焔―049 希望の光
バスの中でタバコ吸ってる馬鹿がいたので、作者もちょっぴり『フカシ』てみました
鈍い音が鳴り響き、アスタロトの体が大きく弾かれる。
彼女の口の端から赤い血が伝い、それを服の袖で拭った彼女は肺の中に溜まった思い空気をため息で吐き出した。
「全く……とんだ化物も居たもんですね」
顔を上げる。
視線の先には体中から蒸気を吹き上げるサタンの姿があり、今も尚膨れ上がっていくその威圧感にアスタの頬が引き攣った。
「なるほど……『憤怒の罪』、ですか」
サタンの唯一にして無二のスキル――憤怒の罪。
それは怒れば怒るほどに戦闘能力に補正がかかるというものであるが、けれども『怒る』というのは戦闘中に最も行ってはいけない愚行である。
怒れば思考が鈍り、判断を誤ってしまう。
変に力が入って体力を消耗し、最終的には隙をつかれてやられてしまうかもしれない。
故に『怒る』ということは戦闘中に行ってはいけない禁忌である。だが。
『グゥゥゥゥゥ……』
今のサタンを一言で表せば――野生の獣、と言った所だろう。
体中から蒸気が吹き上がり、口の端から煙が吹き上がる。
サタンの奥の手、それは理性すら飛ばす勢いで怒りを加速させ、一気に力を跳ねあげる、というものだ。
アルファ戦ですら行わなかった――否、行えなかったその奥の手は、今この瞬間においてならば迷うことなく発動できる。
何せここには――『邪魔をしてはいけない自らの主』が居ないのだから。
『アス、タロトォォォォッ!』
「くっ……!」
真っ赤な瞳を爛々と輝かせるサタンの拳がアスタロトの障壁にぶち当たる。
轟音が周囲へと鳴り響き――バキッ、と彼女の障壁に小さくヒビが入る。
その光景にアスタは思わず目を見開き、直後にサタンの拳が彼女の障壁を突き破り、彼女の腹に大きく突き刺さる。
「が……」
『ガァァァァァァァァッ!!』
口から大量の鮮血が吐き出され、彼女の体が大きく吹き飛ばされていく。
けれども何か柔らかいものに包まれるような感覚を覚えると同時にその勢いが大きく削られていく。
「く……、だ、大丈夫……じゃないみたいね」
「あ、アスモ……、さん」
見ればアスタの体を受け止めたアスモデウスは身体中に切り傷が走っており、血だらけの右腕は力なく下がっている。
――封印は。
咄嗟にそう問いただそうとして、けれども視界の隅に光の柱が映り込み、全てを察する。
「……あちゃあ。流石に大悪魔全員とやるのは無謀でしたか」
「誰よ最初に勝てるって言ったの……」
貴女でしょう、とアスタは言いかけて止める。
彼女自身も、勝てる可能性があると思ってこちらに付いた。けれども蓋を開けてみれば――
「これは、仕方ないと思いますけどね……」
視線の先には先程までよりも体の引き締まったサタンの姿があり、少しだけ縮んだ体に対して、体から発せられる威圧感はより大きなものへと変化している。
何が上位に立っていたアスタを追い詰めたのかと聞かれれば、単にサタンの戦闘力が予想以上だったことを挙げられるだろう。
「憤怒の罪……まともに発動させたところは見たことがなかったけれど――」
「理性すら吹っ飛ばすレベルでのブチ切れ、ですか。見た感じ暴走状態、狂化、とでも言うべきですかね……」
しかも『上限』がまだ見えないと来た。
これは本格的に逃亡も選択肢に入れなければならないだろう。けれど。
『逃がすとでも思ったか?』
ルシファーの声が響き、周囲へと視線を巡らせる。
見ればアスモデウスを押しのけて封印を解いたのだろう、他の大悪魔達がアスタとアスモデウスを囲むように包囲網を固めており、序盤と変わらぬ光景ではあれど、形勢はがらりと変わっていた。
――絶体絶命。
アスタは自らの魔力量を鑑みて苦笑すると、大きく息を吐き出した。
「……一つ聞きます。貴方達は、どんな犠牲を払ってでも人間という種族を――神々を滅ぼしたいと、本気でそう思っているんですか?」
その言葉に、五つの声が重なった。
