失-14 あの日の続きを
『さぁ、やってまいりました、武闘会――本戦ッ!』
アスタロトの声が響いて、大歓声が会場を大きく揺らした。
アオイル……青ローブの男との邂逅から小一時間。
予選を終え、本戦を迎えた私たちは、それぞれ控室から会場内を見つめていた。
会場となるのは、かつて『あの弟』たちが戦った場所。帝国の中心近くにある巨大な武闘場だ。弟の故郷風にいえば……コロッセオ、と言うやつか。
「まるで見世物だな……」
「何を今更。見世物として賞金が出るのだ。馬鹿か貴様は?」
ふと呟いた言葉に、辛辣な返事が聞こえてくる。
青筋を浮かべて隣を見ると、そこにはヘンテクリンなお面を被ったネーミング無さ男が座っている。何故こいつと同じ控え室なのか……。
まぁ、本戦出場者の半分がこちらの控え室に来ているようだし、しょうがないという気もしなくもないが、
「馬鹿ではない。確認しているのだ馬鹿者が。貴様こそ何だ?『雑多』以外に罵倒ボキャブラリーを聞いたことがないが……もしや馬鹿なのではないか?」
「……はっ、抜かせ。俺は仮にもあの男と同じ肉体、同じ頭脳を備えている。少なくともお前よりは頭がいい。よってお前は馬鹿となる。馬鹿め」
「…………ほほぅ、自ら進んであの男の同類と認めるか。何ともまぁ汚らわしい事だ。そんな汚らわしい犬のフンのような貴様に私と同じ魔力が流れている……と考えるだけで鳥肌が立つな。そしてお前の方が馬鹿だ」
「………………何を馬鹿な。同じ体とて中身は別物だ。誰が好き好んであのような汚らわしい阿呆と同じにならねばならん。馬鹿かお前は? あぁそうか、馬鹿だったな。悪い」
「………………なるほど、余程捻り潰されたいと見た」
「ちょー! ちょっと待て貴様ら! 少し冷静になれ! なんだその言い争いは、初等部の子供か貴様らは!」
ゴキリと拳を鳴らした私と、眼光鋭く仮面越しに睨むルギー。
そして私たちの間に割り込んできたのはナッキーだった。
……あぁ、もう面倒くさいなコイツらの偽名は。ぶっちゃけて言ってしまうと、ギルと空亡のババアだ。
「ほう? 誰の指図も受けず、脳筋まっしぐらで神々を屠りまくっていたあの空亡とは思えぬ言動だな?」
「そっ、それは…………まぁ、黒歴史というのは誰にでもあるものだ」
空亡は一瞬言いごもるが、すぐにそれらしい理由を返してくる。
……まぁ、それについてはどうだっていい。問題は……せっかく私が生み出してやったというのに、親に対して先程から喧嘩腰まっしぐらなそこの阿呆だ。いや馬鹿だったか。どちらでもいいが気に食わん。
「それはともかく……おいそこの。この場で今すぐに頂上決戦第三弾をおっぱじめてもいいんだぞ? なぁに、私もあの阿呆に負けて実のところ苛立っていたところだ。お前もあの小僧にいいようにやられてさぞ悔しい事だろう?」
「はぁ? 誰がいつ、どこの誰に敗北したと? 眼球でも腐り果てたか? あぁ、ただの老眼か。クソババア」
「貴様の目こそ腐っているのではないか? 目の前に私よりはるかに高齢なババアが居るだろう。お門違いも甚だしい」
「ほらみた事か……。私へ火花が飛んでくる」
空亡が呟くがスルーする。
あの阿呆に負けた私と。
試合には勝ったが、勝負に負けたギルと。
頂上決戦の第三弾を始めるには良い人選かと思っていたが……まぁ、今回、ギルの相手は他にいる。
『さぁーて! そそくさ行きましょう! 長ったらしい口上は全て無し! ランダムによって予選トーナメントをこちらで振り分けました! と、言うことで――第一回戦! 早速行ってみましょー!』
アスタロトの声と共に、ギルは立ち上がる。
『左コーナー! 流星のごとく現れた超新星! その正体はただ仮面を被っただけの凄腕冒険者か!? あるいは日の光を浴びてこなかった日陰者か! いずれにしたってその実力は本物です! 現・Sランク最短記録保持者にして、この予選……第一位で通過した怪物! ルギーィィィィィイイイイ!!』
「……まぁ良い。こん……クロノス。貴様はいずれ……一発ぶん殴る。あの男のせい……というのが過半だろうが、それでも、貴様があの男を殺し……そして、俺の大切なモノを傷つけた。それは確かだ。故に……俺はお前を許してはいない」
そう言って、闘技場へと上がってゆくギル。
愛した人々が自分を見ていないと知って。それでも胸を張って【大切なモノ】と言い張れる。その心の強さ、それはきっと私には無いものだ。
そして、少し前の私ならば見ようともしていなかった形なき強さでもある。
私は首のチョーカーに触れ、軽く笑った。
「おいルギー。せいぜい気をつけるのだな。向こう側の控え室、なにやら孤児院から来たガキも居るようだからな」
「なに馬鹿を言っている。あの幻影の王……エルザの監視を潜り抜けられる訳がなかろう。……もしも本当であれば、確実にエルザが一枚噛んでるはずだ。それならそれで問題は無い」
私が考えていたこととほぼ同じことをギルは言った。
問題は「そんな孤児院の子供に手を上げられるのか?」という点だが……まぁ、孤児院のガキがどうなろうと知ったことではないし、それを前にしたギルというのも……見物になにそうだ。
