影―096 異形の怪物
外へと出ると。
そこに居たのは――異形の怪物だった。
体調は一メートルほどだろうか、
漆黒のグロテスクな体に、表面にはいくつもの眼球がギョロギョロと蠢いている。触手のようなものが左右に二本、まるで腕のように生えていて。
その姿を見た途端――本能が、恐怖に悲鳴をあげた。
「な、何だ……ッ!?」
体が震える。
ガチガチと歯が不協和音を奏で出し、奪われた右腕の傷痕に鈍い痛みが走り抜ける。
――有り得ない。
有り得ないことだと分っていても、その考えを否定することだけは……できなかった。
「おいおい、誰だよこんな街中まで魔物を引き入れた奴は?」
声が聞こえてくる。
見ればアレを中心に集まっていた野次馬の中から一人、軽薄そうな竜人族の少年がアレの前へと歩き出していた。
ギョロリと、体表にあった全ての眼球が男の姿を捉える。
そして――溢れ出した、身に覚えのある黒い魔力。
「まずいッ! 今すぐ逃げろッッ!!」
「……は?」
叫ぶ僕へ、呆れたように視線を向けた男は――
ぐしゃりと、頭部を半分失ってその場に倒れ込んだ。
沈黙が辺りを占め、異形の怪物の化物から何かを咀嚼するような音だけが響き渡る。
しかし、その沈黙と硬直も、長くは続かない。
「うっ、うわぁぁあああああああっ!?」
「に、逃げろおおおおおッッ!!」
絶叫が響き渡り、周囲に集まっていた野次馬の竜人族たちが一斉に逃げ出した。
それらを傍目に異形の怪物は血に沈んだ竜人族の死体を貪っているらしく、ゴキャゴキと聞きたくないような咀嚼音が響いている。
「ギン様よ! あの魔物が何かは知らぬが、放っておくのはダメじゃろう! 妾、ちょっくら行ってくるのじ――」
「ダメだッ!」
咄嗟に、隣を抜けてアレへと迫ろうとした白夜の腕を掴んで引き止める。
「な、何故じゃ!? 妾たちならばまだしも、竜人族にあの魔物はちときついじゃろうが!」
「……」
咄嗟に、言葉は返せなかった。
視線はずっと、あの化物に注がれている。
妾たちならばまだしもと、彼女はそう言ったが。
「……今、確信した。あの化物相手じゃ、白夜じゃどんなことをしようとも勝てやしないよ。僕ならなんとかなるだろうけど……やって見ないとわからないかな」
「なっ!?」
驚愕に満ちた声を上げる白夜。
今、この国にいる存在で唯一あの化物に対抗できるとしたら――まず間違いなく僕だけだ。
「ば、馬鹿か! あの魔物からはそれほどまでの強さは感じられん! 妾はもちろん、力を使えるようになったお主が負けるなどあるはずが――」
「アレが、本当に魔物だったらな」
言いながら白夜の腕を引っ張って後方まで引き戻す。
抗議の視線を送ってくる白夜だったが、僕が指をさしている方向へと視線を向けて――目を見開いた。
「ば、馬鹿な……っ!?」
そこに居たのは異形の怪物。
ただ一つ――大きさが、大きく変化していたが。
一メートル程だった大きさは二メートルを越え、横幅もそれなりに大きく変化し、触手も四本へと変化している。
まるで、丁度人間をひとり取り込んだかのような体積変化だ。
それに何より――気配が、変化した。
「つ、強くなった……じゃと!?」
「あぁ。魔法も撃ち込んだりするなよ。そのエネルギーさえ自分の力に変換して取り込みかねない」
しかも白夜の能力は時空間系統。
間違っても、吸収させるわけには行かない。
何故かと聞かれれば、この答えも一言で表せるわけで。
「アレは魔物じゃなく――混沌の分体だ」
☆☆☆
――混沌の分体。
かつてルシファーと共にグランズ帝国を襲撃し……、僕の故郷を滅ぼした存在でもある。
「ま、まさかあの時の――」
「あぁ、雰囲気が似通ってる」
グランズ帝国にて、実際に混沌の分体を前にしたことのある白夜でさえ言われて初めて気が付いたようだ。対して僕は一目見た瞬間に直感していた。
何故かと聞かれれば、二度も体を喰われて、本能が奴の危険性を覚えてしまったからなのだろう。
瞼を閉ざして息を吐く。
震えていちゃ、勝てる相手にも勝てやしない。
「……白夜、お前は奴には直接攻撃しないでくれ。するとしても魔法攻撃。もちろん普通の魔法じゃなく、魔力供給するから僕の魔力を使っての攻撃だ。開闢の力を帯びてる僕の魔力での攻撃なら……多分通る」
「じゃ、じゃが……、魔力を使ってしまうとギン様がまともに戦えないではないか! お主の戦闘方法は魔力による強化ありきでのものじゃ!」
さすがは白夜、よく分かってる。
僕の戦い方はステータスの低さを魔力で補ってのものだ。遠距離戦はもちろん、近距離戦でさえ魔力が無ければこいつらと肩を並べて戦うことなんてできやしない。
だが、そんな白夜の言い分にも間違いはあるわけで。
「おいおい……、あまり僕の魔力量を舐めるなよ? お前如きの魔力消費が増えたところで尽きるわけがないだろうが」
「かっちーん、なのじゃ」
額に青筋を浮かべ、頬を引き攣らせる白夜。
正直、彼女が戦闘時に使用する魔力まで補ってしまえばその間、僕は思う存分動くことは出来なくなるだろう。
