焔―069 不条理
天蓋って三度笠と違うものなんでしょうか。
先ほど改めてググったらイメージと違ったのでびっくりです。
ということで、ギルや戒神衆の被っている天蓋、ってのは三度笠みたいなものだと思ってください。
僕らの言葉に、僕らの姿に。
一瞬硬直したイフリートは、けれども笑って見せた。
『ガ、ガガガガガガガ! コレハ驚イタ! マサカコレホドマデノ兵ガ残ッテイヨウトハ!』
――ダガ。
醜怪極まりない笑い声をあげ、そう続けたイフリートは、その炎の隙間から漏れ出る漆黒の眼光を鋭く変化させ、強く僕らを睨み据えた。
『慢心、此処ニ極マレリ。思イアガリモ甚ダシイ』
途端、奴の体から膨大な威圧感があふれ出す。
その総量はなるほど『炎魔神』か、と納得できるほどであり、その力は並大抵の『到達者』でさえ相手にならないだろうと、そう思えるほどだった。
「炎魔神イフリート。太古の時代、神々が【神霊王イブリース】より受け賜わった創造物。その創造物には端から【壁】は無く、眷属序列としてはさほど高くもないイフリートでさえこの強さ。既にイブリースの支配下からは離れているとはいえ、本来ならば私とて手は出したくない用件だが――」
声が響く。
隣を見れば混沌が実に楽しげに笑みを浮かべており、その横顔を見ていた僕と、彼女の視線が交差する。
「――さて、どちらから行く?」
しかして彼女が口にしたのはそんな言葉。
常人が聞けば正気を疑うだろうな、と内心で思いながらも、苦笑交じりにため息を漏らす。
「……お先にどうぞ」
「……ほう、貴様なら先は譲らんと思っていたがな」
とは言うが、万が一「先にやる」と言ったとしたら、まず間違いなくイフリート戦始まる前に混沌戦が始まるのが目に見えている。
彼女の獰猛な笑顔を横眼で見ながらシッシッと手を振ると、それはそれは嬉しそうにしながら混沌が前へと一歩、踏み出した。
『……ナンノマネダ』
「なに、長時間寝てたものでな。それなりには体がなまっているかもしれん。ということで――」
混沌はそう笑い――次の瞬間、イフリートの背後へと現れた。
「準備運動としては、手ごろな相手だろう?」
そして――轟音が響き渡る。
見ればイフリートの腹が思い切り陥没しており、その口元から大量の赤い魔力が噴出した。
どうやら血の代わりに赤い魔力の流れる生物なんだな、と遠目で思っていると、なんとか勢いを殺し、体勢を整えたイフリートの愕然とした声が耳を打つ。
『ガ……、バ、バカナ――ッ!?』
「おいどうした炎の化身。それで終わりか」
声のほうへと視線を向ければ、そこには漆黒の拳を振り抜いた姿勢で止まっている混沌の姿があり、その拳を纏う魔力に冷や汗が流れ落ちる。
「……え、何あれやばくない」
たぶん、ここに居る誰もがそう思ったことだろう。
ただでさえ触れればまずい混沌の魔力。それが彼女自身の大幅なレベルアップに加え、長い期間眠り続けることで練り上げられたのか、ちょっととんでもない密度にまで昇華されている。
簡単にいえば――触れられないはずのイフリートを、魔力だけでぶんなぐれるくらいにはやばい。
「アレどうやったら勝てるんだろうかね……」
思わずそう呻く間にも、視線の先では天上の戦いが勃発している。
『グオオアアアアアアアアッ!!』
イフリートの咆哮が轟く。
一瞬にして混沌の目の前へと移動したイフリートは大きく拳を振り上げ、混沌めがけてその拳を振りおろす。
月すら一撃で割れるんじゃないかと、そう思えてしまうような超級クラスのその拳。並みの相手なら、視認する暇もなくそれで終わっていただろう。
――まあ、相手が並みだったなら、の話だが。
相対する混沌はその拳を前にニヤリと口角を吊り上げる。
そしてその拳を――片手でいとも容易く、受け止めた。
『ナ――』
愕然とするイフリート。
その視線は受け止められた自身の拳、微塵も動かぬ混沌の姿、そして、彼女が浮かべる薄笑いを経由し、直後にはねられたように彼は背後へと飛び退る。
――敵わない。
すぐさまそう結論づいたのだろう。