ただ、残念なのは……ギルの初戦の相手は違うということ。
楽しみなのは――その相手もまた、到達者であるということ。
『右コーナーァ! あぁ、顔が怖い! 顔が怖すぎる!』
その初っ端で、だいたい察した者も多いだろう。
煙幕と共に対面の控え室から姿を現したのは一人の男。
かなりの背丈に、がっしりとした肉体。
服の上からでもわかる筋骨隆々としたその体躯は野生のオーガも蒼白となり、その顔面を見たオーガに至っては失神も十分に有り得る。
そんな男が、赤いエプロンを身にまとい、聖夜な名前を名乗り、立っていた。
『顔が怖い一般人! しかしその強さはまさしく異常! 一般人のくせして予選第二位で通過した猛者の中の猛者! そしてその正体は、各町を点々としている『パンが美味しい』で評判な【万屋】のアルバイト! 金さえくれればなんでもやります! 是非皆さんこぞってお越しください! 顔が怖い男、サンタァァァァアアアア!!』
その男を前に、ギルは笑ったような気がした。
奴もまた闘技場へと上がると、歓声のボルテージが更に高まる。
きっと、誰も知らない。
そこに立っているのが、悪魔軍の元頂点であると。
片や、その拳一つで全ての悪魔をまとめ上げた傑物。
片や、小さな幸せを願い、絶望で世界を壊した怪物。
一時は、衝突したこともあった。
そして、一時は――共に肩を並べたこともあった。
「まさか、貴様と戦うことになるとはな」
ふと、サタンの声が聞こえてきた。
彼の腕は自然と右腕へと伸びていた。
その光景にはてと首を傾げたギルではあったが、すぐに思い出す。
自分が初めて表へと出た時のことを。
「あぁ……そうか。そうだったか。く、クククク……。そうだったな。この俺が初めて戦った相手。それが貴様であった」
あの戦いは、私も見ていた。
目の前で恋人を殺された弟と。
その知性を喰い破り、顕現した野生の塊。
今のギルは、あの男が捨てた全てで出来ている。
奴が捨てた野生の全てと、不要と断じた知性の全て。
その全ての集合体こそが、この男。
なればこそ……あの時、あの瞬間。
あの男の意志を乗っ取り、サタンの腕をも切り落とした怪物は……きっと、この男であったのだろう。
「あの時……私は貴様に恐怖した。怒りに震え、血潮を湧かせ……それでも、僅かに恐怖した。全能神の奴に割り込まれて……ほんの少しだけ。ほんの少し安堵した私を、私は今でも悔しく思う」
サタンは拳を握る。
同時に、その体から威圧感が溢れ出す。
まるで周囲一帯の空気が鉛になったような感覚。
拳を握り、前を見ただけ。にも関わらず、まるでこの空間全てを掌握されてしまったような……そんな感覚さえ覚えてしまう。
これぞ……大悪魔の頂点。憤怒の化身。
七つの大罪、全ての総括。最強の大悪魔。
「故に、借りを返そう。今ここで」
意味こそ理解はできなかったろう。
されど、その風格、溢れ出す強さだけは理解ができた。
大歓声が周囲を包み込む中……ギルは肩を震わせた。
それはきっと、歓喜にだろう。
ヤツは肩を震わせ仮面を押さえると、赤い瞳をサタンへ向けた。
「その言葉……そのまま返そうか。憤怒の化身」
かくして、ギルの体からドス黒い魔力が吹き上がる。
その魔力の名は【絶望】。
全てを破壊し尽くす最悪の力。
かつて私をも追い詰めた【生命の燈】の逆反面。
スキル名――【絶望の燈】。
使ったが最後、絶望に飲まれて心が終わる……と、聞いていたが。なるほど、第二神器【カドゥケウス】の影響か。
止まるはずのない絶望による侵食を完全停止させ、どころか精神をも回復させた……と、あの弟は言っていたが、その影響であの力に対する【耐性】が出来たらしい。
と、なると――。
「……まさか、あの力を……自在に使えるのか、あの男は」
思わず頬が引き上がる。
他でもない、あの力に殺されかけた私だからこそ、その凶悪さが嫌ってほどに理解が出来る。
「覚えているぞ。貴様は……あの女へと手を上げた。俺の大切なモノへと拳を振るった。……かつてはその憎悪も飲み込み、肩を並べたが……そうさな。いい機会だ。その力も自信もなにもかも、絶望の炎で燃やし尽くそう」
ギルは重心を下げ、拳を構える。
その姿は世間一般に見る『構え』とは程遠い。
隙だらけ……に見えて、けれど隙なんてどこにもない。
手を出した瞬間に殺される。
そんな錯覚すら覚える姿に、私も思わず喉を鳴らした。
「俺は、ただの化け物さ。ただ本能のままに……お前を潰す」
「……ふっ、上等だ『破壊者』。いつかの続きを……今、始めよう」
かくしてサタンも拳を構える。
その姿は、まさに正道。
無駄を極限まで削ぎ落とし、極みに極めて、その果てに残った効率性の塊。
武の極み。文字通りのソレが、そこにはあった。
片や、技術も何も無い野生の塊。
片や、極限まで窮めた知性の塊。
相反するようで。その根っこはきっと同じだ。
サタンもギルも……憎悪をその拳に宿して立っている。
「これは……なんとも」
隣で空亡がつぶやく中。
私は頬を吊り上げ、笑ってみせた。
「あぁ、これは……見物だな」
呟くと同時に、二人は一斉に走り出す。
かくして両の拳は、真正面から激突した――。




