第279話
『ふふふっ⋯⋯、ご主人様を貶した罰です』
僕は、そんな不穏な声を聞いて目を覚ました。
というのも、僕は絶対的な安全性を求めた結果バハムートを召喚するというズルを決行した訳だが、彼女を召喚する代償に使った魔力こそ回復したものの、数日前の悪鬼羅刹の副作用が未だ完治していない。
別にそれを理由や保険にして勝負に挑むつもりは無いが、だからといってそれらをそのまま放置しておくわけにもいくまい。
という訳で、僕はバハムートに揺られながら眠りについていたのだが──
「ん? なんか焦げ臭⋯⋯⋯⋯⋯⋯はい?」
僕は目の前の光景を見て、思わずそんな声を出した。
目の前に広がるは、一面の焼け野原。
最早そこに何があったかすらも分からない。全てが溶け、焼かれ、燃やされ、残ったのは破壊の傷跡のみ。
そして──何故か満足そうな声を出すウルとバハムート。
『ふふっ、さすがバハムート、私の忠実な部下ですね』
『いえ、今のは我輩もカッチーンと来てしまったが故の行動ですが⋯⋯、まさかここまでの阿呆共がこの大陸に住み着いていたとは思いもしませんでしたぞ』
『ええ、時代は私たちの知らないところで移りゆくのです』
『さすがウル様、奈落よりも深いお言葉です』
僕はそれらを聞いてこう思った──あ、多分ここに何があったか聞いちゃいけないやつだ、と。
言ってしまえば今の会話と、いつの間にか取り出した生放送中のカメラを構えたまま固まっているゼロたち、そして少し機嫌悪そうにしている白夜と輝夜を見て、大体の察しはついている。
だがしかし、世の中には知らなくていいことも沢山あるのだ。きっとこれも知らなくていいことだろう。
僕はそう考え、思い込むと、バハムートへと向かってこう告げた。
「さぁバハムート! 聖国へと向けてレッツゴーだ!」
『ククッ、了解だ我が友⋯⋯というか貴様、我が娘は何故違う男とくっついておるのだ』
「知らん、とっとと行け。でないとウルに命令させるぞ」
『はぁ、貴様もなかなかどうして肝が座ってきおったな』
そうして僕らは、何事もなく聖国への道を辿っていったのであった。
──そう、何事もなく、な。
☆☆☆
その十数分後、聖都にて。
聖女は、自らの部屋の中に設置されているそのスクリーンを見て──先ほど出陣したはずの聖空騎士団が全滅してゆく様を見て、怒りと焦りを含んだ本性を顕にした。
「クソッ! パラモッサもクルクイックもなんて能無しなのかしら!? せっかく薄汚いスラム街から拾って育てたっていうのに! 養育費に生活費諸々、二人をここまで育てるのにどれだけかかったと思っているのよ!?」
彼女はたまたま近場にあった瓶を掴んで投げ捨てると、その瓶は少しの放物線を描いて地面に叩きつけられた。
ガシャーン! と音が鳴るが、この部屋は聖女がその本性を晒す数少ない場所、つまりは完全な防音である。そしてその事は外の見張りには知る由もない事であり、それを知っているのは聖女と──そしてもう一人。
「ハッハッハ! 荒れてんなぁ聖女ちゃん! そんなに荒れてっと信者達が逃げちまうぜ!」
「うっさいわね! 黙ってなさいアルファ!」
その部屋に設置されている大きな窓。その縁に一人の男が腰をかけていた。
その紫がかった白髪の影からは紫色の瞳が聖女の方を覗いており、かなりその様子は大人びていた。それは、十七歳という若さにも関わらず、ギンとさして歳の変わらない青年のように感じられるほどだ。
彼は聖女の声に肩をすくめると、スクリーンに映っている伝説や神話で語られてきた『世界竜バハムート』へと視線をやって、そしてそれに乗る黒髪の男の姿を見て、ふぅと息を吐いた。
「あれだ、バハムートに関しちゃ俺でも無理だぜ? あれはスクリーン越しでも一発見ただけでビビビッときたね!」
「くっ、認めたくはないけれど確かにそうでしょうね。なにせ伝説だもの」
それは、聖女と魔族による密談。
しかも魔族の言葉に対して聖女が素直に頷いている。それは誰がどう見ても聖女がその少年の事を信頼しているという証拠でもあり、見る者が見れば卒倒する光景でもあった。
