焔―056 終局の始まり
そろそろクライマックス!
手を叩いて埃を落とす。
目の前には頭に巨大なたんこぶを作って白目を剥いている悪魔達に加えて、頭に巨大なたんこぶを三つほど作ったバルべリスが倒れていた。
「いやー、相も変わらず容赦ないなぁ……、執行者の旦那」
「ん? あぁ、ガイズか」
見るからに苦笑いが滲み出しているその言葉に振り返る。
そこに居たのは、ついこの間森国に侵入してきた戒神衆が長、悪魔ガイズであり、どこかゲッソリとした彼は疲れたようにしてその場に立っていた。
「お前ならサタンの所にでも逃げるかと思ってたけど」
「何言ってんすかアンタ……。逃亡したり工作したりする度にすべて見抜かされて拳骨喰らってるこっちの身にもなってくだせぇよ」
そう彼はジト目を送ってきたが、もちろんガン無視決めた。
手に握りしめた黄金の杖を返還すると、同時にパチンと指を鳴らす。
「沈め『ヘルプリズン』」
途端にその場に倒れていた全ての悪魔達が影の中へと沈みこんでいく。
「……で、どうするんで?」
「どうするかねぇ……」
ガイズの言葉に大きく息を吐くと、途端にどこからか物凄い足音が聞こえてきた。
ガバッとそちらを見たガイズが「げっ」と声を上げ、釣られてそちらを見れば――そこに居たのは巨体の悪魔。
「ガイズの兄貴から離れろやテメェェェェッ!!」
「ちょ、ら、ラーヴァナッ!? ま、待てお前この人は――」
ガイズ曰くラーヴァナ、と。
怒りに顔を歪めて僕へと殴りかかってきたその悪魔ではあったが、次の瞬間には僕の目の前で地面に埋まりこんでいた。
「が……!? ば、馬鹿、な……!」
「はいはいお疲れ様。バルべリスといいアンタといい、なんでそこまでして勝てっこない相手に挑んでいくもんかね」
見れば地面から頭を飛び出す形で埋まり込んでいる彼の額からはシュゥゥ、と煙が上がっており、僕がいつの間にか手にしていた金色の杖を見てラーヴァナとやらは大きく目を見開いた。
そんな彼を他所に視線を遠くへ投げかけると、向こうから疲れた様子の死神ちゃんが歩いてくる。
「いや悪ぃ、そいつの魂と対話したら、なんか『兄貴』が戦死したっててな。んで、その兄貴の名前聞いたら……」
そういう彼女の視線は真っ直ぐにガイズの方へと向かっており、その視線に彼は困ったように笑みを浮かべた。
「イヤすいませんね、うちの馬鹿な弟が……。能力と筋力しかない馬鹿でして……」
「馬鹿とはなんだ!」
そう叫ぶラーヴァナではあったが、ガイズが無事であること、そして僕には絶対に勝てないと身を以て知ったこと、それらが相まって敵愾心は一切感じられなくなっていた。
そして最後は――
「たしかアザゼぶぐはぁっ!?」
「旦那ーッ!」
突然横合いから吹っ飛ばされ、ガイズの叫び声が響く。
地面に強く背中を打ち付け、何とか体の上にのしかかる彼女へと視線を向ける。
「お、おぅ、シロ。お前はこっちでも何も変わらんな……」
「……!」
見ればそこにはむにむにと嬉しげに口元を歪める白髪の少女、シロの姿があり、彼女の首根っこを掴んで立ち上がると、近くへ駆け寄ってきた黒馬へと視線を向ける。
「クロも、シロの付き添いご苦労さま。コイツ絶対無茶したでしょ」
その言葉に心外だとばかりに頬を膨らませるシロに対し、クロは疲れたようにヒヒンと鼻を鳴らして顔を背けた。途中、影で援護したとはいえかなり力技で攻めてたからな……。
そう考えている間にも、向こうから長い白髪を風になびかせる一人の悪魔が歩いてきており、彼女を見たラーヴァナは大きく目を見開いた。
「うぉ、アザゼル!? テメェこんなガキに負けたのか!?」
「うるさい脳筋。少なくともお前とやってたら私が勝つ」
「あァ?」
「はぁ?」
途端に喧嘩を始めた二人に、こんなことならバルべリス気絶させるじゃなかったな、と思ってしまう。
けれども『部下の命だけは……!』とカッコつけて挑んできたくせに、結果として気絶してるだけ、というなんともカッコつかないバルべリスを、今この瞬間に叩き起して仲裁に向かわせるというのもなんだか気が引ける。
