影―118 激戦
間に合いました!
忙しい今日明日に来て、とてつもなく大切なお話という不運。
ギィンッ!
剣戟の音が響き、火花が散る。
リズミカルに、時に激しく、時に静かに、そして何より泥臭く。技術なんてあったもんじゃない。
僕らはただ、歯を食いしばって剣を振り続ける。
「がああああああぁぁッッ!」
混沌の振り下ろした黒剣が僕の体を斜めに斬り捨て、鮮血が舞い散る。
体には赤い線が一本通り抜け、思わず口から、肺に溜まっていた空気が漏れ出る。
だが、こんな痛み――乗り越えて当たり前だ。
砕けるほどに歯を食いしばると、血が滲むほどに短剣の柄を握りしめる。
「ぐっ、ああああぁぁぁッッ!!」
逆手に持ち替えた短剣を、叫びながら混沌の肩へと突き刺す。彼女の顔が痛みに歪み、肩口から短剣を伝って鮮血が滴り落ちる。
そして――返還。
彼女の方に突き刺さっていたシルズオーバーが跡形もなく消え去り、直後、振りかぶっていた左腕の先、虚空にシルズオーバーが再度顕現する。
連続返還からの、連続召喚。
剣を抜く動作すら隙になる。
だからこそ――その隙すら与えず、切り続ける。
「はッ!!」
真っ直ぐ剣を、振り落とす――!
「――ッ!?」
咄嗟に黒剣を防御に回した混沌ではあったが、その程度の防御でこの一撃――防ぎきれるとは思うなよ。
「『暗殺』ッ!」
黒色の魔力を帯びたシルズオーバーが黒剣をいとも簡単に断ち切り――その下、混沌の右腕を、二の腕の半ばから斬り捨てる。
「が……」
「フ――ッ!」
瞬間的に硬直した混沌の腹を蹴り飛ばすと、上空から地上めがけて一直線に吹き飛び、大地へと大きなクレーターを作り上げる。
そして、少し遅れて斬り捨てた右腕が地面へと衝突する。
「はぁ、はぁ……、どうよ。これで腕一本と、腕二本だ」
正確にはこっちはもう両腕が無くなってるわけがだ、そんなものは影、炎、そして銀腕、いくらでも補強できる。
眼下の混沌がいるであろう砂煙の中を注意深く観察しながらも、荒くなっていた息を大きく吐き出す。
『おいおい、大丈夫か……』
「あぁ、……なん、とかな」
脳裏に響いたクロエの声に息を整えながらそう返すと、ふと、眼下でなにか動いたような様子がして気を張り直す。
眼下を見れば、消えかかっている砂煙の中、混沌がゆらゆらと膝を震わせながら立ち上がっている。
「アイツ……」
――満身創痍。
右腕を失い、左肩には剣を撃ち込まれ、まともに動くとも考え辛い。そんな状態で、まだ……アイツは立ち上がるのか。
『……一応言っておくけれど、ギンも――』
「はいはい、分かってるって」
『な、何よ人が親切にしてあげてるのに!』
アポロンの声を軽く受け流すと、翼を戻して地上へと降り立つ。
分かってる。自分が一番分かってるんだ。
僕もまた、かなり危ないところまで来てるって言うのは。
白夜と戦ってから、まだ一日も経っていない。
そんな状態で混沌に胴体を貫かれ、アポロン戦では生死の狭間をさまよい、そして今、混沌と今までになく辛い戦いをしている。
我ながら、馬鹿みたいにハードなスケジュールである。
こんなの……限界が来ない方が、おかしいっての。
降り立った衝撃で、少し膝が折れる。
「うっ……」
咄嗟に転ぶことだけは踏みとどまったが、混沌の真紅の双眸はじっとこちらを見続けていた。
「……なるほど。キツいのは……限界まで来ているのは、私だけじゃないと、そういうことか」
「……なにを、言ってるのか分からないが」
そうは言うが、我ながら随分と演技も下手になったものである。
月光眼は酷使に重ねて酷使し続けたことでズキズキと痛みを放ち始めている。位置変換とてここまで連続して使い続けたせいか、効力も発動速度も鈍くなってきた。……もう、あと数度で使えなくなるだろう。
月光眼に位置変換……、この二つが使えなくなるというのは痛い。それこそ、それだけで勝負が決まってしまいかねないほどに。
『どこでどう使うか。それが見極めどころですね』
あぁ、そうだなと。内心でウルにそう返す。
瞼を閉ざし、息を吐く。
これを隙と見て突っ込んでくるならそれでよし、来ないのならば存分に、意識を集中させてもらう。
吸って、吐いて、大きく一度深呼吸して――瞼を見開く。
「……ほう、決めに来るか」
答えはしない。
答えるまでもなく、僕の雰囲気で分かるだろうから。
