第265話
その放送を聞いていち早く会場の外に出たグレイスと死神カネクラを待っていたのは、冷や汗をタラリと流している白夜と輝夜、そして遠くの方で砂埃が上がる草原だった。
「ふむ? お前達は確かギンの従魔たちであったかの? 相手側の様子は調査してあるぞよ?」
「そちらは確か主殿の恩師であったか.....。ふむ、一応確認はできておるのだが、少々我らでは荷が重い魔物達が揃っていてな......」
そう言った輝夜は、その土煙の方へと視線を向けて、思い出すかのように淡々とその群れの内容を口にした。
「我の使役している魔物達が調査した内容だけでも、それらの全てがSランク以上から構成されており、内四割近くはEXランク、そのうち三割は我らよりも強い魔物たちだ」
───それに、
輝夜はそう言って一度息をつくと、グレイスの方を見てこう告げる。
「明らかに格の違う化物が二匹混ざっている。片方は人型だった故大悪魔であろうが、もう片方に関してはその全容を視認する前に使い魔が食われてしまった。正直どれだけ強いのか想像もつかない程だ」
その言葉にグレイスと死神カネクラはヒクっと頬を引き攣らせてお互いの顔を見合う。
「おいカネクラ、その内片方を引き受けることは可能かの? 鈍っとる今のワシじゃと、さすがに五聖獣クラスのerror級を二体相手にするのは物理的に骨が折れるぞよ」
「おいおい、お前まさか俺様にこの身体で大悪魔倒せってんじゃねぇだろうな? 生身でもお前より弱いってんのに普通に考えて無理に決まってんだろうが。雑魚倒してやるから散ってこい」
「嫌ぞよ! ワシは結婚する前に散るのだけは嫌なのぞよ! お前はどうせ結婚出来んからお前が散ってくればよかろうに!」
「はァ!? テメェまさか結婚相手に覚えでもあんのか!? 夏休みの時毎日合コン行って誰にも相手されなかったお前がか!?」
───いや、そんな事してるからerror級に手こずることになってるんじゃない?
白夜と輝夜は思わずそう聞いてしまいたかったが、二人の浮かべる表情が本気すぎてその言葉は奥に引っ込んでいった。
そんなことをしている間にも周囲には冒険者やクランのメンバーたちが集い始め、ゼロたちのパーティ、そして『金の神獣』の数人、そして国王であるエルグリットが輝夜たちに近づいてきた。
「よく分かんねぇがアレか。グレイスさんがそこまで荒れ狂ってるってことはそれなりに強敵って訳か?」
「クハハッ、正直キャラ設定をかなぐり捨ててしまうくらいにはヤバいぞ。お主も国王ならば逃げた方が良いのではないか?」
「どうせ逃げたところで魔物達の方が早い。死ぬのが早いか遅いかの違いだろ?」
「カカッ! 流石は主様が認めるクソ国王じゃ! 脳筋なのか頭がキレるのかよく分からんのじゃ!」
「......ちょっと待てアンタ、まさかあいつ影で俺のこと『クソ国王』なんて呼んでるんじゃないだろうな?」
それは、死がすぐそこまで迫っている者達の醸し出す空気ではなかった。
その為か、その周囲のゼロやマスタークはそれらの姿に思わず目を剥き、頭でも沸いたんじゃないかと内心本気で思ってしまった。
そして、マスタークはまだしもゼロはまだ子供。
気持ちの制御が出来ず、思わず国王であるエルグリットに内情をぶつけてしまった。
「こ、国王様っ! な、なんで笑ってるんですか!? ま、魔物たちの群れがすぐそこまで迫ってるんですよ!? 死ぬかもしれないんですよっ!?」
その言葉を皮切りに訪れる静寂。
その静寂の中、ゼロは「やってしまった」と遅まきながらに思考が追いついたが、彼女を待っていたのはエルグリットの笑みであった。
「確かお前、ギンの弟子的な奴だったか? 勝手に弟子名乗ってるとかいうパチモンの」
その言葉にゼロは『いや、それ自分で言ってるわけじゃ...』と反論したかったが、そうすれば不敬に当たるかもしれない。そんな思いで無言を貫き通した。
そんな姿にエルグリットは苦笑すると、ゼロの頭をクシャクシャとやって声をかけた。
