焔―065 世界の重さ
今回の内容は『納得出来ない人いるかもなぁ』と悩みながら書き上げました。
うーむ難しい!
それと、インフレまだありましたすいません。
「あぁ、そうか。そうだったか……」
ポツリと、ギルが声を漏らした。
その声に滲んでいたのは――諦念の情。
あまりにもありふれた、それでいて彼が今までに一度として口にしなかった感情。
「――俺は、未だ鎖の中に居た、ということ、か」
その言葉に、久瀬の眉がピクリと吊り上がる。
鎖の中……?
思わずそう問い返して――ゾクリと、粟立つような感覚が背筋を這い上がってきた。
「――ッ!?」
なんだ、この感情は……。
理解出来ないのではなく、理解したくない。
――此処に来て尚、この男に『余力』が有るなどと。
信じられるはずが……ないのだ。
「全能神を殺した時に、俺は確かに『後悔』した。何故俺はあの人を殺したのかと、死ぬほど後悔して――考えるのをやめた」
その言葉に、久瀬の中にわだかまっていた一筋の『可能性』が、途端に膨れ上がっていくのを感じた。
「ま、まさか……」
「――制限、と言ったな久瀬竜馬」
ふと、思い出す。
この男は、ギン=クラッシュベルの一部分。
故にかつての仲間達に対して『暴力』を振るうことに忌避感を抱いている可能性があり、それを久瀬や白夜、ウラノスは『制限』と言い表した。
だがしかし。
もしも、もしも万が一に。
――その制限が未だ、完全には解除しきれていないのだとすれば。
諦念の情。
彼の浮かべる表情。
体から溢れる雰囲気。
そして――制限、という言葉。
嫌な予感が湯水のように溢れ出してくる久瀬を前に、ギルは確かに、笑ってみせた。
「俺を殺して行け、か。なるほど了承したよ、久瀬竜馬。俺はお前を――殺して行く」
――瞬間、威圧感が膨れ上がった。
今まで無意識下にかかっていた、かつての友に対する力の制限、ブレーキ。
それが今、断ち切られた。
「――フッ」
小さな吐息が耳を打ち――直後、眼前へと拳が迫っていた。
久瀬の顔面へと衝撃が突き抜け、運命眼、瞬間移動さえ使う暇のない一撃に彼は痛みの中で確かに愕然と眼を見開いた。
「ば……」
「馬鹿な、とは言うなよ久瀬竜馬」
その言葉が――背後から聞こえた。
一瞬にして背後へと回り込まれたことにその刹那、久瀬の体が硬直する。
そして、ギルの声が響いた。
「俺は全てを敵に回してでも、この意思を、正義を執行する。故に貴様も世界も、全てを壊して先へ行こう」
そして、久瀬が咄嗟に構えた防御の上へと、ギルの拳が叩き込まれる。
その一撃は鋭く、重く――そして、あまりにも強かった。
拳は久瀬の腕へと激突し、ゴキリと、骨が砕ける音が響いた。
見れば久瀬の右腕はその半ばからあり得ない方向へとねじ曲がっており、その痛みに、その傷に、久瀬は大きく顔を歪めた。
右腕は今折られ――そして、左腕は既に、折られていた。
これじゃあ、戦えない……?