『――無論』
その答えに迷いはなく、アスタは悲しく瞼を閉ざす。
『私は友を神に殺された』とバアルが呟き。
『僕は友の親が殺された』とベルフェゴールが憤慨し。
『俺は神々に陥れられた』とルシファーが肩を震わせ。
『私は両親が殺された』とレヴィアタンが怒りを燃やし。
『私は愛しい人を殺された』とベルゼブブが告げる。
『知っているでしょう、アスタロト。悪魔とは生まれながらにして【悪魔】と言うだけで神々に迫害され続けてきた不幸の体現者。最高神や上級神ならば説得だって聞いてくれるでしょうよ。けれど、それ以下のカスには意味がない。強くもない下級や中級の神の癖して、悪魔をみーんな下に見ている。迫害すべき対象だと見下している』
そう悲しそうに呟くベルゼブブではあったが、その瞳の奥には怒りの炎が轟々と燃えている。
『俺達は、二度と同じことを繰り返してはならんのだ。神々に心を許せば決まって手酷い裏切りを受ける。神とは俺すら超える傲慢の体現者よ、滅ぼす以外の手など無い』
『それとも何か。アスタロト。私たちに神々と、和解しろとでも?』
ルシファーとレヴィアタンがそう続け、五つの視線を受けたアスタはふっと力ない笑みを浮かべた。
「――無理、ですね。どーせ和解って言っても貴方達は『上級神以下全員の抹殺』とか条件にしそーですし。人類にしても『神々なぞを信仰している創造物が存在していいはずがない』とかでしょう?」
そう言って手をふらふらと振ったアスタ。
けれども彼女はスッと瞼を細め、赤い眼光を煌めかせる。
「――が、現実逃避もいいところですね」
彼女の体から膨大な魔力が吹き上がる中、アスタは淡々と言葉を紡いでいく。
「創造物、ですか。知ってましたか? 原初の原初、もうなんッにもない最初のころ。世界には創造神エウラスと地母神ガイアしか存在していなかった。それはつまり――悪魔もまた、人間と同じ創造物、って話なんですよ」
――そんな皆さんにこう告げましょう
そう続けた彼女は眉尻を吊り上げ、両手で合掌する。
「――馬ッッ鹿じゃないんですか? なーにが和解交渉も何もせずに『同じ失敗は繰り返せないー』ですか。本当に後世の事考えてんなら、ちったぁ私怨を押し込めて、子供たちのために頑張ったらどうなんですか! あァ?」
魔力が爆発したように膨れ上がり、彼女の右指に嵌め込まれていた宝石付きの指輪が眩いほどに煌めき始める。
「――禁呪『魔層封印』ッ」
瞬間、彼女の周囲へと都合五つの黒い魔力球が浮かび上がり、額に玉の汗を浮かべた彼女は息を切らして両腕を下げる。
「……どいつもこいつも、本ッ当に子供ばっかりですね。ギルって人もアンタらも、所詮は私怨、気に入らねぇから壊すってだけでしょうよ。その後のことはなーんにも考えてない。残された人の気持ちは論外とでも言いたいんですか?」
そう嘲笑ったアスタは大きく瞳を見開くと。
彼女の言葉に硬直する大悪魔達へと、全く同じセリフをぶちまけた。
「何度でも言いましょう、馬ッ鹿じゃねーの、とね!」
瞬間、ふわふわと浮いていた五つの球体がそれぞれベルゼブブ、レヴィアタン、ルシファー、ベルフェゴール、バアルの五人へと向かっていき、やっと目が覚めた様子の彼らは『禁呪』と、アスタが告げたその力に危機感をビリビリと感じ取った。
『く……ッ!』
ある者は躱そうと動き出し。
ある者は迎撃しようと攻撃を繰り出す。
けれどもそれら五つの球体は、まるで自我があるかのようにそれらを躱し、追尾し、目を見開く五人の身体へと吸い込まれて行く。
途端に根源化した五人の体が光へと変化されていき、直後には巨大な光の塊へと姿を変える。
――禁呪・魔層封印。
それを一言で表せば、迷宮を作る能力、となるだろうか。
魔力によって生み出した『迷宮核』を対象へと打ち込み、その対象を作り上げた迷宮の最奥へと無理やり封印するという能力。しかしながらその相手が強大であればあるほどに魔力と集中力が必要となり、魔力量に長けた超一流の魔法使いでさえSランクの魔物一体を送り込み、数階層の迷宮を作る程度しかできないだろう。
