焔―036 神魔大戦
多分(作者の技量的に)一番辛い章になるんじゃないかというこの章です。
内容的にもしかしたら18:00の投稿に間に合わない日が来るかも知れませんが、その日中には出しますのでご了承ください。
――時は来た。
そう瞼を開いた彼の目の前に広がっていたのは、総勢千体にも及ぶ戒神衆と、その他大勢の歴戦の悪魔達。
そして、数体の大悪魔。
「さて諸君。今日、この日から、世界滅亡は加速し始める。初めにあの星を燃やし尽くし、神々を屠り尽くして悠々と次の星を滅ぼしに向かう」
その淡々とした言葉に悪魔達がゴクリと喉を鳴らし、明らかになったその素顔にサタンがしかめっ面を浮かべ、メフィストフェレスがくつくつと笑みを漏らす。
「初めに言っておこう。今、あの星での戦いが最も熾烈を極めるものとなるだろう。今隣に立っている者は次の瞬間には死ぬやもしれん。大悪魔とて例外ではなく、気を抜けば俺とて死にかねんだろう」
その言葉に大きくざわめきだす悪魔達ではあったが、フッと、妙に響く笑みが耳を打ち、それらのざわめきも形を潜める。
見れば玉座に座り込むその男――白髪に赤い右眼、そして黒く染まった左の瞳を持つギルはスッと立ち上がり、大きく息を吸いこみ、声を張り上げた。
「聞け悪魔共! 俺は悪魔ではない! が、神々を、この世界を討ち滅ぼさんとする意志はここにある。世界に絶望したどす黒い感情が胸の内で蠕動している!」
ぐっと胸へと叩きつけられたその拳が鈍い音を鳴らし、その瞳に宿った飛びっきりの狂気に誰もが寒気にも似た感覚を覚えてしまう。
「十秒瞼を閉ざそう。罪は問わん、死を覚悟して世界に仇なす覚悟がない者は疾くこの場より去れ。家族がいる者、愛すべき者がいる者。なんでも良い、まだこの世界に『未練』があるものは、俺が見ていぬ内にこの場から去れ」
ギルはそう告げると、スッと両の瞼を閉ざす。
彼は知っていた。友を亡くす悲しみを。
彼は分かっていた。置いていかれた者達の気持ちを。
故に、それを踏みにじってここまで来たが故に、彼は最後に恩赦をかけた。
戦いたくない者がいれば逃げてもいい。
それは酷く甘い言葉だ。
家族がいる。愛すべき者達がいる。
ならば戦うべきじゃない。自分と同じ地獄まで落ちなくてもいいんだ。
そう心の内で呟いて、彼は瞼を開く。
さて、一体どれだけの人数が減っているか。
そう考えていたギルは――フッと、その光景に吹き出してしまう。
「――全く、全員居るとはどんな了見だ」
誰一人として欠けず、どころか覚悟の炎をその瞳に宿した彼らの姿に彼は苦笑混じりに額に手を当てると、どこからか重苦しい声が聞こえてくる。
「……ふん、今更何を抜かすかと思えば。悪魔を舐めるなよ若造が。貴様のような新入りの覚悟が決まっていて、俺たちに悪魔の精鋭達の覚悟が決まっていないはずもない」
「……サタン」
見ればかつて相対した強敵、サタンは腕を組みながら近くの壁に背中を預けており、彼はスッと瞼を開き、ギルの姿を睨み付けるようにして見据え直した。
「他は知らぬが、俺が忠誠を誓ったのは混沌様だ。貴様のような若造の下には付かぬし、本来ならばその玉座に座っている貴様を八つ裂きにしてしまいたいところだが――」
そう淡々と告げた彼は、けれどもフッと笑むと、獰猛に赤い瞳を煌めかせて腕を解いた。
「悪魔とは全てを受け入れる者達の総称だ。悪魔だろうが人だろうが、かつての敵であろうが、貴様は既に我らが同胞。そしてそんな貴様に混沌様は留守を預けた」
――なれば。
そうサタンが続けると同時に、その場に立っていた全ての悪魔達がその場に跪き、握り拳を胸へと叩きつける。
一部の狂いもなく揃ったその動きにギルは大きく目を見開き、サタンを見やる。
見れば彼は笑って拳を掲げており、その姿にギルも釣られて笑ってしまう。
「やっぱりお前ら、馬鹿ばっかりだよ」
「貴様に言われたくないな、かつての敵よ」
ふっとサタンの目の前に現れたギルが拳を握り、サタンの拳へとゴツンと合わせる。
その光景にメフィストがくつくつと笑う。
ベルゼブブがニタニタと笑い、
レヴィアタンが小さく微笑む。
ルシファーが不機嫌そうにしながらも獰猛に笑い、
ベルフェゴールが楽しげに頬を緩め、
憔悴した様子のバアルが力なく笑みを零す。
おおよそ二名ほど足りない大悪魔達に加え、いつ覚めるともしれない眠りについたままの悪魔の頭領。
全く不完全にも程があるが――
「――いいね、負ける気がしない」
彼は、かつてのように口の端を吊り上げる。
もはや彼にかつての仲間はいない。
