第228話
六月の下旬。
最近はもうほんとに暑くなってきて、何だか雪国でスキーして遭難した出来事がかなり昔に感じられるほどである。
───が、僕は今、面倒くさそうな問題に直面していた。
「あー、いい感じですね。ギンさんも常日頃からそうしてればカッコイイのに......」
そう言って座っている僕の髪型をセットしているのは、いつもとは打って変わってメイド服を着ているネイル。
そして鏡に映っているのは、眼鏡はかけていないが、あの時お別れしたはずのカッコイイVer.の僕であった。
「はぁ......、何でこんなことに」
そう僕がつぶやくのにも理由があり、
───まぁ、一言で言うならば、学園祭の出し物が、僕達のクラスは『天国喫茶』とかいうモノになった為だった。
☆☆☆
これは遡ること、一週間と少し。
退院早々前以上にストーキングし始めたスメラギさんを今日も今日とてガン無視し、いつものように頬杖をついてつまらなそーにして席に座って黙っている。
それはいつもと全く同じ光景なのだが、周囲の生徒達の様子は普段からはかけ離れていた。
「はい! お化け屋敷なんてどうでしょうか!?」
「あー、ギンさんがお化け嫌いなので無理だと思います」
「へぇー、あのギン君にも苦手なものあるんだな?」
「んな事どうでもいいだろうがよ! メイド喫茶に決定でいいんじゃねぇのかァ!?」
「アストランド、ちょっとうるせぇ」
そう言ってクラス中の人が話し合い、決めようとしているものといえば単純明快、学園祭での出し物について、である。
今は六月の下旬で、学園祭が始まるの七月の中旬。
そのためあまり時間に余裕はなく、僕個人としては何をやろうが知ったことではないが、兎にも角にも、とっとと早く決めちゃってほしい。
───と、そんな僕の願いが通じたのだろうか?
「はいはーい! 私はアストランド君の意見に賛成だよっ!」
そう言い出したのは、珍しく委員長モードのアンナさん───何あの子、普通に素だったら可愛いじゃないですか。
と、そんなことを考えていると、僕と同じようなことを考えた男子生徒もいたのだろう。アンナさんへと「どうして?」みたいなことを聞く声が上がった。男子から。
───すると、どうだろう。
先程まで凛とした表情の裏に確かな可愛らしさを隠していた女の子が、一瞬にして腐り果てたゾンビのごとく、目を腐らせて笑い始めた。
「ぐ、ぐ腐っ、あのね? アストランド君は女の子たちのメイド姿が見たい、私たちはディーン君やクラウド君、アストランド君はどうでもいいけど......、何より、彼と桃野くんの執事姿を見てみたい!」
瞬間、一斉に僕の方へと向けられる計四十もの視線の数々。
───おい、まだアンナさん『彼と桃野くん』しか言ってないんですけど? 何でみんなして迷う素振りもなく僕と僕の前の席の桃野のこと見てるんですか?
だからこそ、僕は彼らに苦言を呈した。
「ちょっと待てお前ら、桃野は執事服もいいがやっぱりメイド姿の方が似合うに決まってんだろうが」
「えええっ!? ぎ、銀ってば何言ってるの!?」
僕の前の先から裏切られたとばかりの絶叫が響いたが、残念ながら僕の中での優先順位はもう決まっていた。
「野郎どもォォォ!! 桃野と女子たちのメイド服が見たけりゃ立ち上がれェェェェ!!!」
一気に調子付いたアストランドのその魂の叫びに、僕と桃野を除いた大体の男子は、拳をあげて雄叫びをあげた。
───その際にアンナさんを含めた数名の女子が同じく雄叫びをあげてたことは、そっと記憶の片隅にしまっておこう。
☆☆☆
そうして時系列は現在へと戻る。
本来はメイド喫茶なのだが、執事もいるため、何故か天国喫茶。
それを前にして僕は、「そういや僕も出なきゃいけないんだったな」と大切なことを思い出し、絶望感に暮れているところであった。
───はぁ、本当に面倒くさそうな予感がするよ。
そう心の中でため息をつく僕ではあったが、残念ながら今日は当日ではない。当日を目前に......って訳じゃないが、とにかく不備のないよう試してみよう、というリハーサルもどきだ。ちなみに桃野はズル休みである。
今日は他クラスの知り合いと、うちのクラスの余ってる奴ら、それに今日はメイドor執事に変身しない奴らがお客さんとなってくれるらしい───まぁ、マックスが来てて笑われる未来しか見えないのだけれど。
そうして僕は、ネイルにセットされた髪型を鏡で確認して、服装の乱れもないことを確認した後、秘密兵器であるメガネを装着した。
......するとどうだろう、すぐ近くで僕のことを見ていたクラスの奴らが完全にフリーズし、隣のネイルに至っては死んでるんじゃないかってくらい直立不動していた。
───いや、雰囲気変わるって言ってもたかが眼鏡だぞ? 何をそんなに驚いてんだお前ら。
