影―099 孤立有援
体が鉛のように重い。
焦りで思考がうまく働かない。
スッと瞼を閉ざし、大きく息を吐く。
「……」
――絶望的。
ここまでその言葉が似合うものも少ないだろう。
混沌一人でさえ倒せるか倒せないかっていう瀬戸際だったのに、メフィスト以外の現役大悪魔達総勢六名に、そして影の天敵、太陽を司る太陽神アポロンまて加わった。
「……これは、僕死ぬんじゃないか」
苦笑しながら、いつの間にか元へと戻っていた体を再度、血濡れの罪業の状態へと作り替える。
現実逃避なんてしたら――数秒もせずに死ぬ。
今回は混沌の作戦勝ちだ。そこは素直に負けを認めよう。
認めた上で、改めて現実を見る。
相手の分析を一瞬たりとも怠るな。
常に勝機を探り続けろ。
「ぷふぅ……」
再度息を吐いて、瞼を開く。
今の状態だとサタンやアポロンクラスには歯が立たないだろうし……、その他の大悪魔とサシでやって運が良ければなんとか……と言った感じだろうか。
しかし、相手は大悪魔全員を揃えてきている。つまりは全員で一斉攻撃を仕掛けてくるということで――
――そこにこそ、勝機が存在する。
強大な力は近くにいる味方すらも脅かす。故に強大な力を持つ混沌やアポロンは特に力の使い所を考えなければまともに使うこともできやしないということ。
もしも常日頃からコンビネーションについて練習しているのだとすればまた話も変わってくるが――
「……そこら辺は、付け入る隙がありそうだしな」
言って、左手に神剣シルズオーバー、右手に月蝕を握り込む。
とりあえず、一人撃破。
それを目標にし――
「――隙など、あると思ったか?」
背後から聞こえてきた声に背筋が凍り、振り返るよりも先に体へと衝撃が走った。
「がハッ……!?」
なんとか直前で常闇によるガードを挟んだとはいえ、たった一撃で数百メートル以上吹き飛ばされる。勢いを殺し、顔を上げたそこには――拳を振りかぶるサタンの姿が。
「――死ね」
「クッ……!」
両手を胸の前で十字に交差させ、その上から常闇のローブによるガードを挟み込む。
死すら感じさせるほどの強打だが、二度目ともなるとタイミング的にも少しだけ余裕が出来――
「――はっ?」
――直後、口の端から鮮血が溢れ出し、思わず目を見開いた。
視線を下ろせば、胸部にサタンの右腕が突き刺さっており、その腕は心臓を寸分違わず貫通していた。
「ど、どうなっ……て――」
「ふふーん。流石僕ちゃんの能力は初見殺しだねぇ」
ふと、楽しげな声が聞こえてきて視線を上げる。
そこには空中にフワフワと浮かんでいる緑髪の少年――ベルフェゴールの姿があり、彼は視線に気づくとクククッと肩を震わせる。
「もうどうせ聞いても無駄だろうから言っちゃうけど。僕ちゃんの『怠惰の罪』の能力は単純明快。視界に入ったものを自由自在に支配することの出来る能力さ。流石に生物を、ってなったら格下にしか効かないけど――ねぇ?」
彼が最後に浮かべた嘲笑に、思わず背筋が冷たくなった。
――怠惰の罪。
視界に入ったものを支配できるということは……つまり、常闇での防御が尽く邪魔されるということでもある。
そして――
「こんなことも、出来ちゃうんだよねー」
「グッううっ……」
とっさに首元の服へと手を掛けると、それと同時に僕の首を絞めるように服が自動的に収縮し始める。
――間一髪、胸元の服を破り捨てて首をねじ切られるなんてことは回避できたけれど。
「こ、これは――」
周囲へと、紫色の霧が立ち込めてきた。
目の前のサタンは平然としているが――ふと、ガクリと膝から力が抜けた。
「ば、馬鹿な……」
「……貴様の仲間にもいたはずだろう。特定の相手にのみ効く毒を生成することの出来る者が」
その言葉を聞いた直後、位置変換によって遠く離れた場所へと体を移動させる。
メデューサの力を受け継いだネイルの毒霧。
先ほどのアレは彼女の持つそれに限りなく酷似していたが、毒が体に回るまでの時間、その場に停滞する時間など鑑みても。
