焔―051 死神
それらの面子を前に、ラーヴァナは体が震えるのを感じていた。
恐怖? いや違う。
この感覚は――そう。
「武者震い」
瞬間、ラーヴァナの体から膨大な威圧感が吹き荒れる。
爆風を伴うその威圧感に、膨れ上がった奴の肉体に、七人は思わず眉をしかめたが、けれども怯えたような様子は見えない。
「三人とも、そろそろこの戦場は決着つくでしょうから、人類のお手伝いしてあげなさい。ここは私たちでなんとか出来るわ」
「……準備は、完了したのですか?」
リーシャの声に、ガイアがそう問いかける。
――準備。
その言葉にフッと笑ったリーシャは、荒れ狂う赤い影を振り返って、どこか誇らしげに髪を払った。
「問題ないわ。だって私の息子だもの」
「……そう、ですか」
どこか安堵したようにガイアがそう息を吐くと、ぬっと現れたオーディンとトールが彼らへ向かって声をかける。
「おい主ら、我らは負けた訳では無いからな」
「そうだぜ、神に殺されないとかいうくそチート持ってるから勝たなかっただけで、負けてもねぇからな」
負けん気の強い二人にガイアは思わず苦笑してしまうが、二人の視線を受けた獣王はガハハと笑った。
「別にお主らを弱いなどとは思っとらんさ。ただ、その場に見合った者がその場を対処する。それが世の常であろうよ」
その言葉に満足したのか、オーディンとトールはうむと頷き戦場のほうへと駆けて行ってしまい、それを見たガイアは疲れたようにこめかみに手を添えた。
「申し訳ありません。若干数名、最高神には子供のような精神年齢の者が居りまして……」
「にはは! 分かっとるぞよ! そこら辺はカネクラより色々窺っているからの!」
グレイスはそう笑って死神の背中をばんっと叩いたが、ガイアが死神へと向ける視線はなんとも言えないものだった。
「……死神さん?」
「言われんでもわーってるよ! どうせ俺様が『神』だから、いても意味ねーぞ、って話だろ?」
その言葉に無言で返すガイアに、彼女はしっしと手を振った。
「問題ない」
たったそれだけの言葉。
けれどもその言葉に含まれていた自身は信用するに足るものであり、ガイアは小さく笑んで、頭を下げた。
「分かりました。それではあとはお願いします」
全てを作りし原初の二神。
その一柱に頭を下げられた彼らは、ふっと笑うと。
「――任せておけ」
七つの声が、重なった。
☆☆☆
その光景に、ラーヴァナは大きく笑って見せた。
「がははははははは! なるほど神にも悪魔にも殺せないなら人間を宛てがうかァ! 流石は我らを作りたもうた地母神ガイア! やることが違ェなおい!」
ガイアは既にオーディンとトールの方へと駆け出している。
そんな彼女の背中に、ラーヴァナは嘲笑を貼り付けて。
「神々が人間に押し付けて尻尾ォ巻いて逃げるたァ、こりゃァとんだ恥さらしだぜ! がははははははは!」
そう笑ったラーヴァナの――腕が切り落とされた。
「はははははは……はァ?」
「――口が過ぎますよ」
見ればいつの間にか自らの隣には一人の妖精族が佇んでおり、短剣に滴る血を降って落とした彼女――幻影の王エルザは、金色の瞳を苛立たしげに揺らしてそう告げた。
――いつの間に。
そんな感想を抱いたラーヴァナではあったが、口が過ぎるなどと今更そんなことを言われたところで、既に答えは決まってる。
「あァ!? なんで俺様が自分より弱ェ雑魚に気ィ使わねぇとなんねぇんだ――よォッ!」
エルザのいた場所へとラーヴァナの拳が振り落とされ、咄嗟に回避したエルザは切り落としたはずの左腕が振り落とされたことに目を見開いた。
「な……!」