仲間達は彼のことを既に知っているだろう。知って、失望して、絶望して、悲しんで……もう、あの場所に彼の居場所はきっと無くなっている。
けれど……いや、だからこそ、
新たな『仲間』達の姿に、その覚悟に。
彼はやはりと確信する。
「やっぱり、正義は此処にある」
全ての人々を守る正義の味方。
そんなのは幻想だ。それが人であり、意思がある以上全ての人を守るなど不可能であり、世界平和など中途半端に力のある者が語る夢物語に過ぎない。
世界というのは、多くの人々の絶望の上に一握りの人々の幸せを生み出す『不平等』の体現体だ。
決して釣り合うことなどありはしない。
傲慢にも世界平和を嘯いた愚か者が全てを為したつもりで自己満足を謳歌し、その影でその愚か者の知らぬ人間が何人も死んでゆく。
そんな世界など――果たして存続する価値などあるのだろうか。
その答えはきっと否だ。
存続する価値などどこにもない。
ただひたすらに多くの不幸と小さな幸せを生み出すクソッタレたクズ機構が『世界』なのだとしたら。
彼はフッと笑うと、傲慢に口を開いた。
「俺の仲間の幸せのために、他の全てには犠牲になってもらう他あるまいさ」
さすればもう不幸など生まれない。
悪魔達は全ての復讐をなして満足し。
かつての仲間達は、全ての悲しみが消えた世界で生き続ける。
そこに幸せがあるかどうかは分からない。
少なくとも、彼自身の幸せなんてどこにもないだろう。
けれど。
「ここまで足掻いた――なれば、幸せになってもらわなきゃ嘘ってもんだ」
その世界に何を見出し、どんな幸せを掴むのかは彼女達に一切合切任せるとして。
今の自分に出来ることは、この胸の内に灯った正義の炎を信じて突き進むこと。
大悪魔たちが横一列に整列し、背後の悪魔達が一斉に立ち上がる。
その光景を眺めて口の端を吊り上げたギルは、ぐっと握りしめた拳を大きく突き上げる。
その姿は先導者か、偽善者か、あるいはただの狂人か。
どうだっていい。
彼はただ、その正義を貫き通すだけだ。
「――これより、正義を執行する」
最終決戦の幕開けを宣言するように。
悪魔達の覚悟の咆哮が轟いた。
☆☆☆
そこは、エルメス王国西武に位置する、森国ウルスタン手前の草原だった。
その草原には数多くの人々の姿があり、エルメス王国、グランズ帝国、魔国ヘルズヘイム、雪国ホワイトベル、岩国バラグリム、和の国、農国ガーネット、砂国ロドルム、そして竜国ドラグラムの、計九国からなる騎士団及び、冒険者たちの姿があり、彼らの瞳には今に始まる巨大な大戦に向けての興奮が映っていた。
「……他の神々は、いかがしたのですか?」
エルメス王国の元国王、エルグリッドの声が響き、咄嗟に周囲を見渡した鳳凰院真紀子が「確かに」と声を漏らす。
「ここまで大きな戦いですし、それなりの神々が参戦するものと思っていたのですが、一体どうしたことでしょう?」
心底不思議そうにそう問いかけた先には、赤髪オールバックの筋肉の塊が佇んでおり、その神――軍神テュールはガシガシとなんとも言えない表情で頭をかいた。
「……うむ。詳細は言うことは出来ぬが、少々こちらで奥の手を用意しておってな。その準備で上級神以下の多くの神々が床に伏せ、流石に無人にするのもアレだろう、と。ハデスが神界に残りっておるな。他の神々は……ふむ、どうやら来たようだな」
そう言って視線を近くの空間へと移動させると、パカリと空間が裂け、その中から巨大な威圧感をその身にまとった完全装備の神々が姿を現す。
青い羽衣に身を包んだポニーテールの青髪少女――海皇神ポセイドン。
黒い革鎧に身を包んだ紫髪ボブカットの少女――狡知神ロキ。
白い羽衣に身を包んだ白いヒゲが特徴的な老人――創造神エウラス。
隻腕に隻眼。眼帯と腰布だけの姿が異彩を放って青髪の壮年――風神オーディン。
巨大なハンマーを方に担ぎ、金色の鎧に身を包んだ金髪の壮年――雷神トール。
緑色の羽衣に身を包み、風に若草色の髪を揺らす物静かな女性――地母神ガイア。
そして、赤髪をオールバックに固め、じっと遠くを見据える筋肉の塊――軍神テュール。
計七柱の最高神が姿を現し、それらを遠目に見ていた冒険者たちや騎士たちがにわかに騒ぎ出す。
対して彼らは周囲を気にするでもなくテュールの方へと歩き出すが、ふと何かが気になったのか、キョロキョロと周囲を見渡した狡知神ロキがぽっと疑問を漏らした。
「あれっ? 私的にはもうちょっといると思ってたんだけど……人間側ってこれで全員?」
「あ、あぁ……、その、すいません」