「失礼な。メデューサ如き欠陥品と私の『嫉妬の罪』を比較しないで。あれは毒見習い。私は、毒のスペシャリスト」
上空から聞こえてくる声に視線を上げる。
そこに先程も見た長い青髪の女性が漂っており、掲げた手の上には禍々しい球体上の液体が泳いでいた。
『怠惰の罪』が視界内の支配だとすれば……、『嫉妬の罪』はメデューサの毒すらも超える毒のスペシャリスト。
「……これまた、厄介な相手だこと」
限定的とはいえ空間そのものの支配に、加えていつ来るかとも分からない毒の攻撃。
そして躱すことすら難しいサタンの攻撃に、加えて他にまだルシファー、バアルに――
「私のこと、わすれてもらっちゃあ困るわよぉん♡」
上空から聞こえた声に、とっさに真横へと緊急回避を行う。
しかし、予想以上の速度に躱しきることが出来ず、左腕に強烈な痛みが走る。
――まるで、噛みちぎられたかのような。
上空から相手が落下してきた際に舞い上がった砂煙が止み、その無効に現れたその男を見て――目を見開く。
ピンク色の髪に濃すぎる化粧。
オカマというのはもう見慣れた種族だが、ピチッとしたバーテンダー服に――口元から滴る鮮血に、思わず目を見開いたのだ。
「あぁんッ……、お、美味しいわぁんッ♡ 貴方の二の腕、とぉっても美味しかったっ♡」
「!? お、お前――」
「もちろん、喰わせてもらったわよ? なにせ私、暴食の罪ですから♡」
その言葉に背筋に怖気が走る。
奴のオカマ口調も差ることながら――暴食の罪、ベルゼブブ。僕の二の腕を食ったと言い放った奴の魔力が、口の中の『何か』を嚥下した瞬間、大きく膨れ上がったから。
「私の暴食の罪は特殊でねぇん。相手の『肉を喰らう』ことで、相手のステータスの一部と能力の一部をコピーすることが出来るのよん♡ 例えばぁ、こんな感じでね――ッ」
直後、僕の懐の中に奴の姿が現れた。
――絶歩。開発した僕だからこそ分かる。
クセ、雰囲気、そして速度。
僕ほどじゃなくとも、紛うことなきソレは僕の技術の下位互換。
そして――右手に宿すは、銀色の炎。
「ま、まさか――」
「神器も、もちろん対象内よぉん♡」
クロエの驚愕に満ちた声を聞きながら、咄嗟に常闇をガードに回そうと考え――考えとは裏腹に、常闇のローブは何者かに操られているかの如く明後日の方向に動き出す。
「し、しま――」
「行くわよぉん。劣化版『正義の鉄拳』ぉ♡」
腹部に銀炎を纏った拳が叩きつけられ、意識が遠のいてゆくのを感じた。
☆☆☆
混沌は、体から力を抜いたギンの姿を見て、訝しげに眉を寄せていた。
「……妙ですね、混沌様」
「ん、貴様もそう思うか、サタン」
小さくサタンへと視線を向けると、そこには気を失い、彼を除いた大悪魔の誰もが『終わった』と確信している男へとじっと視線を送っている彼の姿があった。
――あまりにも、簡単すぎる。
それが二人の見解だった。
確かに混沌の力により、彼のステータスの大部分は彼女のステータスに取り込まれ、援軍を呼ぼうにもそれに類するスキルはすべて奪ってある。
流石に月光眼、影神、開闢などと言った最上位スキルや種族に伴うスキルなんかは奪うことが出来なかったが、それでも普通に考えれば「敵ではない」というのが二人を除く大悪魔達の見解だった。
――否、三人か。
「……ギンは、あの程度では終わらないわよ」
淡々とした声が耳朶を打ち、混沌はその声の方へと振り返る。
「……ほう、友としてそう思うわけか? アポロンよ」
「……さぁね」
興味なさげにそういった彼女ではあったが、その瞳には不安と心配の感情が揺らめいていた。
(友として、と言うよりはそうあって欲しい、と言ったところか……。あのアポロンが人間に恋に落ちるとは、長生きしてみるものだな)
口元を少しだけ緩めながら、改めてギンの方へと向き直る。
そして――違和感を覚えた。
それは微かな違和感。現にいまこの時点で気づけている者はこの場には混沌以外に存在しない。
