終章―18 想いの強さ
凄い哀愁と達成感
視線が交差する。
荒い息使いが響き渡る。
世界が壊れる足音が聞こえる。
自身の鼓動が酷く遠い。
拳が重い、体が重い。
脚が動かない、膝が震える。
血が足りない、酸素が足りない。
体が悲鳴を上げている。
――心が、勝利せよと叫んでいる。
仲間たちの生きた道こそ、正義だと知らしめすために。
ただ一つの約束を、今度こそ守り抜くために。
下らない目的だ、けれど別にいい。
他人にどう思われようと、どうだっていい。
ただ、自分にとっては譲れない。
否が応でも、譲りたくない。
それだけ思うことができれば、それでいい。
互いが互いに、そう笑って。
――そして、同時に駆け出した。
「ウオオオオオオオッッ!!」
「ハアアアアアアアッッ!!」
互いの咆哮が大気を揺らし、拳が交差する。
両者の拳が互いの頬を抉り、けれども止まることなく次の拳を叩きつける。
目が腫れ、顔が鮮血に塗れ、それでもなお拳を握り、叩きつける。
防御をかなぐり捨てた連打戦に周囲へと鮮血がまき散らされ、二人の足元に血の海が広がってゆく。
「ラアッ!」
小さく鋭い声と同時に混沌の左拳が唸りを上げて迫り来る。
咄嗟にそれを右拳で受け止めたギンではあったが、直後、拳に隠れて左腕が腰に差した剣へと向かっているの見て、思わず大きく目を見開いた。
(な……ッ!? あの剣、魔力で作ってたんじゃないのか!?)
以前戦った時、魔力から剣を生み出していた混沌。
故に腰に差している剣もまた、彼女の魔力によって生み出されたものかと思っていたが、魔力が元の即席品にしては余りにも性能が優れ過ぎていた。
そもそもシルズオーバーの一撃を難なく受け止めていたこと自体があり得なかったのだ。そう、自らの注意不足を呪ったギンだが、時すでに遅し。
「――シッ」
瞬間、居合いのように鞘から放たれた黒色の刀身。
虚空を滑り、軌跡を虚空へと描くようにして放たれたそれを上体を逸らして躱したギンは、喉元を浅く切り裂いたその剣を――正確には、その剣を掴んでいた右手を、パシリと左手で掴み取る。
「ッ!?」
「――捕まえた」
そう、ニタリと笑ったギンはその剣の鍔をしっかりと握り込むと、直後に右足を大きく後ろへと振りかぶる。
その大きすぎるモーションに、おそらく次に来るであろう『蹴りあげ』を回避しようと考えた混沌。
けれども左拳はがっしりと掴まれており、剣を握る右拳は無事でこそあるが、その剣の鍔を完全に握りしめられている。
――つまり、剣を放さなければ防御不可。
すぐさまその考えに至ると、混沌は一瞬で剣を捨てると、右腕をその足蹴りのガードに回す。
直後、そのガード越しに突き刺さるギンの蹴り上げ。
その衝撃に小さく顔を歪めた混沌では有れど、クリーンヒットでなければどうとでも我慢がきく。
すぐさまギンへと睨むような視線を送りつけると、その殺気に顔の上がったギンの顎を――左足で蹴りあげた。
「が……!?」
蹴りに対する、蹴りのカウンター。
珍しくも素晴らしいタイミング、そして威力のその一撃にギンの体が大きく跳ね上がり、蹴りの圧と混沌の左拳を握りしめていた右手が緩んでゆく。
――つまり、両の拳が開いたということ。
すぐさま両拳を合わせて振りかぶると、上がったその顔面めがけて振り落とす。
「ハアッ!!」
鈍器で岩を殴りつけたような音が響く。
骨が軋み、頭蓋が砕けるその一撃。
ぶしゅりと嫌な音とともに鮮血が吹き出し、余りの威力に体の支えが効かなくなったギンは思わずその場に崩れかかる。
が、それは相手からすれば絶好の好機でしかなく――
「ハアアアアァッ!!」
混沌の声が響き、強く握り締めた拳がギンの頭蓋へと振り落とされる。
咄嗟に両腕でガードを固めたギンではあったが――直後、ずるりと混沌の足が血の海に取られて滑り、ギンの目の前で混沌は顔面から血の海へと沈みこむ。