しかし中途半端な強者に限り、自身が敵わない=何か理由があるはず、という結論に達しやすい。
まあ、久瀬とかギルとか、一周回った『大馬鹿』なら、『相手が強いならその上を行けばいい』とかいう危険極まりない思考をするため注意すべきだが、勝てない理由を他に探す『ただの馬鹿』は、正直危険視する理由が浮かばない。
そう、こちらへと駆けてくるイフリートを見ながら、ぼんやりと思考していた。
『アレホドマデニ回復魔法ニ長ケタ後衛ナラバ、コレダケノ強化モウナズケル! ナラバ、ソノ後衛サエ潰シテシマエバ――』
何一つ強化してないんだけどな……と。
そんなことを考えながら――
『後衛ガコノ速度ニツイテコレぶらぐっはあっ!?』
――とりあえず殴った。
僕の拳は寸分たがわずイフリートの顔面を捉えており、奴は後頭部から世界樹へと激突し、そのままバウンドしながら吹き飛んでいく。
「おお、殴れた」
ぶっつけ本番、できるかなーと殴ってみたが、どうやら賭けには勝ったらしい。
僕の考えた作戦。それは『月光眼で周りの空間ごとガッチゴチに固めたら殴れるんじゃないか?』というものであった。シンプルいずベスト、力技こそチートに対する特攻武器、ってことだな。
拳に感じる『殴った』感覚におおと感心していると、イフリートの愕然とした声が聞こえてくる。
『ナ、何故……ッ! 後衛ガ我ヲ上回ル力ヲ持ッテイル!?』
「ああ、これか」
片手に握るカドゥケウスへと視線を落としながら声を漏らす。
まあ、杖持ってれば後衛だって思うかもしれないけど……まああれだ。何も知らない奴にはこんな説明がちょうどいいだろう。
「いやー。僕って後衛って言っても、バトルメイジの方だから」
『バ、バトルメイジ……?』
困惑したような声が聞こえてきて、やっと『この世界には殴る魔法使いなる稀有な存在はいない』ということに気が付き、思わず頭をかいてしまう。
バトルメイジでも分からないってなると……なんて言っていいのかな。
「簡潔にいえば、前で戦う後衛、というやつだろう」
ふと、混沌の声が響き、イフリートの視線が背後へと向く。
そこには悠然と歩を進める混沌の姿があり、その姿を見たイフリートは今度は前へと振り返り、それを数度繰り返して肩を震わせた。
まさしく前門の虎、後門の狼。
まあ、前門の虎は虎でも『白虎』の方だろうし、後門の狼は狼でも『神狼』の方だろうが、まあ、真ん中に居るのが『弱者』である以上、別段結果が変わるなんてことはありはしない。
『ナ、何故貴様ラノヨウナ者ガ……!』
そう叫ぶイフリートに向かい、僕は杖の切っ先を、混沌は剣の切っ先を向けて一言。
「「さて、どっちに殺されたい?」」
我ながら、悪魔も蒼白な質問であった。
☆☆☆
対して、イフリートは――笑った。
笑って、嘲るように笑って、馬鹿にするように嗤って。
――そして、威圧感が膨れ上がった。
『――成程。貴様ラ、余程死ニタイラシイ』
その変化は唐突で――そして、盛大なものだった。
奴の魔力が膨れ上がると同時、その炎の肉体が内側から膨れ上がり、みるみる内に見上げるほどの巨体へと変化していく。
実力でいえば……どれくらいだ。さっきの二倍……三倍、四倍、五倍……、それ以上。
通常の狂い堕ちで全ステ二倍だとして、久瀬の完全に使いこなした状態で五倍……と少しくらいか。
少なくとも狂い堕ちと同等か、それ以上の変化、っていうことになる。
「うはあ……」
見上げたその巨体に、小さく声が漏れる。
そこに居たのは、紅蓮の巨人だった。
星すら割れるだろうその大きな腕に、体中から迸る紅蓮の炎。
触れればそれで終い、とでも言いたげなその姿に、さしもの僕でも吐息が漏れた。
そして、それは混沌も例外ではなく――
「……むう。熱そうだ」
と、よくわからない声を漏らしていた。
『が、ががガががガ、ガがが! 貴様らハ【神霊王】様の名の下ニ断罪が決定シた。其の罪は【神霊王】様の忠実ナる配下タル我を侮辱したコと。其の罪、万死に値すル……!』
先ほどまでより、ほんの少し通るようになった声。
