終章―15 想いの守護壁
補足その2
ギンの保有する月光眼。片方はギルに、片方は白夜の手へと伝わりましたが、魂の記憶に月光眼を使用し、使いこなしていたという記録が残っていたため、蘇った後、比較的すぐに覚え直すことが出来ました。
爪と剣が交差し、大きな衝撃が走り抜ける。
木々をなぎ倒し、空を割り、空間を裂き、時空を断裂させ、大地を微塵と帰す。
余波だけでその威力、それらをまともに受け、逆に反撃し続けている二人の体には刻一刻とダメージが溜まり始めており、表こそ大きな外傷のないものの、それでも体の内に巨大な爆弾を抱えつつあった。
(……まずいな、魔力がきつくなってきた)
ギンはそう呟き、小さく体から銀色の魔力を放出してみる。
途端に体の芯へと痛みが突き抜け、小さく顔が苦痛にゆがむ。
――銀色の魔力。
開闢(正確には『生命の燈』)の発動、そして才能の鎖からの解放の影響によりギンの体には『赤』以外に『銀』の魔力が流れ始めた。
その魔力は赤の魔力よりも圧倒的に性能の面で勝っており、魔法発動までの時間短縮、威力向上、加えて『自分以外には使用できない』という混沌に対して毒となり得る特性まで持っており、言うなれば完全なる『上位互換』と呼べるものだった。
が、そのデメリットは余りにも大きすぎた。
(精神力には……それなりに自身あったんだけどな)
そう内心で呟き、大きく息を吐く。
銀色の魔力を使用する上でのデメリット――それは、負荷が大きすぎるということ。
使えば使うだけ、ガリガリと音を立てて精神が削られていくのが分かる。そして使用限界が近づけばこうして体の芯に痛みが走り抜ける。
正しく、諸刃の剣。
開闢の二つの能力ほどではなくとも、使いどころを考えなければいけない力……ではあるのだが。
『それなしで勝てるほど、弱い相手でもねえんだよな』
クロエの声がギンの脳内に響き、その言葉にウルの声がこう続ける。
『ところどころ、必要のないところでは赤の方を使っているのですがね……。それでもこの消耗の速さだと、まともな使用はもってあと数回、といったところでしょうか』
『な、なにそれまずいじゃないの!』
アポロンの悲鳴が響き、頭に響いた大声に顔を歪めながらも混沌を見据える。
その先には、向こうも向こうでかなり消耗が激しいのだろう、息を荒げ、見るからに辛そうな表情を浮かべる混沌の姿があり、彼女はギンと視線が交差するとふっと笑って見せた。
『なんだ、降参する気にでもなったか?』
『うるせ。その言葉そのまま返すわ』
ばててんじゃねえか、とそう続けたギンは、小さく嘆息すると口を開いた。
『……なんでここまでやる? したいことを見つける、なんて理由でここまで粘らないだろうが。僕を――一度自らを殺した人間と、また戦いたいだなんて思わないだろうが』
その言葉に、混沌は大きく息を吸って拳を握りしめる。
混沌は、一度ギン=クラッシュベルという男に殺されている。
至近距離での黙示録。
それは一瞬にして彼女の命を刈り取った故に、生々しい『死』の感覚は無かったかもしれない。
それでも、殺されたという事実、そこから生まれる恐怖だけは決して拭えないはずなのだ。
にもかかわらず、ここに立っている。
その理由を、彼女は『したいことを見つけるため』などと口にしたが、それが嘘であることを見抜けないギンではなかった。
『――お前は、何のために戦っている』
その問いに、その逃がすことは許さないとばかりの鋭い視線に、混沌は疲れたように大きなため息を漏らした。
そのため息には隠し得ない濃厚な疲労が滲みだしており、それに小さく反応したギンへ、混沌は口角を吊り上げてこう告げる。
