閑話 遠い日の夢
シリアス100%でお送りします。
――夢を、見ていた。
それは遠い日の、今はもう忘れてしまった僕の記憶。
この夢を見る度に思い出す。その懐かしくも暖かい日々を。
けれども目が覚めると、そこに残っているのはポッカリと穴の空いた僕の心と、頬を伝う涙だけ。
何か夢を見ていた。大切な夢を。
そんなことは分かるのだけれど、その夢の内容が――どうしたって思い出せない。
……そんな夢だ。
どうやら今回はその日のようだ。
僕は独り、街中にポツリと立ってその光景を見つめる。
これは、僕が語る、一時の夢の物語。
僕からはもう既に失われた――そんな物語。
☆☆☆
「おにーちゃぁぁんっ!」
小さい黒色のツインテールが風に揺れ、その少年へと一人の女の子が突っ込んでいった。
「うわぁっ!?」
少年はいきなり飛んできた人体を受け止められらるわけもなく、そのまま彼女ごと地面へと転がっていった。
すると、それを家の中から見ていたらしいエプロン姿の女性が飛び出してきた。
「こら! お兄ちゃん、ミッちゃん! 危険なことしたらダメでしょうが!」
その女性は、少年――少女の兄であり息子のことをお兄ちゃんと。逆に娘であり少年の妹の事をミッちゃんと呼ぶ。
「お、おかあさん! 今のはミっちゃんが……」
「五十歩百歩です!」
正論をいう少年に対して全く聞く耳を持たず、おたまを片手ににじり寄ってくるその女性。
そんな女性へと、一人の男性が話しかけた。
「こら、母さん。息子の言うことはきちんと聞かないと。これじゃどっちが子供か分からないぞ。あと今使うとしたら連帯責任の方が良かったかな」
「……失礼しちゃうっ」
その言葉にそう返したものの、よく考えればその通りだと自分でも思ったのだろう。
彼女は頬を赤らめながらもぷいっとそっぽを向き、そのまま家の中へと入っていった。
そして、それを安堵の息をつきながら見送る二人。
「あ、ありがとう、おとうさん……」
「ありがとー! おとーさん!」
「どういたしまして。次回からは危険なことをして遊ばないよーにね」
二人の言葉にそう返す父親――お父さん。
お父さんは近くに寄ってきた二人の頭を、庭に設置されたその椅子に座りながら優しく撫でた。
それには二人の子供は気持ちよさげに笑みを浮かべたが――今回は、その片割れについて語るとしよう。
――鐘倉銀志。
それこそが、当時五歳の少年の名前だった。
☆☆☆
気がつけば、僕は家の中に立っていた。
視線を巡らせれば、周囲には見たことのない、それでいて懐かしい風景が広がっており、そんな中――僕は泣きじゃくるその少年を見つけた。
銀志――と、そう呼んでもいいが、何だかちょっとアレなので、今回は少年と。そう呼ぶことにしよう。
「ううっ、……ぐすっ」
泣きじゃくる少年。
泣き喚いている訳では無いが、その両の瞳からは絶え間なく涙が吹き出しており、僕は呆れたようにその前へとしゃがみ込んだ。
『おい、どうした少年』
けれども少年は反応すらしない。
その代わり、僕の背後から足音が聞こえてきた。
「……どうしたんだい? 銀志」
振り向けば、そこにはお父さんが立っており、僕の正面にいた少年はその涙に濡れた顔をガバッと上げた。
「お、おとうさんっ!」
少年はお父さんめがけて駆け出した。
その際に少年の身体が僕の身体をすり抜けていく。なんとも不思議な感覚だ。
「なにか、嫌なことでもあったのかい?」
少年を受け止めたお父さんが、少年へとそんなことを問いかけた。
すると少年は袖でゴシゴシと涙を拭うと、憤慨したように眉根を寄せた。
「うんっ! た、たけし君が僕の遊んでたおもちゃを……ううっ、ぐすっ……」
けれどもすぐにその光景を思い出したのか、少年はお父さんの胸に顔を押し付け泣き始める。
誰にでも子供時代というものはあるもので、こうして少年の姿を見ていると、今の自分が酷く汚れたように思える。
――正確には、汚れを知ったように、かな。
「どうしたんだい? 壊されたか奪われたか馬鹿にされたか……まぁ、どんな状況なのかは分からないけど」
そう言ってお父さんは、優しく少年の頭を抱きしめた。
……何故だろうか?
