影―050 抗う理由
今回はあちら側です。
「という訳で、あの少年と一戦殺らせて頂きたい」
「却下だ」
サタンの言葉に、混沌は即答した。
特注品の黒色ロッキングチェアーに座っている混沌は、もはや威厳など感じられぬ灰色ジャージの上下姿で、心底興味無さそうにこう言った。
「そもそもさ、なに、お前行ったところで勝つの目に見えてるだろ。というか私たちの脅威になるほど、奴には潜在能力が残ってない。それは分かってるだろ?」
「もちろんです、混沌様」
その言葉に今度はサタンが即答する。
場所は悪魔達の住まう世界、その中心地に有る居城である。
そんな中。
「……混沌様、とりあえずジャ○プ読むの辞めてください」
「ちょっと待てサタン、最近○UNTER×○UNTER再開連載してんだよ。タダでさえ理解するの難しいんだから今話しかけんな」
何を言っているのかサッパリのサタンだったが、とりあえず待てと言われたので待ってみた。
二人の間にペラリペラリとページをめくる音だけが木霊し、十数秒後――
「よし! あとはつまんねぇ奴だから話していいぞ」
「ありがたき幸せ」
やはり姉弟。
血は繋がってないものの、やはりあの吸血鬼と同じようなマイペースさが窺える。
そんな中、サタンは顔を伏せながらも口を開く。
「あまりに貴方様には反論したくはないのですが、あの男は早急に潰しておくべきかと。私自身、ヤツの強さに興味があるのもありますが、それ以上にあの少年は――得体が知れない」
一度会ったからわかる――あの男の厄介さを。
もしも万が一勝ったとしよう。殺したとしよう。塵も残さずに消し炭にしたとしよう。
だったとしても、あの男ならば感動させるだけ感動させて死んでゆき、そのまま「久しぶりー」と言いながら帰ってきそうな感じがする。
だからこそ。
「あの少年は殺すべきだ。貴方様がお戯れで私のことを告げて早数週間、今ならばまだあの少年とて準備は出来ておりますまい」
「……まぁ、そうだろうな」
お戯れで。そう言われて何も言い返せない混沌。
彼女はお腹の上に広げたジャ○プを乗せてキィキィとロッキングチェアーを揺すり始める。
彼女の内を占める感情はただ一つ。
混沌は上体を起こしてサタンへと向き直ると、いきなりこんなことを言い出した。
「……おいサタン、何とかして、アイツのこと怒らせられないか? 何なら精神を崩壊させても構わない」
「……はい?」
その唐突な言葉に、思わずサタンはそう顔を上げた。
そこには心底楽しそうな笑みを浮かべている混沌の姿があり、彼女は両手でジェスチャーをしながら口を開いた。
「ほら、悪魔墜ちってのは人や神が全てに絶望した際に起こるトンデモ現象だろ? それらの絶望の過半を失う代わりに自らの種族を変え、絶大な力を得る。神々から嫌われるって点がなければ最高に便利なもんだろう」
――悪魔堕ち。
それは人が絶望のうちに自らの器を捨て、新たな悪魔としての器に魂を移し、自らのステータスを、そして自らの潜在能力を爆発的にはね上げる方法。
その他にも『狂い堕ち』――かつての大悪魔メフィストフェレスが悪魔ムルムルへと施したアレも彼女の言う『とんでも現象』の一つなのだが、それはまた全く別の話。
「つまりは、だ。お前がアイツを絶望させて悪魔堕ちさせた日には……」
「少年は神々から見放され、こちら側に付かざるを得なくなり、その上で今少年が伸び悩んでいる潜在能力の低さについても解決できる、と」
「そゆことー」
そう言って混沌は再び横になった。
「何なら私が手伝ってやろうか? これでも私はアイツの実の両親を殺した張本人だからな」
そう言った彼女の口元には凄惨な笑みが浮かんでおり、彼女が極悪であることを再認識させられる。
けれども――
「なるほど……、その手がありましたな」
サタンはその言葉に、何かを思いついたかのようにそう声を上げた。
そしてすぐに口元へと笑みを浮かべる。
「その必要はないかもしれません、混沌様。一年ほど前、戒神衆に探らせたことがありましたが、その少年は何よりも仲間を大切にするという話を聞きました。それこそ自分よりも」
「……全く愚かなものだな。ルシファーも言ってたが、生物ってのは自分が一番可愛いもんだろうに」
そう言って混沌は遠い目をした。
彼女にも、かつてそんな時代があった。
好きな人を、大切な人を命をかけて守りたいと、そう思っていた時期があった。
