影―052 憤怒の襲来
その日は――曇天だった。
つい昨日までは雲一つない青空が広がっていたというのに、今では青色なんて見えやしない。
僕は、屋根の上に座り込んでその空を見上げる。
見えるのはその灰色の雲に埋め尽くされたその空と、その雲の中でバチバチと帯電するその白色の雷。
そして――
「来たか……サタン」
僕は、その姿を見てキッと口を真一文字に結んだ。
ゴロゴロ、バチィィンッ! そう雷が鳴り響き、その光が遥か上空に滞空するその巨体を顕にする。
僕よりも一回り大きいその背丈に、ガッシリとした、まるで岩を前にいているかのような感覚を覚える強靭な肉体。
その身体は黒色のコートに包まれておりその風になびく白色の髪からは黒色の角が生えていた。
「暁穂、今すぐみんなを連れてスメラギさんのところに行ってくれ。詳しいことはその場の判断に任せるが、基本はスメラギさんの言うことにしたがって動いてくれ。いざと言う時の判断は浦町……任せたぞ」
「……了解しました」
「了解した。任せておけぃ」
流石は僕のパーティメンバー。もう僕が何言っても聞かないというのは分かっているのだろう。そう言って彼女らは達は僕の背後を離れていくが――
「恭香、白夜、輝夜。三人だけは行かないでくれ」
「「「……は?」」」
思ってもいなかったのか、ちょっと女の子が出していいの? ってくらい低い声が出る三人。
まぁ、僕もいつまでも子供じゃない。勝てるかわからない強敵相手に一人で戦う――だなんて、そんな我儘は少し昔に捨ててきた。
「最初は大丈夫だろうって思ってたけど……あれ見たら、今回ばかりは勝てるか分からなくなってきたからさ。三人には僕と一緒にサタンと戦ってもらう。……迷惑かけて済まないな」
「へっ!? あ、いやっ、大丈夫だよっ!」
「そ、そうじゃぞ主様よ! 頼ってくれて嬉しいのじゃ!」
「クハハハハッ、まさか登場してこんなにも早く出番があるとは思いもせんかったがな! 我が闇の力を見せてやろう!」
何気に、彼女達を戦闘において頼ったのは初めてかもしれない。
まぁ、恭香と白夜にはダンジョン内で、輝夜にはバジリスク戦で頼らせてもらったけれど、それでも、こうして肩を並べた状態で頼るということはなかった気がする。
僕は少し頬を緩めて前へと一歩踏み出すと、その身体を影神の状態へと変換した。
「さて、と。最近はちょっと地味ってた感じするからな。ちょっくら、久しぶりに僕らの力ってのを見せてやろうじゃないか」
僕はそう言って拳を鳴らした。
視線の先には、強敵率いる赤外套の軍勢。
その上、サタンの隣にいる男――アイツもかなりヤバイ。おそらく僕が本気で行って勝てるかどうか……。間違いなく父さんよりも強い。
だからこそ――
「よし、頼むぞお前ら」
「「「了解!」」」
彼女らの肯定に、僕は少しだけ頬を緩めた。
☆☆☆
それから少し時間が経ち、街中では。
もう既にギンから事前に伝えられていたこともあって住民は皆避難していたが、そんな無人の街を出歩いている者もいた。
「おいおい、なーにが悪魔が攻めてくるだァよ。悪魔なんざおとぎ話の中の生きもんだろ? どうせ今回のだってパチモンだ。そんなパチモンを倒せて褒美がもらえんなら……こんないい仕事はねぇわなぁ?」
「げはははっ、その通りでヤンス兄貴!」
そこに居たのは、数十人の冒険者諸君。
彼らはいくつかのパーティが集まって結成されたレイドパーティであり、執行者、黒炎、そしてこの国の王政からも『何人たりとも外に出るな』と言い含められていたのにも関わらず――悪魔の恐ろしさを知らぬゆえに、こうして外を出歩いていた。
彼らの考えたいることは一つ――執行者と黒炎に手柄を独り占めされたくない、そういった嫉妬である。
本来なら王命が下っている時点でそれだけ危険だということがわかるだろうに、彼らの中心となっているその大柄な男にそそのかされ、こうした愚行に走っていた。
けれども――彼らはすぐにその自らの行動の愚かしさに気がつくこととなる。
「……? 人がいないと思えば、こんな所にいるではないか」
瞬間、そんな声とともに空から降り立ったのは、赤い外套に天蓋を被った人間だった。