「その上、だ。あの黒竜の背中に乗ってる⋯⋯パッと見た感じ六人かァ? あの馬鹿ガキ共三人は敵じゃねぇとして、白髪の嬢ちゃんと金髪の姉ちゃん、んで極めつけはあの吸血鬼だ」
彼はそう言うと、深いため息をついて頭をボリボリとかいた。
「正直最初に言った二人ならまだ何とかなるが、それでも単体でこの国滅ぼせるようなバケモンだぜ? んで、あの吸血鬼に至っては俺よりも遥かに格上だ。大悪魔と戦ってまだ全快してないって噂だし、今殺り合ってやっと互角、って感じだろうが⋯⋯」
そう言って彼は呆れたような視線を聖女へと向けると、その本心をぶちまけた。
「あの三人を同時に相手するなんてことになりゃあ勝ち目ゼロだ。やっとお前さんに死神さんのお迎えが来たってわけだな、クソったれな聖女ちゃんよ」
それは明らかな侮辱行為。
本来ならば聖女に向かって、しかも国内でそんなことをやらかせば死罪は免れない。
けれどもそれを幾度となく繰り返して尚生きてこれたのがこのアルファという男であり、しかもその本性を出し始めたのが、なんと聖国にとって自身の存在が必要不可欠になってからだと言うのだからなお酷い。
「うるさいわね⋯⋯別に死ぬことなんて怖くないわ。死ぬとなってもたくさんの人々を道連れにして死ぬわけだしね。まるでパーティにでも行くような気分よ」
「ハッハッハ! 面白いこと言うじゃねぇか聖女ちゃん! 俺からすればお前の性根の腐ってる度の方が笑い事だがな」
「⋯⋯好きでこんなふうになったんじゃないわよ」
聖女はそう言うとふいと視線を逸らし、自らの辿ってきた過去を思い出す。
始まりは──どこかの街の路地裏だった。
物心ついた頃、そういう言葉が最も相応しい時期、彼女は捨て子として路地裏を彷徨い歩き続け、ゴミ箱を漁っては腐った、それこそ人が食べようとは考えもしない汚物を食らって生き抜いていた。
金髪翠眼と、生まれ持った容姿こそ整っていたものの薄汚れた年端もいかない少女に欲情する者もおらず、結果として平穏無事なゴミのような生活をしていた。
けれども数年後、突如として彼女の前に数人の神父たちが現れた。
『君、良ければ我らが主神の元で働いてみないか?』
その言葉が、聖女ミリアンヌの原点だった。
修道院へと引き取られた彼女は神父たち──呪眼神の使徒たちによって間違った英才教育を受けさせられ、同じような境遇の、それまた容姿の整った少女たちと共に、それこそ前よりは少しだけマシ、と言ったような生活を余儀なくされた。
そんな中で、彼女は全てに気がついていた。
神父たちが何かの『偶像』を育てようとしている事、学んでいることに信憑性はなく世間的には間違っている事、その神が受願神ではなく呪眼神であること──そして、この少女たちの中からは一人しか生き延びれないであろうこと。
だからこそ、彼女は必死に努力した。
他の者が『偶像』に至ってしまっては他の者達は間違いなく処分される。だが自分がそれになってしまえば、その使徒たちを処分し、今一緒に暮らしている少女たちを救うことが出来る。
純粋な正義の元にそう決心し、努力し、時に心を鬼にして他人を蹴落とし、そしてが彼女は偶像へと──聖女へと成った。
そうして予定していたとおり『神への反逆者』として使徒たちを全員処刑し、邪魔者を排除したところで聖女は一緒に暮らしていた彼女たちへの元へと向かった。
そして──歯車が、その正義が壊れ始める。
彼女を待っていたのは、恐怖に怯える少女たちと、怒りに震え、自らを睨みつけてくる少女たちだった。
聖女はその反応に思わず怯んでしまい、咄嗟にどうしたのかと彼女らに問うた。
そして、彼女たちからは皆同じような反応が返って来た。
『この人でなし! みんなで頑張ってたのに、あなたのせいでみんなが傷ついた! あなたのせいで神父さんたちが死んだ! あなたに殺された! もうこれ以上、私たちからなにも奪わないで!』
パキッ!
