終章―05 敗北の味
アルファVSサタンはちょっと普段通りのインフレ×インフレ、って感じにはならなさそうです。
何故、この状況で笑えるんだ。
そう愕然と眼を見開くサタンを前に、アルファは右足の調子を確かめる。
(……使い物にならねえか)
けれどもすぐに理解できた。
もう、この戦いで右足は使えない。
使えたとしても、せいぜい痛みに耐えて『支え』にするくらいか。
いずれにせよ、もう満足に踏み込むことも、もう満足に走る事も出来やしない。
つまりは――
(――全部、真正面から受け止める)
アルファの目に、覚悟の炎が灯った。
どこまでも貫くような瞳の奥に揺らめく、ギラリとした鋭い光に、サタンは思わず目を見開いた。
――純粋な殴り合い。
それをアルファは望んでいる。
防御を捨てた、拳という凶器による撲殺合いを望んでいる。
そう直感したサタンは――ふうと、大きく息を吐きだした。
『――はあ』
その顔に、その姿に。
どうしてだろうか、かつての自分が被るのは。
負けるなどとは思ってもいない無鉄砲さ。
無謀さにすら迫る、絶対的な自分への自信。
――敗北知らずの鉄砲玉。
そんな言葉がよく似合うその男に、サタンは冷ややかな視線を投げかける。
『……なれば良し。其の無謀、勇敢ではなかったと後悔するがいい』
そう拳を握りしめながら、サタンはかつての自身の姿を思い出していた。
☆☆☆
「はあっ、はあっ、はあっ……」
荒い息を吐きながら、それでも走り続けていた。
――自分には、才能がなかった。
魔法の才能は壊滅的。かといって近接戦闘において光る何かがあるわけでもなく、平凡という言葉がよく似合うほどしか、才能しか持ち合わせていなかった。
「く、クソが……」
霧の中、走り続けた。
まだ、同年代の者たちは誰も起きてきて居やしないだろう。
そんな早朝、日の光が昇るより前から走り続けた。
両親が死に、自分を守るものがいなくなり、自分が強くならねばという強迫観念が胸の奥で蠕動していた。そしてそれに突き動かされるようにして、俺は他の何倍も努力を重ねた。
天才、と俗に呼ばれる者たちが歓談し、俺を後ろ指さして笑っているのを横目に、ただひたすらに修練に明け暮れた。
……時には、いじめ、というものにも遭ったことは有る。
秀才にもかかわらず、天才に敵わないとしって落ちぶれた者たちからすれば、傍で訓練し続ける俺の姿は酷く苛立つものだったのだろう。
だからこそ多数で俺へと拳や杖、剣を振りかぶり――
――そして、俺はその尽くを拳で叩き潰した。
負ける気がしなかった。
秀才が何だと、天才が何だと。
いくら才能に恵まれようと、所詮は親に守られ、温室でぬくぬくと育てられた怠け者。
そんなものたちに、努力を怠った愚か者たちに、この俺が負ける道理が見つからなかった。
全ては、努力だ。
天才が努力するならば、その倍でも十倍でも、努力し続ければいい。
奴らが『今日くらいは』と思う時間を、奴らが他へ時間を費やしている間を、ひたすらに修練に回して、才能ごと奴らの存在をつき放せばいい。
そうすれば、俺は負けない。
――親の敵にだって、負けるはずがない。
そう、思っていたんだ。
「な……、ぁ、ッ」
気がつけば、俺は倒れていた。
なんとか顔を上げれば、目の前には泣き崩れる一人の女性の姿が――親の敵の姿があり、その姿にどうしてか、俺は悔しくなった。
――俺はその時、初めて負けた。
勝ちたかった、勝つためだけに努力してきた。
が、結果はどうだ。
力を出すまでもなく瞬殺された。相手にすらされなかった。
悔しくて悔しくて、もうこんな屈辱は受けたくなくて。
そうして俺は、さらに努力することにした。
気がつけば七つの大罪、【憤怒】の力が身に宿っていることに気がついたが、そんな力は正直どうだって良かった。
その力も所詮は付属品。
何もかも、結局は『おまけ』でしかないのだ。
最後に力になるのは、いままで積み上げてきた努力のみ。
今まで自分が生きてきた、辿ってきた【道】そのものが、力になるんだ。
……だからこそ、その『死』は俺のプライドを酷く傷つけた。
俺は、死んだ。
殺された。
同じく才能に恵まれず、自分しか信じず、そして努力だけで生きてきた若造に、敗北した。
引き分けた、など内心では思ってはいない。
蘇った俺の口の中に広がったのは――濃厚な、敗北の味。
クソが。
クソがクソがクソがクソが……ッ!
