終章―11 根源王
変化は、唐突だった。
ニヤリと凄惨に歪んだ口元に、体中から溢れ出す嫌な魔力。
その姿に、その魔力に、体の芯が逃げろと警鐘を鳴らしている。
どうしようもなく心のうちから溢れだす恐怖に思わず顔が歪み――そして、混沌の声が耳朶を打つ。
「――『根源王・闇』」
闇、と。
彼女が告げたその言葉に呼応するようにして彼女の体中から闇が溢れだし、そのあまりにも膨大な闇に咄嗟に両腕で目を覆い、跳ね上げられたクロエの両腕を前面のガードに回して後ずさる。
――そして、側頭部に突き刺さった拳に、意識がぐらりと悲鳴を上げて傾いた。
「が……ッ」
突き抜けたのは頭蓋を貫くような衝撃。
ガードを前に固めたのを見て、咄嗟にこめかみを的確に射ぬいてきた冷静な判断力、そして以前よりも数段、否、十数段、それ以上もあり得るほどに素早く、鋭く、強くなった拳に歯を食いしばってぐっと魔力を汲み上げる。
「魂に命ず!『動きを止めよ』!」
周囲の魂へと命令する。
拳を叩きつけてきたということは、それはつまり僕の魂の範囲内に奴がまだいるということだ。
あいにくと周囲を囲む暗闇で全く周囲が確認できない現状では有れど、空間把握を広めるより魂に対して直接命令を下し、魂を通して魔力で雁字搦めに動きを止める。
そっちの方が何倍も速く、手っ取り早い。
――が、返ってきたのは空振りしたような手ごたえだった。
「……いない、だと?」
小さく周囲の暗闇を睨み据え、ふっと腕を薙ぎ払う。
途端に周囲の空間へと銀色の魔力が吹き荒れ、それらの暗闇を一瞬にしてぬぐい去っていくが――その先には、混沌の姿は見当たらなかった。
そして同時に、並行して広げていた空間把握の範囲内に、とんでもない魔力の塊が映り込む。
「な――」
愕然と眼を見開き、上空を見上げる。
――そこに居たのは、闇そのもの、であった。
正確には闇を纏ったように見える何者か。……まあ、この状況下でいえばアレが誰なのかは一目瞭然だが、それでもその姿には愕然とせざるを得なかった。
漆黒のマントが音を立てて風になびいている。
その背から伸びるのは禍々しい巨大な翼。
スカートのようにも見える丈の短いズボンに、上半身や膝、脛などの急所は黒い鎧に覆われている。
短く切りそろえられていた黒髪はいつの間にか腰のあたりまで伸びており、その絵の具で塗りたくったように艶のある黒髪を払った奴は、スッと深紅の瞳で僕の姿を睨み据える。
「……ふっ、驚きで声も出ないようだな」
「……ああ、素直に驚いたよ」
正直、心の底から驚いた。
世界樹でイフリートを止める……というか、倒す際。
混沌が垣間見せた力――【根源王・竜】とやら。
とりあえずアレを警戒しておけば問題ないだろうと、そう思っていた僕ではあったが……。
『お、おい……なんだありゃァ……ッ! ただでさえやばかった魔力がさらに爆発的に膨れ上がって……加えて身体能力も馬鹿見てぇに上がってんぞ!』
「見りゃわかるっての……」
心の内で騒ぎ出したクロエにそう返しながら、頬を伝う冷や汗を握り拳で拭いとる。
本音を一言で表すとすれば『なんだありゃ』って感じだろうか。
感覚的にいえば、【竜】の前段階。
聖獣化でいうところの人型と獣型の違い、みたいなものだろうか。
……といっても、まあ力関係でいえば月とすっぽんもいいところだが。
そう思いながらも、大きく息を吸い、口角を無理やりに吊り上げた。
「……まさか、お前みたいな男装女子か女装男子か分からないゲテモノがスカート穿いて髪ふぁさっ、とか。悪夢でも見ている気分だよ」
「……なるほど。余程死にたいらしい」
途端、掛け値なしの正真正銘、本気の殺気が叩き込まれた。
殴られたと錯覚してしまうほどの膨大な殺気の濁流に思わず頬が引きつり――
――直後、背後に現れた混沌の姿に愕然と眼を見開いた。
『ステータス差が……っ!』
ウルの悲鳴が響き――そして、奴の黒剣が僕の首めがけて吸い込まれていく。
月光眼でその圧倒的なスピード、そしてキレを視認していた僕は、咄嗟に位置変換で混沌の背後へと入れ替わる。
そして、一閃。
情け容赦の一切無いシルズオーバーによる一撃。それを横目で視認してきた混沌は、スッと剣の流れに逆らうことなく一回転、向かい合う形でシルズオーバーへと黒剣を合わせてきた。
圧倒的なステータス差が無ければ実現出来っこない芸当。
大きく火花が散り、腕ごと大きく跳ねあげられる中、あまりの強化具合に頬が大きく引き攣るのを感じる。
「化け、物が……ッ」
「おそらく世界中の誰もがこう思ってる。貴様にだけは言われたくない、とな」
大きく振り落とされた剣を背後へと勢いに逆らうことなく大きく飛び退る事で躱すと、すぐさま追随をかけてきた混沌へと上空から十字杖を起点とした膨大な魔力の奔流が迸った。
近距離においてもなお、まるで援護射撃のように行われる砲撃に、一瞬上空を仰ぎ見た混沌は一言。
「――かき消せ」
途端、溢れかえった黒い魔力の奔流がそれらの魔法を一瞬にしての見込み、直後に混沌の保有魔力が少し上昇したのが目に見えた。
――他でもない僕の魔法を、喰った。