『……言ったはずだが? 勝者こそが、正義だと』
その返答に、ギンの表情がかすかに曇る。
『嘘などは一度たりとも口にしてはいないさ。勝者こそが正義。故に私は全力を尽くし、死力を尽くして貴様を殺そう』
『……なるほど、そういうことか』
混沌のその言葉に、その瞳に、ギンは一体何を見たのか。
それはきっと彼しか分かり得ないことだろうが、それでも。
『――なら、こっちも本気で行かなきゃな』
そう笑ったギンの体から、膨大な魔力が迸る。
以前のそう魔力量がすっぽんに見えるほど膨大にして密度の高い赤い魔力に、混沌は大きく息を吸い込み、スッと冷たい瞳でギンの姿を見据え返した。
『――安心しろ、我が弟よ。貴様を殺すことに何の迷いも有りはしない』
その言葉を皮切りに、再度天地を揺るがす交戦が開幕した。
☆☆☆
『ハアアッ!!』
さきに動いたのはギンだった。
上段から振り下ろしたシルズオーバーは銀色の斬撃を虚空に描き、それを見た混沌はすんでのところでそれを回避する。
飛ぶ斬撃。
技術もへったくれもなく、ただ腕力だけでそれを為したことに混沌は小さく苦笑し、同時に両手へと漆黒の魔力を乗せ、構えた。
『蛇竜黒撃ッ!』
瞬間、虚空を突くようにしてつきだした彼女の両手から二体の黒い大蛇が召喚され、上空で無数に枝分かれし、分体したそれらはギンの体中へとその歯を突き立てる。
――途端、ギンの脳内に警鐘が鳴り響く。
『――ッ!? クロエッ』
『わあってるよ!』
瞬間、彼の体から銀色の炎が溢れ出し、それらの蛇たちを燃やしてゆく。
その様に小さく舌打ちを漏らした混沌は、ギュッと体を縮め――直後、虚空を力技で蹴りあげてギンの眼前へと高速で移動する。
余りに荒唐無稽な、物理法則を完全に無視したその移動方法にギンは一瞬硬直し――直後、その顔面へと混沌の拳が突き刺さる。
『が……ッ』
頭蓋に衝撃が突き抜ける。
骨が砕ける嫌な音がギンの耳朶を打ち――直後、体ごと背後へと吹き飛ばされる。
けれども何もせずいれば嬲られるのは目に見えている。
痛みをこらえて両眼を見開くと、大きく魔力を込め直す。
――瞬間、彼の体が無数のコウモリとなって消失する。
『ぬ……幻術かッ』
両目に月光眼があるということ、それはつまり幻術もそれ相応の威力を誇っているということに他ならない。狡知神ロキの幻神眼にこそ及ばないが、それでも混沌を幻術の中に押し込めるには余り有る威力を誇っている。
が、それは『初めての時に限り』という但し書きが必要だ。
『――喰らえ』
体からあふれ出した魔力が尽く周囲の幻術を喰い尽くし、一瞬にしてギンの姿があらわになる。
『な――』
『――なるほど、そこだったか』
ギラリと赤い光を灯した混沌の瞳がギンの姿をしかと捉え、鞭のようにしなった彼女の尻尾がギンの鳩尾へと叩き込まれる。
その一撃に悶絶し、大きくその場から飛び退ったギンを傍目に、混沌は右手へと視線を落とし、ぎゅっと握りしめ、開いて確信する。
『――完全に、戻ったな』
最初の一撃以降、徐々に戻りつつあった自らのステータス。
それが今、完全に自らの者へと戻ったのを確信したのだ。
『これで五分と五分――否、その様子では違うようだな』
見れば、視線の先には苦悩に顔を歪めるギンの姿があり、その姿を見た混沌は、大きく上空へと飛びあがった。
見下ろす先には苦しげに自らを見上げるギンの姿と、そして破壊しつくされ、見るも無残に崩れ去った自らが居城。そして数名の魔力反応が見てとれた。
『――さて、と。覚悟はできたか、弟よ』
そう呟いた彼女の体から、膨大な魔力が溢れ出す。
