終章―19 最強の座
決着!
照りつけるような熱気。
紅蓮の炎が肌を焼き、灰の空気が肺を焼く。
むせかえるような血の臭いと死臭が漂う中。
ふっと、目が覚めるのを感じた。
「……ここ、は」
ふと目を覚まして、すぐに分かった。
――ああ、これは夢か、と。
全て覚えている。
黒と銀、二つの拳が激突し、世界を白い光が包み込み。
そして、たぶん。
――自分は、死んだ。
でなければこんな夢なんて見るはずもない。
もうずっと昔の。
……忘れたはずの、この夢を。
『ぐすっ……お父さん、お母さん……っ』
幼い声が聞こえてくる。
ふと、声の方へと視線を向ければ……五、六歳だろうか。
崩れ去った家の前で、広がる血の池の前で、一人の少年が泣いていた。
嗚咽を漏らし、肩を震わせ、ただ泣いていた。
「……どうした、少年」
問いかける。
けれど答えは無い、あるはずもない。
だって、泣いている理由なんて分かり切っているんだから。
そう内心呟き、背後を振り返る。
そこには破滅と破壊の限りを尽くし、人々を殺し尽くし、それでも尚足りぬと、最後に目の前の少年へとぎょろりと視線を向けた、巨大な異形が存在していた。
悪魔のような、魔物のような、怪物のような。
まるで世界に漂う【負】を全てかき集め、掛け合わせたような醜怪極まりない形姿の何者か。
――思えば、自分たちの『縁』はここからだったのだろう。
姉が、見ず知らずの少年を殺し。
そして父さんが、その少年を救い。
親の仇とその少年が、家族となった。
姉と、弟となった。
……全く不遇な運命もあったものだ。
けれど、なんでだろうな。
今になって嫌というほど思い知る。
死んで初めて。
――失って初めて、思い知るんだ。
☆☆☆
「――はッ!?」
急激に意識が浮上するような感覚を覚え、私は大きく目を見開いた。
視界いっぱいに広がるのは、無数のヒビが入った紫色の夜空。
遥か上空に輝く紅蓮の月が私を照らしており、その光景に、思わず呟く。
「……何故、私が生きている」
本当に生きているのだろうかと、頬でもつねってやろうかと腕を動かそうとして――ふと、体が全く動かないことに気がついた。
魔力切れ……だな。それも極度の魔力切れ。
最後の一撃に生命活動を維持する分の魔力すら乗せてしまったからな……、おそらく今の状態は以前の戦いの後に入った睡眠凍結、あれの直前といったところだろう。
そこまで考えて、ぼうっと上空を見つめていた私は――ふと、隣に気配があるのを感じた。
「――よう、起きたか姉さん」
そんな声が聞こえてきて、思わず目を見開いた。
「な、何故――ッ」
「なんで、生きてんだろうな」
愕然と眼を見開き、なんとかそちらへと視線を向けると、すぐ隣には私同様倒れ伏し、上空を見上げる弟の姿があった。
――執行者、ギン=クラッシュベル。
私の見てきた中において、最も強いと断定できる男。
そして、他でもない私の弟だ。
「――結果としては、『引き分け』みたいだな」
そう笑った彼の声が頭の中に響く。
見れば彼の隣には涙を貯め、寄りそう一人の少女の姿があり、その姿を見て、どうしてか、私は笑ってしまった。
「……引き分け、か。個人的には負けた気分だ」
「珍しいな。こっちも負けた気分だ」
そう笑った私達は、期せずして同時に大きく息を吐き。
そして一言――
「「――夢を、見ていた」」
その言葉に、どうしてかきっと彼も同じ夢を見ていたのだろうと、そう思えた。
「……死んだと思った。これは負けたと思った」
「夢の中に居た瞬間、敗北を確信した」
そう呟き、ふっと笑った私は、スッと彼へと視線を向ける。
「真の正義は勝つのではなかったか?」
「お前こそ、なんで恭香に手を出さなかった? 恭香の魔力喰ってたら勝てただろうに」
疑問に疑問で返すその男に小さく嘆息しながらも、ふと考える。彼の言った言葉について。
恭香……おそらくその少女のことだろう。
何故私が彼女に手を出さなかったか。