ので、パンッ、と手を叩くことでそれらの喧騒を力づくで黙らせた。
「――いずれにせよ僕らの勝ちだ、悪魔諸君。何か言いたいことは?」
淡々と告げた言葉に、今更になって敗北を思い出したのか、アザゼルとラーヴァナは悔しげに歯を食いしばる。
仲間のうち大半は人質として影の中へと捕えられ、一部分は狂信者の餌食となって奇声を上げている。
それ以外は皆殺され、残るはアザゼルとラーヴァナの二人だけ。
「……お前は、どうするつもりだ」
敵愾心を隠しもしないアザゼルはそう問いかけてくる。
見ればその瞳には『答えによっては今すぐにでも』といった炎が煌々と燃えており、その瞳にスッと肩を竦めて笑って返す。
「どうすると思う?」
「……もしも、彼らを殺すというのなら」
そう言って彼女はレイピアへと手を伸ばす。
それには地に埋まったラーヴァナも微かに顔を強ばらせるが、けれどもそんな二人に横合いからガイズの声が響いた。
「はぁ……、やめときなって。仮にここにいた三人で襲っても勝てっこねぇのがこの旦那で、案外にあまっちょろいのがこの旦那だ」
あまっちょろい、その言葉にピキッと青筋が浮かんだが、なんとか深呼吸して誤魔化した。
「ま、そういう事だ。そりゃ負けたんだからこっちのいうことは聞いてもらうが、それでも殺したりはしない」
「……本当に、か?」
「本当に、だよ。少なくともお前らが敵対しなければ、って話だけれど」
そう笑った、次の瞬間。
背後からアザゼルの首筋へと影の剣が添えられており、一泊遅れてソレに気がついたアザゼルは大きく目を見開いて硬直した。
彼女の戦闘は横目でチラチラと見させてもらっていた。故に彼女がどんなに力を持っているのかも分かっているが。
「未来視、って言っても躱せなければ意味がない。そもそも未来を体験したところで、躱せる未来がなければ意味が無い。不死も同じで、殺せないなら動きを止めればいい。それでもダメならエナジードレインででも喰らい尽くせばいい」
その言葉にアザゼルとラーヴァナの頬が大きく強ばったのが分かった。
今になって思い至ったのだろう。
ロキ達でさえ苦戦した『無敗のバルべリス』とやらが、万の軍勢を従えてもなお、数分で倒されたという言葉の意味を。
「――それでもまだ、続けるか?」
問いかけたその言葉に沈黙するふたりを見てふっと微笑むと、それらを見守っていた死神ちゃんが大鎌で肩をトントンと叩きながら口を開いた。
「で、お前は行かなくていいのか? 俺様はまだここの処理が残ってるんでな。死体かき集めて、修復して、全部生き返らせる。だからこっから先は行けねぇわけだが――」
そう言った彼女は、少し前から感じられるようになったその『大気の揺れ』に、ふっと視線を東へと投げた。
距離でいえばどれだけ離れているだろうか。測るのも億劫になるほどに離れたここにまで突き抜ける、戦闘の余波。
「……これは、お前が出張らねぇと終わんねぇんじゃねぇのか?」
「……さぁ、どうだか」
今の僕をして『うっわ何アレえっぐ……』と思ってしまうようなその余波に、ここにまで響く戦闘の音に、ボリボリと頭をかいてそう返す。
「ただ、なんて言うかな。分かるんだよ、死神ちゃん」
分かる。分かってしまう。
他でもない『僕』だから分かってしまう。
「アイツは僕には止められない。実力とかじゃなく、心の問題。アイツは自分にだけは絶対に負けない。意地でも負けない。だからこそ僕はここにいる」
この戦争を集結させるのは簡単だ。
僕があの男の前に出ればいい。それで全てが終わる。
――ある意味で、全てが終わるのだ。
「これは僕が簡単に手を出していい案件じゃない。僕に潰されたところであの男は諦めない。いつかまた蘇って、今度はもっと強くなって帰ってくる。だから、手は出さない」
否、手が出せない、か。
手を出せばそこで全てが終わる気がする。
確証なんてない、けど確信できる。
これは、僕が手を出していい問題じゃない。
「……分かる?」