その事実に以前よりもチート化進んでるじゃねえかと舌打ちを漏らすと、半身になり、いつでも後退できる体勢で混沌へと相対する。
白銀色の切っ先が突き付けられた混沌は怯む――なんて姿は一切見せず、どころかにやりと笑って加速した。
「さて姉を侮辱した罪、その命を持って償ってもらうぞ」
「リスキーだなこの野郎……ッ!」
ギィインッ、と金属音が鳴り響く。
あまりの衝撃に周囲の屋根が粉々に砕け散り、支えを失った僕たちは真下の空間――つまりは謁見の間へと屋根ごと落下しながら剣戟の音を響かせる。
力も速度も向こうの方が上。技術にしたって向こうの方が一日の長がある。いくら努力を重ねたところで相手は仮にも元時空神。武器の扱いに関しては勝てないと思った方がよほどいい。
ステータスも技術も差がある。
故に劣勢なことには変わりないが――それでも。
「個の力で勝てないなら、多彩さで翻弄すればいいだけのこと……ッ」
もともと真正面から斬りあうなど僕の戦い方ではない。
本来の僕の戦い方は多彩で相手を翻弄し、隙と弱点と一瞬の油断と気の緩みを狙い打つ、俗に言う姑息といった言葉が似合うタイプのものだ。
まあ、戦っているうちにそんな姑息を使わなくても地力がつき、殴り合いこそ至上的な勘違いし始めていたが、けれども一回死んで、全部思いだした。
僕は特別な存在なんかじゃない。
力を得た、仲間を得た。そして小さな誇りを得た。
それでも何一つ、何の努力もなしに得たものなど一つもない。
最初から特別だったわけじゃ、決してない。
泥水を啜る事なく、失敗なく得たものなど、何もない。
故に、断言できる。
僕は王者ではなく、挑戦者なのだと。
「今度こそ、その座を奪う……ッ」
「今度こそ、その座を奪い返す!」
今、その座は空席だ。
なにせ、未だ決着はついていないのだから。
僕は死んで、こいつは生き伸びたけど。
――多分お互い、あんなの決着だなんて思っていない。
二つの咆哮が響き、剣が交差し、爆音が響いた。
大きく弾かれた僕らの体。
落下中の瓦礫の上へと降り立つと、すぐさま踏みしめ、空へと駆け出す。
同時に瓦礫を蹴って飛び立った混沌との距離は一瞬にして食い尽くされ、互いの額が鈍い音を立ててぶつかり合う。
鮮血が舞う。
あまりの衝撃に思わずクラリと視界が歪むが、それは混沌も例外ではなかったようで、僕のあまりの石頭加減にその顔が苦痛に歪んでいる。
「……ハッ、致死の傷負うこと早数年! 一度も頭蓋を叩き割られなかった石頭の威力はどうだ!」
「こ、この……ッ!」
苦しげにそう呻いた混沌。
その姿を見て合掌し、魔力を汲み上げると、途端に僕の周囲へと無数の影分身が現れる。
その数、総勢十人。
すぐさまうち五人が残り五人の体を足場にして混沌へと迫る。
対する混沌はそれらの影分身をギッと睨み据えると、黒いオーラを纏った剣でそれらの分身体へと一閃する。
それにより一瞬にして靄へと戻り、散って行ったそれらの影分身では有れど、その散り際に残していったそれらの靄は、一瞬だけ混沌の視界を奪い取る。
「……チィッ」
小さく舌打ちが漏れ――そして、混沌の腹めがけてドロップキックをぶちかます。
「がは……」
さすがに混沌とて思わなかったのだろう。
剣を持ち、大砲を構え、毒の弓を持ち。
そのうえで、あえてのドロップキック。
深々と腹へと突き刺さったドロップキックに小さく呻いた混沌は、けれども間上に位置する僕へと裏拳気味の拳を放ち、それを受けた僕の体が眼下の謁見の間へと突き刺さる。
「ぐ……ッ、効くなくっそ」
あまりの衝撃にそう言いながらも立ち上がると、同時に上空から無数の瓦礫が降り注ぎ、そのひとつ、巨大な瓦礫が顔を上げた僕へと向けて投擲される。
猛スピードで迫ってくるその瓦礫を前に小さく呻くと、スッと魔力を汲み直す。
ちりちりと体から金色の炎が揺らめきだし――そして、ガッと両手で合掌する。
「モード『陰陽師』ッ」
瞬間、僕の体から金色の炎が溢れだす。
陰陽師。
影神の僕が『陽』の力を得ることにより覚醒した一つの能力。
とりあえず【大技】を出すにはまだ時間がかかる。だからこそとりあえずは陰陽師モードで切り抜け――
「……そんなもので、切り抜けられるとでも?」
――背後から、声が響いた。
振り返るより先に背中へと突き抜けた衝撃に思わず息が詰まり、勢いよくその瓦礫へと吹き飛ばされていく。
……回避不可能。
その事実に大きく息を吐きだすと、スッと手のひらにシルズオーバーを呼び戻す。
「我が名の下に、償い給え」
そうして放つは、不可避の連撃。
スッと瞼を細めると、居合いの構えで腰に添えた剣を――一気に抜き放つ!
「――『神判』ッ」
瞬間、瓦礫へと無数の線が走り抜けた。
その数は幾千、幾万にもおよび――直後、それらが一気に瓦解する。
眼前に在った瓦礫は跡形もなく斬り伏せられ、それを確認した僕はスッと翼を出して滞空する。
見下ろす先には笑みを崩さぬ混沌の姿があり、なんだか劣勢で少しばかり焦ってきた僕では有れど。
「もう終わりか? 以前の方がピンチだった気がするけど」
「ほう、準備運動でピンチとな。これは期待外れの予感がするな」
そう笑いあった僕らの瞳は、言っちゃなんだが全く笑っていなかった。