あの白い盾……想いの守護壁、と言ったか。
アレを使った直後から、この男はそこの少女に結界を張るのをやめていた。
というか、やめざるを得なかった。純粋に魔力が足りなかったのだろう。
だからこそ、あの時点における私がとるべき最善手は、この男を無視してでもそこの少女を喰らい、魔力回復に努めることだったのだろう。
そう考えて、やはり思う。
「……何故、殺せなかったんだろうな」
そう呟いて、私は薄く笑った。
殺すのが最適だと分かっていた。けれど、殺せなかった。
その理由はなんだ、と。
そう問われれば、正直分からない。
彼女の姿が、かつての私の被って見えたのかもしれない。
彼女の姿が、親を眼前で殺されたサタンに被って見えたのかもしれない。
あるいは彼女の気持ちが、好きな人を失う痛みが、分かってしまったから、なのかもしれない。
それらしい理由なんて幾らでも出てくる。
それでも、一番それらしい理由を挙げるならば――
「――弟が、初めて連れてきた彼女だ。乱暴なんて出来やしない」
その言葉に、我ながら甘々しいその言葉に、しばしの沈黙ののち、ふっと隣から笑い声が聞こえてきた。
「馬鹿か、二度目だよ会わせるの」
「……そうだったか? よく覚えていないが」
覚えていない、それは確かなことだ。
復讐に駆られ、憎悪に走っていたあの頃の記憶は、なんでかな。ぼんやりとしか思いだすことはできないんだ。その理由は単純に忘れてしまったからか、あるいは――
「……人生、か」
ふと、この男に言われた言葉を思い出す。
――姉さん、人生しろよ、と。
まったく言葉として成立していないクソみたいな台詞だが、それでも、あの夢を見て、敗北を悟って、自分が死んだかもしれないと、そこまで思って。
そして、初めて思い知った。
「――なんでかな。全く『悔い』は残ってないんだ」
失って、初めて思い知った。
どれだけ苦渋に塗れていても。
どれだけ、辛い人生だったとしても。
自分で選び、そして精いっぱい足掻いたのならば。
ならば、そこに後悔なんてあるはずもない。
そう思い知って、私は生まれて初めて、心の底から笑ってしまった。
「皆、こんな気持ちだったのかな」
「……さあな。そいつが本気でそれを為したいと想い、生一杯を尽くすことができたんなら、後悔は無いんじゃないか? 知らんけど」
そうぶっきらぼうに告げたその男に、私は思わず苦笑する。
戦っている最中。
何度も、何度も拳で呼びかけられた。
戻ってこいと。
いつまでも、闇の中に囚われてんじゃねえよ、と。
胸が熱くなるほどの純粋な気持ちに、嬉しく思えたのは何故だったか。
そんなのは分からない。
けれど、その想いの乗った無数の拳。
私を救わんと足掻き続けた、拳一発一発。
それらの体の芯に突き刺さるような感覚が、未だに残っている。
「……重い、な」
そう呟いて、どうしてか涙が頬を伝った。
果たして私の歩んできた道が正しかったのか。
あるいは、間違っていたのか。
彼らの死が、意味のあるものであったのか。
もしかしたら私を怨んで死んだかもしれない。逆に私のように何の未練もなく死ねたのかもしれない。
けれど結局、明確な答えは、勝負が終わった今でも分からない。
ただ、分かったこともあるんだ。
――たぶん『意味』を決めるのは、これからの私自身なんだ、と。
私がこれから何を思い、何を為し、何を見るか。
どうしようもなく罪を重ね、無数の屍の上に立っている私ではあるけれど。
それらの死の上に立って、生きているからこそ。
今を生きているからこそ、しなければいけないことがある。
「私は正しかったのか。今、私が生きていることは正しいのか」
その答えは、ついぞ見つからず仕舞いに終わった。
故に、探しに行こう。
許されることじゃないと分かっている。
罪に塗れ、復讐に駆られ、さまざまな悪を執行した。
それでも、生きねばならない。
その意味を、見つけるまでは。
誰にその答えを求めるでもなく。
ただ、彼らが命を預けた私が、自らのこの手で探し出す。