と、そんなことを考えている間にもリハーサルの時間は刻一刻と迫っていることに気がつき、パンッと手を叩いてみんなの意識を現実へと浮上させた。
「よしお前ら、渡された台本通りやれば成功するとか言われてるから、とりあえず失敗しないよう台本通りことを進めろ。いいかー、お客様はいちゃもんつけに来るクソ貴族だと思え。どんなに無礼でも台本通り、きちんと対応するんだ。分かったか?」
「「「「は、はいっ! 分かりました!!」」」」
何故か委員長でも無い僕がこんなことを言うハメになってはいるが、まぁ、ここまで大して手伝ってこなかったのだからそれも仕方ないと割り切ろう。
僕は眼鏡をクイッと上げると、そろそろ客入りだろうと考え、机の上に置いてあった伝票の紙を取り、もう一度僕に渡された台本の内容を思い返す。
───まぁ、一言で言えば『超楽勝』なのだが、あまりにも僕の性格の悪さがにじみ出るようなキャラを演じなければならない。
「はぁ......、本当にこれで成功するのかね」
僕が不安を滲ませながら、そう小さく呟くとほぼ同時に、カーテンを一枚挟んだ向こうからは来客たちの話し声が聞こえてきた。
☆☆☆
僕らの『天国喫茶』は、基本的に軽めの食事やそれ+αで......そうだな、例えば『ディーン君からの壁ドン』みたいなので金をとるのだとか。
僕ら執事やメイドたちは教室を三対一に分けた一の方で準備し、そして用事がある度に、カーテンに遮られた向こう側の客席へと料理や注文を取りに行くシステムだ。
にしても、そんなので金儲けできるのだから素のイケメンっていいですね。僕みたいな頑張ってギャップ萌を狙ってる雑魚とは天と地の差があるわ。
───と、そんなことを考えはしたが、今回ばかりは真面目にキャラを演じてみよう。リハーサルだし、それでどれだけ儲けを出せるかは分からないが。
「あー、注文いいですかー?」
カーテンの向こう側からそんな女子生徒の呼びかけが聞こえて、僕ら執事の間にピリッとした緊張感が漂い始める。
そして不思議と僕の方へと集まる皆の視線。
───ふっ、数々の死線をくぐり抜けてきた僕にとって、今から生徒達の前でキャラを演じることくらい難ない事さ。
僕は自信満々に振り返ってサムズアップすると「それじゃあ一丁ぶちかましてくるわ」と小声で言うと、メガネをくいっとあげてカーテンの向こう側へと躍り出た。
もちろんというかなんというか、流石に数名のスタッフを部屋の角に置いてはいるが、それでもいきなり現れた僕に視線が集まらないわけがなく、みんなチラッと見て頭に疑問符を浮かべて視線を逸らし、そうして「はっ?」と結構まじな顔をして見返してくる。なにこいつら喧嘩売ってんのか?
僕はそれらの視線を無視して、わざとかったるそうに注文をした女子たちが座っている席の真ん前まで行くと、蔑むような冷たい視線を浴びせてこう言った。
「お前らが客か? ほら、とっとと注文しろよ」
冷たい、けれどもドスは効いていない絶妙な声でそう言って眼鏡をくいっとあげてやると、ものすごく戸惑った様子の女子生徒たちがあたふたし始めた。
そりゃあそうだろう、いきなり出てきたと思えば執行者だし、見た目が違う上に性格までガラリと変わっている。そんなの焦らない方がおかしい。
───だが、僕はここで畳み掛けろとのオーダーをアンナさんから貰っているのだった。
ダンッ!! と、僕はテーブルの上に手をついた。
───ちなみにだが、片腕だと色々やりにくいので、僕がテーブルへと音だけは響くように叩きつけたのは、包帯でグルグル巻きにしたヌァザの神腕である。
それにビクッと肩を震わせた女子生徒たちに向かって、尚も冷たさを止めはしない。
「おいお前、せっかく俺が来てやってるんだ。さっさと要件言わねぇなら帰っちまうぞ?」
その言葉は、たまたま一番近くにいた気の弱そうな女の子へと向けることにした。
その女の子も自分が標的にされていることに気がついたのか、慌ててメニュー表へと視線を移し、頼もうとしていた品を口にしようとした
───が、
「待て、気が変わった」
そう言うと同時に僕は今開きかけていたその唇へと人差し指をピッと当て、ニヤリとした笑みを顔に貼り付けた。
「お前......、よく見たら可愛い顔してるじゃないか」
そう言うと僕は壁ドンの要領で右腕で彼女の座っている椅子の背を掴むと、かつて僕がエロースに迫られた時と比肩してもたいさないほどの距離で、こうぶっ込んでやった。
「よし、お前。今日から俺様の所有物な。......まぁ、嘘だけど」
瞬間、教室中の全ての時が止まったのかと思うほどの静寂があたりを占め───とてつもなく、死にたくなった。
───ちょっとー? アンナさんどういう事ですかこれは? 僕ってオーダー通りS男を演じたんですけどー?