「――『生への渇望』」
体中に力が漲る。
今は正しく――生死の境界線。
一歩でも誤れば死にかねない。
だからこそこの力は――アポロン戦の時と同等か、それ以上の力を発揮する。
しかしこの『命』を削る力は、それ相応のリスクもある。
だからこそ、これは賭けだ。
「僕が燃え尽きるのが先か、お前が負けるのが先か」
さぁ、始めようか。
そして僕らの因縁にも、そろそろ決着をつけよう。
☆☆☆
最初に、混沌が駆けだした。
今までの、どこか自分こそが強者だと言わんばかりの彼女からは信じられない光景。
それは、言外に僕を認めているということでもあるが――だからこそ、厄介極まりない。
今までは受けに専念した相手が攻めに転じたのだ。
この状態だったとしても、まだ危うい。
だからこそ――
「全開で行くッ!」
後のことなんて考えてられない。
今考えられるのは今のことだけ。
今この一瞬が好機だと感じたのならば。
――後先考えず、直感で動く。
瞬間、僕の姿が混沌の頭上へと移動する。
超高等技術――『空気』との位置変換。
莫大な負担がかかる代わりに、この力は瞬間移動よりも発動速度が早く、察知し辛く、そしてどこにでも移動できるという最強の力を得る。
――しかしその際、体中をズキンと痛みが走り抜ける。
「ぐっ……」
――神器の使用制限、使用過多。
それによる人体への痛み。
つまりは――もう神器『炎十字』の使用も難しいってわけだ。
だけど、最後に一度だけ。
「根性見せろよ! クロエッ!」
『分かってるっての! この一撃に私の全魔力預けるぜ!』
ボウッと、崩壊し始めた右腕の銀腕に膨大な銀炎が纏わり、巨大な拳と化す。
眼下の混沌は目を見張り、咄嗟に魔力を溜め込んだが――どうやら、初っ端から位置変換を使うとは思わなかったみたいだな。
拳を握りしめ、振りかぶる。
そして――!
「『正義の鉄拳』ッッ!!」
銀炎が唸りを上げる。
その一撃は間違いなく混沌の体へと突き刺さり、彼女の体を吹き飛ばしてゆく。
――だが。
「な――」
混沌は、今の一撃を受けても尚、立ち続けていた。
『ば、馬鹿かあの野郎……! 今のは決めに行った私の全力だぞ!? もう立ってることも限界――』
『……いや、クロノスは限界なんて、ずっと前に通り過ぎてるわ』
クロエの言葉に被せるように、アポロンの声が響く。
『クロノスはどんな格好をしていようと女性よ。それに合わせてギンの戦い方……誰に教わったのか知らないけれど、的確に狙って欲しくない急所ばかり狙ってくる。私の時は無意識に手加減していたのかもしれないけれど――あんな、人体を壊すためだけに作られたような拳、受け続けて平気でいられるわけがない』
そこら辺はこの拳を作り上げたどこぞの学園長にでも言って欲しい限りだが、それでもアポロンの言葉には納得せざるを得ない。
そうだ、アイツには限界なんてものは無い。一生に訪れない。
訪れるとすれば、それは死んだ時だけ。
身魂燃え尽きて、生命活動さえ終えた時。
その時にならないと、アイツは止まらない。
――もう、限界なんて超えているのだから。
そして、僕もまた――
「ハァァァァァッッ!!」
声が響き、混沌の気配が近づいてくる。
俯いていた顔を上げ、咄嗟に神剣を構えようとして――
「……な」
ガクリと、膝が折れた。
直後に混沌の拳が腹部へと突き刺さり、口から残り少なくなった血液が溢れ出す。
『ギン!?』
三人の悲鳴が響く中、混沌は辛うじて動く左腕で僕の顎をかち上げる。
「が……ッ」
体が浮かび上がるほどの衝撃に脳が揺れ、目の前が真っ白になる。
顎が砕けたのか、まともに声が出ない。
脳が揺れたせいか咄嗟に動くことも出来ない。
つまりは――最大の危機。
しかし、混沌の攻撃は訪れない。
困惑しながらも、何とか回復してきた体を動かし、顔を上げると――そこには、腕を抑え、脂汗を滲ませている混沌の姿が。
『ご主人様! 早く立ち上がってください! 混沌だって限界を超えてるんです!』
『そうよ! 押せば倒れそうじゃない!』
分かってる。
分かってるんだ、もう、決着は間際だって。
「ぐ……、あぁぁぁぁぁぁッッ!!」
体中に力を入れ、叫びを上げる。
――立ち上がれ。
才能なんて知ったことか。
努力なんて知ったことか。
限界なんて――知ったことかッ!