けれども彼女はウラノスを罠に嵌め、ゼウスに瀕死の重傷まで追い詰められ、悪という格付けをされた。
その時は自らの命を引換に『混沌』となりなんとか自らの意思を引き継がせたが、それでも、やはりあの光景だけは忘れられない。
『この極悪人! どうせ……っ、どうせ私の事も! いつか殺そうとしてたのでしょう!?』
『ち、違うっ……』
あの日、混沌として自宅へと帰り、妻を連れて逃げようと思っていた。
けれどもそこに待っていたのは――拒絶だった。
最愛の妻。両親よりも、子供よりも、仲間よりも、誰よりも愛していたその妻からの拒絶。
彼女は目の前が真っ暗になった。
『帰って! もう二度と私の前に姿を現さないで!』
何度、その言葉に違う意味が含まれていないかと、そう考えたことだろうか。
けれどもその言葉に含まれる感情など、その言葉の通り以外には存在しなかった。
だからこそ――彼女は、妻を手にかけた。
『神なんて、信用出来ない』
最愛の人の血で真っ赤に染まったその手を見下ろしながら、彼女はそう呟いた。
『人も、神も、何もかも信用なんて出来やしない……!』
気がつけば彼女の頬を暖かい何かが伝っており、彼女は、その何かを拭うことなくその血溜まりへと踵を向けた。
神を憎み、その神を崇める人を憎んだ彼女。
そんな彼女が行き着く先など、もはや考えるまでもなく分かるだろう。
「……懐かしいですね。神々の側において、世界神に次いで強かった貴方がいきなり殴り込みに来て――」
「うるさいぞサタン。なぜ考えていることがわかった」
その言葉に、サタンはククッと肩を震わせた。
「まぁ、貴方様は元々は神でしたが、過去なんてものは悪魔にとっては関係ありません。今、我らと同じく神を憎み、そして我らの見方をしようとするのであれば、例え同胞を殺したものであっても向かい入れるのみ」
そう言ってサタンは一礼すると、そのまま踵を返して歩き出した。
「……なぜ、貴様は私に仕える? サタンよ、お前の両親を神として殺したのは――」
そう言って彼女は、苦しげに歯を食いしばった。
かつて、時空神クロノスとして名を馳せていた頃、クロノスは戦場で一人の男を殺した。かなり強く、印象が強かったが、それでも彼女ほどではなかった。
そしてその数日後、目の周りを真っ赤に腫らした一人の女が彼女へと襲い掛かってきた。
その女はさして強くもなく、すぐに殺した。
けれどもクロノスは、その木の影からこちらを見つめている一人の子供の姿を発見した――その母親を、殺した直後に。
クロノスは何をしていいのかわからずに硬直してしまい、その間に子供はどこかへと駆けて行ってしまったが――
「その白髪に、その赤い瞳。極めつけはその角だ。貴様があの時の子と同一人物だと言うのは、一目見た時からわかっている」
「……そう、でしたか」
そう言ってサタンは、困ったように頭をかいた。
けれどもすぐにだらんと腕を下ろしと、はぁと深い溜息を吐いた。
「確かに、私の両親は貴方に殺されました。私の母親は、私の目の前で貴方に殺されました。……そりゃ、最初は恨みました」
けれども。
サタンはそう言って振り返ると、口元に笑みを浮かべてこう言った。
「だからって、泣いている女の子を見捨てるほど、私も悪魔じゃないんですよ、混沌様」
そう言ってサタンは思い出す――泣きながら自分へと挑んできた、その親の仇の姿を。
あの時の彼女はとてつもなく強く、そして何より、酷く壊れかかっていた。
結果としてサタンを打倒し、悪魔の頂点へと君臨した混沌ではあったが、それでもサタンからすれば殺す機会などいくらでもあった。身体的にではなく、精神的に。
けれども――殺せなかった。
泣きながら自分たちへと手を伸ばしてくる女の子を、見捨てることなんて出来なかった。
「……悪魔の頂点が、なに悪魔らしくないこと言ってるんだ」
「泣きながら仲間になれと挑んできた貴方にだけは言われたくありませんよ。今の悪魔の頂点様」
そう言ってサタンは再び歩き出す。
彼の中に、もう混沌への怒りはない。あるのはただ、一人の女の子を幸せにしたいという願いのみ。
恋でもなく、友情でもなく――言うなれば忠誠。
彼女が神を憎むというのであれば、自分は神々に抗おう。
彼女があの少年を仲間に招き入れたいというのであれば。
「我が憤怒の罪の名に誓って――あの少年の憤怒、引き出してまいりましょう」
彼はそう言って、今日もその己が主のための道をゆくのだった。