それは、本来ならあり得ないミスだ。
何故、自分はそれほどダメージを与えていないはずなのに。
そう考えて――ふと、混沌の顔面を殴り飛ばした一発を思い出す。
――過去滅する禁忌の罪。
あの一撃を思い出して、ギンはやっとその可能性に考え至る。
(ダメージは、溜まっていた)
なにも、一方的にやられていたわけじゃなかった。
なれば勝機だって見えてくるはずだ。
でなけりゃおかしい、あり得ない。
そう確信し、ギンはその横顔を思いっきり蹴り飛ばす。
「ぐ……ッ」
首がねじきれそうな程の衝撃に混沌は小さく悲鳴を漏らし、けれどもすぐにギンを睨み据えると、右足でギンの足元を薙ぎ払う。
途端、足元に広がる血のせいで踏ん張りの効かなかったギンもまた足を滑らせ、尻もちをつくようにして血の海へと沈み込む。
直後、体勢を崩したギンへと混沌が襲いかかり、咄嗟に反応できなかったギンはその襲撃を体で受け止め、転がるようにして混沌と抱きあうようにして吹き飛ばされてゆく。
「――ぁッ」
ゴッ、と頭を石にぶつけたような鈍い衝撃が走り、転がっていた勢いが途端に消えてゆく。
そして目を見開き――直後、目の前で馬乗りになって拳を振り上げている混沌を見て、限界まで眼を見開いた。
「ま、まず――」
「――死ね」
直後、振り落とされた拳を手のひらで受け止めたギンは、直後にひっかくようにして放たれた左手を右手で受け止め、硬直状態へと陥ってしまう。
「いい加減、諦めて死ねよ……ッ! なぜそこまで勝ちにこだわるッ。なぜそこまでして、諦めようとしない――ッ!!」
「うる、せえッ!」
そう叫び返すギンを睨み据え、混沌は強く歯を食いしばる。
「貴様に……貴様に分かるか! 復讐心に駆られ、激情に駆られ、それが間違っているかもしれないと、そんな感情に苛まれながらも死を選んだ彼らの気持ちが! 彼らへと死を宣告した私の気持ちが……ッ! そんな彼らへと『間違っている』と! そう言えるならば私を殺せ! でなければ私の前で死を晒せ!」
勝者こそが正義。
なればこそ、ここで勝てば正義が証明される。
自分が……そして、死した彼らが。同胞たちが。
間違っていなかったと、証明される。
歩いてきたこの道が、彼らの死が、無駄ではなかったと証明される。
故に死ね。死に晒せ。
悪という墓標に潰され死んで逝け。
絶対の正義の前に、死に晒せ。
「この……頑固野郎がッ!」
左手で混沌の拳を払いのけ、空いた小さな空間を使い、混沌の顎へとショートアッパーを撃ち込むギン。
鮮血が舞い、跳ね上がった彼女の体を押し倒すようにして左手で押すと、その体に馬乗りになり、ギュッと拳を握りしめる。
「ンなもん知るか! 死んでいった奴らがいたなら、その道が悪か正義かなんざ、みんな死ぬ間際に察してる! だからお前が僕に正義の基準を預けるような問題じゃない……ッ!」
振り下ろした拳は同じように左手で受け止められ、直後に動いた混沌の右腕を、ギンは左手で地面へと押し付ける。
「ぐ……ッ」
思わず呻く混沌に、ギンはスッと顔を近づけ、その瞳を覗き込む。
「――それでもそいつらが『間違ってた』と、そう思って死んだと思うんなら。生きて、その命を以て世界に償え。簡単に【救い】に走るなこの野郎」
その瞳に、その言葉に。
大きく歯を食いしばった混沌は、ガツンと、その顔面へと頭突きを喰らわせた。
途端に離れたギンの左手。解放された右拳でギンの顔面へとさらに拳を叩きつけると、その体を蹴飛ばし、大きく、吐き捨てるようにこう叫ぶ。
「……ハッ! 綺麗事だな弟よ! 素晴らしい、なんと物語的な台詞だろうか! 我ながら笑ってしまったよ、そんなもので全てが解決するなどという楽観主義に! なにが責任だ、何が償うだ! それらを正当化するために戦っている! 自らの悪を悪でないと証明するために、私はここに立っている!」