「ハァッ、ハァッ……、こ、この……ッ!」
膝に両手をあて、立ち上がる。
目の前には肩で息をしながら、思い切りこちらを睨み据えている混沌の姿がある。
もうお互い、満身創痍だ。
何度も傷を負った。何度も殴られた。何度も心が折れた。何度も絶望しかけた。
それでも前へ前へと。
自分が進んでいる道が正しいと思って、進み続けた。
その末に僕らは――ここに辿り着いた。
「僕、は……、お前を、倒すッ! そんで、平和に、幸せに、暮らしてやる……ッ!」
争いなんて懲り懲りだ。
神が悪魔を疎み、悪魔が神を恨み、人間が何も知らずに生きてゆく。そんな腐った世界は、ここで終わりだ。
神は悪魔を疎まない。悪魔は神を恨まない。人が何も知らないなんてことは許さない。
全てが手を取り合っていきてゆく。
そこにこそ――僕らの幸せがあるんだ。
「私は、神々が憎い! すべて私が悪いと知ってもなお、心の内に住まう憎悪が、絶望が! 虚無が! 全てが神々を、神々の作り上げた世界を壊せと告げてくる! その為になら、たとえ弟とて殺してみせるッ!」
あぁ、分かるよ。
理解できる、確かにそうだと思う。
けど、何も無い世界に、滅んだ世界に。
きっと、僕らの幸せなんて転がっていない。
だから、僕らの幸せのために。
お前には――ここで折れてもらう。
拳を握りしめる。
奴もまた、同じように拳を握りしめる。
「――『混沌の虚拳』」
膨大な闇の魔力が溢れ出す。
未だかつて感じたこともない命の危機に、生への渇望がより一層に力を放ち始める。
いいよ、僕だって辛いから。
そんなに早く決めたいって言うなら――次で決めてやるさ。
「『虚無の鉄拳』」
溢れ出すは、黒の魔力。
もう一人の僕が持つ、全てを破壊し尽くさんとする『破壊者』の魔力。
闇と黒の魔力が空間を喰らい尽くすように広がってゆき。
そして――!
『蚊虫があああああァァァッッ!!』
「――ッッ!?」
背後から衝撃が襲い、体中が炎によって縛り上げられる。
「な、なにが……」
背後を仰ぎみれば、そこには僕を噛みつけている根源化モードのルシファーの姿がある。
何故、こいつがここにいる……?
そもそも月光眼は発動していた。
なら、背後からの攻撃だって――
「言っておくぞ、弟よ」
目の前から聞こえた声に、それらの疑問が一瞬にして霧散する。
焦り、その声の方向へと振り向こうとした僕へ。
「その左の瞳、もうまともに見えていないのではないか?」
闇の魔力が迸り、僕の意識は暗転した。
ルシファーはアルファに殺されかけただけで死んだ訳ではありませんでした。
なんという『お前かーッ!』感。




