影―108 生き様
今回はサタン回!
――鬼モード。
悪鬼羅刹から授かった、彼の新しい能力。
能力としては単純明快――自身のステータスの強化。特に身体能力に関しての伸びが大きく、それはギンの『悪絶業鬼』にも匹敵するほど。
しかし、アルファがこの力を使用するということは、もう一つの大きな意味を持つ。
それこそが――耐久力の強化。
「五十倍速!」
瞬間、彼の体が掻き消えた。
――否、掻き消えたように見えた。
しかし、それを視界の隅で僅かに捉えることのできたサタンは両腕を体の前で構えて防御を固める――だが。
「遅せぇよッ!」
「ガハッ……!?」
背後から突き抜ける衝撃。
振り向けば背後にはアルファが拳を降り抜いた状態で立っており、サタンはとっさに腕を薙ぎ払う。それは先ほどの一撃にも匹敵する一撃だったが――
「ハッハッハ! 遅い遅いッ!」
ダダダダダダダダダダダダダ――ッ!!
四方八方から襲い来る連打の嵐。
その前にサタンも体を丸めて防御の姿勢に入るが、一箇所を守った途端に異なる場所へと攻撃が入る。なんとか姿を捉えて腕を降り抜いても、その場所へと腕が届く頃には視界からは彼の姿は消えており、死角に一撃を貰ってしまう。
その上――
「六十倍速、七十倍速……ッ!」
徐々に上がってゆくアルファの速度。
サタンは思わず歯を食いしばり――それと同時、周囲へと紫色の毒煙が吹き荒れた。
『サタン! 今助けるよ!』
ベルフェゴールの声が響き渡り、アルファの姿がその場に無理矢理固定される。
他でもない――人体の支配。
ベルフェゴールの『怠惰の罪』でさえ難しいどころの話ではないソレは、根源化しているとはいえ彼の体に強大な負担をかける。
さらに、この毒も。
『サタン、私たちの中じゃあなたが一番強い。そいつに勝てるのも、貴方だけ。……だから、早く立ってよ、リーダー』
その毒は――自らの血液を気化させて作り上げた超猛毒。
それにはアルファも目を見開き、とっさにその場で口を抑える。しかしベルフェゴールが文字通り命懸けでその場所へと縛り付けているため動くことなできない。
「お前たち……ッ」
思わず呆然と呟いてしまったサタンではあれど、すぐに気を引き締め、自らの両拳に爆炎を纏う。
「あぁ、俺は――こんな所で、終われないッ!」
そう、こんな場所では終われないのだ。
志半ばで散っていった両親のためにも。
そして――敬愛する、主のためにも。
「俺はッ、こんな場所では負けられない!」
魔力を振り絞り、サタンは拳を振りかぶった。
☆☆☆
父と母は、悪魔らしくないと評判だった。
父は優しく、とても強かった。当時の悪魔の中では『大悪魔』の頂点に立っており、誰もが認める、強くて優しい、心の底から誇れる悪魔だった。
母は厳しく、それでいて、とても優しい悪魔だった。いつも自分のことではなく誰かのためを思って生きていた彼女は、悪魔としては失格でも……、俺は、その生き方が大好きだった。
――誰かのために、生きてゆく。
最近、どこかで聞いたニュアンスだ。
ルシファーが嗤い、混沌様が小馬鹿にし、そして、俺が表では二人の考えに肯定を示した――奴の生き様だ。
その生き様は、カッコイイと思った。
だからこそ、母に憧れた。
――けど、その憧れは、儚く散った。
『……へ?』
もう、数えることも忘れるほどに昔のことだ。
まだ若く、子供と言って差し支えなかった俺の元に舞い込んできたのは――父の死だった。
母は俺の前だというのにも関わらずその場に泣き崩れ、俺は目の前が真っ白になって、よく分からなくなって立ち尽くした。
――そして、気がついた時にはもう、母も死んでいた。
視界がやっと色づいて、しっかりと状況を確認したその時。俺の視線の先で――母は血を流し、死んでいた。
一体何があった。
ここは一体どこだ。
場所は、悪魔界でも神界でもなく、当時戦場として使われていた使い捨ての世界だった。
強くもない母はそこへと赴き――父を殺した張本人へと、単身挑んで行って……殺された。
そして、俺はそれに付いてきたのだと。
