焔―023 託された想い
誤字はない……と思います!
――あぁ、これは死んだな。
そう思った瞬間、俺は見知らぬ場所に立っていた。
『……ここは』
――走馬灯と。
これは、俗にそう呼ばれるものだろうか。
人気のない……どこか寂寥感に溢れた小さな公園。
どこかで見た覚えのある、寂れた公園だった。
「うぅ……ぐすっ」
ふと、小さなすすり泣きが聞こえる。
声の方を見れば、そこにはブランコに座りながら嗚咽を漏らしている一人の子供がおり、その姿に思わず苦笑してしまう。
『あぁ、俺って。この頃もいじめられてたんだっけ』
少年のそばまで歩いていくと、ブランコを囲むように建てられている柵の上に腰をかけた。
こんなにも小さかっただろうか。
あの頃は世界の全てが大きく見えた。大きく、美しく、綺麗で、そして残酷だった。
『幼稚園の頃からいじめられてちゃ、世話ないわな』
なんだっけか、何でいじめられてたんだったっけ。
よく思い出せない。そもそもかなり昔のことだからな……。この頃の記憶自体が曖昧だ。
思わず額に手を添えて――
『……?』
ふと、一枚の仮面が脳裏を過ぎった。
両眼のところに穴の空いた、子供が被るにしてはいろいろとセンスがおかしな、見たこともない一枚の仮面。
それが、何故か今脳裏を過ぎったのだ。
『い、今のは……?』
今の仮面を……俺は知っている?
どこで知った? 学校、家……いや違う。どこかのCMで見たんだったか……いや、多分それも違う。
しっくりとくる答えが思いつかず、頭を悩ませていると、ふと、どこからか鼻歌が聞こえてきた。
それは、妙に覚えのある鼻歌だった。聞いた覚えなんてどこにもない……けれど、なんでか、その曲を俺は知っていた。
単純に忘れている、ってだけなのだろう。
この光景も、この歌も、いじめられていたその理由も。
だからこそ、今まで忘れていたこの光景を死の間際になって思い出した。
きっと、この過去は忘れちゃダメなものだから。
「な、なに……?」
少年が驚きに声を上げる。
キョロキョロと周囲を見渡して――そして、公園の入口の方へと視線を向けて固まった。
俺も彼の視線を追ってそちらへと視線を向けると……あぁ、これかと、少しだけ記憶が蘇る。
「ぶいんぶいーん。とおりますよー」
舌っ足らずにそう言いながらこちらへと向かってきたのは、件の仮面をかけた一人の少年だった。
幼稚園児……たぶん、今ブランコに座ってる少年と同じくらいだろうか。補助輪付きの自転車を漕ぎながら、真っ直ぐ少年の方へと向かってきた。
「ん? 君はだれ? ここはぼくのナワリバなんだけど」
「な、なわりば……?」
おそらく『ナワバリ』だろうと思われることを言い放った仮面の少年は、思いっきりサイズの合っていない仮面を直しながら話し出す。
「お母さんからもらったおこづかい、かーどげーむに使っちゃったから、かめんくらいしか買えなくて。こうしてナワリバに来てみれば君がいた、ってかんじなのさ」
「う、うん……」
困惑したようにそう返した少年は、何だか悪いことでもしたと思ったのだろう、おどおどとしながらブランコから降りて席を譲った。
「なんか……、ごめんなさい」
「んー? いいよいいよー、どーせナワリバっていっても初めてきたちょっと遠くのこうえんだし」
「そ、そうなの……?」
うん、そうなの。
そう返しながらも仮面の少年はブランコに座り込む。その白いTシャツには『ショタコンキラー』と達筆な字で書いており、もうこの仮面が誰なのか半ば分かってしまった俺であった。こんなTシャツを着せるあたり、流石はあいつの親は違う。
「で、なんで泣いてるの?」
おそらく『その前』の時期であろう、仮面の少年は関心なさげに、それでいて気遣わしげに問いかける。
「えっと……その。幼稚園でいじめられて……」
「へぇー、きぐーだね。僕もいじめられてるんだー」
「へぇ……ってええ!?」
所在なさげに立っていた少年は仮面の少年の言葉に目を剥いて驚き、それを見た仮面の少年は困ったように頬をかいて笑う。
「いじめ、っていうか……幼稚園でなかまはずれにされてて。一人だけいたともだちともケンカしちゃってさ。いまぜっさんヒッキーちゅうだったんだけど、お母さんに追い出されて。おこづかいすくないからかめん買って、となりまちまでこの『牛若丸三号』できたんだー」
「うしわかまるさんごう……」
なんで『牛若丸三号』だけ普通に発音できているのかものすごーく気になったが……。
『……コイツでも、そんな時期があったんだな』
