記録―05 森国の忌み子
胸糞注意報。
エルフリーダーが嫌いな人は発狂します。
これは、少し昔の話である。
正確に言えば今から十四年前のこと。
森国ウルスタンには、一人の忌み子が存在していた。
――忌み子。
彼のクランに所属するアイギスもまたその不名誉極まりない称号を手にしていたが、こと彼女に至っては、アイギスよりも余程救われない過去を持っていた。
「やーいやーい! このれっとーしゅーっ!」
「妖精族じゃない奴は仲間になんて入れてやんないもんねー!」
「そんなに耳が短くて生きてて恥ずかしくないのー?」
「きゃははははっ! ほらみんな、こんなやつ構ってないで行こうぜ!」
森国の広場――いや、その広さから空き地と言った方が正しいだろうか。
エルフの子供たちがそう言いながらもどこかへと去ってゆき、そこに残されていたのは身体中に青あざを作り、蹲ってぐすぐすと泣いている一人の少女。
彼女の名はネイル――当時十歳である。
彼女は身体中に走るその傷に「ううっ」と声を漏らしながらも、ふらふらと立ち上がり、トボトボと自分の家――否、住処へと足を向けた。
その道中、街中を歩いていると必ず敵意や嘲笑の込められた視線がネイルの身体に突き刺さり、聞こえる範囲で悪口が囁かれている。
「グスッ……、なんで、なんで私、ばっかり……」
ネイルは、涙を拭ってそう小さく呟いた。
彼女は、幼少期のころから凄惨なイジメを受けていた。
川に突き落とされ、魔物の前に放り出され、全員に行き渡るはずの食べ物を渡されず、何度死を目前にしたか分からないほどである。
けれども、決まってその時に『私が力を貸そうか?』と頭の中に声が響き渡り、ネイルがそのどこか恐ろしい声に頷くよりも前に、どこからかさっそうと現れた緑色の髪をしたエルフが彼女を助けてゆくのだ。
川に溺れた時は彼女を助け。
魔物に襲われた時はその魔物を一瞬で切り刻み。
飢えた時には、暖かなパンを恵んでゆく。
その、顔がどうしても思い出せないエルフは、決まって「生きなさい」と言って去ってゆく。
まるで――その『力』を使わせないように。
だからこそ彼女は今の今まで生きながらえており、それはこの国――いや、大きさ的には『里』の者達からしても不思議な程であった。
「もう……死んじゃいたい」
彼女はそう呟くと、ぴたっと足を止めた。
目の前には自分が暮らしているその住処。
それは家と呼べるような代物ではなく、壁も柱も入口もない、だだ木の幹に藁と木で作り上げた屋根を掛けただけのものである。
味方なんていない。
父も母も、物心ついた時にはもう居なかった。
叔父も叔母もいなければ、自分に一体なんの『血』が混ざっているのかも、両親のどちらが妖精族でどちらが他種族だったのかも分からない。
分かっているのは、ただ単純に嫌われているということだけ。
その中でも唯一の救いは、一生懸命に作り上げたこの住処だけは壊されていないということ。
彼女は『死にたい』という言葉を再び口にしてため息を吐くと、モゾモゾとその屋根の下へと入っていった。
「ここだけは……、安心していられる」
その当時のネイルにとって、その屋根の下だけが唯一の救いであり、安静の地だった。
☆☆☆
それから一週間ほどが経ったある日のこと。
今日も今日とて配給では何も食べ物が渡されず、帰り道に子供たちに暴力を伴うイジメを受け、ネイルはトボトボと自分の住処へと帰ってきた。
安静の地。唯一の救い。
彼女は今日もその場所に引きこもろうと考えながらその場所へと足を運んで――
「…………え?」
壊されてゆく、自分の住処を目の当たりにした。
気がつけばネイルはペタンと座り込んでしまっており、その住処を笑いながら壊していたものの一人――時期エース筆頭とも呼ばれるこの国における天才児が彼女の方へと寄ってきた。
「くくっ、クハハッ! 無様だな混血よ! 国の者達皆に軽蔑され、疎まれ嫌われ、それでも必死に自らの住まいに引きこもり無駄に生き延びようとする……。なんと、なんと無様な生きざまよ、妖精族の風上にも置けぬ屑め!」
瞬間、彼は思いっきりネイルの頬を殴りつけ、やせ細った彼女の身体は数メートル吹き飛ばされてゆく。
それには焦ったように彼の仲間が止めに入るが、それより先に二発目――ネイルの腹部に彼のつま先が突き刺さった。
「がハッ!? げはっ、げほっ……」
痛みに慣れているネイルと言えども大の大人から二発も本気の一撃をくらったことはなく、彼女は初めて『死』に手が届きそうな位置に自分がいるのだと。そう確信した。
(わ、私……、死んじゃうの……かな?)