「俺様にそんな哲学的なこと分かるわけねぇだろ。……って、言いたいところだが」
まぁ、分かるよ。何となく。
そう続けた彼女は、ふっと笑って見せた。
「そう簡単な問題じゃねぇって、そういう事だろ」
「ま、そういうこと」
彼女の笑みに、僕も釣られて少し笑った。
さぁ、ここからが終局、クライマックスだ。
予め宣言しよう、どんな結果になろうとも、僕は今回の件、一切手は加えないし、口も挟めない。
あの男が人類に叫び、慨嘆の意を示した。
なれば、人類がそれに答えなければならない。それに応えを返すのが、本人であってはいけないのだ。
「さて人類。お前達は一体どう応える? その悲痛な号哭に、お前達は一体なんと返す?」
視線の先には、だだっ広い草原が広がっていた。
そこにはつい先程まで溢れていた悪魔達も、人類の軍勢も、神々もいやしない。
遠くに見覚えのある屋敷がぽつんと佇んでおり、その哀愁漂う姿に少し笑ってしまう。
……この先に待つのは、未来か、或いは破滅か。
まぁ、いずれにしても。
「ま、手を出すにしても、全てが終わったその時に、だな」
僕はそう一人呟き、息を吐く。
その息は白く色付き、虚空へと溶けて消えていった。
☆☆☆
――時は遡ること少し。
男はその大地に軽々と着地すると、ゆっくりと立ち上がる。
グランズ帝国に存在する巨大樹――通称、世界樹。
かつてこの世界樹はこの大陸の中心に位置していたが、長い時が経るにつれて大陸の半分が海に沈み、今では大陸の最東端に位置する、何故か異様に大きな大木と化していた。だが。
「――世界樹。救いの熾火の起動装置」
ふと、どこからか声が響く。
その声にふっと笑みで返したその男は――途端に手の中に召喚したアダマスの大鎌で、背後の空間を切り裂いた。
けれどもその鎌は途中の空間で止まってしまい、徐々にその空間が歪み、色付いていく。
「未開地の封印がサタンで解けたこと。そして、北の封印地に貴様がいなかったこと。諸々含めてここに居るとは思っていたが……。今回は少しばかり面白い玩具を持っているようだな? 隻眼の男よ」
その歪んだ空間から現れたのは――隻眼の男だった。
左眼には眼帯をし、黒い着流しと漆黒の髪が風に揺れている。
そしてその手には、一振りの黒刀。
その姿を見てククッと肩を震わせた白髪の男は、左の瞼へと指を添え、口の端を吊り上げた。
「とは言ったものの、まさか単体でこられようとはな。舐められていると憤れば良いのか、或いは楽に計画が進みそうでよかったと、喜べば良いのか」
「――悪いが、そのどちらでもないと思うぞ」
ふと、その声が響いた。
けれどもその声からは『迷い』は消え失せており、ピクリと白髪の男の眉尻が吊り上がる。
「……なに?」
「聞こえなかったか? そのどちらでもない、とそう言ったんだよこの野郎」
その男が、右の瞼を見開いた。
そして現れたのは――蒼い瞳。
その瞳には王冠のような紋章が浮かび上がっており、それを前に目を見開く彼に対して、その男――久瀬竜馬は、刀の切っ先を突きつけた。
「御託は要らん。俺はもうお前の言葉には流されないし、もう、迷ったりなんてしない」
それに、と。
そう続けた彼は、スッと右目を細める。
その視線の先には、驚きから立ち直り、いつもと変わらぬ笑みを貼り付けた白髪の男が佇んでおり。
「断言するよ、ギル」
――お前は、間違っている。
その言葉を受けたギルはハッと笑うと。
煌々と輝く炎をその目に宿し、屈辱にその眉尻を吊り上げた。
「吠えたな、雑多が……!」
相対するのは、二人の男。
白く髪を染め、変わり果てた執行者の残りカスと、それに相対する久瀬竜馬という男。
片や銀の瞳を煌めかせ、片や青い瞳を煌めかせる。
それはいつか誰かが見た、未来の景色。
そしてこの先に待つのは――誰も知らない、未知の景色。
相対し、威圧感を吹き荒らすその二人はお互いを睨み据え――そして、一直線に駆け出した。
次回、ギルVS久瀬。
此の先に待つのは未来か、或いは破滅か。