だけど、仮にも混沌を相手にする上で、開闢の力を帯びた時空間魔法はリスクを度外視できるほどにリターンに溢れている。
「ってわけだ。とりあえず僕に気を使うことなく暴れまくれ。魔力は僕がなんとかす――って、あれ?」
言いながら混沌の分体へと視線を向けて――目を剥いた。
そこには虚空へと必死に触手を動かしている分体の姿があり、傍から見ればよく分からない無駄な動きにしか見えないかもしれないが――生憎と、月光眼持ちからすれば奴のしている行動は驚嘆に値するものだった。
「おいおい……マジかよ」
ビリリッと、空間が裂ける音がした。
さすが時空神、僕よりかは少し遅れたが、白夜もまた混沌のしようとしている事に気がついたようで。
「――!? い、異世界同士を、無理矢理繋げたじゃと!?」
正確には、世界と世界の間に存在する障害物全てを喰らったのだ。そうすれば簡易的に、その上一時的にだが、僕の転移門と同じものを発生させられる。
「月光眼はそう言うのにうまーく補正がかかってるから『転移門』とか出来るけど……、力技でそれをやるか」
あるかどうかは分からないが、もしも万が一僕らのいる世界よりも遥かに上位の世界から敵対生物でも呼び出されたら……、その時は本格的にやばい。混沌の分体だけでも厄介なのに、そんな相手まで相手にしていられるわけがない。
「白夜、皆に連絡! レオンと伽月は起きないともっと酷いことするって念話してくれれば起きるから!」
「りょ、了解じゃ! ギン様は――」
白夜の言葉を聞きながら左腕を前へと突き出した。
何かを掴み取るように拳を握りしめ、右手で支えるように右腕を握り込む。
右眼を閉ざし、左の瞳に魔力を流して。
「僕は――あの門を塞ぐッ!」
根性見せろよ――月光眼!
左の瞳から銀色の光が迸る。
視線の先には混沌の分体と、奴が無理やりこじ開けた時空の歪み。無理やりこじ開けたのならば――その隙間を縫い合わせれば良い。
「接合!」
イメージとしては、縫い物だ。
空間の一部を糸のように変化させ、こじ開けられた空間の上端と下端を結びつける――ッ!
『GUAAAAA……?』
分体が小さく呻き声をあげた。
僕から干渉を受けていると分かったのか、全ての眼球がギョロギョロと僕の方を見つめてくる。
――来るか?
直接的な攻撃をされるかと身構えた僕に対し、混沌の分体はまるで僕らを嘲笑うかのように体を歪ませ――
――異世界の中へと、飛び込んだ。
「「なっ!?」」
逃亡……には、思えなかった。
直感が今すぐに終えと警報を鳴らし、それと同時に恭香たちが駆け寄ってくる足音が聞こえ始めた。
「ギン! 混沌の分体は!?」
「い、異世界の中に飛び込んだ……」
「異世界っ!?」
考えもしていなかった。異世界への門を開いたのはなにか強い存在を呼び出して戦わせるためじゃなく、自らその中へと飛び込み――強者を喰らうためだったとは。
「クソッ……、比較的近くの異世界ならまだしも、日本とか、遠くの異世界にまでなると感知すらできないぞ……」
言いながらも両眼を閉ざして息を吐く。
――月光眼。
内心で小さく呟いて、比較的この世界に隣接していたり、重なっていたり、はたまた近くに存在する世界へとスキャンをかけてゆく。
この世界に重なっている世界と言えば、僕の『幻想の紅月』だったり、輝夜の『獄夢の世界』だったりする。逆に隣接している世界といえば、神界などが挙げられるのだが――
「……あった」
混沌の魔力は、ひどく身近な世界から感じ取ることが出来た。
強い敵など存在しているはずのないあの世界。わざわざ分体があの世界へと訪れたことに困惑を覚えながらも、僕はその世界の持ち主へと視線を向けた。
変態にして変人。
褐色の肌を持つ彼女――ソフィアは、僕の視線に気がついて首を傾げる。
「……? なにか顔についているのか?」
「いや、混沌の分体。お前の世界に行ってるぞ」
「ファッ!?」
ソフィアの世界――黒霧の森だったか。
あの世界には絶対に溶けることのない雪と、黒檀の森、そして周囲を取り囲む霧だけが存在する彼女だけの世界だったはずだが……。
「……まさかとは思うけど、あの世界に魔物とか居ないよな? 大悪魔程じゃなくともある程度強くて、それでいて白夜と同じくらい大きくて、活きのいい魔物。流石にないとは思うけど、一応さ」
「ハッハッハ、混沌が余の世界に来ているというのはものすごく驚いたが、流石にこう都合よくそんな奴いるはずがないだろう! 白夜クラスの大きさで、大悪魔程じゃなくてもある程度強くて、更にイラッとくるほどに活きのいい相手なんて……」
――あれっ。
ふと、そこまで言って硬直したソフィアを見て、そう言えばアイツの姿がどこにもないことに気がついた。
大きくて、ある程度強くて、イラッとくるほどに活きのいい害虫。……どうしよう、嫌な予感しかしない。
頬を引き攣らせた僕に対し、ソフィアはダラダラと冷や汗をかきながら。
「……そ、そういえば、竜王とか、封印してたっけ」
竜の咆哮が轟いたのは、ちょうどその時のことだった。
次回で分体との勝負、決着させたいところです。




