焔―021 霧の中で
「ハァッ!」
戒神衆を斬り捨て、荒い息を吐き出す。
「だ、大丈夫か、二人共……!」
「な、なんとか、大丈夫だけれど……」
「これはきっついにゃあ……」
見れば路地裏に座り込む二人の顔色は青白く、かなり状況的にまずいものであることが分かった。
この街に霧がかかってからどれ位たったことだろうか。
もう既に斬り捨てた戒神衆の数は二十を超えている。正直普段ならばこれくらい難無いはずなのだが……。
「この霧が、原因ね」
京子がふと口にした言葉に振り返ると、彼女は空中を漂う霧を見つめながらため息を吐いた。
「この霧……多分毒の霧よ。すぐにバレて対処されるのが嫌だったのかしら、限りなく薄い……それでいて確実に私たちの戦力を落としに来ている毒の霧。たぶん『回復力の低下』を起こさせる毒ね」
「あぁ、なるほど道理で……」
刀を収めて拳を握りしめる。
明らかに、体力と魔力の消費が激しい。
普段ならばもう少し自動回復しているだろうに、今じゃほとんど回復していないような気がする。
「そうしたら京子は……」
「言われなくともやばいわよ……。魔力の自動回復には自信があったからバンバン魔法使ってきたけれど、そのおかげでほとんど魔力がスッカラカン……。全く性格の悪い策士もいたものね……」
――性格の悪い策士。
なるほどこれは質が悪い。吸った瞬間に分かる致死の毒だったならば、それを知ったウラノスさんがすぐに『書き換え』を行って対処していたことだろう。
だが、ここまで効果の薄く、それでいて絶大な毒を放ってくるとは……相手側にはよほど頭のキレる化物がいるらしい。
だけど……。
「まぁ、そろそろウラノスさんが手を打ってる頃だろう」
呟いた――次の瞬間。
周囲を膨大な魔力が突き抜け、街並みが一瞬にして書き変わってゆく。
――万掌神訂。
恐らくウラノスさんはこの霧に気が付き、何らかの書き換えを行った。彼のことだから京子が気付くさらにその前には気付いていたはず……。対応するのにこれだけの時間がかかったということは――
「……街そのものを、書き換えた?」
路地裏から小さく顔を覗かせると、先程まで広がっていた町並みは一点――見覚えのある場所へと変わっていた。
実際に見たことは無い、が、この街並みを俺はゲームやアニメなんかで何度も見た覚えがある。
そう、ここは――
「――ロンドン、か」
霧に包まれた中世の町並み。
道端には馬車が止められてあり、遠くからゴーン、ゴーンと鐘の音が聞こえてくる。推定するに……十九世紀のロンドンと言ったところだろうか、知らんけど。
「でも何で……」
なぜわざわざ街そのものを書き換えたのか、と小さく家の壁へと触れてみると、すぐさまその理由が明らかになった。
「なるほどにゃぁ……、この街そのものが自動回復機能を持っているみたいだにゃ」
見れば同じように壁に触れている妙が嬉しそうにそう呟いており、京子もまた安心したように壁へと背中を預けていた。
「ここに存在しているだけで体力や魔力を回復できるのは大助かりね……。まぁ、大方この町並みは『趣味』でしょうけど、霧のかかったロンドン。なかなかに久瀬くん好みのシチュエーションよね」
違いない、と苦笑していると霧の向こう側から声が聞こえてくる。
「いやー、酷い差別もあったものだね。なんだいなんだいこの街は。壊せない、霧の効果を打ち消される、加えて僕らには効果が無い。一体どんなに力が働いたんだか……」
小さい足音が響き、とっさに刀を抜き放つ。
「……誰だ?」
「誰だ、か。まぁ顔見知りじゃないから当然だろうけど、初対面の相手に敬語を使わないだなんてなってないねぇ。ま、僕もなんだけどさ」
きりの向こうから現れたのは、一人の子供。
白い前髪によって片方の瞳が隠れており、遮られることなく伺うことの出来る片目はどこか楽しそうに薄められていた。
「やあ、初めまして三人とも。僕の名は大悪魔ベルフェゴール。つい最近死に戻った怠惰の罪さ」
そう言って笑った少年――ベルフェゴールは。
「それじゃあ早速……死んでみよっか?」
瞬間、全身の細胞が危険信号をあげ、直後に青龍の声が頭に響いた。
『上だ! 久瀬竜馬!』
「――ッ!?」
見れば上空からは緑色に輝く幾本もの槍がこちらへと迫り来ており、とっさに九尾の力で俺たち三人を遠くに見えた屋根の上へと避難させる。
「っぶな……、何なんだあの大悪、魔……は?」
と、そこまで言って初めて気がつく。
目の前に、一人の女性がたっていることに。
「さすがはボス。言う通りの場所に立ってたら――獲物がまんまと引っかかった」
そこに居たのは長い髪の女性だった。
数メートルはあろうかという白い髪は二人の従者さんが持って支えており、その海のような瞳はまっすぐ俺たちへと向けられていた。
――何者だ?