「馬鹿かテメェら! 俺は『神にも悪魔にも殺されない』肉体を持ってんだよォ! テメェら人間が相手だったとしても、『神化』の力使ってんだろォ? なら神と同じじゃねぇか!」
ラーヴァナの真価。
それは神にも悪魔にも殺されない肉体そのもの。
しかもその効果範囲はかなり広く、神化スキルを使用した人間はもちろん、神の血が少しでも混じっていればその時点でその効果の範囲内へと入れることが出来る。
つまり彼を倒せるのは、神化スキルを用いていない人間、あるいは魔物だけなのだが、それにしたって難しい。
なにせ、神化スキルを使わない、ということは――
「神化スキル無しで、この俺のパワーに対抗できるかァ!? ハァッ!」
ラーヴァナの地面へと叩きつけた拳が大地を砕き、彼らの足元が大きくぐらついた。
「ぬぉっ!? こ、これまた厄介ぞよ……」
「厄介というレベルじゃないと思うがな――ッと!」
グレイスの言葉にそう返したドナルドは、アイテムボックスから取り出した巨大な大槌を大地へと叩きつける。
と途端に周囲一体の地面が『復元』し、割れたはずの大地が元通りへと戻っていく。
「……あァ?」
不機嫌そうに眉を寄せるとラーヴァナに、ドナルドは大槌を肩に担いで笑って見せた。
「『精霊王の加護槌』。精霊王、つまりは世界の加護を受けたこの大槌は、世界の自然を元に戻す力を持った特別仕様。純粋な戦闘力はないが、鍛冶の王様舐めるのはいただけんな」
ドナルドの言葉に青筋を浮かべたラーヴァナではあったが、猛スピードでこちらへと駆けてきた二つの塊に思わず目を見開いた。
「ガハハハハ! なんだこの高揚感は! のぅグレイス!」
「にはは! 多分こうしてこのメンバーで戦えている、ということに対してぞよ!」
真っ赤なオーラを纏った獣王レックスの拳。
そして、白い冷気を帯びたグレイスの拳。
それらがラーヴァナの両掌へとそれぞれ打ち込まれ、両腕を木っ端微塵に吹き飛ばす。
「が……!」
掌に打ち込み、腕すら吹っ飛ばした二人の馬鹿力にラーヴァナは限界まで目を見開いたが、すぐに二人の体へと何者かの魔力が付与されていることに気がついた。
その魔力の先を辿ると、後方にて杖を構えた金髪の女性――魔王ルナ・ロードへと繋がっており、その姿を見たラーヴァナは獰猛に笑い、二人を躱し、一気に駆け出した。
その速度は目を見張るものがあり、レックスとグレイスはガバッと後方を振り返り――ほぅ、と安堵の息を吐いた。
「――あら、私のこと忘れられてないかしら」
ガツンッ、と衝撃がラーヴァナの顎へと走り抜けた。
彼の巨体が上空へと浮かび上がり、声にならない悲鳴が漏れる。
「――っ、ば、ぁ……ッ!?」
一撃で顎が砕かれ、脳を揺さぶられ、ラーヴァナはふらふらと後退りながらその女へと視線を向ける。
腰まで伸びる白い髪に、天魔族の象徴たる蒼い瞳。
彼女はゴツンと拳を合わせると、スッと重心を落として拳を構えた。
「うーん、やっぱり禁呪をなんにも使えない、ってのは辛いかもしれないわね……。ま、魔法関連が使えないならそれはそれで、殴ればいいってだけでしょうけど」
時の歯車のリーダー、白神の王・リーシャ。
彼女を一言で表すとすれば――全美の天才。
何一つとして欠ける者のないパーフェクトな絶対超人。
魔法の才能をシルズオーバーに奪われた。なら溜め込んだ魔力を身体強化につかって、物理で殴ればいいじゃない。そんな言葉を素で言える異常人こそが、彼女なのだ。
此の母あって、此の子あり。
その狂気じみた化物加減は正しくあの化物の母親である。
