終章―06 勝利への渇望
俺が死んで、数週間が経った頃、らしい。
俺は、なんでか生き返った。
目の前には知らねえ顔がたくさんいて、それでも何人か知っている顔もいて。
妹のユイが泣きじゃくりながら抱きついて来て。
それを、執行者の野郎が見下ろしていて。
――全てを察して、歯が砕けるかと思った。
歯を食いしばった。
二度目だった。
全力を出して、視力を尽くして足掻きつくして。
その末に、敗北したのは、これで二度目だった。
『……なんで、俺が生き返ってやがる』
『どうやら旧聖国の狂科学者が、お前を改造した時にバラした肉体の過半を冷凍保存して持ってたみたいでな。もちろん臓器や筋肉繊維やら、お前の肉体全てを作るのには足りないものばかりだったが――まあ、そこら辺は神々の熟練の器生成術を褒めるしかないわな』
そう、執行者の野郎は告げてくる。
……まあ、分からねえが理解はできた。
改造途中でバラした俺の肉体をベースに、神々の力を使い、俺の体ごと蘇らせたと。
つまりはそういうことだろう。
だが、問題は……。
『……あのクソ悪魔、サタンの野郎は――』
『良かったな。タルタロスさん曰く、お前の付けた傷が元で死んだらしい』
その言葉に、執行者が薄笑いを浮かべて告げた言葉に、俺は『それはよかった』と小さく笑い――その直後、奴の胸ぐらをつかみ上げた。
『――とでも、言うと思ったか? 引き分けは負けたってことだ。勝利以外は何の意味もねえ。二位も三位もビリケツも、一番じゃねえとクソの役にも立ちやしねえ』
『お、お兄ちゃんっ!』
ユイが悲鳴じみた声を上げたが、今回ばかりは聞いてやれない。
その言葉に、眼前で睨み据える俺の瞳に、奴は顔色一つ変えることなく俺の瞳を覗き返してくる。
執行者、ギン=クラッシュベル。
かつて二メートル近くあった身長は一八〇センチ前後まで縮んでおり、その姿はかつて聖国で相対した時の彼よりも若く見えた。
が、その姿からあふれ出す【得体の知れなさ】は以前までの比ではなく、胸ぐらをつかみ上げ、拳を握りしめているというにもかかわらず、俺の内に渦巻いていたのは絶対的な死の予感。
――勝てない。
瞬間的にそう思い、そして、そう思ってしまった自分にさらに苛立ちが加速する。
『知ってるよ。勝たなければクソの役にも立ちやしない。敗者に与えられるのはただ漠然とした【負けた】という感覚と、いくら漱ごうと消えることは無い、濃厚で苦々しい敗北の味』
その言葉には、どうしようもない苦悩が現れていた。
睨み据えるその瞳には紅蓮の炎が煌々と燃え盛っており、そのあまりの『圧』に思わず胸ぐらを放して後ずさる。
『が、どうするフカシ。復活した今の僕やお前じゃ、どう考えてもあの二人には勝てっこない。いくら僕が強くなって生き返ったとしても、所詮はレベルアップする前の混沌にしか勝てっこない。いくら生き返ったとしても今のお前は依然と何も変わっちゃいない』
故に、どうする。
そう淡々と告げてくるその男に、俺は獰猛に口の端を吊り上げる。
今のままじゃ勝てない?