何かが、壊れるような音がした。
そう、彼女らは何も分かっていなかったのだ。
自分たちが騙されていること。聖女が自分たちのことを思って動いていること。自らを救おうとしていた事。そして、彼女がみんなの平和を願っていたこと。
彼女は必死に弁明した。必死に頭も下げた。
けれども彼女らの中に凝り固まって住み着いたその“盲目”は真実を覆い隠し、結果として彼女らは聖女を悪と言って止めなかった。
聖女はそれらを必死に止めさせたが、結局それをたまたまそれを聞いた神父やシスターによって広められ、彼女たちは聖女を貶めた逆賊として──惨たらしく、処刑された。
救おうとしたもの。
それらに勘違いされ、忌み嫌われていたその事実。
そして──最期に言われたこの言葉。
『絶対に⋯⋯殺してやる』
気がつけば心に灯っていた正義の炎は完全に消え失せており、そこに残ったのは虚無感だけ。
そうして彼女の心は砕け、壊れ、狂い、そして考えを改めるようになった。
『もう、私は十分に生きた。なら、これから先は何も考えず、自分のためだけに生きてやる。その結果不敬となって死ぬのなら、ある意味本望だろう』
それは彼女が持つ唯一の感情──破滅願望。
そうして聖女ミリアンヌは完成し、その破滅願望の赴くままに全てを思うがままに操り、支配し、そしていつの日か訪れる破綻を待ち望んできた。
──そして、もうすぐその破滅が成就するのだ。
なればそこに恐怖はなく、むしろ壊れたはずの自らの心が、正義が、これ以上の被害を出さなくてよかった、と心の底から叫びをあげ、寧ろ感謝の感情すら湧いてくる。
(やっと⋯⋯やっと死ねるわ)
聖女は内心でそう呟くと、それを見計らったかのごとくかけられた言葉に意識を現実へと戻した。
「そういや、あのお前さんが惚れてる勇者様はどこいったんだ?」
「惚れてるなんて冗談でもよしてちょうだい。あの腐った狂人は城門へと送ったわ。顔を見るだけで反吐が出る。やっとストーカー被害から解放されてせいせいしてるわよ」
酷い言い草であった。
それはアルファも思ったのか、堪えきれないように吹き出しながらこう口を開く。
「プッッ! ハッハッハ! お前から狂人呼ばわりされるなんざよっぽどなんだな、あのクソイケメンは」
「当たり前よ。私の場合は上部だけの言わばなんちゃって聖女だけれど、彼の場合は完全に根っからの正義男よ。しかも性格がひねくれ曲がってる。私よりも救いようがない人間なんて初めて見たわ」
「だよな! 俺なんてこの前『僕のミリアンヌに指一本でも触れてみろ!? 絶対に許さないんだからなっ』とか言われて殴られたぞ。何アイツ、もしかしてツンデレ?」
「ふふふっ、あなたも面白いこと言えるのね」
その時、ミリアンヌは久しぶりに笑みを零した。
それは長らく失われていた心からの笑顔であり、その顔にはもはや今までの聖女はおらず、嫌味なことに、その笑顔はこの上なく聖女らしかった。
それを見て満足げに微笑んだアルファは、聖女はへと背を向けて扉へと歩き出す。
「じゃ、俺は大広間ででも奴らを出迎えるとするわ。あのレベルの化物とやり合うにはあれくらい広さは欲しいし、何よりちぃとばかし懐い顔が揃ってたんでな」
そう言うと彼は扉へと手を掛け、開こうとして──その直前に振り向いた。
そこには静かに佇む聖女の姿があり、そのなんとも言えない表情を浮かべた彼女へと、彼は一枚の木の板を投げ渡した。
ミリアンヌはいきなりの行動に思わずその板を落としかけたが、何とか拾って一息をつき、そしてその板に書かれていたその言葉を見て目を見開く。
『俺の過去にお前さんが全く関係ないのは知ってる。逆に色々と気を使ってたのも知ってる。だからそこだけは感謝だ。お互い、生きてたらまた会おうぜ、聖女ちゃん』
そこにはそんな下手くそな文字列の後に、通信用魔道具の連絡先が書かれており、聖女は咄嗟に顔を上げるが、そこにはもう彼の姿はなく、聖女はため息混じりにその板を懐へと仕舞う。
「まったく⋯⋯馬鹿なのか賢いのか」
こうしてギンの知らない場所で、思いっきりフラグが立っていた。
どうだったでしょうか?
聖女ちゃんとアルファ君でした。




