焔―046 神殺しのラーヴァナ
何をどういう順番で書けばいいのか、ものすごく悩む。
「唸れッ、グングニールッ!」
ダダダダダダダッ、と蒼い槍がその巨体を抉り、穿ち、大小様々な『穴』を開けていく。
けれどもそれらの穴は空いたそばから修復していき、がはははは、と嘲た笑い声が響き渡る。
「嗚呼、痒い痒い! 大きな蝿が俺様の体に集っているわ!」
轟ッ、とラーヴァナの剛腕がオーディンへ向けて振り落とされるが、直後に割り込んできたトールがミョルニルを大きく振りかぶる。
「さっどっせぇぇぇぇぇいっッ!!」
バチィッと雷が鳴り響き、ラーヴァナの剛腕が大きく後方へと弾かれる。
目を剥き、大きく体を仰け反らせたラーヴァナへと大地を食い破って現れた無数の木のつるが絡み付き、直後にオーディンが大きく飛び上がる。
「唸れ筋肉、穿て我が槍! 我が前に立ちはだかりし全てを尽く貫き給え!」
蒼い槍から大きな魔力が吹き上がる。
神々始まって以来の大馬鹿者。
ヤンチャな神狼に腕を食い破られ、魔法を暴発させて片目を失い、それでもなお気にすることなく前に進み続けた賢者にして偉大なる戦士、風の神オーディン。
蒼い風が槍に巻き付き――次の瞬間。
構えたオーディンの肩がブレ、そこから勢いよく投擲された神槍が寸分違わずラーヴァナの眉間を貫いた。
「いよっしッ!」
「なーにが良しだ、全然良くなかろうが……」
地上へと降り立ってガッツポーズをするオーディンに、疲れたようなトールがそう返す。
見れば眉間を穿たれたはずのラーヴァナはにたりと気味の悪い笑みを浮かべており、肉体が逆再生するかのように回復していく。
その様――正しく不死身。
「心の臓を穿とうと、頭蓋の芯を寸分違わず貫こうと、次の瞬間には何も無かったようにたっている。……今回は単純に突っ込んでいって終わり、というわけには行きそうにないな」
「そうですね。トール、貴方まで脳筋にならないでくださいね」
オーディンをただの脳筋と呼ぶならば、雷神トールは『賢い脳筋』となるだろう。
幼少期から教養を積んできた彼はそれなりの知性や頭脳を誇りながら、それでも『純粋な力こそすべて』という結論に落ち着いた。故に賢い脳筋。攻める一辺倒にならない厄介な脳筋。それこそが雷の神トールである。
「……さて、どうしたものでしょうか」
ふっと、困ったように眉根を寄せたガイアの言葉に、ラーヴァナが大きく声を張り上げた。
「がははははははは! おいおい神々、何やら策があるのかと思っていたが、まさか神に殺されぬ俺様に真正面から挑んでくるとはなァ! がはは、はははははははは! 貴様ら俺様を笑い殺すつもりか!」
「そうしてくれれば助かるのですが」
言いながらガイアは両手を掲げると、彼女の背後から巨大なゴーレムが現れる。
全長十メートル近いゴーレムが、一体二体、三体、五体、十体、まだまだ増えていく。
土魔法の使い手が見れば卒倒してしまいそうなほどに馬鹿げたその力に、ラーヴァナでさえ眉尻を吊り上げた。
「ほぉゥ? なかなか面白そうなモン持ってんじゃねぇか」
にたりと笑ったラーヴァナの筋肉か一気に膨張し、彼の体を縛り付けていた木のつるを一瞬にして破裂していく。
見れば彼の体からは蒸気が吹き出しており、先程よりもさらに大きく膨れ上がった威圧感に三人の頬が強ばる。
「さァて! そんじゃあ一丁、神殺しの名に恥じぬよう、最高神でもぶっ殺してくっかねェッ!」
そう興奮の混じった声を上げたラーヴァナが地面を蹴ると同時に、その地面が爆発したように陥没する。
見れば彼の姿はトールの目の前にまで現れており、先程までとは比べ物にならないその速度に、思わずトールは目を開いた。
「ば――」
「遅ぇ、遅ぇ、遅ェッ!」
咄嗟にミョルニルを構えたトールの身体にラーヴァナの巨大な拳が突き刺さり、彼の姿がまるで蹴られた石ころのように勢いよく吹き飛んでいく。
「トール!? ……クッ、進行せよ『大地の代行者』ッ!」
ガイアの召喚した無数のゴーレム達が一斉に進行を開始し、それを見たオーディンがすぐさまトールの元へと駆け出した。
「ヌはははははは! 大事ないかトールよ!」
「く……、なんとまぁ、馬鹿力なこって……」
見ればトールの右腕は有り得ない方向へとへし折れており、額からは真っ赤な鮮血が溢れ出している。
ミョルニルでの防御が間に合っていなければ即死。その事実に小さく呻いたオーディンは、スッとトールへと手をかざす。
「全てを癒せ我が筋肉、『エクストラヒール』」
これまた奇妙な詠唱から繰り出された最上位回復魔法ではあったが、オーディンは賢者としても超一流の腕を持つ。トールの傷は一瞬にして治癒し、相も変わらぬ魔力操作の緻密さにトールは思わず下を巻く。