咄嗟にそんな声が心に響き――キッと、眦を決した。
足も動く、心も無事だ。
まだ左腕なら、鎧で上から押さえてるから拳を握れる。
なら、いくら此処が逆境のド真ん中だとしても――
「……まだ、戦える――ッ!」
「――くどい」
――直後、その声とともに、久瀬の左腕が消し飛んだ。
「……は?」
見れば自身の左腕が肩の部分から消え失せているのが視界に入り、今まで抑え込んでいた『痛み』のダムが、爆発するようにして決壊していく。
「が、ああ、あああ、ああああ、ああああああ、ああああああああああああああッ!?」
彼の、悲鳴が轟いた。
足を失い、頭蓋を砕かれ、骨を砕かれ、内臓など破裂しているだろう。
それでも『気力』だけでその場に立ち続け、狂気の旋律を堪えながら、それでも必死に戦い続けた。
「……尊敬するのはこちらだ、久瀬竜馬。他の誰もが認めずとも、この俺が唯一、この生涯を以て貴様を肯定してやろう」
それは、この戦いにおいて初めて見せた、彼の本音だった。
その言葉に苦渋に満ちた顔をあげた久瀬は、ギルの冷たい瞳を睨み据え、大きく歯を軋ませる。
「――貴様は、強い」
久瀬の顔面へと、ギルの蹴りが撃ち込まれる。
情け容赦の一切無いその一撃に久瀬の頭蓋が砕け、あまりの衝撃に彼の意識が断ち切られかける。
けれども、まだ終われない。
「まだ……、お、俺、は……」
「よくぞここまで至った。貴様はかつての混沌、ギン=クラッシュベルすら越えて見せた。故に認め、褒め称えよう。貴様は強い」
――俺が、本気で抹殺を覚悟するほどには、な。
そう続けながらも、ギルが一歩、一歩と近づいてくる。
「故に容赦などせぬ。その命尽きるその時まで、俺は本気で貴様を殺しに行こう。それこそが、この生涯に於いて唯一認めた『敵』に対する、俺の礼儀だ」
ゴッと、久瀬の腹へとギルの足が圧し掛かる。
あまりの威力に久瀬の腹から膨大な鮮血が溢れ出す。
世界樹へと大きなヒビが入り、久瀬の痛みに喘ぐ声が周囲に響く。
「我が尊敬を抱いて逝け。他でもない俺に此処まで言わせたのだ。それで満足――」
「……な、わけ、あるかよ……ッ」
被せるように、久瀬の声が響く。
その声にピクリと反応を示したギルは、冷たい瞳で眼下の久瀬を睨み据える。
その先で、痛みに蝕まれながらも、それでも口角を吊り上げて見せた彼は、挑発するようにギルの瞳を見据え返す。
「俺が、こんなもんで、満足できるわけねえだろうが……。俺は、お前に勝ちに来たんだよ。お前に勝って、未来を掴めんなら。お前の称賛なんざ、要らねえんだよ、この野郎……ッ」
泥臭くっても、たとえ汚いと罵られようとも。
彼は、何を引き換えにしたとしても勝利を取りに行く。
今、目の前に立つこの男と、皆で笑える未来を取りに行く。
そうじゃなきゃ、ハッピーエンドとは程遠い。
「俺の未来には……、お前も、笑っていなきゃいけねえんだよッ!」
それは、誰かの『願い』を犠牲にした偽善だと知っている。
それでも、それでも願わずにはいられない。
この男と、皆と、敵も味方も関係なく笑っていられる未来があったなら、と。
笑って、泣いて、喧嘩して。
それでも皆が『幸せ』を掴める未来が、有るのなら。
「俺は、お前を救うまで死んでも死なねえ! 死んだとしても根気と精神力で蘇ってやる! それが俺で、俺の望みだ! それ以外は一切要らねえんだよ!」
その言葉に、その姿に。
ギルは大きく――拳を振りかぶった。
「なれば良し。威勢の中で死に果てろ」
冷たい魔力を灯したその拳は、唸りを上げて彼へと迫る。
そのあまりの威力に小さく顔をこわばらした久瀬は、けれども視線をそらすことなくその拳を睨み据え――
「――よく言ったわ。久瀬竜馬」
――ふっと、彼の姿が消え失せた。
空を切ったギルの拳が勢い余って世界樹を抉り取り、その思いもよらぬ『声』に、二人は大きく目を見開いた。
「な……」
久瀬の視界は一瞬にして切り替わっており、彼のすぐ隣に、黒いマントをはためかせる金髪紫目の少女の姿が視界に移り込む。
――禁呪、空間移動。
