影―103 影と太陽
少し遅れました。
『いいかい、銀。今日から君に、この一族に伝わる“秘伝”を授けようと思う』
最近になって、昔失ったはずの記憶が、徐々にだけれど思い出せるようになっていた。
父さんではなく、僕の本当のお父さんが、幼き頃の僕へとそういったのを覚えている。
『ひでん? なにそれ?』
『うーん……、俗に言う“魔法”ってやつだよ』
『まほう?』
幼く、シルズオーバーによる補正も受けていなかった僕はお父さんのいうことはあまり良く分からなかった。
ただ、お父さんがこう言ったのだけは覚えている。
『それで、なんだけどね。僕はいつ銀に魔法を教えられなくなるともわからない立場だから、一番最初に教える魔法はよく考えなきゃいけないんだよ』
小さく首を傾げた僕へと。
お父さんはとても楽しそうに。
『君に最初に教える魔法は――影奥義』
――影魔法が誇る、最強の魔法だよ。
☆☆☆
アポロンの体から巨大な炎が吹き上がる。
頬を伝っていた涙は一瞬にして蒸発し、熱風を伴う変化に思わず両腕を前に防御を固め、地を踏みしめる。
『おいギン! コイツはやばい! 今からでもいい、アルファとかいうあのガキにアポロンを預けろ! お前とじゃ相性が悪すぎる!』
クロエの声が響き、思わず笑ってしまう。
気が狂った、とかそういう訳では無い。
「ごめん、知ってる」
ここに居るだけなのにも関わらず、全身を劫火で焼かれるような痛みが走っているのだ。
しかも――この威力で『始焔』と来た。
さらに二段階も上があるのかと考えると……笑わずにはいられないだろう。
「ふぅ……」
息を大きく吐き出した。
そして――
「発動・銀滅氷魔」
呟くと同時、僕の体から絶対零度の冷たさを孕んだ冷気が溢れ出す。
神器・炎十字の『銀滅氷魔』。
普段ならば敵対者へと向けて放つその魔力を――僕自身へ向かって放ち続ける。
通常時にソレをすれば一瞬にして氷漬けとなってしまうだろうが、アポロンの前に立ち続けるにはこの他に方法がない。
『全く……無茶しやがる。開闢と比べればどうってことねぇが、これも自分の命削ってるようなもんだぞ』
そんなことも百も承知。
だけど、そういうことは今考えるべきじゃない。
「命を削って戦い続けるのが今の僕の仕事。その削った命をどうするかは、全てが終わってからの僕の仕事だ」
今考えることは、どうやって彼女を救って、混沌をぶん殴るか。
――それだけだ。
拳を握りしめ、重心を下げる。
見れば全くの同時にアポロンの重心も微かに下がっており――僕らは、同時に駆け出した。
「ウル!」
『わかっています!』
今欲するはリーチの長い武器。
詳しいことはは任せる。今の僕なら、どんな武器でも使いこなせる自信があるから。
黒い光が右手に凝縮し、そして現れたのは――
「長剣……ッ!」
確認すると同時、ぎゅっと柄を握りしめる。
短剣ほど扱いがうまいわけじゃない。だからこそ扱い方は――上手い奴を参考にさせてもらう。
「観取り――」
僕は、剣術の達人たちと幾度として邂逅している。
スメラギ・オウカ。
久瀬竜馬。
小鳥遊優香。
その他にも扱いに長けていると思った存在は数多く存在している――が、その中でも一名、抜きん出た能力を持っていた者がいた。
その男の名は――
「『トレース・メフィストフェレス』」
思い出すは、かつて相対したメフィストの動き。
観取れるほど見たわけじゃない。けど一度見たことは確かだ。
ならばあとは――野性に委ねる。
「ハァッ!」
一刀目――袈裟斬りを放つ。
連続で切り上げ、薙ぎ払い、足元を狙っては首元を突き、容赦なく鋭い連撃を叩き込んでゆく――
しかしその連撃は、全てを彼女が召喚した見たこともない紅蓮の弓によって阻まれていた。
「『神器・疫病の陽弓』」
彼女がその名を呼んだ――次の瞬間。
突如として燃え上がった紅蓮の弓に思わず後退る。
「聞いたことがあったな……確か、毒の弓か」
「正解、言わなきゃよかったわね」
言って、アポロンは後退った僕へと追撃してくる。
しかし、毒ならば、喰らわなければいいだけの話。
後方へと下がるよう動かしていた脚を一転、前方へと駆け出すと、アポロン目掛けて剣を振りかざす。
ギイイイイイイインッッ!