けれど、今回アスタが封印するのは強化された大悪魔達、合計五体。
加えて迷宮の階層数は――
「地下深い迷宮の底で頭を冷やしてくることですね! 東西南北、中央にて封印するッ! 我が作りし其の階層ら、いずれも総て、五十階層ッ!」
アスタが叫び、それら五つの球体が大陸の東西南北、そして中央に位置するエルメス王国の方へと向かっていく。
既に仕込みは完了、いずれも不可なく封印されることだろう。
問題は……。
「さて、と。これで大悪魔達はとりあえずリタイア、ってことですが……」
そう言ってアスタは視線を前へと戻す。
そこには『触れれば不味い』と直感していたのか、その場から一歩も動かず、真っ赤な瞳を獰猛に輝かせるサタンの姿があり、彼から感じるあまりの威圧感にアスタの喉の奥から乾いた笑みが漏れてくる。
「……どうしたもんでしょうかね。封印のオブジェの近くは万が一のために転移不能の結界が貼られてるっぽいですし、……今ので魔力、結構持っていかれましたし」
言いながらもアスタは右手へと視線を落とす。
魔力を流そうとすれば腕がバチッと弾かれる感覚がある。
――魔法の使用過多。
自身の体が高位の魔法やそれに値する禁呪を使用し続けたせいで悲鳴をあげている。その事実に力なく笑ったアスタの前に、左手で剣を構えたアスモデウスが踏み出した。
「……時間を稼ぐ、早く逃げなさい」
「な――!? ば、馬鹿な事言わないでくださいよアスモさん!」
あのアスモデウスが口にしたとは思えない言葉に、アスタは目を見開いてそう怒鳴り返す。
けれどもアスモデウスの頬には優しげな笑みが浮かんでおり、その表情にアスタはハッと息を引き切った。
「……アルファが死んで、結局悪魔側からも神側からも疎まれる存在になった私を救ってくれたのは、貴女でしょう、アスタロト。今回の神魔大戦に参加することを条件に私の身の保証を約束させた」
「……」
まるで全て見通しているようなアスモデウスの言葉にアスタは思わず沈黙してしまい、その沈黙という答えにアスモデウスは満足げに微笑んだ。
「……ま、いいんじゃないかしら? 私はずーっと誰かを従える女王様だったからね。最期くらいは誰かのために生きてみたいじゃない?」
その言葉と同時に、拳を構えていたサタンが駆け出した。
それを見たアスモデウスが、笑ってアスタを突き飛ばす。元々近距離戦に関しては専門外だったアスタはいとも簡単に吹き飛ばされてしまい、その刹那、目を見開いてアスモデウスを見つめてしまう。
そこには優しげに、そして泣きそうに笑うアスモデウスの姿があり――
「ごめんねアスタ。私はここまでみたい」
その言葉に、アスタの瞳に涙が溜まった。
視線の先では、アスモデウスの目の前まで駆け寄ったサタンが拳を振りかぶっており、その目の前で、アスモデウスはぎゅっと剣を握りしめる。
そして――
「――あァ? 何やってんだテメェら」
拳が、アスモデウスを襲う直前、その刹那。
紫色の何かが、二人の間に割り込んだ。
その紫色の何か――否、紫色のマントを羽織ったその男は、片手てサタンの拳を受け止め、もう片方の手でアスモデウスの剣を受け止める。
「な――」
それにはアスタも愕然と目を見開き、怒りの中にいたサタンでさえも一瞬で目が覚める。
咄嗟に拳を握る。けれども思考より先にサタンの本能の部分が危険を感じてしまい、体が勝手に後方へと飛び退る。
「き、貴様は……ッ!?」
「よォ、久しぶりじゃねぇかクソ悪魔」
そこに居たのは、一人の男。
紫色のマントを風になびかせ、紫がかった白髪を面倒くさそうにかきあげている。
見知った顔、けれど強さも威圧感も以前とは比較にならず、サタンは拳を握りしめ、その男の名を口にした。
「――戦神王、アルファ……!」
戦神王アルファ。
なぜ殺したはずのその男がここにいるのか。