――その光景は、かつて死の間際に見た光景に瓜二つだった。
自らの生命活動に用いていた全ての魔力を総動員させ、作り上げた『破滅球』。
放った瞬間に勝利が確定するあの一撃は、最終的にギンの手によって斬り伏せられ、自らの眼前へと刃を招く結果となったが、だがしかし。
『――【混沌終撃】』
――その一撃は、明らかに格が違った。
咄嗟にその場で考え付き、その場で使った破滅球とは異なり、眠っていた間常に考え続け、そして生み出された正真正銘、混沌が持ち得る最後の手段、最終奥義、致死の一撃。
ガパリと開いた混沌のアギトの前に生み出された巨大な一撃に、見上げるギンの頬が大きく引き攣った。
……これは、やばい。
今のギンや混沌の住まう【域】の、さらに数段階上に存在する一撃。
明らかに今の自分では太刀打ちできない威力のソレに、ギンは大きく息を吐き出し、小さく背後を振りかえる。
そこにはひび割れ、砕けた大地の一角、未だ結界によって守られている一人の少女の姿があり、その姿に、その不安げに揺れながらも絶大な信頼を寄せてくるその瞳に、ギンは大きく口角を吊り上げた。
『絶対に、負けられない……ッ!』
瞬間、ギンの体から銀色の魔力が溢れ出し、激痛に苛まれながらも、ギンは大きくアギトを開いた。
シュィィィィン、と甲高い音を立てながら膨大な銀色の魔力が収束され、白銀色の煌めく巨大な白銀色の球体が完成する。
『――【銀煌神撃】』
弾丸のように螺旋を描き、万物を貫通しきるその一撃は、けれども相対するその一撃を前には矮小な存在でしかなく、自らの限界ぎりぎりまで振り絞って生み出したその一撃のあまりの頼りなさに、ギンは大きく顔を歪めた。
が、その『時』が伸びることは、決して無い。
眼下の銀を見下ろした混沌は、小さく笑って一言。
『――さあ、終幕の時間だ』
かくして、その一撃が放たれる。
星を飲み、銀河を喰らい、時空を齧り、世界を下すその一撃を前にギンは大きく息を吸い込むと、キッと瞼を見開いて銀色の弾丸を撃ち込んだ。
彼のアギトから放たれた銀色の弾丸は螺旋を描き――そして、その漆黒の球体と衝突する。
互いが誇る最強最悪の一撃に周囲の空間がはがれるようにして壊れ、砕け、裂け、同時に周囲へと雷のような衝撃が突き抜ける。
――が、それも一瞬のこと。
『――なッ』
直後にその均衡は崩れ去り、敗者の声が上がった。
見れば片方が一方の勢いを完全に食らい尽くしており、それを見たギンは、愕然と眼を見開いた。
(一瞬しか持たない……そんなに【差】があるのかッ)
混沌終撃に一瞬で飲み込まれた銀煌神撃をみて、改めてそこに存在する壁の大きさに愕然としたギンは、けれども背後から感じる小さな視線に、ギリッと歯を食いしばり、両手を前に突き出した。
『まだ、まだ終わってない……ッ!』
一度で駄目なら二度。
二度で駄目なら、三度でも四度でも。
何度でも、この命尽きるまで諦めない。
なにせ、負けることなんてできないんだから。
『我が全ての力に命ず! 我が名の下に力を貸し給え……ッ!』
その声に応じるのは五つの魂。
ウル
クロエ。
常闇。
アポロン。
そして、シルズオーバー。
それぞれが全力で、すっからかんになるまでその魔力と想いを振りしぼり、彼の体中へと魔力を流し込む。
かくして集いし全ての魔力。
それらを両の拳に集めて作り出すのは、史上最強にして、最硬の盾。
『顕現せよッ!【想いの守護壁】ッッ!!』
彼の掌から、無数の銀色の魔力が迸る。
それらが形成するのは、無数に重なった円形の巨大な盾。