「が、がが、ガハハハ、ガハハハハハハ!! あぁイイなぁ! 強ェなァおイィ! これだよコレ! この命のかかった高揚感ン! 殺されねぇと知っておきながら、それでも死ぬかもしれねぇと思う逆境ォ! これこそ俺の心を不死の呪いから解き放つ!」
ラーヴァナがそう吠えた。
彼の咆哮に待機がビリビリと震え、大地が揺れる。
そのあまりの威圧感にリーシャが頬を強ばらせ――その直後、目の前へと巨大な拳が迫っていた。
「な――、ぐぅっ!?」
咄嗟に両腕をあげて防御したものの、今の一撃で両腕の骨が折れ、内臓にまでダメージが入った。
大きく吹き飛ばされながらもなんとか体勢を整えると、同時に口からゴフッと鮮血が溢れる。
「リーシャ!」
「な、なに、この悪魔……」
駆け寄ってきたルナの回復魔法を受けながらも、高笑いを響かせるラーヴァナへと彼女は困惑の視線を向ける。
戦闘力が全く測れない。
勝てると思った次の瞬間には先程までよりも遥かに大きな速度で移動しており、威力も何もかも向上している。
その不可思議な光景に彼女は思わず拳を握りしめ――
「――アドレナリン、って奴だろ」
ふと、死神の声が響いた。
「み、ミコちゃん?」
「――アドレナリン。まぁ興奮したり緊張したり、そんな時に馬鹿溢れてくる不思議エネルギー、と思ってくれりゃあいい。んで、そのアドレナリンは痛みを麻痺させたり、体にかかってる制限を無意識に解除したりするわけで、そういうのが俗に『火事場の馬鹿力』なんて呼ばれてるわけだが――」
彼女はそう言いながらもリーシャの横を通り過ぎ、ラーヴァナの前へと歩いていく。
「コイツは『体質』だ。ラーヴァナって悪魔はアドレナリンが通常の数倍、数十倍の量が出るんだろうよ」
ただでさえ神々よりも上回るステータスを持ちながら。
少しでも興奮すれば火事場の馬鹿力を発揮し、さらに興奮状態へと陥ればさらなる境地へと達してしまう。
それがラーヴァナという悪魔であり、一度その境地へと足を踏み入れたラーヴァナを止めるのは大悪魔であっても至難の技だ。
けれど。
「が、大した問題じゃあねぇわな」
そう笑い飛ばした彼女は、スッと大鎌を構える。
「さて、時間だぜ神器・ルゥーイン」
彼女の言葉に応じて彼女の大鎌が輝き出す。
膨大な魔力が荒れ狂う中、彼女は口角を吊り上げる。
「我は死神。なればこそ、我は貴様に死を贈ろう」
瞬間、彼女の手にしていた大鎌が変貌する。
元々の形状から、一瞬にして死神が持つに相応しい、禍々しい黒鎌へと姿を変えた神器・ルゥーインは、漆黒の光を周囲へ振りまいている。
「あァ? おいおいィ! そんな棒っ切れ一つで俺を――」
そこまで言って、ラーヴァナは、ふと、視界から死神の姿が消えていることに気がついた。
「……あ?」
「神にも悪魔にも殺されねぇ、か。なるほどそりゃァすげぇ力だ。純粋に羨ましいと思うぜ?」
ふと、声が響く。
とっさにそれに反応しようとしたラーヴァナではあったが、けれどもソレを見て声が詰まった。
「な……」
視線を落とせば自らの頭上から股下にかけて、一筋の斬撃跡が刻まれている。そしてその傷にラーヴァナは、限界まで大きく目を見開いた。
「ま、まさか……ッ! て、テメェ!」
ラーヴァナは振り返る。
そこには肩に禍々しい鎌を担いだ『死神』の姿があり、彼女は小さく振り返ると、ふっと笑った。
「だが、一つだけ言っておこうか不死の男よ」
その言葉に、その姿に。
徐々に視界の歪み始めたラーヴァナは大きく脂汗を滲ませながら、ゴクリと喉を鳴らす。
けれどもそんな緊張も恐怖も、死の予感も。
全てひっくるめて一蹴した彼女は。
「――死神に、殺せねぇモンなんて存在しねぇ」
瞬間、ラーヴァナの体は縦に両断され、彼は神の手によって絶命した。




