焔―064 二つの正義
書いてて心の底から実感しました。
もう焔編クライマックスじゃないですか。
爆音が、轟いた。
もはや互いに武器など持ってはいない。
ただその拳で、己が正義を突き通さんとばかりに相手を殴りつける。
「がアアアアアッ!」
久瀬の咆哮が響き、ギルの顔面へと拳が突き刺さる。
鮮血が飛び散る。
骨が砕けるような音が響き――ゴッ、と久瀬の腹へと蹴りが叩き込まれる。
鎧にヒビが入り、肉が軋み、内臓が悲鳴を上げ、それでも歯を強く食いしばった彼はいまだ衰えぬ眼光を煌めかせるギルの姿を睨み据える。
「死ね……ッ、死ねエエエエッ!!」
ギルの拳が顔面へと突き刺さった彼の拳をはねのけると、そのまま両の拳で久瀬の全身へと襲いかかる。
ストレート、フック、レバーブロー、アッパーと……、人を壊すためだけに師より生まれ、見事昇華した彼の拳が久瀬を滅多打ちにし、あまりの威力に彼の口から鮮血が溢れる。
――けれども、その眼の煌めきだけは潰えない。
「まだ……」
ぽつりと、声が漏れる。
まだ、まだやれるだろうと。
まだ、こんなもんじゃないだろうと。
もっと引き出せ。
もっと、狂気の底から、力を引き出せ。
「アァアアッ!!」
ギルの拳が唸りを上げ――直後、あらぬ方向へと弾かれる。
見れば久瀬の蒼い瞳が煌々と炎をともしており、その瞳に、その姿に、ギルは歯を食いしばり――額を打ち付けた。
鈍い音が響き渡り、骨が砕け、鮮血が弾ける。
頭蓋を砕くその一撃に、一瞬、久瀬の視界が大きく歪んだが、すぐさま大量に放出されたアドレナリンが作用し、一種の興奮状態へと彼の体を移行する。
「こんの……石頭ッ!」
直後、叫びとともにギルの顎へと久瀬の拳が叩き込まれ、彼の体が大きく上空へと弾き飛ばされる。
「が……」
回復能力など、久瀬竜馬には存在しない。
混沌の魔力も、身に纏う黒炎も、脳内に流れる狂気の旋律も。
何もかも、それ単体で肉体を滅ぼすのに不足ない諸刃の剣。
にも、かかわらず。
「何故、貴様は……」
――そこに、立っている。
そう続けようとしたギルは――ふっと、目の前の空中に姿を現した久瀬に大きく目を見開いた。
瞬間移動。
その能力を……読めなかった。
その事実に自身の『眼』の寿命を感じながら、それでもギルは拳を固める。
視線の先には拳を振りかぶる久瀬の姿があり――
「一人で不幸のどん底行こうとしてるお前に、勝たせるわけにわいかねえだろうが!」
そして――拳が交差した。
互いの拳が両人の頬を抉り、骨が砕ける音が嫌な響く。
空中で体勢を崩した両人はそのまま勢いよく世界樹の切り株へと墜落し、体中に響く無数の激痛に顔を歪める。そして――立ち上がる。
何度でも、何度でも。
どれだけ殴られようと、骨を砕かれようと。
ただ、相手がそこに立つ限り、立ちあがる。
――絶対に、この男だけには負けられない。
ただ、その感情だけが彼らの内を占めていた。
「クソ、がアアアアアア!!」
「うおラアアアアアアア!!」
走り出す。
ふらふらとよろけながら、それでも走り出す。
そして――久瀬の体が、吹き飛ばされた。
「ぐあ――」
ギルの拳が彼の顔面を捉え、大きく吹き飛ばされた久瀬は大きく血を吐き、痛みに喘ぐ。
その姿を見て大きく笑ったギルは、大きく肩で息をしながらも、久瀬を殴り飛ばしたその拳を突き付ける。
「馬鹿がッ! 貴様と俺では『元』のスペックが違う! 器こそ貴様に劣れど、俺の器は吸血鬼から悪魔へと昇華されたもの……! 長引けばこちらが勝るのは道理であろう!」
「く、そ……」
吸血鬼、不死力に長けた不死身の化物。
久瀬の『黒炎』があって初めて対等に戦えているものの、それでも時間をかけすぎれば黒炎の効果すら食い破って『不死力』が表に現れる。
前につけた傷から徐々に、回復していく。
いくら久瀬が強くなろうとも、その力は絶対に不滅なのだ。
「はあっ、はあっ……、はあああ……」
大きく息を荒げながら、久瀬は大きく息を吐く。
キッと目を見開く。
その視線の先には拳を構えるギルの姿があり、その姿を見た彼は――ふっと、少し笑ってしまった。
「強い、なあ。ほんとに、尊敬しちゃうくらい。お前は強い」
そう呟いた久瀬は――けれども、ギルの瞳を睨み据える。