銀色透明なそれら一枚一枚が『無壊の盾』の数十倍の硬度を誇り、その上その枚数はそれをあるかに上回る――総数百枚。
正しく最強の盾。
全ての想いを集結し、文字通り最後の魔力を振りしぼり、顕現させる最強の守護壁。
――大切なものを守る、想いの壁だ。
『ハッ! そんなもの、貴様もろとも消し炭にしてくれるッ!』
混沌の声とともに、その壁へと巨大な球体が激突する。
途端にギン両腕へと感じたことのない圧力がかかり、そのあまりの威力に一枚目が割れ、二枚目が砕け、三枚、四枚……と徐々に守護壁が粉々に砕け散ってゆく。
『ぐ……あっ』
余りの威力に、ギンの体が押し返される。
――劣勢。
一瞬でそう判断したギンは、すぐさま『神』から『人』へと姿を戻すと、自らの肉体に用いていた魔力すらも用い、魂でその一撃を止めにかかる。
が、止まらない。
勢いこそ落ちても、止まる気配は微塵も見えない。
「ま、まず――」
天高くに居たはずの銀の体は気がつけば地表にまで押し戻されており、両足が地面についたことでそれを察したギンは、思い切り地面を踏みしめ、肉が潰れ、骨が砕け、血が噴き出す腕へとなおさらに力を込めて押し戻す。
「ま……負けられない! 負けたくないッ! 負けられない理由があるッ!」
叫び、空になったからだからさらなる魔力を汲み上げる。
限界なんてこの際どうだっていい。
だから今、今瞬間。
全ての想いを、命を賭して。
「――絶対に、止めて見せるッ!」
瞬間、銀色の盾がさらなる輝きを放ちだす。
想いの守護壁。
使用者の純然たる『想い』に応じてその力を引き出すその壁は、ギンの叫びによってさらなる硬度を引き出し、それを前に混沌終撃が少しだけ、その威力を削られる。
その事実に大きく目を見開いた混沌ではあったが、けれども優勢なことには変わりない。
『その想いごと、喰らい尽くす……ッ!』
盾が、音を立てて割れてゆく。
徐々に近づくその球体に、ギンは歯を食いしばって両足で地面を踏みしめる。
やばい、やばいやばいやばい……ッ。
頭の中をその言葉が埋め尽くし、無理やり生み出していた魔力がとうとう底を突く。
――死。
その可能性が脳裏を過ぎる。
(……また、死ぬのか)
そう思った途端、さまざまな光景が頭に浮かびあがった。
洞窟を抜けて、異世界の土を踏んだ時のこと。
魔物の群れを相手に立ちまわったこと。
格上を相手に戦い、勝利したこと。
いろいろあった。それこそ語りつくせないほどに、いろいろあった。
けれども最後に頭に浮かんだのは、一人の少女の顔だった。
『だから、さ。幸せになってよ。ギン』
その言葉が脳裏を過ぎり、目が覚めたように彼の瞳が光を灯す。
そうだ、幸せになるんだ。
他の誰でもない、あの少女に願われた。
あの少女に、約束した。
「幸せ――か」
呟き、キッと上空を睨み据える。
そこにはもう既に残り数枚まで減った白銀の盾と、そして今だ勢いの衰えない混沌の放った一撃が存在している。
……この状況から、生き延びるなんて難しいのは分かっている。
けれども、それでもやらなきゃいけないことがある。
果たさなきゃいけない、約束がある。
「――やっぱり、死ぬわけにはいかないみたいだ」
背後に感じるその温かい気配に。
背中に感じる、温かい手の感触に。
そう笑ったように口角を吊り上げたギンは、ぐっと大地を踏みしめ、眉尻を吊り上げ、乾いた底から限界を超えて魔力を大きく振り絞る。
「止ま、れえええええああああああああああああッッ!!」
光が瞬き、ギンの咆哮が大気を震わせる。
盾が砕ける音と、勢いが削がれる音が響く中。
――その『結果』が、残酷にその場に舞い降りた。