「生きてる以上“死”ってのは常につきまとうもんだ。冒険者、騎士、商人、平民、そして国王。生きてる以上は多かれ少なかれ死ぬ可能性はあるんだ。そして冒険者や国王ってのはその筆頭だな。だからこそ、俺達はいつ死んでもいいように覚悟だけはしておかなくちゃならねぇ。お前さんはまだ子供だから分かんねぇかもしれねぇが、冒険者をやっていく以上これくらいの危機はいつか起こるだろう。それが嫌なら今すぐ逃げ出してどこかの街で安全な職にでも付きゃあいいさ」
そう言ってエルグリットはニィっと笑うと、グレイスたちの方へと振り返った。
ゼロにはああ言ったもののエルグリットととて死にたいと思っている訳では無い。他のみんなを全て見殺しにしてまで生き残りたいとは思わないが、それでも生きる努力だけはするべきだ。
気がつけば周囲には他の執行機関のメンバーも揃い始めており、アメリアこそ居ないがそれ以外の王族───ギルバート、ルネア、オリビアもこの場に揃っていた。
そしてエルグリットは───疑問に思う。
「......あ? おいギルバート、おまえアイツと一緒だったんじゃないのか?」
その声に一同が「あっ」と声を上げ、周囲にその影を探す。
けれどもその行為は、ある意味で無意味であったのだろう。
「大悪魔が一匹、大悪魔が二匹───」
そんな声が聞こえてきて、皆は一斉にその声が聞こえてくる会場の入口へと視線を向け───そして恐怖した。
───そこから感じられるは荒れ狂う真っ赤な魔力と、それに乗ってここまで伝えられる『怒り』の感情。
「大悪魔、大悪魔、大悪魔───毎度毎度いい所で僕の日常を邪魔しやがって......。そんなに絶滅させて欲しいのか? このゴキブリ共が」
その怒りと苛立ちの滲み出る声に、その声の主を知っている白夜たちは思わず身震いし、その闇の中にゆらゆらと光る、赤と銀の瞳の軌跡を見て恐怖に打ち震えた。
誰もが思った───前の大軍よりやばいのが後ろに居た、と。
そうして彼は闇の中から姿を現し、表情の全く浮かんでいないその顔で、その口で、大悪魔率いるその群れへとこう告げた。
「執行なんて面倒臭い。お前らまとめて全滅だ」
毎度毎度邪魔なところで登場する大悪魔たちに、ギンはかなーり怒っていた。
☆☆☆
一方その頃、その群れの中心で。
八つに別れた頭を持つ大蛇───輝夜が捕捉したerror級の魔物であるヤマタノオロチの背に乗る彼女は、進行先の小さな会場を見てほくそ笑んだ。
腰までかかる茶色い髪に赤い瞳、腕によって押し上げられるおおきな胸。
赤と黒を基調とした露出の多い服に、黒いマント。腰には一振りの剣を差している。
彼女こそ───大悪魔序列八位、色欲の罪を司るアスモデウスである。
彼女に許された唯一の能力は、全ての生物を魅了して虜とし、自らの下僕とする、俗に言う『魅了』の能力だ。
故に彼女はその能力に特化し、その末にerror級の魔物さえ操ることに成功した。
error級といえば白虎や玄武などの五聖獣が含まれるクラス。彼女はそれすらも操るというのだからよほどの実力の持ち主だろう。
───ちなみに他の大悪魔から『最弱』と呼ばれるのは本人がさほど強くないという理由からではあるが、それでもなお全ての力を解放させすればそのヤマタノオロチすら凌駕する力を持つ。例えるならばかつてエロースが打倒した『テュポーン』と同格である。
そんな彼女が何故こんな場所に足を運んでいるかと言うと、それは単純明快───彼女の邪魔をし続ける男があの場所にいるからだ。
「私はタダでさえ大悪魔の中じゃ弱いって評判なのに、その経験値稼ぎとして用意した下僕共が尽く一人の人間に打倒されたのよ? しかも聞く話によればただの吸血鬼族の始祖って言うじゃない! これはもう自分で倒して経験値にするっきゃないでしょう!」
───それに、と彼女は呟いて、あの忌々しい序列二位のことを思い出した。
「バアルはまだいいわ、私の剣の師匠だし、何よりも強いわ。にも関わらずあのクソッ! 私に実力も見せず、しかも“大罪”を背負ってないくせに序列二位ですって!? 冗談じゃないわよ!」
そう言って、彼女はこちらへ来る直前にメフィストが言っていた言葉を思い出した。