エルグリッドはなんとも言えない声を漏らしてとりあえず謝ると、視線の先に見えるエルフの森を見つめて口を開いた。
「森国と港国の二つですが、どうやらギン=クラッシュベルが死んだことでとてつもない大打撃を食らっているらしく……、もちろん連絡を取ろうとしたのですが、両国とも国境線を封鎖してしまいまして……」
「ほっほっほ……、ギンくんの眷属たちには期待しておったんじゃがのぅ」
長く白い髭をさすりながら創造神がそう呟き、スッと件のエルフの森の方角へと視線を向けた。
「……ふむ。どうやらタルタロスの結界が残っておるようじゃの。大方ゼウスが命懸けでここへの転移を誘導してくれたため、後方から逃げぬようにと結界を張っとるんじゃろう。港国、とやらの連中がどうかは知らんが、あの森にこもっとる連中は背後をつけるメリットを鑑みてるのかもしれんの」
そう言いながらも彼は周囲を見渡すと、はてと首を傾げて見当たらない人物らの名前を口にする。
「ぬ? 加えて肝心要の面々が居ないではないか。久瀬竜馬に加えて桜町穂花一行、その他諸々と……ウラノスまでいないとはどういう了見じゃ」
「あぁ、それでしたら――」
エルグリッドは小さく視線を背後へと動かすと、そこから現れた一人の少女が彼らの前へと進み出る。
紺色の髪をポニーテールにした彼女は、王及びそれに連なる血を持つものとしてここに立つことを許された数少ないメンバーの一人であり、その堂々とした佇まいにエルグリッドは思わず苦笑を漏らす。
「お初にお目にかかります。我が名はスメラギ・オウカと申します。今回はエルグリッド様の護衛及び参謀役として参りました」
見ればエルグリッドの背後には自慢の国王軍の精鋭対数名が控えているものの、彼女の実力はその中でもひとり抜きん出ており、それを察した創造神は満足げに髭を撫でる。
「ふむ、そして現状はどうなっておるのかね?」
「はっ、ウラノス様より事前に敵側の目的が『救いの熾火』なるものにあると聞き及んでおりました。そしてその救いの熾火を成すには大陸の西端、北端の二箇所にある封印を解き、その上で大陸東部に存在する、帝国の世界樹の根へと干渉する必要があると聞き及んでおります。もちろんこれらはトップシークレット故、騎士達や冒険者たちを送ることもはばかられました。そのため、封印其の壱【未開地の奥地】。封印其の二【雪国の北端輝きの森】、そして世界樹の根本にそれぞれ最高クラスの守護者を配置いたしました」
――最高クラスの守護者。
人類側の戦力を考えればそれも自ずと察しがつくが。
「だとしてもウラノスは多分入っとらんじゃろ? どこほっつき歩いとるんじゃあの馬鹿は……」
「ウラノス様より『準備が整い次第こちらも動く』との言伝を受け取っておりますので問題ないかと」
――それに。
そう続けた彼女は小さく笑むと。
「これでも我ら一同、大きな背中を前に精一杯訓練を積んできました。悪魔だろうがなんだろうが、そう簡単に敗走などしますまい」
その言葉は自身に満ち溢れており、それを少しだけ心配になった創造神ではあれど、すぐにそれも杞憂だと知ることとなる。
「まぁ、これだけの面子が揃っているわけだしな! ヌはははははは!」
「確かに! これは頼りになりそうだ! ガははははははは!!」
オーディンとトールが大きく笑い、それらの面々を見渡してゆく。
久瀬竜馬本人の姿こそないが、『執行代理人』など多くの強者により構成された久瀬竜馬のパーティメンバー。
そして功績こそ少ないが、『戦姫』や『忍者』、『魔王少女』などを中心に、圧倒的な統制の元多くの敵を屠ってきた鳳凰院パーティ。
加えてこれだけの最高神が揃っているとなれば。
「……確かに、一方的な負け戦にはさせんわな」
「当然よ! なにせ私神だから! ねぇエウラスのじいちゃん! 私神よ神! 凄いでしょう!」
「はいはいすごいすごいのぅ」
絡んできた馬鹿を受け流していると、ふと、草原の方の空間の歪みに気がついた。
途端に全ての神々の顔から油断と笑みが消え、その緊張感が伝わったのか周囲の軍勢から徐々に騒がしさが消えていく。
「――どうやら、お出ましみたいだね」
ロキの言葉と同時に、真一文字に裂けた空間の中から膨大な量の悪魔達が飛び出してくる。その数は千、数千、数万、それ以上にも膨れ上がってゆき、その中から数名の巨大な威圧感が現れる。
いくつかに固まった威圧感はそのまま西へ。一つだけ飛び抜けた威圧感はそのまま北へと向かって行ったが、以前として脅威なことには変わりなく。
「――さて、神魔大戦の開幕と行こうか。」