そう言おうとして、遮るように九尾の声が響く。
『不味い! コヤツは余を殺した張本人、恐らくこの霧を作り上げている【嫉妬の罪】レヴィアタンだ! 先の大悪魔よりよほど危険だ!』
その声に咄嗟に距離を取ると、先程まで俺のいた場所へと何かが通り過ぎる。
見れば先程俺の立っていた地面からは大量の煙が上がっており、ベルフェゴール曰く『壊れない』この街だったからこそ良かったものの……普通の街であったらとんでもない事になっていただろう。
「ダメじゃないかレヴィ、コイツは九尾と青龍を飼ってるんだから、きちんと躱せないようにしてから攻撃しないとー」
「ベルに、言われたくないけど」
声の方へと視線を向ければ、フワフワと中に浮かぶ緑色のソファーに腰を下ろしたベルフェゴールがこちらへと向かってきており、レイシアさんに言われた言葉を思い出す。
「……なるほど。ここで来るのか、その未来」
スッと刀を構える。
仲間が来るまで待つ、なんてのは難しいだろう。
恐らくまだまだ戒神衆は残っている。それが全部ウラノスさんたちが守っている住民の所へ行っているのだとすれば――まず間違いなく人手不足。
「……はぁ、つまりはそういう事か」
呟くと、後ろの二人へと小さく視線をやる。
「二人共、ウラノスさんのところに向かってくれ。この二人と戒神衆まで相手にしてたら勝ち目なんてどこにもない。だから、先に戒神衆を全部倒しておいてくれ」
「で、でも久瀬っち……!」
渋る妙だが、俺が生き延びるためには現状、それが一番可能性の高い方法なんだ。
戒神衆が全滅したところでウラノスさんたちと合流、全員でこの二人と――どこかに居るであろう仮面の男を打倒する。
まぁ、現状仮面の男をどうするかは分からないわけだけど、せめてこの二人くらいは、ここで脱落させておきたい。
「今まではアイツに全部任せっきりだったからな。天国か地獄か、あるいは奈落か、アイツがそこら辺ほっつき歩いてる間は――俺が、命張って頑張らなきゃなんないでしょう」
怖い、今にも逃げ出してしまいたい。
間違っても俺が担うべき立場じゃない。
けれど、それでも。
「俺は今、一歩踏み出さなきゃいけないんだ」
いつまでも弱いまんまではいられない。
いつまでも背中ばかり追いかけていられない。
追いつくんじゃない。
あの背中を――超えるんだ。
心の中にそびえ立つ、その扉へと手を添える。
まだまだ南京錠はかかったまま。押しても引いてもびくともしない、果てしなく大きな器の扉。
この扉の先には――どんな景色が広がっているのだろうか。
あの男はこの先へ至り、何を見たのだろうか。
何を見て、何を思って、どういう覚悟で最期まで戦い続けたのか。
そんなものは、きっと超えてみなきゃ分からない。
こんなところで燻ってる程度じゃ、分かりっこない。
だから、超える。
無理矢理にでも――こじ開ける。
「ウラノスさん、信じますよ? 俺は誰にも殺されない」
だからどれだけ怖くても進むことが出来る。
恐怖を無視して、一歩踏み出すことが出来るんだ。
刀の切っ先を大悪魔二人へと向ける。
刀身から青みを帯びた黒い炎が立ち上り、二人の顔に緊張が走る。
背後を小さく振り返ると、京子が色々と丸め込んでくれたのだろう、二人の姿は既になく――これで、思う存分暴れられる。
「行くぞ大悪魔――焼却開始だ」
今日、今ここで。
俺はこの扉を――こじ開ける。