その必要が、きっとある。
「……どうだ、まだやるか?」
ふと問いかけられたその言葉に、私は思わず笑ってしまう。
何をやるのか。姉弟喧嘩の続きか、正義と悪の討論か、あるいは他の何かか。
その問いの答えに関しては候補が多すぎて分からないというのが実際のところだが、それでも現状を見れば、彼が己が意思を通し、私が折れた結果には変わりない。
故に、言いたくはないが、こう明言しよう。
私がその人生において、この言葉を言うのは最初で最後になるだろうが。
「馬鹿を言え。私の、敗北だ」
そう笑う私の中には、大部分を占める疲労と。
そして清々しさだけが漂っていた。
☆☆☆
その言葉に、その横顔に。
僕は内心で『やっと終わったか』と安堵の息を吐いた。
正直な話、幼少期の一敗、前回の一敗、そして今回の引き分け(コイツ曰く負けらしいが)を合算しても今だ負け越している事実には変わりないのだが、それでも終わりよければすべてよし。後で再戦でもして勝ち越せばいいだけの話だ。
(……まだまだ、強くならないとな)
そう内心で呟き、小さく笑った僕は。
――次の瞬間、大きく揺れた地面に、大きく目を見開いた。
「な、何だ……ッ!?」
思わずといった風に混沌が声を漏らし、僕は徐々に回復しつつある体でなんとか上体を起こして周囲を見渡す。
すると周囲に広がる巨大なクレーターのあちこちからどす黒い色をしたマグマが噴き出し始めている。ピキピキと嫌な音が響いて視線を上げれば、紫色の空に入ったヒビが徐々に広がっており、砕けた天の破片が僕らの周りに降り注いでくる。
「ちょ……! こ、これマズイ奴じゃないの!?」
「う、うむ……」
「まずそう……だよね」
そう叫んだ僕に対して二人の答えが返ってくる。
二人の答えを聞いて咄嗟に周囲を見渡すが、飛び出して行ったっきり戻ってこないアルファとサタンの姿は確認できない。
あの二人が戦ったんだ。どちらかが死んでいてもおかしくは無い。
万が一にどちらかが生き残っていたとしても、瀕死の重傷でここまでたどり着ける可能性は……おそらく、壊滅的だ。
すぐさまそう言う結論に達すると、右手の甲に刻まれた円還龍の紋章を恭香へと突きつけた。
「恭香、魔力を頼む!」
「わ、分かった……!」
すぐに僕の意図を察したのか、僕の手を取り、紋章へと魔力を流し込む恭香。
その姿に困惑したように眉を寄せた混沌ではあったが、直後、銀色の光とともに召喚された二つの影に、混沌は大きく目を見開いた。
「な、なんだ……そいつらは」
「シロとクロ、僕のちょっとした相棒だよ」
そう笑う僕の前には、いきなり崩れかけている世界へと召喚され、困惑した様子の白髪の戦女神(幼)ことシロと、紅蓮のたてがみを風になびかせる黒馬ことクロが佇んでいた。
この二人はちょっとした異世界から連れてきた僕の従魔的な存在であり、その世界には確たる『その人の魔力』的な区別は無いため、とりあえず誰かの魔力さえあれば召喚できる。
「シロ、クロ。たぶんあっちの方に色の薄い紫髪の兄ちゃんと、悪魔みたいな形相の怖いおじちゃんいるから、そこまで僕らを連れてってくれないか? 大至急でお願い」
そう言いながらも力を振り絞って立ち上がった僕は、混沌の体を小脇に抱え、クロの上へと飛び乗った。吸血鬼の回復力さまさまである。
直後にシロが索敵能力に長けた恭香の体を抱えて飛び上がり、それを追うようにしてクロが空中を駆け上がる。
「恭香! 見つけたらシロに合図! 安全な場所でアレ使うから!」
「りょ、了解っ!」
空高く飛んでいる中、恐怖を押し殺した恭香の声が返ってくる。
その姿に大丈夫かなと思いながらも、意識の朦朧としてきた混沌の体をクロの上へと乗せ直していると、直後に恭香の声が聞こえてきた。
「ギン! いたよ、二人とも何とか生きてるみたい!」
「了解! シロ、クロ、そっちの方に頼む!」
そう告げると同時に恭香の指さす方向へと進む先を変えた二人は一直線にその場へと突き進み、数秒後には二人の倒れる現場へと行きついた。