「これで筋肉筋肉うるさくなければな……」
「ふっ、我から筋肉を取れば骨しか残らんぞ」
珍しく落ち着いたオーディンの様子に苦笑すると、立ち上がってゴーレム相手に無双を行っているラーヴァナへと視線を向ける。
「今回ばかりは、お前も楽観視は出来ないか? オーディンよ」
「なに。今の我らには荷が重い、と言うだけの話よ。勝てずとも足止めは出来る。それに――」
そう続けたオーディンの大胸筋がピクリと跳ね上がり、腕が震え、体中の筋肉が歓喜に声を上げている。
それを実感してふっと笑ったオーディンは、片手を胸へと当てて、自信満々にこう言ってのけた。
「――そろそろ
来る頃合だぞ」
その言葉に、トールは思わず目を見開いた。
「……なに? もうそんな時間か?」
「いや、まだ予定より数時間早い。が、あの御仁ならやってのけるだろうさ。彼の筋肉をこの目で見た我だからこそ分かる」
それに。
そう続けたオーディンの横顔をチラリと見たトールは、いつになく楽しげに笑っている彼の顔を見て、思わず目を見開いた。
いつもは筋肉のことか魔法のことしか頭にない馬鹿ではあるが、ごく稀にこう言った表情を浮かべる時がある。
まるで少年のような、純粋に何かを楽しみにしているような表情、普段の彼とはかけ離れたシンプルな表情だ。
「――あの御仁が、予想通りに動いたことがあったのか?」
その言葉に、トールは思わず吹き出した。
「ガははッ! 確かに、確かに『ない』! 日常生活こそ知らぬが『予想通り』や『常識の範囲内で動く』という言の葉の天敵! なるほど今回もやってくれるか!」
「正確には『やらかしてくれる』が正しいのかもしれんがな」
そんな言葉が響き、直後にガイアが二人の元へとたどり着く。
「……何を笑っているのですか? 見た感じ笑える状況ではないと思うのですが」
「いやなに――」
そう返したオーディンはラーヴァナへと視線を向ける。
見れば最後のゴーレムを倒したラーヴァナがオーディンたちのことを睨み付けており、その姿に、その威圧感に、オーディンは獰猛に笑って見せた。
「――久方ぶりの『格上』。これを前にして燃えぬ男がどこにいるというのだ」
彼の体から膨大な魔力が吹き上がる。
――本気。
そう察したトールとガイアは思わず苦笑し、トールはミョルニルを、ガイアはその手を構える。
「はぁ、消耗が無ければもっと楽だったのですが」
「ガはは! 言い訳はよす事だなガイア! そんな言い訳を盾に敗北していては男が廃る! 真正面から当たり、ぶちのめして初めて漢というものだ!」
「いや、私女なので分かりませんが」
ガイアが疲れたようにそう返すが、ここに言葉を返してくれる存在など居やしない。
「がははははははははは! やっとやる気になったか神々ィ! さぁ来い! この俺様を楽しませてみろォッ!」
ラーヴァナの咆哮が響き、オーディンが口角を吊り上げる。
「さて我が筋肉たちよ。これが終われば肉を食おう、休み、回復し、また強くなろう。そのためにも――」
オーディンは、スッと槍を構える。
槍の切っ先から青い魔力が吹き上がり、周囲の草木を揺らしてゆく中、オーディンは大きく息を吸い込むと。
「さぁ筋肉たちよ! この『今』を楽しもう!」
かくしてオーディン、トール、ガイアの三柱と、神殺しのラーヴァナの戦闘は熾烈を極めるのであった。
☆☆☆
「んで、状態はどんなんだ?」
――森の中。
ぶっきらぼうな声が響き、その声に小さな苦笑が返ってくる。
「どう思う?」
「あ? どうって――」
一瞬悩んだようなその声だったが、すぐに喜色を纏って答えを返す。
「――絶好調、って奴だろどう見ても」
「正解」
短く返したその男は、スッと右腕へと視線を落とす。
「そういうお前も、かなりキてると思うけど」
「ったりめェだろこの野郎」
その声の主はフンと鼻を鳴らすと、ふらふらと手を振ってその場から立ち去っていく。
「んじゃ、そろそろ俺は出るぜ。決着付けなきゃなんねぇクソがいるんでな」
「……」
何も返さない。
けれど男の手はすぐ近くに置いてあった黒いヘルムへと伸びており、それをかぶり直した男はガシャリと音を鳴らして立ち上がる。
「さて、と」
振り返る。
そこには懐かしい顔に、新しい顔に、色々な面々が揃っていた。
その先には無数の人からなる軍勢が控えており、黒髪に黒コート、というふざけた格好に思わずため息が漏れる。
けれども、それでも仮面の下で笑って見せたその男は。
「――さて、そろそろ僕らも出るとしよう」