――否、人間ではない。その身から溢れ出すその気味の悪い黒色の魔力。それは間違っても人間の出せるものではない。
それを目の当たりにしてそのうちの過半が恐怖に頬を引き攣らせたが、残りの少数は相手が一人だということもあり、このまま数で押せば勝てるのではないか、そんなことを思っていた。
けれど――
「おい、人間を発見したのか?」
「あぁ、そのようだな」
「殺すか? それとも生け捕りにして実験に――」
「いや殺す、このような雑魚どもをサタン様、ひいては混沌様に合わせるわけにはいかぬ」
「ならば殺そう」
「そうだな、そうするか」
徐々に増えつつあるその赤い外套。
空を見上げれば数え切れないほどの赤い外套が浮かんでおり、ことそこに至って初めて彼らは気がついた。
――自分は何故、こんな馬鹿なことをしてしまったのだろうか? と。
けれどもその理由は簡単にわかる。一人の男の――自分たちをそそのかした、その男のせいだと。
「お、お前がっ! お前が外に出ようだなんて言うから!」
「そ、そうよ! 私たちを助けなさいよ!」
そんな言葉がきっかけとなり、その大柄な男への批判が波となって押し寄せる。
それにはその男も顔を真っ赤にして――直後、その顔を青く染めた。
「うるさい、人間の分際で喚くな。それに、いずれにせよ貴様らは死ぬのだから関係なかろう」
気がつけば男の胸からは腕が生えており、ごフッと男は血を吐き出し――そのまま絶命した。
「ひぃっ!?」
赤い外套の男がその男の胸からは手を引き抜くと同時、それを目の前で見ていた一人の魔術師の女性が引き攣った悲鳴を漏らす。
けれども泣きわめく者はいない。それだけこの場を占める圧力は常人からしたら厳しいもので――
「あー、おそかった」
いきなり周囲へと響いたその言葉は、その圧力を一瞬で霧散させた。
気がついた時にはその男の死体の前に一人の少女がしゃがみこんでおり、今までその存在にすら気がつけなかった彼らは目を見開き、咄嗟にその少女から距離をとった。
だが――
「残念、こっちもハズレだ」
ズシャァッ!
容赦なく彼――久瀬竜馬は、その男の背中へと刀を振り下ろした。それによって鮮血が舞い、それと同時に他の数カ所でも同じように鮮血が舞散った。
「フゥ、流石は凛ちゃん。見事な潜伏スキルね! 全く気がつけなかったわ!」
「だよねー! もうそろそろエルザさんにも匹敵してるんじゃないかにゃー?」
「それは、ない」
その声に視線を向ければ、そこには刀についたその血液を払っている小鳥遊優香の姿と、そして赤ローブの首をかき切った直後か、同じように短剣についた血を払っている猫又妙の姿があった。
それには残りの戒神衆たちも焦り始め――
「『暗殺』」
瞬間、背後から視線の先にいる少女と同じ声が聞こえ、次の瞬間には自らの視界はグルングルンと回っていた。
「お見事、影分身とその技の組み合わせですか」
「ん、最初のは、影分身で十分」
建物の影から現れた御厨たちにそう返した彼女、凛は、そう言って短剣――神剣シルズオーバーをパッと光へと戻した。
彼女は視線を空へと向ける。
そこにはこちらとは比べ物にならないほどの高レベルな激戦が繰り広げられており、その中に、自らの兄の姿を見つけた。
「……兄、さん」
なんだろうあの姿は。見たこともない――銀色の姿。
九尾との戦いの時でさえ見せていなかったその姿に、彼女はそれだけ敵が強いのだろうと実感し、それと同時に自らに残されたその伸び代にも考え至っていた。
「まだまだ、背中は遠そう」
彼女の前には、いつも決まって兄が歩いていた。兄が歩んだ道をそのまま歩もうとして――その困難さに挫折し、引きこもった。
後からついていくだけでこれなのだ。自ら切り開いていくのがどれだけ難しいか、考えることも出来ない。
だからこそ、その背中を追うのが楽しみでもあり、そして誇らしくもある。
――私の兄さんは、こんなにも強くて、カッコイイんだと。
彼女は口元にニヤリと笑みを浮かべると、残りの戒神衆へと向けてこう言った。
「これより、執行を代理する」
そう言って彼女たちは、その群れの中へと突っ込んでいった。
☆☆☆
バゴッッッ!