火花が散り、弓と剣が鍔迫り合う。
――刹那、アポロンと視線が交差する。
冷たさを孕んだオレンジ色の瞳が僕を捉え、ほんのん少しだけ、小さく揺れた。
そして――冷気と熱気が衝突し、危険音を奏で出す。
「――ッ!」
力を抜き、一瞬にして彼女の前から飛び退る。
この冷気でも……アポロンの目の前に入れるのは数秒、って所か。実際に触れるとなると一秒も持たないだろう。
「クッソ……、強いなこの野郎」
言ってしまえば、彼女を救い出す算段はついている。
混沌が目の前に控えている以上、アスモデウスをどうにかしたらしいアルファに頼るのは得策ではない。
やるならば僕の手で、出来るならば『愚策』と思わせる体で、確実に決める。
――べきなのだが、その方法は自殺行為にも等しい。
だから、それは最後の手段。今はまだ、アポロンの戦闘不能にするべく戦うべきだ。
「ウル、短剣モード!」
『了解です!』
手の中の長剣が使い慣れた短剣へと変化する。
左手にももう一本短剣を作り上げ――投擲する。
短剣とはいえ、絶対破壊の力を帯びたウルの短剣である。並の相手じゃ防ぐことも叶わない。
さて、アポロンはどう対処す――
「『蒸発』」
――瞬間、熱気が荒れ狂い、僕の体を吹き飛ばした。
視界の端で投げつけた二本の短剣が、文字通り蒸発してゆくのを見て、思わず悲鳴にも似た声を上げる。
「ま、マジかよ……ッ!?」
常闇のローブを使って咄嗟に勢いを殺す。
それでも吹き飛ばされた距離、軽く見積もっても十メートル以上。今の技があくまでも『余波』でしかない事に頬をひきつらせながら顔を上げて――
――目の前に、拳が迫っていた。
ガンッッ!
鈍器で何かを殴りつけたような鈍い音が弾け、目から火花が散った。顔面が激痛に悲鳴をあげ、視界の端に舞い散る鮮血が映り込む。
「グッ……がァ……ッ」
「……」
脳が揺れ、小さな悲鳴が漏れる。
さらに大きく吹き飛ばされ、不格好に着地する。
何とか尻餅をつくことだけは防いだが、それでも僕は地面に片膝をつく他なかった。耐えられるほど、軽い一撃ではなかったから。
顔を上げる。視線の先には拳を振った状態で硬直しているアポロンの姿があり、彼女は自らの拳を目を限界まで見開いて見つめていた。
「……な」
アポロンから小さく声が漏れ。
どこからか、嘲笑が聞こえてきた。
「クククッ……、先程から見ていたが、やはりアポロン、貴様その男に対して本気を出しきれていないようだな。意図的としたものか、あるいは無意識かは分からないが」
「ッ!? そ、そんな訳が――」
咄嗟に反論しようとしたアポロンだったが、腕を組んで佇んでいた混沌が静かにアポロンの拳を指さした。
「それが、その証拠だ」
今の一撃は先程までとは速度も、重さも、タイミングも、何もかも異なっていた。強く、良くなっていた。
それはつまり――アポロンが手を抜いていたことの証明。
思わず歯を食いしばり、混沌はパチンと指を鳴らした。
「私はアポロン、貴様に対して絶対的な命令権を持つ。それがどういう事か、分かっているな?」
――分かっている。
僕も、アポロンも、きっと分かってる。
だからこそ僕は思わず頬を引き攣らせて苦笑いを浮かべ、アポロンは顔に――絶望色を滲ませた。
「命令する。アポロン、その男を殺せ」
瞬間、彼女の体から吹き上がる炎の色が――変化した。
青色から、太陽のようなオレンジ色に。
――第二段階『天焔』。
天高くに存在する太陽。その温度にも近い絶対的な炎の魔力。全てを喰らい尽くす、太陽の力。
『ご、ご主人様! これはダメです! 早く逃げてください!』