その姿に、その力に、久瀬は愕然と眼を見開き――そして、周囲に広がる光景に愕然とした。
そこに広がっていたのは――世界樹を囲むように配置された、巨大な『転移門』。
その中から無数の『人』が世界樹の上へとなだれ込んできており、響き渡った大きな鬨の声にギルが周囲を焦ったように見渡した。
「な――ッ!? 環状に展開した巨大転移門……だと!? どんな馬鹿げた瞳力があればそんなもの……!」
一瞬にして世界樹の上に現れたのは――人類軍だった。
悪魔軍と戦っていたのでは……バルベリス、アザゼル、ラーヴァナはどうした。
と、そこまで考えて、ふと脳裏をよぎった背中があった。
「あの……ッ、糞が――ッ!」
灰色から戻った世界。
そして――この圧倒的な『空間』の力。
周囲を見渡して歯を食いしばるギルをよそに、久瀬の周りへと多くの影が現れる。
「遅れてごめんなさいね久瀬君!」
「ふぃー……。なんとか間に合ったぞよ」
「ガハハ! 間に合わんかったらやばいなーと心配しておったぞ!」
「不謹慎なこと言ってるとちょん切りますよ」
「なに、そう簡単にくたばるタマでもなかろうが」
その声に、久瀬は上体を起こし、周囲を見渡す。
そこにいたのは――懐かしい顔ぶれだった。
白神の王、リーシャ。
氷魔の王、グレイス。
幻影の王、エルザ。
獣王、レックス。
魔王、ルナ・ロード。
鍛冶の王、ドナルド。
「と、『時の歯車』……!」
愕然と声をあげた彼の元へ、さらなる援軍が駆けつける。
「久瀬竜馬……! 大丈夫?」
「く、久瀬君! ものすごい怪我じゃないですか!」
「凛ちゃん!? 御厨に……お前らも、なんでここに……!」
そこにいたのは――仲間たちだった。
その姿に彼は愕然と眼を見開き、すぐさま駆け寄ってきた愛紗の顔が泣きそうに――そして、嬉しそうに歪んでいるのを見て、茫然と彼女の瞳を見つめ返す。
その視線を受けた彼女は、その懐から大事そうに、一本の『糸』を取り出した。
それは、ピンク色の長い糸。
どこか神聖さすら感じられるその糸を久瀬へと押し付けた愛紗は、目元の涙を拭き、はにかむようにしてこう告げた。
「――『人類で応えてみせろ』、だってさ。久瀬くん」
その言葉に、久瀬は限界まで眼を見開いた。
人類で、応える。
一人が応えたところで、救いにはならない。
人類が、その意思で、強く否定することこそが彼にとっての本当の『救い』なのだと。
そう言われているような気がして、久瀬はふっと笑ってしまう。
「……敵わ、ねえな」
ポツリとつぶやく久瀬を傍目に、ギルは大きく顔を歪めていた。
「貴様ら……一体どういうつもりだ」
「どうもこうもないぞよ。お前が『世界滅ぼす』とか馬鹿なことを言ってるから止めに来た。それとも何ぞよ。この星に住んでいて、それを黙って見逃せ、とでも言うつもりか?」
彼女――グレイスの返した言葉にギルは思わず言葉を詰まらせる。
けれどもすぐに大きく息を吐きだすと、スッと冷たい炎の据わった瞳で彼女らの姿を睨みつける。
「……なるほど。道理だな氷魔の王。俺は世界に喧嘩を売っている。なればこそ、世界が敵にまわるのは当たり前のことだ」
そう笑ったギルの体から、膨大な威圧感が吹き荒れる。
現時点におけるギルは、かつて魔王や獣王が戦った時の『操り人形』ではない。種族を捨て、想いすら絶ち切り、不死すら超越した怪物の中の怪物。
到達者にすらなれぬそこらの『強者』如きに勝てる相手ではない。
けれど、それでも……。
「ここで抗わなかったら、きっと一生後悔する」
ふと、リーシャの声が響いた。
その言葉に一切の反応を示さないギルという男に――自らの、息子の片割れに。
彼女は大きく拳を握りしめると、一歩、前へと踏み出した。
「ギル。貴方は私のことなんて親とも思ってないのかもしれないけれど、それでも、私は貴方の親として伝えることがあります」
「……」
その言葉へ沈黙で返したギルへ。
リーシャはふっと拳を構えると、その言葉を叩きつけた。
「――世界の重さ、甘く見るんじゃないわよ」




