焔―052 贖罪のアザゼル
遡ること少し。
ギンがこの場に現れる数分前。
剣戟の音が響き、大きく火花が散る。
「ハァッ!」
凛が両手に持ったシルズオーバーが銀色の光を迸らせ、相対するアザゼルはレイピアを縦横無尽に振り、それらを尽く打ち払い受け流していく。
「ふっ、まだまだ……ッ!」
レイピアを大きく振るいあげると、凛の手に持っていたシルズオーバーが跳ね上げられ、上空に銀色の短剣が舞う。
それにニヤリと口角を吊り上げたアザゼルだったが、直後に上空から迫り来る魔法を見て、咄嗟にその場から回避する。
「くぅ……、なかなか当たりませんね」
「何なのかしら、あの回避能力……っ」
魔法を打ち込んでいた御厨と京子が悔しげに声を漏らし、それを見たアザゼルはふっと嘲笑いを顔に貼り付けた。
「私に攻撃を当てられない時点で、やっぱり論外」
――論外、と。
再度告げられたその言葉に凛は歯を食いしばるが、彼女に横合いから鋭い声が響く。
「凛! 一人で突っ走らないで!」
その声の方へと視線を向ければ、刀を構えた優香が鋭い眼光でアザゼルを睨み据えており、見ればアザゼルの周囲を花田に妙、と二人が武器を構えて囲んでいる。
「……正直びっくりするほど強いわね、あの人。今の凛が捉えきれない時点で『力を使い切れてないから捉えられない』って考えは捨てるべきよ。この人は多分、あなたのお兄さん相手でも同じことをやってのける」
「……っ! で、でも……」
「でもじゃないっすよ!」
花田の声が響き、重いヘルムの向こう側から彼の瞳が彼女を捉える。
「確かにプライドも大切だと思うっす。けど、銀さんなら多分こう言うんじゃないっすか?」
そう笑った花田の声に、彼ら一同の声が重なる。
「『泥臭くても、最終的に倒せりゃいい。下らないプライドなんてそこらへんに捨てちまえ』ってね」
その言葉に、凛は大きく目を見開いた。
知っていた、あの人なら確かにそう言うはずだと。
ただ、追いつかなきゃいけないと、そんな言葉に目が眩んでそんなことは思ってもいなかった。
「『脳は熱く、頭は冷たく』って、あなたのお兄さんがいつか言ってたわ」
脳を熱く回転させろ。
けれど頭は冷たく保て、決して熱くなるな。
その言葉の意味を考えてフッと笑った優香は、その眼光をギラリと強める。
「全く、なんで日本にいた頃にこんな言葉を思いつくのか甚だ疑問だけれど、今回ばかりは助かった、としときましょうか」
見れば凛の瞳は冷たい光を灯しており、そこには先程までのどこか焦っていたような彼女の姿は窺えなかった。
その姿にはアザゼルも興味深そうに目を細め、小さく口角を吊り上げた。
「……ギン=クラッシュベル。なるほど、それなら死ぬ前に一度戦ってみたかった」
言って彼女はレイピアを構える。
対して凛は召喚し直したシルズオーバーを握りしめ、優香は刀を、花田は盾を、妙は短剣を構え直す。
緊張の糸が張り詰め、重苦しい静寂が周囲に横たわる。
遠くから剣戟の音が響き――次の瞬間、アザゼルが一直線に駆け出した。
向かう先は凛……ではなく、優香の方。
「なるほど、私に来るとは」
レイピアの切っ先が自身の方へと向かっていると知った優香は獰猛に笑うと、その『構え』を崩した。
剣道でいう、中段の構え。
あらゆる動きに通じる基本の構え。
それを解いた彼女にアザゼルは小さく目を見張り――次の瞬間、背筋を怖気が走り抜けた。
「――ッ!?」
殺気を感じ取る。
咄嗟に状態を捻ると、先程まで彼女のいた場所へと空気すら切り裂く勢いで刀が振られ、そのあまりの威力にアザゼルの頬に冷や汗が伝う。
「ハァァッ!」