立ちあがり、胸へと拳を叩きつけた混沌は、凄惨に笑って口を開く。
「私の肩には今まで散っていった者たちの全ての想いが、怨念が籠っている! 故に勝利する!」
「……このッ」
思わず歯を食いしばるギンに対して、混沌は大きく息を吸い、吐き捨てる。
「――現実は、物語のように甘くは無い」
その言葉に、その姿に。
大きく息を吸って立ちあがったギンは、真っ直ぐにその瞳を睨み返す。
「――甘くないから、足掻くんだろうが」
現実は、甘くなんてない。
酸いも甘いも同居していて、苦くも辛くもえぐくもあって。
それでも生きたいと思うから、人は生きてるんだ。
死にたくないと。
この命には、まだ可能性があると。
まだ、やり残したことがあるから、必死こいて生きてんだ。
「甘ったるいのなんざ人生じゃない。激甘モードで力手にしても、所詮は仮初、偽もんだ。いざ力が使えなくなって、逆境になればそこで死ぬ。残酷な現実に押し潰されて死んで逝く」
ふと思い出す。
日本でよく見た、主人公最強、とやらを。
それを思い出して、ギンは心の底からこう思う。
――その最強は、努力して勝ち取ったものか? と。
命を燃やして、泥水啜って、血反吐を吐いて、挫折して。
でも、立ちあがって。
その末に、手にしたものなのか、と。
……まあ、本当にそうなら素晴らしい、土下座してやってもいい。
だけどそれが、何の努力もなしに、ただ上位の存在から何か力を貰って、そしてその力がある自身を最強と言い張っているだけなのだとすれば。
――そんな力は、自分は要らない。
「これは物語じゃない。最初っから何の努力もなしに強い力なんて存在しない。強い力があったにせよ、そんなもんは少し経ったらただの基本戦術に成り下がる。だから努力する。足掻いて、もがいて、その先に在るはずの何かを目指して突き進む」
だからこそ。
そう笑ったギンは、スッと混沌へと視線を返す。
「――なあ姉さん、人生しろよ」
足掻いて、もがいて、失敗して。
過去は取り消せず、トラウマは一生つき纏う。
それでも諦めちゃだめなんだ。
――自分の答えを、他人に押し付けちゃだめなんだ。
「誰かに貰ったものなんて、本物じゃない。頑張って、修行して、自分のものにして、もっと可能性は無いかと考えて。その末に出た『答え』こそが、本物ってやつだ」
ギンはそう苦笑すると、握りしめた自身の拳へと視線を落とす。
「……勝者こそが正義、か。まあ、勝つかもしれないわな。普通の正義ってのはそれなりには強い」
けれど、と。
そう続けたギンは、握りしめた拳を胸へと当てる。
そこには温かな炎が宿っており、その温かさを感じたギンは、ふっと笑ってこう告げた。
「――最後に勝つのは『本物』で、それこそが『真の正義』だ」
その言葉に、その姿に。
しばし硬直した混沌ではあったが、けれどもすぐに笑みを浮かべると、ふっと笑い飛ばすようにしてこう告げる。
「……本物? それが真の正義だと? ならそれ以外の想いは全て偽物だとでも言うのか? 私たちの思いは、勝者こそが正義だという考えは――」
「間違っちゃいないさ。偽物でもない。そう言う正義だってあるんだろうさ」
混沌の言葉に被せるようにして、ギンはそう言葉を続ける。
「けど結局はより強い正義が勝つ。言い換えて勝者こそが正義、って話だ。そんでもって、他人に答えを求めてさまよっている正義よりも、自ら芯に決め、努力の果てに掴んだ正義の方が、より強い」
――逆に。
と、そう続けたギンは、挑発的に紅蓮の瞳を煌めかせる。
「――負ける理由が見当たらない」
その言葉に、ブチッと、何かが切れた音がした。
負ける理由が見当たらない、と。
その言葉が頭の中で響き渡り――そして、どす黒い感情が芽生えた。
何だこの感情は。
そう考えるよりも先に、本能が既に察していた。
――それは、どす黒く染まった『怒り』だった。