ハッ、ならするこたァ一つだろうよ。
『今のままじゃ勝てねえんなら、強くなるしかねえだろうがよ』
その言葉に、執行者は大きく口角を吊り上げた。
薄気味悪く、それでいて酷く獰猛なその笑みに隠すことのできない闘争心を現す俺に、奴は背後を指さしてこう告げた。
『ちょうど戦う相手がいなくて困ってたところなんだが』
そう続けた奴は、見下すように嘲笑う。
『さて格下。そろそろフカシ呼びも卒業したいんじゃないのか?』
名前で呼んでほしくば、自分に勝って、認めさせてみろ。
そんな無言の圧力に俺は大きく笑みで返す。
上等だこの野郎、と。
その睨みを背中に受けながら、奴は訓練場所へと足を向けた。
☆☆☆
アルファは大きく息を吐く。
視線の先には理性を失ったサタンの姿があり、その姿を前にアルファは確かな失望と、小さな同情を覚えていた。
(……ああなってたのは、俺だったかもしれねえ)
サタンとアルファは、良い意味でも悪い意味でもよく似ている。
努力することしか能のない脳筋。
根性と力技で尽くを叩き潰す戦闘方法。
――そして、その精神構造までも。
何もかもがよく似ているからこそ、同情した。
「……が、手加減はしてやんねえ」
ふっと、両拳を構える。
思い出せ。
思い出せ。
今までに経験した無数の敗北を。
殴られ、蹴られ、頭突かれ、泥を啜った敗北の記憶を。
何度負けた。そんなのは覚えちゃいない。
ただ、気が狂うほど負けて――それでも、諦めなかった。
だからこそ、アルファは今、ここに立っている。
「ソレはテメエの落ち度だクソ悪魔。敗北を乗り切れなかった。乗り越えて、成長することができなかった。逃げに走った。俺とお前の差はそこだよ。クソ悪魔」
確かに、サタンのとった方法は正しい。
何が何でも勝つために、他に頭を下げてでも力を得た。
アルファに勝つためだけの力を得た。
その覚悟はアルファとて脱帽するほどだ。
どれだけの覚悟を元にその結論に達したのか、どれだけ悩み苦しみ、歯を食いしばって、その願いを口にしたのか。そう考えると尊敬せずにはいられない。
――ただ、少し残念なだけなんだ。
「……テメエには、自力で這い上がってきてほしかったんだがな」
『GUUUU、GUUaaaaaaaaaaaaaaa!!』
サタンの咆哮が轟き、そして、アルファの顔面へと拳が迫る。
混沌の魔力による爆発的な強化に加え、そして彼本来の『憤怒』の力が掛け合わされ、とてつもない身体強化をサタンの体にもたらした。
本来ならば自我のない相手、くみするに容易い相手なのだが、それでも長年、努力を積み重ねてきたサタンなればこそ、その『デメリット』は無へと帰す。
「千倍速……ッ!」
そう叫ぶと同時にアルファの意識が千倍速の超過速度空間へと入りこみ、そしてサタンの拳を見て唖然とした。
――それは、とてつもないキレを保った左のジャブと右ストレートだった。
間違っても意識のない人間が打ってはいけないほどのキレを持ったそれに、アルファは拳でそれらを撃ち落としながらも驚嘆の意を示す。
(……意識がなくても、体が覚えてる、ってか)
幾千、幾万、それ以上と淡々と繰り返してきた一つの拳。
たとえ意識がなくとも、その拳にかけてきた時間は変わらない。
――拳の重みは、決して変わらない。
「が、それはこっちも同じッてんだ!」
瞬間、鋭く放たれたアルファのコンパクトな左がサタンの拳を跳ね上げる。
カウンター気味に放たれたその一撃にガクリとサタンの膝が折れるが、それでもその闘志は揺るがない。
狂気におぼれたサタンの瞳がアルファの姿をとらえ――そして、アルファの横腹へとサタンのブローが突き刺さる。
「――ぅッ!?」
まるで体を巨大な杭で貫かれたような痛み、そして衝撃にアルファの顔が歪み、けれども歯を食いしばって拳を握りしめる。
「踏ん張れ体ァッ!」
叫び声と同時に鈍い音が響き、サタンの横腹へと同じようにアルファの拳が突き刺さる。
その一撃にサタンはその顔に確かな『痛み』を現し、それを見たアルファは小さく眉尻を吊り上げる。
(痛みで……解除できる?)
