影―054 執行者VS憤怒の悪魔
少し短めです。
「久しいな、少年よ」
サタンは、僕を前にしてそういった。
――久しいな。
その言葉に僕は思わず苦笑した。
「……あの時は、角のコスプレした変なおっさんかと思ってたんだけどな。その節は妹の遊び相手になってくれて助かったよ」
「なんということは無い。妹君にこの角を折られそうになったのは焦ったがな……」
そう言って彼も苦笑し、僕らの間にはあたかも知り合いと道端でばったりと出くわしたような、そんな空気が広がっていた。
けれども、ここは道端ではない。
「そんなサタンさんが、今回はなんの御用で?」
「なに、数年前はあれほどにか弱かった少年が、どれだけ成長したものか、と確認しに来た迄よ」
サタンは頬を緩めてそういった。
僕を前にして一歩も引かぬどころか、余裕綽々なその様子。そして月光眼を通じて感じられる――真っ赤なオーラ。
それは相手が自分よりも圧倒的格上だという証拠。それこそ、現時点では勝機は見えないほどに。挑むこと自体に正気を感じられないほどに、
「いやぁ……、今ちょっとお腹壊しててー。できれば数年後にお越しいただけたらと思うのですが……」
「却下だ。そう何度も俺に混沌様を説得させないでもらいたい。機嫌を損ねれば俺とて殺されてしまう」
……え、マジで?
ちょっと僕、悪魔陣営には言っちゃいけなさそうなこと色々と言ったりやったりしてるんですけど。主につくねを取り合っての喧嘩だとか。
「……大丈夫じゃないか?」
「……大丈夫ではない」
かたくなにそう言って止まないサタン。
いや、確かに強いのは分かるさ、僕が月光眼の能力で力量さを測りたくなくなるほどには。
けれども所詮はつくねだ。プライベートで何を怖がる必要があるというのだろうか? いや皆無である。
『……プライベートで、敵対してるラスボスとつくね食べてる主人公ポジション。たぶん史上初だと思うよ』
恭香が何か言ったように思えたが、如何せん風が強くて困る。全くと言っていいほどに耳に届かなかった。
まぁ、日本でぼっち生活を長く続けていただけあって悪口ならすぐに耳に届くんだけどな。全国のリア充に告げたい、案外ぼっちは耳がいい。その悪口、多分聞かれてますよ? と。
『ロリコンぺドのヘタレ野郎』
瞬間、僕は恭香目掛けて神剣シルズオーバーを振りかぶった。
『ちょタイムっ! まってまって! 今の嘘、冗談!』
「……良かったな、あと数秒遅れてたら突き刺すところだったぞ」
そんなことを言いながらも、僕はその手に握った神剣を光へと戻して霧散させた。
僕は自分の中に流れるその弛緩した空気を今一度張り直すと、今度は真面目な表情でサタンへと視線を向けた。
「ギン=クラッシュベル。今一度聞く、悪魔へと――混沌様へと降るつもりはないか?」
「ない。誰があんなつくねの下につくか」
サタンは心底真面目な表情でそう聞いてきたが、正直僕からしたら考えるまでもない答えだ。
「僕は余程のことでもなければ人の下にはつかん。理由は自由じゃなくなるから。上の機嫌をいちいち窺わないといけないから。……今のお前みたいにな」
「……返す言葉もない」
サタンはそう言って笑ってみせた。
彼も内心では僕の答えがわかっていたのだろう、全くと言っていいほどに驚いた様子を見せていなかった、
「ま、今のはただの確認だ。素直にこちら側へと来ると言えば俺も手を汚す必要は無い。逆に少年。貴様が拒むというのならば――」
僕はその言葉に眉を寄せ――
「貴様の仲間、皆殺しにしてでも。貴様を我らと同じ、悪魔へと堕としてやろう」
サタンは、最後までそう言い終えることは出来なかった。
その前に――僕が殴りかかったから。
――絶歩。
その言葉に一瞬で目の前が真っ赤になった僕は、いきなり目の前に現れた僕に対して驚いているサタンの顔面へと、ヌァザの神腕での一撃を叩き込んだ。
「ぐっ……」
軽く吹き飛ぶサタン。
けれどもまだ終わらない――終わらせない。
「『血濡れの罪業』ッ!」