そんな破壊音が響き、その男――ガイズは思わず呻いた。
「うぐっ……」
「うぉらぁっ!」
僕はそのガイズの腹部に打ち込んだその拳を思いっきり振り切ると、それによって彼の体は十数メートル吹き飛ばされていく。
が、その勢いは一瞬にして殺され、先程までから一転してガイズはこちらへと襲いかかってきた。
「はっはァ! 旦那じゃないが、アンタ強いなァ! どうだ、俺ともうちょっと遊んでかないかい!?」
「生憎とっ、男には微塵も興味が無いんでね――ッ!」
瞬間、彼の拳に合わせて打ち込んだカウンターが彼の頬をえぐり、それと同時に僕の腹部へと強烈な衝撃と痛みが走った。
「うぐっ」
「ぐはぁっ」
お互いに呻きながらも数メートル後ずさる。
確かに僕の拳は彼の頬へとクリーンヒットしていた。今与えたダメージはそれによるものだろう。
だが、この腹部に走った痛みは――
そこまで考えたところで、僕の超直感が危険信号を受信した。
「油断大敵だぜェ、執行者よぉ!」
「うぐっ」
目の前に迫るはガイズのかかと落とし。
咄嗟に僕は両腕を上にあげてガードしたが、今ので先ほどの衝撃については納得がいった。
僕は口の中に溜まった血を吐き出すと、苦笑いをしながら口を開く。
「カウンターのカウンターに、咄嗟に蹴りを合わせてきたってか……。身体を自由に動かす才能、憧れるね」
「こう見えて俺って天才なんだよなァ。旦那にもその才能を認められて戒神衆の長やってんだぜ?」
まぁ、だろうとは思ったよ。
逆にこのレベルの戒神衆がゴロゴロいたとしたら、間違いなく神界はとうの昔に滅んでる。
何せ――
「聖獣化した僕と、あからさまに手を抜いた状態でまともにやり会えてるんだもんな……」
「おいおい、アップ中って言ってくれや、執行者殿。アンタ相手に手なんて抜いてられねぇさ」
そう言ってブラブラと両手を揺らすガイズ。
……全く、コイツでさえこんなに強いんなら、サタンは一体どれだけ強いんでしょうかね?
僕はそんなことを思いながらも――
「白夜、輝夜、二人で勝てると思うか?」
背後で控えていた二人に対して、そんなことを問いかけた。
「うーむ……、まぁ、二人でならば辛勝と言ったところじゃな。今見てた感じじゃとこやつめちゃんこ強いからの」
「……同感だな。成長したとはいえ、私たち二人でもコイツを倒すには骨が折れるぞ、主殿よ」
そんな言葉を返してくる二人に対して、僕は――
「なら勝てないのか?」
「「それは無い」」
その即答に、僕はニッと笑みを浮かべた。
「なら主様からの命令だ二人共。さっさとコイツを片して僕の救援に来てくれ。でなけりゃ僕死んじゃうかもしれないからな。結構マジで」
そう言って僕は上空へと視線を向ける。
そこには腕組をしてこちらを見つめているサタンの姿があり、その余裕綽々な様子に僕はヒクヒクと頬を引き攣らせる。
全く僕も舐められたものだな。よくもまぁ僕を前にそんな余裕でいられるものだ。
僕はそんなことを考えながらも、サタンへと向けてこういった。
「今行く、少し待ってろクソ悪魔」
この距離だ、十中八九聞こえてないだろうが――それでも、サタンは少しだけ、その口元に笑みを浮かべた。




