう!』
かくして、戦闘開始の合図が響く。
私は一言、記憶に残ったその武器の名を呟いた。
「――【焔神剣カグツチ】」
「……なに?」
問い返す空亡へ。
私は一気に駆け出し……そして、思いきりその顔面を殴り飛ばした。
首に掛けた【制約】など、問題には当たらない。
私は今、この【名も知らぬ女】を一人の【悪】として断定した。
「ぐ、ッ、な、何を――」
「遥か太古。友も居なかった私は、奈落へとよく赴いていてな。その中で、一人の女と知り合った。……その【あだ名】もまた、その時に貰ったものだ」
その女は、一言で言えば子供だった。
見た目は一国の姫君かと見紛う美しさ。
しかし、その内側は、呆れ返るほどの子供だった。
戦闘以外はほとんど何も出来ないポンコツっぷり。
愛用の『大剣』に名前をつけては自慢げに胸を張り。
奈落に幽閉されても決して悲観的にならず。
日に日に薄れてゆく赤い髪を、少女のように嘆いていた。
私は奴の、紫色の瞳を覚えている。
「途中から、私は疑問を抱いていたよ」
そう言って、私は腰から剣を抜き放つ。
見下す赤髪は目を見開いて私を見上げていて。
私は、その蒼い瞳を睨み据えた。
「――お前は一体、どこの誰だ?」
《pick up》【大悪魔・空亡】
名前を持たない、世界最古の大悪魔。
空亡、という名は称号に近く、出生も経歴も全てが謎に包まれている。
かつては神王ウラノスをも上回る力量を誇っていたが、やがて、修行を重ねて力をつけたウラノスに敗北。獄神が占める奈落へと繋がれ、今に至る。
噂によると、幼少期の時空神クロノスと、奈落での邂逅があったとかなかったとか。
赤と黒を基調としたドレスを身に纏い、焔神剣カグツチという巨大な大剣を武器とする。
近接戦闘において並ぶもの無しとされた、赤髪紫眼の大悪魔。