『恐らくはこれが最後になると思うので助言です。彼の特徴は私に顔が瓜二つなこと。そして完全に常識から尽く逸脱していること。まぁ、暇なので観戦してますが、せめて善戦してくださいね?』
その言葉を思い出すと無性に腹が立つ。
なにせ、メフィストは彼女───アスモデウスが勝つなどと微塵も思っておらず、逆に『せめて善戦』と言い張ったのだ。プライドの高い彼女にとってその言葉は最高の屈辱だった。
だからこそ彼女は決意した───その男を簡単に打倒して今度こそあの男を見返して、そして見下してやろう、と。
───そう、彼女一人で肩を震わせていると、ふと、魔物達の行軍が止まっていることに気がついた。
「ちょっと、何かあったの?」
自らの乗るヤマタノオロチにそう話しかけても、返ってくるのは怯えたような小さな鳴き声だけ。
それに思わず彼女は目を見開いた───私の持つ最強の手駒が恐怖ですって!? と。
彼女は急いでヤマタノオロチの背を上りきり、その首の隙間から前方へと視線を向け───そして再び目を見開いた。
そこには黒い民族衣装を着た黒髪の青年が一人で立っており、その容姿はメフィストに瓜二つだった。
───標的の男だ。
アスモデウスは一人で来ていることに驚いたが、少し考えてニヤリと笑みを浮かべると、その男に向けて容赦なく『魅了』の能力を発動したした。
「キャハハハハッ! 私を邪魔した罪よ! 貴方は私に隷属し、延々と痛めつけた末に殺してあげるわッ!!」
彼女は発動を確認すると同時に勝利を確信してそう叫ぶが、けれども魔物達が動く気配は一向になく、さらに言えばその男が自分に跪いていないことに気がついた。
彼女は信じられない現状に困惑したが、その男の姿をよく確認して───彼女は今度こそ、驚愕に目を見開いた。
「な、何なのよ......。そ、その魔力はッ!?」
長年生きた強者は、対象の身体に纏わり付く魔力だけで相手の魔力の総量を測れるという。
その男の身体から放たれる魔力は、恐らくは総量のわずか数パーセントと言ったところだろう。
その量に一度驚き───そして、その総量を想定して絶望した。
「ぜ、ぜぜ、全能神ゼウスと同格ですって!?」
それは明らかに、素の最強───全能神ゼウスにも匹敵するほどの馬鹿げた魔力量であった。
全能神ゼウスのステータスは、それぞれが素の状態でも十億を軽く突破する。
それらの数値はあまりにも高すぎる。
それゆえ大悪魔たちは『十億』という仮定で全能神ゼウスのことを測っていたのだが───彼の魔力量はその十億を確かに超えていた。
───化け物。
吸血鬼族の始祖だなんて冗談じゃない。明らかにそれ以上───確実に進化している。
いや、ただの神祖だとしてもこれはあまりにも笑えない。特異種───まさか、伝説の純血種か!?
その考えに至った途端、彼女は体がガクガクと恐怖に震えているのを感じ、それと同時に何故魔物達が立ち止まっているのか、全てを察した。
───それは、絶対的なる恐怖の支配。
絶対的な実力差を戦わずして見せつけ、その上でその恐怖によって身体の自由を奪い取った。
勝てない───七つの大罪とはいえ、自分の唯一の能力である『魅了』が純血種の神祖相手に通じるわけがない。絶対にだ。
───相性が、あまりにも悪すぎる。
そう考え思わず“生”を諦めかけてしまったアスモデウスではあったが、彼女は彼が一人でその場に立っていることを思い出し、そこに僅かながらの希望を見いだした。
圧倒的強者も、体力には限界があり、それが回復力のある吸血鬼族の神祖、それも純血種だからといって、回復力に長けたヤマタノオロチとやり合えば消耗するに違いない。
そして疲れた所を───自分が全力で叩けばいいだけだ。
彼女はそう思って───思い込んで無理やり口角を引き上げると、魔物達全員へ向かってこう命令した。
「下僕たちよ! あの吸血鬼族に一斉攻撃! 何とかして消耗させなさい!!」
そうして魔物達が重い腰を上げて動き出し───一方的な蹂躙が始まった。
影神モードのギンの全魔力は十億オーバーです。
ちなみにですが、ゼウスのステータスは強者ぞろいの大悪魔たちでも測定不能です。もちろん十億では収まってませんとも。