僅かに空気が変わった。
僅かに――雰囲気が変わった。
「……おいサタン。貴様気がついているか?」
「……? 一体何につい――」
サタンは眉根にシワを寄せながら混沌へと視線を向け。
――瞬間、サタンは勢いよくギンへと振り返った。
その焦り方は尋常ではなく、頬には大粒の汗が浮かんでいる。
目は限界まで見開かれ、ジッと少しの動きも見逃さんとばかりにギンの姿を見据えている。
その姿を見て、近くにいたベルフェゴールが欠伸をしながら寄ってくる。
「なーにやってんのさ、お二人さん。確かにアイツ、素の状態じゃ僕ちゃんでも全く歯が立たなかったろうけど、今の状態で、それも今居るメフィスト以外の大悪魔全員が出張ってるんだ。ああなって当然でしょう?」
軽い調子でそう言ったベルフェゴールだったが、小さくギンとベルゼブブの方へと視線を向けて――首を傾げた。
「……ってあれ? なんでベルの奴さっきから動いてないんだろう? 拳打ち込んだ状態から全く――」
「――ッッ! ま、まさか!?」
ベルフェゴールの言葉に、サタンはなにかに気がついたかの如く声を上げた。
その声は焦燥に滲んでおり、サタンは背筋に怖気が走るのを感じていた。
誰もが困惑し、サタンの姿を見つめていたその時。
大悪魔序列三位、暴食の罪を司るベルゼブブは――ゴトリと、首を地面へと滑り落とされた。
「「「「なっ!?」」」」
誰もが驚愕する中。
サタンと混沌だけは、その男が右手に握る神剣シルズオーバーへと視線を向けていた。
そこから立ち上るは――闇より暗くて黒い、混沌の魔力にも近しいほどに凝縮された、ドス黒い魔力。
その魔力をサタンは知っていた。
以前、戦った際。
最後の最後――ゼウスが現れる直前に、『破壊者』が使っていた魔力。
「『付与・虚無』」
しかし、奴は『意識』を保っていた。
その体から感じられる威圧感は、紛うことなきあの時のもの。
けれど、奴は意識を保ち、その上であの状態にまで入り込んでいたのだ。
更には――
「……ほう、ベルゼブブのステータスをすべて『喰らった』か。神蝕持ちの吸血鬼よ」
混沌の分かりやすい言葉に、ギンは小さく笑って見せた。
「大悪魔の序列三位如きが、よりにもよってエナジードレインに神蝕持ちの僕の肉体――つまりは人体にとって致死性の激毒を口にしたんだ。動きくらいなら数秒で止まるし、十数秒もすればステータスを完全に奪い取ることが出来る」
まず、ベルゼブブが喰らった『神蝕』スキルを帯びた僕の肉体を通じて奴の体の支配権を奪い取る。
次に拳越しにエナジードレインでステータスを可能な限り奪い取り――一撃でその命を刈り取った。
「……ククッ、なるほど」
考えもしなかった戦法に、混沌は思わず笑ってしまった。
エナジードレインはステータスを一時的に奪い取る能力だが、ステータスを奪っている状態で相手が死ねば――奪っている分のステータスはすべて、自分のものへと変化する。
今になって心底『エナジードレイン』というスキルを奪って置かなかったことを後悔しながらも、やはり彼女の優位性は変わらない。
「流石の一言に尽きるよ、執行者。まさか奪ったステータスをベルゼブブから奪い返すとは……。これで貴様のステータスはほぼ元通り――だろうが、貴様のステータスがそのまま私のものになっているのを忘れるな。貴様の死は絶対に揺るがない」
絶望を改めて突きつける混沌。
その言葉にギンは――笑って見せた。
「……貴様、何を笑っている」
「いや、なに。見知った気配が近くから感じられたからさ」
――見知った気配。
メフィストかとも一瞬思ったが、奴は遠く離れた場所から観戦に回らせてもらうと宣言していた。
ならば他の悪魔の知り合いか? サタンの右腕、ガイズならば戦場で彼と知り合っていてもおかしくはないが……。
そう考えた、混沌の耳に。
「フハハハッ! ド根性オオオオオオオッッ!」
バリイイィンッ、と結界が破られるような音がした。
クライマックスは一気に駆け抜けます。