底に広がっていたのは、惨状だった。
大量に血を流したのか、死んだようにして倒れ伏しているアルファの姿と、そして体中を血に濡らしながら鮮血の海の中に沈んでいるサタンの姿。……何とか生きてるみたいだけど、半死半生って感じかな。
そう思う僕をよそに、シロに地面へと下ろしてもらった恭香は僕へと両手を差し出した。
直後にアイテムボックスから出した魔王さん特製の『宝玉』を投げて渡すと、それを受け取った彼女は目の前の空間へとその宝玉を投げつけた。
そして一言。
「魔導具起動! 禁呪『空間転移』ッ!」
瞬間、溢れ出す魔王さんの魔力。
それらの魔力は形を為し、虚空へと疑似的な『転移門』を作り出す。
混沌との戦いが終わって、僕が無事でいる保証なんてどこにもなかった。
故にあらかじめ『帰り道』専用の人材を確保しておきたかったのだが、残念ながら白夜は倒れ、魔王さんにしても絶対安静状態だ。故にあらかじめ魔王さんに頼みこみ、作ってもらった禁呪の封印魔導具を恭香に発動してもらったというわけだ。
ま、ギルやゼウスなんかも出来るだろうが、あの二人を混沌の前につれてくるほど僕も無神経ではないわけで。
「今だ! シロ、クロ! 混沌と一緒にその二人を連れていけ!」
クロから降りながらもそう叫ぶと、了解とばかりに鼻を鳴らした二人はアルファ、サタン、そして途中で気を失った混沌の三人を連れて転移門の向こうへと消えてゆく。
残ったのは僕と恭香。
この疑似転移門の効力はそう長くは無い。
故に、僕らも早々に立ち去らなければならないのだが――
「……ギン?」
恭香が困惑したように僕の名を呼んだ。
背後へと視線を向けていた僕は小さく彼女へと視線を移すが……なんでだろうな。何故かそこに【居る】気がするんだ。
僕らの後方には何もない虚空が広がるばかりではあったが――直後、僕がその方向へと向き直ると同時に世界を『変化』が包み込んだ。
【気づいて、いたのですか?】
女性の声が響き――そして、世界の時が止まった。
「な……っ」
隣から恭香の愕然とした声が響く。
白夜の『時間停止』と同等……いや、それ以上の時空の魔力。
それを前に思わず苦笑いを浮かべる僕に対して、視線の先の空間が歪み、その中から一人の女性が姿を現す。
――そこに居たのは、姿の分からない【銀色】の女性だった。
女性……いや、性別すらも分からない。
ただ声から女性だと判断しただけで、姿も性別も、何もかも認識できないのだ。
正しく『異常』。そんな言葉を体現するような彼女を見て、僕は冗談一割、確信九割でその正体を当ててみることにした。
「――あんただろ? 神霊王イブリース、って」
その言葉に隣の恭香が愕然とし、視線の先の女性がくすくすと笑う。
【正解、です。よくわかりました、ね】
「なに、アルファとサタンがあれだけの出血をして生きてる事実。そして僕と混沌が、何故一度死んで生き返ったのか。そして誰が気づかれることなくそんなことができるのか。そう考えればおのずと答えは導き出せる」
僕らは、間違いなく一度死んだ。
それは混沌だって分かっていたはずだ。僕らが見たのは紛れもない死後の夢。死んで、最も強く意識に残っていた記憶を魂が垣間見る、正真正銘、文字通りの最期の夢だったはずなのだ。
が、それを見ておいて生きながらえてる。
本来ならばあり得ないこの現象。何故こんなことが起きているのかと聞かれれば、その答えはきっと一つだろうと思う。
「――恭香に気づかれることなく、死んだ僕らを蘇らせた何者かが存在する、ってな。どうせ心も読めるんだろう? 神霊王イブリース」
【さすが、です】
そう笑ったイブリースは、体中から溢れる銀色の魔力を隠すことなくそこに佇んでおり、その姿に、その銀色の魔力に、そのどこかで聞き覚えのある声に。
僕は小さくため息を漏らすと、それを見た彼女は目ざとく問いをぶつけてきた。
【私の魔力、うまく使えているようです、ね】