アイツは、最初っから凄い奴だと思っていた。
凄くて、強くて、格好よくて。
どんな状況にも屈しない……、言っちゃ悪いが。
俺にとっては――ヒーローだった。
それが、自分と同じように悩んで、苦しんで、こうして生きていたと思い出して。俺は――
「……だ、大丈夫、なの?」
少年が遠慮気味に問う。
それに対して力なく笑った仮面の少年は、仮面越しに真っ直ぐ少年へと視線を返す。
「……君は、やさしいね。自分がいじめられてるのに他人をしんぱいできる。……僕はそんなにやさしくないから、素直にうらやましいとおもうよ」
「そ、そんなことないよ! 君だって優しいよ!」
どこか怒ったようにそう返す少年に、仮面の少年はその奥の瞳を見開いて驚いたが、すぐにつっかえ棒が外れたように笑い出した。
「ど、どうしたの……?」
不安そうに尋ねる少年に、仮面の少年は何でもないよと笑いながら返すと、「やっぱり」と続けた。
「きみは優しいよ。ぼくはたぶん、しょうねのところがひねくれてるからともだちがいないんだと思う。さっき言った一人のともだち――たけしくん、って言うんだけど、『お尻にうんちついてるよ』っていったら、僕のおもちゃにうんち付けてきて、それでケンカになったし」
「それは見て見ぬふりが正解だよ……」
我ながらこの時のツッコミはこれ以上なく正解だったなと思いながらも、遠くの空を見上げた仮面の少年へと視線を送る。
「いいかい少年。おとこのこなら、そうかんたんに泣くんじゃない。なみだ、っていうのは、ともだちや好きなひとの前で使うまで取っておくものだよ」
その言葉に、思わず目を見開いた。
「……へ?」
「お父さんがいってたんだ。なみだっていうのは見せちゃいけない。どんなに苦しくても、辛くても、どんなに未来が見えなくても、ひとまえでないちゃいけないんだって」
そう言って仮面の少年は、眦を決してブランコから腰を下ろす。
「だからね。僕はがんばってみようとおもうんだ。たぶん、このさき辛いことばっかりだけど、せいかくなんて変えられないけど。それでもひっしにがんばってみようとおもう」
「う、うん」
仮面越しに覗き込まれたその瞳には決意の炎が灯っており、彼はそうとだけ言うと再び牛若丸三号の方へと歩いてゆく。
「で、でもそれじゃ……いつか辛くなっちゃうよ!」
その背中に、少年は声をかける。
その言葉に小さく振り返った仮面の少年は、真っ直ぐに少年へと――子供の頃の俺へと視線を投げた。
「つらいとおもうよ。でも、じぶんにうそついてちゃ面白くないでしょ? だから僕はがんばるんだ。がんばって、自分にしかできないことをする」
――自分にしかできないこと。
その言葉が胸に突き刺さり、思わず頬を熱い涙が伝う。
仮面の少年は目を見開く俺に「それにさ」と続けると。
「そっちの方が、カッコイイんだってさ」
☆☆☆
「おいおい、弱虫やめろって言わなかったか? なんで言ったそばから泣いてんだよお前」
ふと、響いた声に目を見開く。
懐かしくて、頼もしくて、ずっと聞きたかったその声に、思わず溢れる涙を拭って振り返る。
「お前……! 死んだんじゃ……」
「馬鹿だなー、お前相変わらず甘ちゃん過ぎるぞ。死ぬことなんて予想できた。じゃないとお前に神器なんて作ってやらんし……それに、僕の魔力を使って作った神器だぞ? 意識の一つや二つ分けることなんざ、影分身で慣れっこなんだ」
そう肩を竦めた彼は、口元に軽薄そうな笑みを浮かべている。
「で、ここに来たってことは、アレだな。来るところまで来たってことだな」
「来るところまで……」
思わず顔を伏せ、現実を思い出す。
ベルフェゴールと、レヴィアタンによる一斉攻撃。
これがその走馬灯だとしたならば、俺はもう……。
「ほらウジウジするー。そういう所って本当に嫌いなんだよね。とっとと死ね! って感じー」
「ひ、酷くないか!?」
思わず叫ぶと、意地悪そうに顔を歪めていたアイツはフッと優しげに笑みを漏らした。
「どこに迷う必要がある。目の前の障害物ってのは壊すもんだ。理不尽なんて乗り越えろ、不条理なんて踏み潰せ。敗北なんて概念は燃やし尽くせ」
そう嘯いた彼は、足音を立てて俺の方へと歩いてくる。
「今、世界の中心は間違いなくお前自身だ。お前を中心として世界は周り、全ての物語が脈動している。言うなれば本当の『主人公』ってやつだ」
そう言った彼は決まり悪げに苦笑すると、頭をかいて口を開く。