「だから……、尊敬してるから、こそ、お前を止める。そこまで頑張ってんだろッ。俺なんかよりも、よっぽど頑張って、今を生きてんだろうが! なら、中途半端な道選んで妥協してんじゃねえよッ!」
「――ッ、このッ」
怒りに顔を歪ませるギルをよそに、久瀬は大きく魔力を練り上げる。
「なにがエデンの園だ! 世界滅ぼす覚悟するくらいなら、世界守ってやるよ、くらい言ってみやがれ根性無しが!」
瞬間、久瀬の姿が――加速した。
一瞬にして目の前へと移動した久瀬の姿にギルは大きく目を見開き――ゴッと、腹へと突き抜けた衝撃に体をくの字に折ってしまう。
「俺は――お前を救いに来た。だから、お前には負けられない」
囁くような久瀬の言葉に、ギルは強く、強く、強く、強く強く、歯を軋ませた。
救いに来た。
その言葉を聞いて、彼は酷く苛立った。
その言葉に、その意思に。
――泣きそうになった自分がいたことに、苛立った。
「あ、アああ、アアアアァァァァァァッッ!!」
ギルは吠えた。
ただ、咆哮を轟かせ――久瀬の首を掴み上げる。
「ふざ……けるなァッ! 俺は、俺はあの人たちさえ助けられればそれでいい! 俺の幸せなど要らぬ! 俺の未来など要らぬ! 俺の居場所など……要らぬッ! ただ、あの人たちが、自由に生きられる世界を――」
「なに、ほざいてんだ……ッ、この野郎ッ!」
その銀色の瞳に、狂気という名の『やせ我慢』が浮かぶその瞳に。
久瀬はそう、吐き捨てた。
「テメエが、一番頑張ってんだろうが! 今、この瞬間において! 銀でも、俺でも、他の誰でもねえ、お前が一番、頑張ってんだろうが! なら、そのお前が幸せにならなくってどうすんだこの野郎ッ!」
久瀬の咆哮が響き、ギルの腕を久瀬の膝が捉える。
ゴキリッ、と嫌な音が響き、ギルの腕がありえない方向へと折れ曲がる。
その痛みに、その射るような瞳に、ギルは顔を歪めて後ずさる。
何故自分は、この男を前に後ずさっている……?
何故、何故、何故何故何故何故……!
困惑し、顔を泣きそうに歪めるギルを前に、久瀬はただその前に立ちふさがる。
「そんでも不幸せになろうってんなら、俺をぶっ殺してから進んでけ……!」
☆☆☆
「はあっ、はあっ、はあっ……」
荒い息が響き、鮮血が乾いた大地に落ちていく。
「おいおい……、いい加減引けってんだろうがクソ悪魔。今の手前じゃ話になんねえんだよ」
その声に、その大悪魔――サタンはその男を睨み据える。
その紅蓮の瞳にはありありと憤怒が燃えているのが分かり、相対するその男――アルファはため息交じりに頭をかいた。
現時点における戦神王アルファは、紛うことなき到達者である。
対し、大悪魔サタンはいまだその壁を超えきれていない。
つまるところ、どれだけ戦闘能力が互格でも、搭載しているエンジンが全くと言っていいほどに違うのだ。
そんな状態でまともに勝負になるはずがなく、『強いサタン』との再戦を願っていたアルファとしては一旦引いてもらい、サタンが壁を越えたのちに再び相対したい、というのが本音なのだが……。
「素直に話を聞くタマ、じゃねえわな」
満身創痍になりながら、それでも立ち上がるその男に、アルファは獰猛に笑う。
互格じゃない?
そんなことは分かっている。だからこそ。
「ここまで燃えさせたんだ。オッ死ぬ前に覚醒しろよクソ悪魔ァッ!」
そう叫んだアルファは、大地を砕く勢いで駆け出した。
対するサタンも拳を握りしめて大地を踏みだし、アルファの姿を睨み据える。
アルファとサタンの拳がそれぞれ空気を抉るようにして唸りを上げ――そして、直前に割り込んできた二つの影が、それらの拳を受け止めた。
「「な――ッ!?」」
片や到達者の中でも上位に位置するアルファの拳。
片や壁を越える間際の大悪魔サタンの拳。
それらを片手で、しかも余裕を持って受け止められる人物など、この世界に二人しか存在しない。
「はいストーップ。何熱くなってんのお前。馬鹿なの?」
「お前もだサタン。ここは引くのが正解だぞ、愚か者」
その二人の姿に、その場にいた全員が硬直した。
本来ならばここにいるはずのない――というか、絶対に一緒にいてはいけない最悪の組み合わせ。最悪の姉と、その弟。
愕然と拳を納めた両人に二人は小さく笑みを浮かべると、スッとお互いに視線を交わした。
「久しぶり、混沌」
「おう、久しいな、執行者」
そこにいたのは、主人公とラスボスだった。