『おい! 聞いてんのかコラ! お前ここにいたら間違いなく死ぬぞ! あんなモン、太陽そのものじゃねぇか!!』
頭の中に焦燥感を孕んだ声が響く。
吸血鬼が嫌う太陽。
確かに、前にしているだけで今にも魂が抜けていきそうなくらいだ。本当に死ぬんじゃないのか、僕。
今にも逃げ出したくってしょうがない。
泣き喚いて、鼻水垂らして、無様に尻尾を巻いて逃げ出すんだ。影が太陽に勝つなんて、そんなの最初から無理だってわかってたことじゃないか。
体から影の力が薄れてゆくのを感じながら。
僕は――笑って見せた。
「アポロン、お前、本当に強いよ」
頭がズキンズキンと悲鳴を上げている。体は重いし、右目が頭からの出血で潰れてしまったのか、右半分の視界が真っ赤に埋め尽くされている。
勝機なんて見えない。勝ち筋なんてあるかも分からない。
けれど、それを探すのをやめたらそれで終わりだ。
探し続けて、足掻き続けて。
そうしなきゃ、望む未来は掴めない。
「……『炎奥義・太陽の一撃』」
泣きそうな声が耳朶を打つ。
見上げれば、彼女が突き出した掌の前には、小規模ながら絶対的な存在力を示す『太陽』が存在していた。
……なぁ、アポロン。お前、僕のこと許せないとか言ってたくせに、なんで泣きそうな顔してるんだよ。
ふと考えて、思わず苦笑する。
「アレか、ツンデレ、って奴か」
僕の仲間内にはツンデレってキャラはいなかったから、なんだか新鮮な気分である。
天を仰いで、息を吐く。
もしも、もし仮に、お前が僕に生きてほしいと思っていてくれるんなら。怒っていても、許せなくても、また友達に戻りたいって思っていてくれるなら。
「発動――『生への渇望』」
体の奥から、膨大な力が溢れ出す。
目の前にいたアポロンは目を見開いて驚愕を顕にし、混沌もまた、体を硬直させて目を見開いている。
「なぁ、アポロン。僕らまた、友達としてやり直せるかな」
僕は、そんなこと無理だって思ってた。
アポロン自身がそれを望まないと思っていたから。
でもお前がもしも、そう思ってくれているんだとしたら。
僕はお前と――また、友達になりたい。
「『影奥義・月喰の影』」
突き出した手に、膨大な影が集い始める。
月すら喰らう、闇より暗き絶対なる影。
その闇は時に太陽さえ喰らい尽くし、世界へ絶対なる暗闇をもたらす。
しかしまぁ、太陽を喰らうには些か力不足。
僕の敗色は未だ濃厚だ。
つまり――僕の死が間際まで迫っているということだ。
瞬間、僕の内から溢れ出る力が数段階上昇する。
――生への渇望。
死に近ければ近いほど力を得られるその能力は、このような場面でこそ絶対的な力を発揮する。
膨大な魔力が吹き荒れ、影による闇と、太陽による光が僕らの間で衝突する。
そしてついに――二つの奥義が完成する。
片や、太陽が変形して作られた巨大な矢。
触れたもの全てを喰らい尽くす炎が全てを貫く力を得ることによってとてつもない超絶魔法が完成している。
片や、鋭い牙を兼ね備えた巨大な黒狼。
身体中から留めきれない影を吹き出す黒狼は、全てを喰らい尽くさんばかりに黒色の牙をむき出しにする。
――影と、太陽。
裏と表。
常に一緒にいるのに、決して出会うことのない二つ。
肩を並べ、共に歩いていてはいけない、僕ら二人。
今は相対し、互いを倒さんが為に向かい合っている僕らではあるけれど。
「影が太陽と一緒にいて、何が悪い!」
それ以上の言葉は、きっと要らない。
僕の想いは、この一撃に全て込めたから。
振り上げた手を振り下ろすと同時に黒狼が駆け抜け。
アポロンの弓から放たれた太陽の矢が轟音を響かせ。
――周囲へと、闇と光が吹き荒れた。