「キッツいよなー、その立場。なんにもしてないのにトラブルに巻き込まれて、何もしてないのに格上とか大悪魔とかが襲ってくる。そんで戦績が悪かったり格好悪かったりするとブーイングの雨嵐。こんなにも辛い立場があったのかと、心の底から呪いたくなるくらいだったよ」
でもな、と。
そう続けた彼は真っ直ぐに俺の瞳を見つめて、淡々とその事実を告げてくる。
「最も辛い立場だけれど。それでも、誰かがその席に座って時代を切り開いていかなきゃなんないんだ。さもなきゃ敵方に一瞬で滅ぼされる」
その顔には既に笑みはなく、瞳には冷たい光が宿っていた。
「辛いのを承知でお前に頼む。お前がやれ。全ての責任を己が身一つに背負い込み、未来をその手で掴み取れ」
トンッと、彼の左拳が胸に当たる。
その拳には彼の回復力を持ってしても回復しきれないほどの傷跡が残っており、きっと体にはもっと多くの傷跡が残っていることだろう。
それはつまり、この男が他でもないその立場に立って、時代を引っ張ってきたということの証明。
――あぁ、やっぱり憧れる。
心の底からそう思う。
「……俺に、出来ると思うか?」
俺は知っている。
俺は、この男ほど周りから頼りにされちゃいないってことを。
コイツならそこにいるだけですべて上手くいくような、そんな気がしていたんだと思う。実際に和の国では俺自身がそうだった。
けれどコイツが死んで、皆『しかたなく』俺を動かせ始めた。どうしてもそんな感覚がしてしまうのだ。
だから、と問うた俺に対して、彼はフッと吹き出して。
「馬鹿かお前は。他でもないこの僕が、お前に全てを託して死んだんだ。なら周りの目なんて気にするな。お前を下に見るやつなんざ全員が全員節穴だ。現にグレイスも父さんも、エルザもレイシアさんも、全員が全員お前に頼ってる。他でもないお前に、世界の未来を託すつもりでいる。これだけあって何が不満だこの野郎」
思わず、乾いたはずの涙が溢れてくる。
咄嗟に拭うと、困ったように苦笑した彼は俺の胸から拳を退ける。
「お前は頑張ってんな。だからもっと頑張れ。必死こいて頑張って未来を掴め」
「この野郎……、無茶言うな」
「うるせぇ生意気こくなこの野郎」
彼はそう言って大きく笑う。
相変わらず無茶なことばっかり言ってくる。
相変わらず俺に対しての要求が高い。
相変わらず――俺に対して、全幅の信頼を寄せてくる。
――なればこそ。
「もう、その信頼を裏切るわけには行かないわな」
カッと目を見開く。
目の前には無数の武具と無数の毒液。
――躱せない。
あぁ、確かに躱せない。
これはこれだけの弾幕を用意した二人の勝利だ。
だから、躱さない。
「燃やし尽くせ――黒炎」
瞬間、目の前に膨大な黒炎が荒れ狂った。
威力、大きさ、共々今までとは比べ物にならない。
数秒して黒炎が止む。
見れば全ての毒と武具は一瞬にして焼却され、ベルフェゴールとレヴィアタンは大きく目を見開いて蒼白している。
「ば、馬鹿な……」
こんな呟きが聞こえて、少し笑ってしまう。
別に彼を笑ったってことじゃない、少し、思い出し笑いをしてしまったんだ。
「戦う理由なんて下らない感情論でいい。……なるほど、本当に下らなくても良かったんだな」
心の中で、鎖が弾ける音がした。
南京錠が連鎖的に砕け散り、その扉が徐々に開け放たれてゆく。
「強さには憧れる。カッコよさには嫉妬する。けど、俺はアイツが間違った時、一発ぶん殴れる力さえあればそれでよかった。最強じゃなくても別にいい。アイツを止められるだけの、強い力が欲しかった。だけどアイツ、勝手に死んじゃったからな」
俺は、アイツに二度救われた。
一度は、小学校の時。
そしてもう一度は――あの時、仮面のヒーローに出会った時。
「俺はアイツに恩返しがしたい。だから俺はこの世界を救ってみせる。あいつがまた帰ってきた時、我が物顔でふんぞり返れるような、そんな『平和』を掴み取る。そのために俺は戦うんだ」
確かに下らなく、馬鹿馬鹿しく、愚かしい。
仲間やアイツに言ってしまえば人目もはばからず大口を開けて爆笑してくれることだろう。
だからもう言わないし、これでいい。
閉ざされていた扉が開く。
体中に力が溢れ、青い魔力が吹き上がる。
確かにこの先は危険しか待っていない。
そこいらの主人公すら雑魚と化し、反則級のチートスキルは常識で、不死殺しの一撃すらも簡単にはじき返す究極の到達点。
この先に行くってんなら、死ぬ可能性だって出てくるだろう。
けれど、もう俺は大丈夫だ。
「このためになら、俺はこの命を賭けられるから」
――俺は今日、弱虫を卒業する。
次回『仮面の男』