まるで子供みたいに、俺は喚いた。
取り乱し、眼球を真っ赤に充血させ、拳を大地へと叩きつけた。
拳から血が溢れるまで。
混沌様に止められるまで。
俺は怒りを、憤怒を、ただ世界へとぶつけ続けた。
何故、俺は負けた。
その時点における最善を尽くした。
アレ以上の戦果は無かったといっても過言ではない。
故に、理由はなんだ。
そう考えて――ふと、頭に浮かんだ答えがあった。
「――努力不足」
ああ、そうだ。
俺には、まだ努力が足りなかった。
寝る間を惜しめ、飯など要らん。
ただ、今この瞬間に訓練を、努力を。
いつかに繋がっている、努力をここに持ってくる。
「もう、なりふりなんて構わない」
場合によっては憤怒の化身にだって成り下がろう。
勝利のためならば誰にだってこの頭を下げてやろう。
力を貸してもらってでも、勝利を取りに行こう。
――この男に、今度は勝つためだけに。
だから、今度こそは。
今この瞬間においては。
「――俺の方が貴様より強い」
☆☆☆
鮮血が舞った。
サタンの拳がアルファの顔を跳ね上げ、彼の顔から真っ赤な鮮血があふれ出す。
けれども直後にはサタンの眼前へとアルファの拳が迫っており、その拳の速度にサタンは愕然としながらも首を傾げて回避する。
――そして、彼の耳に小さな声が響いた。
「――千倍速」
そして、次の瞬間にはサタンの顔面には拳がめり込んでいた。
光速すら越え、視界にとらえるのが精いっぱいなほどの速度と威力を誇るその拳にサタンの顔面から嫌な音が響き――けれど、彼の神経には『痛み』は襲ってこなかった。
(……感謝します、混沌様)
混沌の魔力。
それは引きだせば引き出すほどに自我を食われるというデメリットがある代わりに、力が倍増し、痛みを感じなくなるという戦闘時における大きなメリットをもたらしてくれる。
普通の人物なれば、一時的とはいえど戦闘中に自我を蝕まれる、というのはそれだけで敗北につながる大きなデメリットではあるが――それでも。
(俺は怒れば怒るほどに力の増す憤怒の化身……。そこに、自我などは不必要……!)
瞬間、彼の体からさらなる威圧感が吹き荒れる。
――そして、ぷつりと彼の自我が糸が切れたように、暗転した。
『ガ、アァ、GAAAAAAAAAA、AAAAAAAAAAAAAAAA!!』
サタンの――否、憤怒に身をゆだねたサタンの、咆哮が轟いた。
真正面からその方向を受けたアルファは咄嗟に顔面を両腕でガードし――直後、腹へと突き抜けたその痛みに、思わず目を見開いた。
「か……」
「GAAAuu!」
大きく吹き飛ばされながらも視線を前方へと向けると、そこには両の瞳から真っ赤な眼光を迸らせるサタンの姿があった。口の端からは蒸気が噴き出し、筋肉が悲鳴を上げるように脈動している。
その様――まさしく怪物。
異様なその光景を前にアルファは小さく歯を食いしばると、改めて拳を握りしめる。
「……テメェ、勝負を投げたな?」
その瞳には、今にも噛みつかんばかりの憤怒が浮かんでいる。
貫くような鋭い視線は狂い果てたサタンの姿を睨み据えており、その姿に、その弱り果てた姿に、アルファは大きく息を吐く。
「……分かるよ、簡単なことじゃねえ。天才が横に居て、敗北の味を知って、それでもただ、その拳二つに自分のプライド全部乗っけて戦うのはよ。心が挫ける。逃げたくなる」
その言葉に、もうサタンは言葉を返したりしない。
ただ唸り声が響くばかりであり、それを前にアルファは大きく息を吐く。
敗北の味。
それは酷く辛く、厳しく、苦いものだ。
今まで積み上げたものが全て崩されるような感覚。
自分という存在を否定されるような嫌な感覚。
たぶん、その感覚はそれだけ努力した者にしか分からないのだろう。限界まで努力し、足掻き、苦しみ、それでも進み続けた一握りのものしか、きっと分かり得ない。知った風を装うことはできても、本当の意味では知る事は出来ない。
だからこそ、アルファは知っている。
何度も、その味を啜ってきたのだから。
「逃げたくなるよな。……けどよ、お前が誰かに力を貰った時点で。その拳から誇りが消えた時点で」
そう続けた彼は、ギッとサタンを睨み据えてこう告げる。
「テメエが、俺に【だけは】負けたくないって、そういった時点で勝負なんかになるはずがなかった」
その顔には、楽しげな笑みは無い。
ただ悲嘆に顔を歪めて、それでいて激昂したように。
鋭い視線を、サタンへと容赦なく突き付ける。
「悪いなクソ悪魔。今回は、ちょっと負ける気がしねえわ」