歯を食いしばり、ギッとアルファを睨み据えたサタンに対し、アルファはふらふらと手を振って見せた。
「悪ぃな、あのクソが『いや今の僕らが出てっても何の解決にもなんないじゃん。何お前馬鹿なの?』とか言いやがったから黙ってた訳だが、とうとう俺にも許可が降りた。てなわけでリベンジマッチだ、クソ悪魔」
「……なに?」
アルファの言葉に――否、その一人称に、サタンの脳裏に嫌な予感が通り過ぎる。
冷や汗が頬を流れ、得体の知れない恐怖に肩が震える。
――二人、忘れてる。
先程、戦闘が始まる前、アスモデウスが告げた言葉が頭に浮かび、サタンの中でその嫌な予感がさらに大きなものへと変貌する。
「ま、まさか――!?」
「そう、そのまさか、ってやつだ」
そう告げたアルファの顔にはなんとも言えない笑みが浮かんでいた。
「なんだっけか。あの馬鹿からお前ら宛に伝言があるぜ」
顎に手を当てたアルファはそう口を開くと、思い出すようにしてこう切り出した。
「たしか――」
☆☆☆
剣が目の前へと迫り、オウカは咄嗟に瞼を閉ざす。
ガッ、と鈍い音が響き、自分の死を覚悟した彼女ではあれど、何故かいつまで経っても襲ってこないその痛みに、小さく眉根を寄せてしまう。
(い、一体、何が……)
心の中でそう呟き――その直後、傷を負った腹部に感じた『暖かさ』に、思わず目を見開いて視線を落とす。
そこには『銀色』の光が集っており、腹部に穿たれた傷を優しく回復させている。
その光景に限界まで目を見開き、ふと、目の前に誰かが立っていることに気がついた。
「――ッ!?」
確信にも似た一種の予感に、彼女は勢いよく顔を上げる。
そこ居たのは、黒い鎧の男だった。
顔を覆い尽くすヘルムの後頭部からは長いピンク色の髪が伸びており、彼はオウカの頭蓋へと迫っていた剣を篭手で受け止めていた。
「あ、貴方は……」
その言葉に、その黒鎧の男は小さくオウカへと視線を向ける。
ヘルムの下から赤い瞳が彼女の瞳をのぞき込み――直後、剣を受け止められた悪魔がキッと目を見開いた。
「チッ! 行くよアンタら! まず最初にこの木偶の坊をぶっ殺す!」
その声に、倒れていた少年の悪魔、そして大柄の戒神衆が動き出す。
黒鎧はスッ、とオウカの前へと進み出ると、右腕で一の太刀を受け止め、左腕で二の太刀を受け止め、そして三の太刀を頭でしっかりと受け止める。
そして――パキリと、その鎧へとヒビが入った。
「――さて、と。そろそろこの鎧も要らないかな」
ふと、懐かしい声が響く。
鎧全体へとヒビが走り抜け、端から徐々に崩れ落ちていく。
バサリ、とピンク色のカツラが地面へと落ち、その先から黒い髪が現れる。
「……っ、あ、ぁ……」
その後ろ姿に、オウカの瞳から涙が零れ落ちた。
漆黒のコートに、風になびく闇のような黒い髪。
彼はヘルムへとくい込んだ剣を素手で掴みあげると――バキリと、刀身を握り潰す。
愕然と目を見開く悪魔達を他所にツーっと指を動かすと、周囲に立っていた三人の悪魔が一瞬で地面へと縛り付けられる。
「が……、こ、これは……!」
三人の体を縛り付けるのは、地面より伸びた赤い物体。
――それは他でもない、影だった。
「いやはや、僕が居留守をしている間に随分と世界も変わったものだけど」
すっと伸ばした男の手に、一振りの杖が生み出される。
頭に一対の翼が飾られた金色の杖。
男はそれを握りしめ――トンッ、と石突で地面を叩く。
――その瞬間、世界が変わった。
灰色だった空は蒼く色付き、果てしなく続く草原には若草色が広がっていく。
その変化に、その圧倒的な存在感に。
そこに居た誰もがその男を振り返り、目を見開いた。
「「「「「なぁぁっ!?」」」」」
それらの驚きの声を聞き流し、それらの視線さえも軽く受け流して見せたその男は、フッと口の端を吊り上げて。
「誰も『生き返ってない』とは言ってない、ってな」
その男――執行者、ギン=クラッシュベルは。
なんでもないといったふうに、そう言ってのけた。