瞬間、一気に全力を出した僕は、迷うことなくサタンへと追随する。
けれども。
「ぐふっ!?」
気がついた時には、僕の体は吹き飛ばされていた。
顔面へと強打を受けたような痛みが走り、鼻の骨が折れたのか鮮血が鼻から吹き出してくる。
「フハハッ! 不意打ちは流石の一言だな少年よ! その技術だけならば混沌様にさえ通じることだろう!」
だが――
その言葉と同時に、僕の目の前へとサタンの姿が現れる。
「んな――」
「だが、そのような軽い拳、蝿すら殺せぬぞ」
目の前のサタンはそう言って拳を振りかぶる。
ゾクゥッ――
身体中の細胞という細胞が危険信号を発し、全力でその一撃を躱せと告げてくる。
そして次の瞬間、僕へとその拳が轟音をあげながらも振り下ろされ――
「『位置変換』!」
瞬間、僕は自らの体と空に舞う鮮血の位置を変換した。
それによってサタンの拳は空を切り、それと同時に僕はサタンの首を両足で締め付けた。
絞め技――体術に関してはそのプロフェッショナルたる、母さんとグレイスに嫌という程に鍛えられている。その技術、サタンとはいえ通じないはずがない。
そう――思っていた。
「……この程度か」
その言葉に、僕は愕然とした。
この状態――『血濡れの罪業』のモードで首を絞めつけているんだぞ? しかも一切手を抜いていない、文字通りこれで殺すつもりの一撃だった。
なのに――
「つまらん……、なんだ、なんなのだ、この体たらくは! 少年よ!」
「うっ……」
気がつけば僕の目の前へとサタンの手が迫っており、僕は咄嗟に逃げようと動き出すが――けれども、動き出すのが遅すぎた。
僕はまるで後ろが見えているかのようなサタンにその首を捕まれ、そのまま身体の前まで持ち上げられる。
「うっ……あッ――ガッ!」
「なんだ、もう終わりか……少年よ」
ミシミシと、首の骨が悲鳴をあげる。
様々な神経の通っている骨だ、身体中へと麻痺したような感覚が走り、徐々に息も苦しくなってくる。
僕は眉に皺を寄せながらも歯をギリッと噛み締めると、その腕を両手でつかみあげ、思いっきり膝蹴りを打ち込んだ。
事前にわかっていなければ回避も難しいこの一撃。それは見事な軌道を通ってサタンの右腕へと打ち込まれ――
「……せめて、腕の一本でも折って欲しいものだがな」
「なっ!?」
そこにあったのは――全くの無傷。
確かに傷跡こそ付いているものの、骨にすらダメージが入っていないのか、僕の喉を締め付ける握力は全く衰えず、むしろその力を刻一刻と増してゆく。
「や……、うっ、あがっ……」
口の端から声にならない脳な悲鳴が漏れる。
吸血鬼は、は血液によって酸素を身体中へと送っている訳では無い。だからこそ窒息するということ自体はないはずだが、それでも酸素を吸わないという子は苦しいし、何よりも、いくら回復力があるとはいえ、脊髄を握り潰されて平気でいられるとは思えない。
もう限界――そう思い始めたその時。
『封印の鎖!』
「……ぬ?」
恭香の声が響き渡り、それと同時に虚空から召喚されたいくつもの鎖がサタンの体を縛りつける。
それに気を取られたのか、サタンの僕の首を掴んでいた握力が低下し、僕はそのすきを見計らってその拘束から逃げ出した。
「がハッ! ゲホッ、ゴホッ……」
『ぎ、ギン! 大丈夫?』
「大丈夫じゃ……ゴホッ、ないだろうよ」
僕はそう言いながらも、少し離れた場所からサタンへと視線を向けた。
そこには恭香の鎖に興味があるのか、博物館で美術品を観覧するような、そんな雰囲気を醸し出すサタンの姿があった。
「全く……、手を選んでもいられないな……」
僕はそう呟くと、興味が失せたのか、それらの鎖をバキバキと壊しているサタンへと視線を向けた。
「召喚『アダマスの大鎌』『グレイプニル』」
瞬間、僕の左手の中にアダマスの大鎌が召喚され、右手の中にグレイプニルが召喚される。
時空を切り裂く大鎌と、万物を捕縛せし銀鎖。
僕は大鎌を方に担いで鎖を身体の前まで持ち上げると、覚悟を決めてこう告げた。
「これより、執行を開始する」