久瀬をして『異世界人の中で、近接戦闘に関しては最強』と言わしめた小鳥遊優香。
その近接戦闘の実力は久瀬やギンすらも遥かに上回っており、この戦闘で初めて優香の間合いに入ったアザゼルさえも自らの『失策』に気付いてしまう。
(こ、コイツ……、まともに相対しちゃいけないタイプ)
彼女の体中から吹き上がるオーラのようなものを幻視した彼女はキッと目を見開くと、指先に紅蓮の炎を召喚する。
「燃やしつくせ、『エクスプロージョン』」
炎魔法Lv.4、エクスプロージョン。
アザゼルの魔力を用いて放たれるその魔法は並の域を軽く超えており、それを目の前にした優香は小さく眉尻を吊り上げた。
そして――ふっと、その魔法が消失した。
「な――!?」
魔法の消失。
魔王の使う全ての魔法を打ち消す力ではなく。
ギンのように魔法の核を切り裂いたわけでもなく。
彼女の内を占めていたのは、『奪われた』という感覚のみ。
「優香ちゃん!」
声が響く。
見ればそこには二つの『本』を空中に浮かべた古里愛紗の姿があり、その本の中へと吸い込まれていく紅蓮の魔力を見てアザゼルは確信した。
「アイツ……か!」
愛紗の能力――魔法の図書館。
視界に収めた魔法を吸収、保存し、自らの力として再放出できる、言うなれば魔法に対する絶対的な天敵。
すぐさま愛紗へと対象を切り替えたアザゼルは優香から視線を外して彼女へと駆け出すが――ふっと、愛紗がもう片方の本を広げたことに小さく眉根を寄せてしまう。
「魔王さんにもらった、魔力の溜まった宝玉」
愛紗の声が耳に届く。
魔王から事前に貰っていた、魔力を溜め込んだ宝玉。
それは彼女の能力を知った魔王が即席で用意した宝玉ではあれど、無限の魔力を有する彼女が即席で作り上げたその宝玉は、彼女の総魔力量を大きく上回る。
それに加えて……。
「いいんですか? あの人を召喚するとなると、私達の魔力すっからかんになってしまいますが……」
「そうよね。もう魔法の支援は難しいわよ」
見れば御厨と京子の二人が彼女の後ろに佇んでおり、それを見た彼女ぐっと杖を握りしめた。
「……でも、ここで動かなきゃ、何も始まらないよ!」
何かしなければ何も為せない。
その言葉にフッと笑った二人は、彼女の背中へと片手を当てる。
「いいでしょう!」
「私達の魔力、全部持ってきなさい!」
瞬間、彼女を中心として膨大な魔力が荒れ狂い、その魔力を前にアザゼルの顔が焦燥に歪んだ。
「こ、これは……!」
「行かせないっすよ!」
横合いから突撃してきた花田をひらりと躱すと、直後に斬りかかってきた妙の攻撃をレイピアで受け止める。
「にゃはは! これは勝ったにゃ!」
「抜かせ……!」
すぐさま彼女の腹を蹴り飛ばして愛紗の方へと駆け出すが、視線の先では既にほとんどの工程を終了させた愛紗が杖を構えて佇んでいた。
「――『物語の記録』ッ!」
物語の記録。
一度見た存在をコピーし、召喚、使役するという能力。
けれども召喚と維持にはかなりの魔力を必要とし、それが格上ならば尚更魔力消費はとてつもないものとなる。
故に、御厨と京子が召喚に魔力を貸し出した。
故に、魔王が宝玉を維持のために分け与えた。
「チィッ……!」
彼女を中心として砂煙が舞う。
大きな魔力が産み落とされたのを感じると同時、その危険性にも気がついていたアザゼルは咄嗟にその煙の中へとレイピアを叩き込む。
――殺った。
そう確信するほどに鋭く、的確な突き。
けれども返ってきたのは、その突きを真正面から受け止めたような硬い感触。
「……本当なら久瀬くんを召喚してもよかったんだけど。それでも、彼が憧れた真の強者。実際に戦って、底が知れないと感じた絶対的な強者」