「――なるほど、理解した」
そう呟いた混沌の体から――膨大な魔力が溢れた。
尽きたはずの魔力。
それがなぜ、今になって生み出されたのか。
そんなものは『混沌』という存在自体が理解不明の体現物なのだから理解できるはずもないのだが、それでもただ一つ、ギンにも確信できることがあった。
(あー……。やばいかもな、これ)
盛大に決め台詞をかましておきながら、今さらになってそんなことを内心呟くこの男。
――負ける理由が見当たらない、と。
そう自身が言った言葉を思い出して、ふと、背後から感じた視線に振り返る。
そこにはかつて一つの約束を交わした一人の少女が存在しており、その姿に、思わず苦笑してしまう。
(……すまんな姉さん。僕も『本物』じゃないんですわ)
思い出すは、かつてふさぎこんだ一人の男の姿。
情けないことに、その男は大好きな彼女に助けられて初めて割り切る事ができたわけで、それに関して言えば、たぶん本物なんかじゃ決してない。
彼女に生きる理由を、歩き続ける理由を、負けられない理由を貰った。
ならばそれは『譲れない』だけであり、『本物』じゃない。
「……全く、僕の人生で一番の汚点だよ」
そう言いながらも、ギンは笑った。
汚点、偽物、紛いもの。
なんとでも言えばいいさ、その通りなのだから。
だけど、それでも自信を以てこう言える。
「――いずれにしても、負ける気がしないね」
偽物だろうと、そんなことはどうだっていい。
どうせ相手も偽物だ。
だったとしたら、より強い偽物が勝利する。
より強い『想い』が、勝利を呼び寄せるんだから。
『おいおい、もしかしてまた死ぬんじゃねえのか?』
『いやー、ご主人様死亡フラグ立てるのお上手ですねー』
『だ、大丈夫なの!? 今回保険とか一切かけてないじゃないの!』
頭の中に三つの声が響き、ギンは苦笑する。
微塵も勝利する可能性を口にしてくれない主不孝者ばかりだが。
それでも、冗談を言えるならそれでいい。
「見てろお前ら。勝ったら罰ゲームだからな」
そう笑ったギンは――ふっと、瞼を閉ざして息を吸い込む。
そして、体の奥底、ほんの少し回復した魔力を限界ギリギリまで汲み上げる。
「――『正義の鉄拳』」
ギンの右腕から、銀色の魔力が吹きあがる。
想いの守護壁を使用してから、一度も使用することなく回復に専念させた魔力。
それも総量からすれば『ほんの少し』という表現がよく似合う程度だが、それでも勝負を決めるには十分すぎるほどであった。
「――『正義の絶拳』」
混沌の右腕から、漆黒の魔力が溢れ出す。
膨大な怒りの感情によって溢れ出した全ての魔力を総動員した、文字通りの最後の一撃。
その総量は、ちょうどギンが回復した魔力量と同等。
――つまりは、互格ということ。
「……全く、運命神は酷く僕らのことが嫌いなようだ」
「ここまで来て『差』がないとは、つまりはそういうことだろう」
そう言葉を交わした二人は、大きく息を吸い――走り出す。
もはや万策尽きた。
お互いがお互い、これが最後の魔力、最後の気力、最後の体力。
――故に、勝負を分ける要因はただ一つ。
「「――想いの強さッ!」」
叫び、互いの視線が交差する。
偽物と、偽物。
姉と、弟。
漆黒の魔力と銀色の魔力が迸る。
虚空へと絵の具で描きだすようにして軌跡を残したそれらの拳は、それぞれ引き寄せ合うようにして向かい合う。
そして、一閃。
「うおオオオオアアアアアアアアアッッ!!」
「はあアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
互いの咆哮が大気を震わせ、拳と拳が、唸りを上げて激突する。
それぞれの、想いを乗せたその拳。
それらは一瞬の硬直を見せ。
――そして、黒と銀、二色の爆発によって、二人の視界は埋め尽くされた。
次回『最強の座』