その可能性が脳裏を過ぎる。
もしも、もしもダメージ如何によってこの状況を解除できるのだとすれば。
そう考えて――けれども、アルファは油断なくサタンを睨み据える。
(……けど、もう考えねえ)
素のサタンと戦いたい。その思いは確かにある。
それでも、それよりも大切なものがある。
絶対に譲れない、勝利がある。
勝利を得られるならば自分の思いなんて噛みしめ、殺そう。
それでも足りぬというのなら、自ら骨すら絶って見せよう。
勝ちたい、勝ちたい。
どうしようもなく、勝利への渇望が止まらない。
「唸れッ! ド根性ぉォッ!」
アルファの拳がサタンの顎を抉り、直後にサタンの拳がアルファの腹に突き刺さる。
拳が交差する度に鮮血が吹き荒れ、呻きが漏れる。
悲鳴は漏らさない、後にも引かない。
今、ここで殴り勝つ。
その末に自らの命が消えていたとしても本望だ。
勝利さえつかめれば、それでいいのだから。
『GU GU UGUGUUUUUUUt GAAAAAAAAAAAAAAAA!』
咆哮が轟く。
「ア、アアッ、ウオアァアアアアアアアアアァアッ!!」
魂の叫びが響く。
殴れ、殴れ、殴れ。
相手よりも一発でも多く。
相手よりも一ミリでも重く。
相手よりも、先に殴り勝て。
頭の中をそれらの想いが占める中。
――ふと、アルファはかつての日々を思い出していた。
『ガアッ!?』
アルファの腹部へと叩き込まれた拳によって大きく体が吹き飛ばされ、地面へと頭から突っ込んでいく。
それは、何度目の敗北だったか。
呻き声を漏らしながら顔を上げた先には、『掌底』を撃ち込んだ姿のまま自身を見下ろす一人の男の姿があり、その姿にアルファは大きく歯を食いしばる。
――そして、現実でも。
大きくサタンの拳がアルファの腹を抉り、彼の姿が大きく吹き飛ばされていく。
地面へと頭から突っ込んだ。咄嗟に顔を上げれば拳を振り抜いた姿のサタンの姿があり、大きくアルファは歯を食いしばる。
――ああ、あの時と同じだ。
何度も地を這い、泥を啜り、痛みに喘ぎ、それでも尚足掻き続けて。
そして気がつけば、あの時、目の前には巨大な【扉】が存在していた。
なんだこれは、と。
そう思うより先に、アルファは駆け出していた。
視線の先にはあの男の姿に重なるサタンの姿があり、その姿に、その目の前に鎮座する巨大な扉に、アルファは大きく歯を食いしばる。
――なに、俺の邪魔をしてやがる。
――なんで、俺の道をふさいでやがる。
拳を振りかぶる。
視線の先では、サタンが大きく拳を振りかぶりながらこちらへと走り始めており、その姿にかつてのあの男の姿を重ねて、アルファは小さく笑って見せた。
(お前にだけは、負けられない、か)
それは、かつてサタンが口にした言葉だった。
同類だからこそ、アルファにだけは負けられない。
成程ご立派な理由だなと、アルファはそう思う。
けれど決して、それに同意はできなかった。
「――だけ、だとこの野郎」
キッと目を見開く。
眼前数センチのところには既にサタンの左拳が迫ってきており、どこかサタンの顔が、勝利を確信したように歪んだ気がした。
かつてのあの男もそうだった。
またこのパターンかと、また単調な動きでしかないと。
そう失望し、勝利を確信したその刹那。
――それらを裏切るようにして、躱す。
『GAa!?』
サタンの拳が頬を掠っていく中、アルファは右の拳を握りしめる。
目の前に在る扉も、あの男も、そしてサタンも。
尽くを、この拳一つで叩き潰そう。
他人の力なんざ不必要。
努力と直感と、絶対的な根性で。
――目の前の尽くを、蹴散らそう。
「『神速の槍』ァッ!!」
――そして、アルファの拳がサタンの顔面に突き刺さる。
サタンの前へと走り出した勢いと。
アルファの前へと走り出した勢いと。
そして、アルファの拳へと収束させた絶対的な『加速度』と。
全てを束ね、全体重を乗せて撃ち込む最大威力のクロスカウンター。
かつて、壁を越えたギン=クラッシュベル相手に膝をつかせたその一撃はサタンの顔面を直撃し――そして、その体が打ち出されるようにして吹き飛ばされていく。
悲鳴は無い。
ただ、白目を剥いて吹き飛ばされていくサタンの姿を見たアルファは、大きく拳を握りしめる。
「俺は誰であろうと勝つ、勝利する! 絶対いつかぶっ飛ばす! 俺とテメエの違いは敗北の数! んでもって、目標の違いだこの野郎!」
戦神王、アルファ。
かつて、神々が用意した『器の扉』を。戦闘中に、根性だけでぶち壊し、到達者へと成りし男であった。
まだ続きます。
あと2話くらいでサタン戦終幕。