砂煙が晴れる。
そこに佇んでいたのは、黒い影。
黒いローブを風になびかせ、肌の部分は漆黒の影に覆われている。
薄く赤みがかった黒髪に――その手に持つのは、白銀の剣。
「――ッ!?」
やばい。
やばいやばいやばいやばい。
コイツは、やばい。
そう感じた次の瞬間、彼女の腹に衝撃が突き抜け、ガハッと口から鮮血が溢れた。
視界がブレる。吹き飛ばされていると感じた彼女は咄嗟にレイピアを地面へと差し込んで勢いを殺したが、顔をあげれば今の一瞬で十数メートルの距離が離されていた。
「……早い。そして、強い」
その影へと視線を向ける。
召喚されたのが『人』であれば、それは影、つまりはコピーとして呼び出される。
けれどもその実力は『本物』であり。
「――召喚『擬似・ギン=クラッシュベル』」
そこに召喚されていたのは紛れもなく、奈落にて出会った、ギン=クラッシュベルという男の『模倣品』であった。
☆☆☆
その姿には、その名前に、アザゼルは獰猛に笑った。
「く、くくく……、来た。やっと、マトモに戦えるのが、来た……!」
求めに求めていた、自らに攻撃を与えられる化物。
その姿にはアザゼルは恍惚にも似た表情を浮かべ、腹に叩き込まれた拳の後へと指を添える。
「よかった、つまらなそうだからって殺さなくて。生かしておいたから、この強敵と出会えた……!」
彼女は一直線に駆け出す。
先程までと何も変わらぬただの突き。
それを見ていた誰もがそう感じたが――次の瞬間、彼女の腰元から一対の翼が召喚された。
「な……!?」
紅蓮の炎を纏った、真紅の翼。
それが召喚されたと同時に彼女の速度が数段階上昇し、召喚されたギンは小さく目を見開いてその突きをシルズオーバーにて受け止める。
――つもりだった。
「……ッ!」
驚いたような気配がして見れば、レイピアはギンの胸へと突き立てられており、それを見た凛は大きく目を見開いた。
「に、兄さんが……」
「ちょ、な、何なんすかあの女の人! 模倣とはいえ銀さんっすよ! なんで攻撃打ち込めてるんすか……!」
神殺しのラーヴァナは神にも悪魔にも殺されない体を。
無敗のバルベリスは絶対的な槍と気の力を。
そして、彼女、アザゼルは――
「我が真名、贖罪のアザゼル。我が力は『未来視』。自ら全ての未来を体感し、選択し、それに則って罰を執行する。必ず相手に、その命を以て贖罪させる」
攻撃を受ける未来も、自分が死ぬ未来すらも実際に体験し、その抜け道を探し出す。最も良い道を探し出してその道を突き進む。
それでもなお攻撃を当ててくる。最善の行動をとってもなお攻撃を加えてくる――彼女曰く『化物』。
それが目の前に出てきて初めて彼女の心に火が灯る。
相手に勝ってみたいと、悪魔特有の『欲』が出る。
「――嗚呼、お前はどんな罪を背負っているのだろうか」
瞬間、ギンの体が紅蓮の炎に包まれた。
その危険性にも咄嗟に彼女から離れたギンではあれど、その体からは今も尚煙が立ち上っている。
「私は贖罪させてやりたい、この世界の全てに、この世界の全ての罪を背負う者達に。自らの罪を教え、自ら罪を後悔させ、行動ではなくその命を以て贖罪させてやりたい」
その瞳には狂気が宿っていた。
何を彼女をここまで狂わせたのか。
神々によって大切な人を奪われたのか、それとも他の何かがあったのか。
それは彼女以外知る由もないことではあるが。
「さぁ、贖罪を始めよう……!」
その狂気を見て、誰もが思った。
この悪魔は、想定してたよりずっと強い、と。
アザゼルも一筋縄じゃいきません。