後になって思い出した。
けど、その時の俺は何もわからなくって、ただ母の死体と、両親を殺したらしいその相手を交互に眺めていた。
血の池に沈む母と。
白い軍服に身を包んだ黒髪の女。
――殺してやる。
幼いながら、そう決意した。
女は目を見開き、愕然とした様子で俺の方を見ていたため、きっと追ってはこないだろうと思った。
だからこそ母の死体へと別れを告げ、振り返って駆け出した。
――誰かのために、生きてみたいのよ。
ふと、母の声が脳裏に過ぎった。
気がつけば俺の足は止まっていた。
――私はね、あの人と出会って、初めてそんな生き方もあるんだな、って思ったの。その生き方はきっと狂っているのだろうけれど、それでも美しいって、カッコイイって思った。だからなんだろうね。私は誰かのために生きてみたい。それこそ死ぬ時まで、自分の【生き様】を誇れるような人でありたい。
その時俺は、涙していたんだと思う。
母は、最後までその生き様を貫き通して、死んでいった。
父のために、生きたのだ。
『……なんで』
なんで、それが俺じゃなかったんだろうか。
なんで、俺のために生きてくれなかったんだろうか。
涙に視界が滲む。噛み締めた嗚咽が漏れた。
けど、そんな弱音は聞きたくない。言いたくない。
母さんの生き様に、泥を塗っているみたいに思えたから。
だから、恨みも悲しみも憎しみも、全てを押し込めて、涙や弱音を押し殺して。
俺は、ただひたすらに駆けだした。
――後に、その【仇】と再び相対することになるとは、つゆ知らず。
☆☆☆
それから、月日が流れた。
あれから俺は、必死に努力と研鑽を続けた。
最強の悪魔として名を馳せた父の名に恥じぬように。
最期まで美しく生きた、母の生き様に恥じぬように。
必死になって――それこそ、寝食も忘れてただひたすらに前へ前へと突き進み、そしていつの日か俺は、『憤怒の罪』を司り、大悪魔の中でも並ぶ者がいない程にまで至っていた。
『父には、追いつけただろうか』
ふと、自室で呟いた。
当時……いや、今でも自分の中では、父の背中は誰よりも大きく、誰よりも遠く、誰よりも偉大だった。
だからこそ、実際に自分が父の背中に届いたのか、それはよく分からない。けれど、まだまだ俺は父には遠く及ばないんだと、心のどこかでそう思うのだ。
もしかしたら、思いたいだけなのかも知らないけれど。
『さ、サタン様っ、し、失礼しますっ!』
『し、失礼しますっ……!』
ノックと共に入ってきたのは、当時俺の部下となったばかりのまだまだ伸び盛りな悪魔二人だった。
――『嫉妬の罪』レヴィアタン
――『怠惰の罪』ベルフェゴール。
二人は、言うなれば天才というやつなのだろう。俺には才能はなかったが、この二人は父と母をなくした俺と同じか、それより少し上といった年なのにも関わらず『大罪』の力を授かり、こうして大悪魔へと昇格した。
といっても、経験も実力もまだまだと言ったところで、これから俺の元で育ててゆく、と言った流れになるだろう。
『どうした、二人共』
『は、はっ! じ、実は、この世界に客人……、という訳では無いのですが……』
『えっと……、その、神様が、やってきてます』
ベルフェゴールの言葉に、思わず眉根に皺が寄った。
――神が来ている。
正直、非常事態も極まりなかった。神が来ているということはこの世界が特定されたということ。つまりは神々の軍勢がもうこの世界へと来ていても何らおかしくないということだ。
にも関わらず……この二人の落ち着きよう。確かに焦ってはいるようだが――どちらかといえば困惑に近い。
『して、その神の神々の軍勢の特徴は? 軍神テュールの軍勢でも押しかけてきたのならば厄介極まりないが……』
軍神テュールは、単体の実力としてはあまりにも弱々しい。だが、奴が軍隊を操るとなると、途端にその脅威度は跳ね上がる。それこそ『神王ウラノス』『獄神タルタロス』『時空神クロノス』『寵愛神エロース』『全能神ゼウス』に次ぐ脅威度となるだろう。
だが、顔を見合わせた二人は――