と、内心そんな冷や汗をかいていると、僕の目の前の少女がおどおどと言った様子でこう呟いた。
「え......、嘘? 所有物......え?」
それは自然に口から漏れ出た言葉だったのかもしれないが、ここまでぶっ込んでしまった僕にとって、もう引き返すという道は残されていないのだ。
───ならば、その一言から勝機を見出すしかない!!
僕はフッと笑うと、そのこの瞳を見つめたままこう切り出してみた。
「なんだ? 期待してたからガッカリしたか?」
その言葉と同時に僕の精神力がゴリゴリと削られてゆく。
───あぁぁぁぁぁっっ!! こんなの僕じゃない!こんなの僕じゃない! なんだよ俺様って、バカじゃねぇの!? バーカ、バーカ!! アンナさんマジファック!!
だが、そんな内心と引換に現実は案外僕には優しいものだった。
少女は一瞬目を見開いて僕の瞳を見つめ返したが、すぐに頬を染めて顔を逸らし───控えめに、首肯した。
───来たッッ!! これぞ勝機ッッ!!
僕はふっと意地悪そうに微笑むと、その少女のおでこに一発、軽めのデコピンをくらわせてからこう言った。
「この欲しがりが。そんなに欲しけりゃ仮初の愛情くらいならくれてやる。まぁ、これも嘘かも知んねぇけどな?」
そう言うと、最早注文を聞くだけの力も残っていない僕は、スタスタとカーテンの裏の控え室まで戻ってきて、
───思いっきり、頭からぶっ倒れた。
すると僕の蛮勇を見ていたクラスメイトたちが寄ってきて、なにを思ったか涙を滲ませながらサムズアップしてきた。
「大丈夫ですよギンさん! 私は『必死にやってるんだろうなぁ』って思って泣いちゃいましたが、それでもあの子は間違いなく落ちましたよ! 絶対当日にギンさんからの壁ドンを注文してくるに違いありません!」
「イイッ! イイよギン君! 私の予想以上にS男が似合ってたよ! ちょっとぎこちないところもあったけど普段のギン君を鑑みると大成功だよ!!」
そう言ってネイルとアンナさん、その他の面々も色々と小声で励ましてくれてはいるが、やはり僕には立ち上がるような気力は残っておらず。
「僕には.....、イケメンの演技は、出来ない....よ」
そう言い残して、がっくりと意識を手放した。
☆☆☆
その日、オークキングとの戦闘並みに精神力を消費した僕が目覚めたのはほとんどの客が店を去った後だったため、『なんか他のみんなに負担かけちゃったかもな』と思い、他のみんなの元へと向かった
───のだが、
「「「し、死ぬぅぅぅぅ......」」」
僕の視線の先には、眼鏡をかけた執事&メイドたちが無残にも床を這いつくばっている様子が窺え、僕はまだかろうじて残っているであろう客に考慮して、たまたま近くにいたネイルを小声で叫びながら抱き起こした。
「ネイル、ネイル! しっかりしろ!」
「ぎ、ギン......さん?」
僕の声に目を覚ました様子のネイルは、何故か僕がつけていたものと同じ種類の眼鏡をかけており、よく見ればほかのみんなも同じような眼鏡をかけていた。
僕はその光景を今一度見て嫌な予感が頭を走り抜け、
「反響......、呼び......過ぎ...」
ガクッ、と、身体から力が完全に抜けたネイルの亡骸を腕の中に抱え、僕は心の中で絶叫した。
いやはや、ギンはイケメンの真似はヘタッピですね。失笑、と言ったところでしょうか。
それと余談ですが、ギンのファンクラブは大体みんな狂信的です。彼のファンクラブメンバーは、ギンがやったことならば悪事でも肯定しちゃうくらいのレベルなので、正直聖国と同等クラスでタチが悪いです。