その光景に、その男の姿に見覚えはないはずなのに、こうも懐かしく――そして、悲しくなってくるのは。
その言葉を、未だに覚えているのは。
「いいかい銀志。男の子ならそう簡単に泣くんじゃない。涙っていうのは、仲間や恋人の前で使うまで取っておくものだよ」
その言葉だけは、覚えている。
そう、確かこの後、少年はこういうのだ。
「ぐすっ、……な、なんで?」
子供からしたらこう思うのだろう。
それもまた当然だ。
けれどもお父さんは、余程中二の気があったのだろう。
彼はニヤリと笑みを浮かべると。
「なんだか、そっちの方がカッコイイだろ?」
楽しそうに、そう言った。
☆☆☆
次の瞬間には、僕はまた違う場所に立っていた。
そこは少年の部屋だった。
父親の言葉が少年にとって難しいものであったということもあり、少年はわけも分からずに不貞寝することにした。
――と言った感じだろうか? 覚えてないけれど。
「お兄ちゃーん、起きてるかしらー?」
「……ねてる」
部屋の外から聞こえてきた言葉に、少年はそう返した。
するとその直後、口元に笑みを浮かべた女性――お母さんが部屋へと入ってくる。
「あらそう? 寝てるなら私も独り言しちゃうわね?」
お母さんはそう言いながらもベットの端に腰をかける。
横向きで眠っている少年の肩に片手を添えながらも、お母さんはこう言った。
「銀志も知ってると思うけど、私たちは代々影魔法、って言う技を継承してる特別な家なの。オンリーワンでナンバーワンなの。イカスでしょ?」
知るかボケ。
そう言ってやりたかった。
けれども母親はクスクスと笑みを浮かべると、いきなりこんなことを言い出した。
「間違っても、将来『知るかボケー』なんて言う子に育たないでちょうだいね? ……私たちは、貴方には純粋なまま育って欲しい」
その言葉に、僕は思わず顔を俯かせた。
「私たちはさ、昔からこの国が秘密裏に行わきゃいけない任務とかを請け負っていたのだけれど、……でも、それも私たちの代で終わらせるつもりなの。お兄ちゃんやミッちゃんに、あんな仕事はさせられない」
そう言った彼女は優しく少年の頭を撫でる。
サラサラの黒髪を指の隙間に挟めながらも、その様子は大切な人を慈しむ女神のようにも見えた。
「貴方は自由に生きなさい。けれど、勝手に死ぬことは許さないわよ。死ぬなら寿命か――自分の信念を貫き通して死になさい」
その言葉も覚えている。
死ぬことは許さない。
死ぬのなら、自分の信念を貫き通した先に死ね。
間違っても親が子にいうセリフではないが、それも僕からしたら今の僕を形作っている大切な宝物。
もう忘れてしまった、けれどもどこかに残っている、絶対に失いたくない宝物だ。
僕はフッと笑みを浮かべると、その光景へと踵を向けた。
「……もう、行くのかい?」
ふと、そんな声が背後から聞こえてくる。
声質から考えてお父さんだろうか?
『おかしいな……。アンタ、さっきまでそこにいなかったはずなのに』
「何もおかしくなんてないさ、これは夢なんだから」
彼はそう言った。
……なんだよ、話通じるじゃないか。
僕はそう唇を尖らせながらも背後へと視線を向けると、そこには先程までベットに横になっていた少年の姿はなく、僕の姿を心配そうに見つめる二人が立っていた。
「もう少し、もう少しだけ、ここに……」
彼女はそう、寂しげに呟いた。
――けれども。
『……ごめん。仲間が、待ってるから』
そう言って僕は、二人から視線を外した。
見れば目の前にあったドアは開かれており、その先からはドス黒い闇そのものが漏れている。
「君は……死ぬつもりかい?」
その言葉に、僕は思わず苦笑する。
死ぬつもり? そんなわけが無いだろう。
『死ぬ覚悟なんて微塵も決まってないさ。だから、僕は意地でも生き続ける』
その言葉に、二人が背後で笑みを浮かべたように思えた。
思えただけで、実際にどうなのかは分からないけれど――それでも。笑ってくれていたら、嬉しいな。
『ご覧の通り、望まれたようには成長しなかった僕だけど。それでも、仲間が出来た。彼女が出来た。……自分の信念が、見つかった』
そう言って僕は、振り返ることなくその闇の中へと足を踏み入れた。
この先に待っているのは地獄だろうか?
もしかしたら僕が想像も出来ないような末路が待っているのかもしれない。
だけどまぁ、きっとピンチに陥ったとしても、その時の僕がなんとかしてくれるだろう。
他人のことは信用出来ない僕だけど、未来の自分くらいは信用してやらないと。
僕はフッと口元に笑みを浮かべると。
『行ってきます。お父さん、お母さん』
これは、僕が既に失った遠い日の夢。
いつも起きると覚えていない、少し特別な夢。
僕の――最初の物語。
ギン曰く「過去」だそうですが、だからといって大切でない訳ではありません。