『時空神クロノス、と名乗っている、黒髪に白軍服の男装をした女性だそうで――』
『――ッッ!!』
思わず、机を叩いて立ち上がった。
驚く二人を置いて、俺は全速力で駆け出した。
駆けて、駆けて……、しばらくして。
俺は再度――あの人と邂逅した。
『お前が、ここの頂点か』
その姿を見た途端、俺は、母の言葉を思い出していた。
――誰かのために生きる。
その生き方を、思い出していた。
『……そうだが、貴様は?』
『私の名は……時空神、クロノス。今は、神界を追われ、神を、やめてきたところだ』
――神をやめてきた。
その言葉に思わず眉根を寄せた俺ではあったが。
『だから、私が勝ったら、ここにある全てを、私にくれないか』
その言葉に、限界まで目を見開いたのを今でも覚えている。
馬鹿げているだろう。今思い返してもそう思う。
かつて父と母を殺した女が、神の座を降り、こうして悪魔にまで縋って来ている。
なんてザマだ。無様すぎて憤りすら感じなかった。
だからだろう、俺はその挑戦を受けて――
――次、目を覚ました時には、俺は地面に倒れていた。
『……ここ、は』
『あぁ……起きたのか』
声が聞こえた。
視線を動かせば、そこには目元を真っ赤に腫らし、こちらを見つめている彼女の姿があった。
『俺は……負けたのか?』
『そう、みたいだな』
あまり、記憶が無い。
何がどうなったのか何も覚えていない――けれど、敗北したのだろうっていうことは分かった。
ぼーっと紫色の空を見上げる。
真っ赤な月が視界に映り――ふと、隣から鼻をすするような音が耳朶を打った。
『なぁ。私、やっぱりここでも、必要とされていない、のかな?』
『……なに?』
思わず問い返すと、彼女は顔を伏せ、言葉を紡ぐ。
『さっき、妻を殺してきた。娘に殺されかけて、逃げてきた。父を陥れようとして、絶縁された。全て、自分が悪いってわかってる。でも……、私にはもう、味方はどこにもいないんだって、そう思うとさ……』
それは、かつて俺の両親を殺した女から、他でもない俺に向けての言葉だった。
詳しいことは、今の俺でもあまり詳しくは知らない。ただ、当時彼女の話を聞いた時も俺の頭は、疑問で溢れていたのを覚えている。
けれど、彼女の泣いている姿を見ていると、どうしても脳裏に両親の背中がチラつくのだ。
――あの二人なら、どうしていただろうか?
そう考えてみると、答えは簡単に見つかった。
悪魔らしくないことで有名だった両親。目の前の女に殺された両親。他人のために生きるという言葉。
どれを思い返しても――見捨てる、だなんて選択肢はきっとあの二人なら真っ先に除外しているはずだ。
『クロノス、と言ったか』
俺の言葉に、彼女は俯かせた顔を上げた。
その顔は涙と鼻水に塗れおり、とてもじゃないが公にできるようなものではなかった。
汚くて――痛々しくて、見るに耐えないものだった。
出来ればもう二度と、見たくないって思った。
だからだろう。
俺は、笑って彼女へとこういったのだ。
『俺を倒したその実力……驚嘆に値する。出来れば、でいいのだが、俺に代わり、悪魔達のリーダーとなってはくれまいか?』
誰かのために生きるという生き様は、カッコイイと思う。
それは今でも変わらない。
正直、母から受け取った思いを、その母と父を殺した相手に使うのはどうかとは思うが――それでも。
「力尽きるその時まで、自分の【生き様】を誇れるような道を歩む。それが俺の望みで、この【生き様】には、一片の後悔すら存在しない」
忠誠心など、偽物に過ぎない。
本物の忠誠を持っている者からすれば、俺はただの偽物で、下らない遊戯にも見えることだろう。
だけど、俺はこの人生を誇っている。
両親を殺したあの方に仕える、今がいいんだ。
――彼女がもう泣いたりしない、幸せな未来が。
さて、今の俺を死んだ両親が見れば、どう思うだろうか。
両親の仇に仕えるなどと、怒るだろうか?
きっとそうだろうな。怒るに違いない。
……けれど。
なぁ、父さん、母さん。
「俺は今を、誇って生きているよ」
これだけは、自信を持って言えるんだ。