その言葉に、全てを察する。
彼女が持つ銀色の魔力。
どこかで聞き覚えのある声。
僕の銀色の魔力が覚醒した時のこと。
それら無数のピースが重なり、合致し合い、その末に一つの答えが像を結んだ。
その答えは、僕が今まで想像だにしていなかった答えであり――
「――お前か? シルズオーバーの中身」
「えええっ!?」
恭香の悲鳴じみた声が響く。
僕の銀色の魔力が覚醒したのは、以前の混沌戦でのことだ。
あの時の感覚からして、覚醒した要因は『生命の燈』あるいは『才能の鎖』のどちらかだと思っていたのだが、少し考え方を変えればある可能性が生まれてくる。
もしも、それら二つの影響で力を解放した『何か』の影響で、僕の体の中に誰かの魔力が流れ込んでいるのだとすれば。
そう考えて、思いだす。
生命の燈の効果で力を解放した神剣シルズオーバー。加えて僕が保有している銀色の魔力の、『他人に扱えず、精神力のよって扱える量が限られる』というどこかの剣と似たような共通点。
そこまで考え、苦汁をなめたような表情を浮かべる僕を傍目に、イブリースは楽しげに笑って見せた。
【私が誇る最高眷属、銀皇シブリース。私の意思を、魔力を受け継いだ最高傑作。行方不明になって、いたのですが。最近、見つけることができました】
「……なら何か。あんたはそのシブリースを奪い返しに来たと?」
警戒心を隠すことなくそう問うと、彼女はゆっくりと首を横に振った。
【……シブリースを作り出した目的は、私を、越えてもらうため。生まれながらにして最強、越えることのできぬ高次元体。つまりは私を、最強を、越えてもらうため】
――だったのです、が。
そう続けた彼女はスッと僕の姿を指さした。
そして、淡々と、そして楽しそうに。
【シブリースより、強くなりそうな人を、みつけたので】
その言葉に。
どうしようもなく感じられる力の隔たりに。
なんでか、笑ってしまう僕がいた。
「おいおい、いいのかそんなに余裕ぶって。僕に負けない自信でもあるのか?」
【はい。あと数千年は頑張ってもらわないと、勝負にも、なりません】
淡々と告げられたその言葉。
数千年……、か。気が遠くなるような時間だが、それでも目の前に気が遠くなりそうな超次元体が存在しているせいか、不思議と嘘を言っているようには思えなかった。
加えて僕の本能が嫌というほどに直感している。
――ああ、こいつはまだ勝てないわ、と。
だからこそ楯突くのはまだやめだ。
今は黙って見下ろされよう。
その寛大な処置に、大きな態度に笑顔を以て答えよう。
ただし、それでも言いたいことは言わせてもらう。
僕は少しだけ回復した魔力で、心の内からシルズオーバーを召喚する。
短剣の形で顕現したソレは銀色の煌めきを迸らせており、その意思を感じて、僕は笑ってその切っ先を奴へと突きつける。
【……なんの、つもりですか?】
ただ不思議そうに。
理解ができないとそう告げた神霊王イブリースに。
僕は笑って、こう告げる。
「――首洗って待ってろ。百年以内に追い越してやる」
生憎と、僕は不老不死の吸血鬼だ。
動ける時間はたくさんある。それこそ永遠に生き続けられるのだから。
だからこそ、待ってろイブリース。
「お前の想定ぶっ壊して、いつか最強の座を取りに行く」
その言葉に、彼女が驚いたように体を震わせたのが分かった。
けれどもすぐに笑みを浮かべると、徐々にその気配が薄れてゆく。
【……了解しました。私の眷属たちは、だいたい貴方より強いです。だからそこらへんで修行しては如何でしょうか。あとそれと――】
そう淡々と告げたイブリースは。
けれども最後の最後で、初めて殺気を剥き出しにする。
【期待を裏切ったら、ぶっ殺しに行きますので】
その言葉と同時に、世界は再び動き出す。
その場に残されたのは、体中から冷や汗をふきだす僕と、その隣で茫然自失とする恭香。
そして、壊れゆく悪魔界と、寂しげに佇む簡易転移門だけだった。
 