依然として聞きにくいことには変わりないが、それでも先ほどよりましなことには変わりない。
こっちが『素の姿』なのかな、と思うと同時、上空から返事は要らぬとばかりにマグマの拳が降り注いでくる。
「うおっ……」
スッとその場を飛びのき、拳を躱す。
するとその拳は世界樹の切り株へと突き刺さり――そして、星が割れた。
文字通り、比喩の余地なく、星が割れたのだ。
そのあまりの威力に目を見開くと同時、すぐさま両眼で月光眼を発動し、その『割れ目』に落ちた人々を転移で地上へ戻していく。
加えてカドゥケウスの力も発動。
――第ニ神器、カドゥケウス。
炎十字のように魂が宿っているとかは無いが、その能力は絶大極まりない。
その力は――全てを癒すこと。
ここまでの未来へ至るのに無数の人が死ぬのが目に見えていた。故に復活すると同時に、ゼウスの協力を得て、回復にのみ特化した最高峰の癒しの杖を作り上げた。
それがこの杖カドゥケウス。
そしてその力は、星にだって有効だ。
「さあカドゥケウス。その力を以て治療せよ」
トンッ、と世界樹の切り株を叩く。
途端にまるで逆再生されるようにして星の割れ目が元へと戻ってゆき、それを確認した僕は混沌へと声を上げた。
「おい混沌! こいつの攻撃は避けるな! 逸らすか受け止めるか相殺するか! いずれにせよ『星』に当てるな!」
「無茶を言う……ッ!」
混沌は僕の言葉にそう返すが、あてがあるのか、その顔から笑みだけは消えてはいなかった。
世界樹上に佇む炎の巨人。
全く面倒なことこの上ないが、今の……というか。素の僕たちじゃあ少しばかり手に余る。まあ倒せないこともないが、それだとこの星が木っ端みじんに消し飛んでしまう。
――故に、ほんの少しだけ、力を見せよう。
ニヤリと口角を吊り上げ――そして、僕らの体から黒と銀、二色の魔力が吹きあがる。
その二種類の魔力にイフリートは思わず硬直し、その姿に僕らの声が突き刺さる。
「モード『陰陽天・神』」
「モード『根源王・竜』」
そうして二つの魔力が膨れ上がる。
僕らの体を構築していた全ての情報が書き換えられ、新たな体が――『生物』という枠から脱した新たな肉体が構築される。
そうして現れたのは――【虎】と、【竜】だった。
片や、金と紅、二色の着流しを身に纏った人型の虎。
着流しから垣間見えるその体は煌々と輝く白銀色の毛並みに覆われており、天蓋のような三度笠のような、竹で編んだ帽子の奥から垣間見える鋭い眼光は真っ直ぐにイフリートを睨み据えている。
膝をついた状態でイフリートを見下ろすほどの巨体に加え、杖をつくようにして握られた鞘つきの刀から放たれる威圧感は並み大抵のものではなく、美しさすら孕んだ恐ろしさに、イフリートの肩が震える。
片や、闇という言葉をその身で体現するような邪竜。
体中から迸る負のオーラはそこに在るだけで『死』を覚悟するほどの不気味さを含んでおり、一種の美しさすら感じさせる紅蓮の瞳は、澄みわたるほどに冷たく、そして恐ろしい。
同じく足を折った状態でイフリートを見下ろせるその体躯に、その両腕から伸びるは強靭な爪。口の隙間から除く白銀色の牙が恐ろしく映えており、その体から放たれる圧倒的強者の威圧感に、イフリートの膝が折れる。
周囲から音という音が消え失せ、ただ四つの紅蓮の瞳がイフリートの姿を睨み据える。
そこに在るのは、ただ見上げるほどに圧倒的な力の隔たり。
どうしようもなくかけ離れたその力にイフリートはおびえる瞳で両者を見上げ――そして、絶望を知った。
『さて、と』
『私を差し置き世界を取ろうとしたその大罪』
白銀色の刀身が鞘より現れる。
純白の巨爪が漆黒の魔力に包まれる。
それらを見ていたイフリートは咄嗟に声を上げ、両手を振って制止を呼び掛ける。
けれども貴様は先ほど、世界を滅ぼそうとした。
制止も聞かず、滅びを執行しようとした。
なればこそ。
『『其の罪、命を以て償え』』
左右から薙ぎ払われた爪と刀により。
炎魔神イフリートは、三つの塊と化して命を散らした。
次回『至りし結末』
焔編ラストになる……かな?




