第9話『加護』
――ドラゴン。
それは空想上の生物にして、最強の生命体。
魔物の頂点に立つ種族の内一つでもあり、拳は岩をも砕き、爪は鋼鉄の塊すら穿ち、鱗はどんな弾丸すらはじき返し、熱も冷気も通すことはなく、吐息は人を灰燼と化す。
そんな、存在自体がチートみたいな化け物。
ソレが、目の前に存在していた。
「な、ぁ……っ」
声にならない悲鳴を上げ、目の前のドラゴンを見上げる。
ゆっくりと動き出した全体像は白銀色だ。
ところどころ土や泥が付いて汚れてはいるが、その鱗はまばゆいほどに輝いており、ゆっくりと鎌首をもたげたその頭部へと視線を向ければ、ぎょろりとこちらを睨み据える巨大な瞳と視線が交差する。
――死。
途端にその可能性が脳裏を過り、反射に近い速度で反転、全力で走りだす。
やばい、やばいやばいやばいやばい……ッ!
頭の中がその言葉一色に塗りつぶされる中、わずかな暇もなく自らの体に襲い来る恐怖の嵐に、絶対的な死の予感に、僕は生まれて初めて出すようなスピードでその大部屋を後にせんと走り出し――
――そして、体がぐらりと地面に倒れた。
「……はっ?」
何かに躓いた……?
いや、だとしたらあまりにも――
そう、困惑を顔に張り付け、足元へと視線を向けた僕。
かくしてその視界に映り込んだのは――
「…………ッ!?」
真っ二つに断ち切られた、己が胴体だった。
☆☆☆
「あ、があああああああああああああああああああ!?」
あまりの激痛に、喉の奥から張り裂けんばかりの絶叫が轟いた。
痛い、痛い痛い痛い……ッ、なんだこれ、なんだ、なんなんだよコレ……ッ!
視線を下ろせば、胴体のところを爪で薙ぎ払われたのか、大きくえぐられたような傷跡が胴体に広がっており、下半身と上半身が生き別れ、真っ赤な鮮血が傷口から噴き出していた。
熱いくらいの鮮血が地面を伝って沼と化し、鮮血の沼に沈んだ体を必死に動かし、痛みに喘ぎながら、荒くなった息を吐き出した。
『ま、ままま、マスターッ!?』
恭香の絶叫が轟く。
見れば腰の金具へと付けていた彼女は無事で済んだようだが……コレ、僕の方はどっからどう見ても無事じゃ済まそうだよな……。
吸血鬼ってのは一晩あれば四肢の損失すら治るそうだが、どう見たってこれ四肢の損失どころの怪我じゃないし、そもそもこれだけの大怪我……
「ほ、んきで……死……ッ」
痛みゆえか、出血量ゆえか、視界が徐々に歪み始める。
真っ赤な鮮血の沼は今もなお広がりつつあり、見上げる先にはこちらを見降ろすドラゴンの姿。
たとえ、この傷を何とか出来ても、たぶんもう――
そう、諦めかけた僕は。
――ったく、せっかく救ってやったんだ、もうちっと足掻いたっていいだろうがよ。
『ぴろりん!【死神の加護】を取得しました』
脳裏に響いた中性的な声に、そして響いたインフォメーションに目を見開いた。
だ、誰……死神さん? と、というか加護って……。
そう、定まりもしない思考を巡らせる僕ではあったが、直後に自身の体が不自然に蠢きだし、咄嗟に自身の胴体へと視線を向ける。
するとそこには巻き戻されるようにして修復されていく自らの肉体が存在しており、血液こそ戻ってはいないようだが、それでも余りある『治癒能力』――否、【不死力】に目を見開いて固まってしまう。
『こ、この回復能力は……、も、もしかして死神様の加護の力、《回復能力の向上》の影響……!』
恭香の声が響き、再度つながった下半身に目を見開いて驚いていると――はたと、上空からドラゴンの息遣いが聞こえて咄嗟にその場を飛びのく。
途端、先ほどまで僕のいた場所をドラゴンの爪がえぐり取り、視認することも叶わなかったその一撃にスウッと背筋が冷たくなる。
ど、どうなってんのかはわからないけど、とりあえず加護のおかげで大けがは乗り越えた。吸血鬼になった影響か、あれだけ出血しておいて貧血っぽさは感じないし――けど、問題はまだ解決しちゃいない。
「く、そが……ッ!」
前方にはこちらを睨み据えるドラゴンの姿があり、さして確認することもなく、どうせ『超高生命体』なんているわけがないとこの部屋に入った自分を殴り飛ばしたい気分に駆られてしまう。
が、今はそんなことどうだっていい。
今、大切なのはただ一つ。
――どうやって、ここから生き延びるか。
ただ、それだけである。
そう大きく息を吐いた僕は、拳を握り締め、ドラゴンの姿を睨み据える。
そして――
「…………あれっ」
ドラゴンの体に刻まれた真っ赤な傷跡を。
そして、力尽きたように大地に崩れ落ちたその姿を見て、思わず目を点にした。