ネイルの意識が徐々に薄れてゆき、そんな彼女へとその男の声が降り掛かった。
「住処に引きこもり自堕落な生活を送る屑よ! 貴様のような者に与える飯も場所も、ましてや時間もない! 今すぐにこの国から出てゆけ! 上の者には確認はしておらぬが、これはこの国の総意と思って良い!」
その傲慢すぎるその言葉。
それと同時に彼らの足音が遠ざかってゆき、それと同時にネイルの意識が――プツンと切れた。
☆☆☆
彼女は、フワフワと浮いているような感覚を覚えて目を開けた。
けれども何かが見えることも無く、ただ暖かい光が周囲を包み込んでいる。
(あぁ……、私、死んじゃったんだ……)
そう考え至るまで、そう時間はかからなかった。
何せ弱っていたところにあの攻撃である。並の者では治せるはずもない。もしもそんな事が可能だとすれば――おそらく、伝説と呼ばれる冒険者パーティ『時の歯車』のメンバー位のものだろう。
けれども彼女にそんな伝はない。だからこそ彼女は死を確信していたのだが――
『だから言ったじゃない。私が力を貸そうか? って。貴方は両親の血に恵まれているのだから、本当なら成長力だってとんでもないのよ? 神に届きうる才能だって眠ってるし……』
ふと、頭の中にそんな声が響き渡る。
その言葉にネイルは思わず目を見開き、声を上げる。
「だ、だれっ!?」
『ごめんなさいね、今はまだ答えてあげられないわ』
けれどもその声はそうのらりくらりと言ってのけると、なにかに気がついたかのように『あっ!』と声を上げた。
『あー、ごめんなさいね、ネイル。エル……名前は伏せるけど、めちゃくちゃ強くて有名な人が私のことを封印したみたい。しばらくは表に出てこれそうにないわね』
エル――。
彼女は誰の名前を言おうとしたのか。それは彼女には分からなかったが、その声の主としばらく会えないのだろうということは彼女にも理解出来た。
「な、ならっ! どうやったらまた、あなたとお話できるの!?」
ネイルはそう叫んだ。
彼女にとって、その声は生まれて初めて自分と対等に、そして普通に話してくれる存在であった。だからこそ彼女はこう思った――これでお別れなんて嫌だ、と。
その言葉にその声は困ったように声を上げると。
『えーっと……。そうね。貴女の身に危険が迫ったら是が非でも出てくるから安心して頂戴。まぁ、貴女みたいな可愛い女の子、きっとすぐに良いナイト様が貰ってくれるわよ。だから私の出番なんてないとは思うのだけれど……』
けれど。
彼女はそう言うと、真剣な声色でこう告げた。
『貴女の精神が崩壊しかけた時。あるいは、誰かを心から助けたいと思った時。私はあなたへと全ての力を授与するわ。それを使いこなせるかどうかは貴女次第――だけど』
――私が誰よりも『強い』と認めた貴女だもの。きっと大丈夫でしょう?
その声はそう告げると同時に、どこかへと消えていった。
そして次の瞬間、一気に浮いていた体が浮上するような感覚を覚えたネイルは、「ふぁっ!?」と声を上げて目を見開いた。
その声にどこからか「うおっ!?」と声が上がり、ネイルら恐る恐るそちらへと視線を向けた。
するとそこには一人の褐色肌の女性がしゃがみこんでおり、驚いたような顔でネイルの顔を覗き込んでいた。
「なるほど……、見たところ、凄まじい人生を送ると、辛うじてそんな運命が見えますね」
「でしょう? なにせ私の娘だもの」
その褐色肌の女性の言葉に聞き覚えのある声がどこからか聞こえてきて、その内容を理解したネイルはガバッと上体を起こした。
もう既に身体中からは痛みが消えており、古傷の類もすべて消え失せていた。
「お、お母さん!? お母さんなの!?」
ネイルはそう叫ぶ。
けれどもその言葉に返事はなく、ネイルは泣きそうになりながら再び叫ぶ。
「お母さん! お母さんなんでしょっ!? どうやったら、私っ、どうやったらお母さんに会えるのっ!?」
悲痛さの滲むその叫び。
それには傍に立っていた褐色肌の女性は苦しげに顔を歪め、どこからか、やっと絞り出したようなその声が聞こえてくる。
「ネイル……、生きなさい。寿命が尽きるまで、貴女がもう思い残すことはないって、そう思えるまで生き続けなさい。この世界には不幸と同じ数だけ、幸福があるのだから。だから、生きていれば、いつかは会える日も来るでしょう」
それと同時に木々が風によってザァァァァと揺れ動き、それ以降その言葉の続きは聞こえてこない。
きっと彼女はこう言いたいのだろう――『あとは好きに生きてご覧なさい』と。
彼女はぐっと両の拳を握りしめると、そばに立っていたその女性へと視線を向けた。
腰まで伸びるその銀髪に、その青い瞳には何かの紋章が浮かび上がっている。
「あのっ……、お母さんの、友だち……ですか?」
「あー、いや、友達というよりは弟子、と言った感じだが……お前の味方ということだけは確かだ。そこは安心してくれ」
彼女はネイルの不安そうな言葉にそう返すと、フゥと息を吐いて右手をネイルへと差し出した。
「では改めて。初めましてだなネイル。私の名はレイシア。生ける伝説の弟子をやっている者だ」
それが、彼女の物語の原点。
その後パシリアの街のギルドマスターに就任したレイシア。彼女に付いていたネイルもまた、それと時を同じくしてその街のギルド職員として就職する。
この過去のトラウマが抜けきっていないため、最初はとてもじゃないが仕事などできる状況ではなかったが、それでもあの街の暖かな空気に触れた彼女は次第にその明るさを手にしてゆく。
そしてその十年後。
パシリアの街に一人の男が現れる。
その名を――ギン=クラッシュベル。
『声』が言っていた、彼女のナイト様である。
学園編で『よくネイル、ギンの修行に付いてこれるな……』と微かに思った人へ。こういう理由です。




