9.〈ヘスペリデスの園〉へ
ノズルを船尾に集中させた巡航モードで、シルフィード型機動宇宙艇が虚空を進む。
アンドロメダは、星系のあちこちに作られた小惑星鉱夫(ベルタ-)用の避難小屋で待機している。
「アンドロメダ、ひとりで大丈夫かな」
『この時代の人間なんだ。俺らより大丈夫だろ』
「でもさ。アンドロメダと私が出会った時って、アンドロメダは小惑星に鎖で縛られてたんだよ? なんか生贄にされてるっぽかったし、そういう敵って、彼女にいるんじゃないのかな」
『そうだったのか』
「そういえば、あの時は、海堂くんじゃなくて、セラフだっけ」
『航行記録は残ってるな。ちょっと見てみるか……』
「うん……あっ! ダメ-ッ! ストップ! ストップ!」
海堂が航行記録を検索し始めると、亜里砂が顔を真っ赤にして大声で叫んだ。
アンドロメダとの濃厚なキスシーンを同級生の男子に見られたら、乙女として切腹ものである。
『わっ、なんだなんだ』
「見た? 見てない? 見てたら忘れること!」
『見てないよ。この宇宙艇の最上位権限者はお前だから、今ので記録全部がロックかかったぞ。どうするんだ』
「あー、ごめん。えーと、海堂くんが乗ってからの航行記録は見ていいから。セラフが乗ってた時のは、見ちゃだめ。見たら絶交だからね」
『わかったよ』
「わかればよろしい」
やがて、軌道進行方向に〈ヘスペリデスの園〉が見えてきた。
『そろそろ艤装モードになるぞ』
「うーん」
『どうした? 何か気になることでもあるのか』
「いや、最初の時はもうあれよあれよで魔法少女に変身したんだけど、やっぱりかけ声とかポーズとか必要なのかなー、と思って」
『魔法少女じゃねえよ』
「あー、でも。これって、本当なら魔法少年かも」
『そんなジャンル、聞いたことねぇよ』
「いや、今になって思い出したんだけど。私、こういう漫画、見たことある。男の子が、鎧みたいなの着て戦うの」
『マジか』
「小学生の頃に、お母さんの部屋で、段ボールの中に入ってた昔の漫画で見たことがあるんだけど。よく覚えてないんだよねー。なんか鎖使って戦ってた。あと、えらく薄い漫画だった」
亜里砂が母親の黒歴史を思い出しかけていると、突然、船首がぐぐっ、と傾いた。
「きゃあっ」
『うお、デブリがぶつかった。このあたりのデブリだと速度が半端ないから、シールドで受け止めても船首があおられるな』
「もう危ないってことだね。よし、じゃあ、いくよ」
『いつでもこい……いや、そのヘンな格好なんだよ』
「変身ポーズ」
亜里砂は母親秘蔵の同人誌で見て覚えた、片手を斜め上に上げたポーズを取る。
「掛け声は、海堂くんがかけて」
『ええー……まあ、いいか。んじゃ艤装合体!』
シルフィード型の船体を包む亜空間フィールドの膜が、螺旋を描いて空間に穴をあける。
穴の中に、亜里砂を乗せたまま船体が突入して消える。
続いて亜空間フィールドが今度は漏斗のように広がり、亜空間から艤装をまとった亜里砂が出現する。
「艤装合体、完了! うわ、風がすごいや!」
『どうだ? おかしなところはないか?』
「大丈夫。うん、船に乗って座ってるより、こっちの方がいいね」
『これからブラックホールの大渦に突っ込むんだぞ?』
「だからよ。海堂くんのこと、信用してないわけじゃ……ごめん、信用はまだできてないや」
『そりゃー、そうだろうな』
「えーと、海堂くんのこと、疑ってるわけじゃないけど、やっぱり怖いところに入るんだったら、船の中に座ってるんじゃなくて、自分の足で入りたいの」
『今だって船に乗ってるようなもんだぞ? 船ごと亜空間フィールドの中に包まれているんだからな。五感で感じているのは、センサーの情報をそれらしく変換しているだけだ。レーダーが拾ってる周囲の動きは音として聞こえてるし、ブラックホール周囲の空間の歪みや降着円盤の高速粒子は触覚で風のように感じてる。全部ウソみたいなものだ』
「全部ウソでもね、それを感じている私の心は本物だよ」
亜里砂は拳を握り、どん、と自分の胸を叩いた。
そして、自分の胸をのぞき込むように下を向いて、語りかけた。
「海堂くんのことも、こっちの方がちゃんと感じられるよ。一緒にがんばろ。それで、一緒に帰ろうね」
『……おう。船の制御は任せろ』
「よーし、いっくぞー!」
艤装状態になった亜里砂の目に、〈ヘスペリデスの園〉がどう見えているかというと。
「……アリ地獄?」
『あー、そんな感じだなー』
中心のブラックホールに近づくにつれて、重力は急激に強くなる。亜里砂はそれを、すり鉢状の斜面の勾配として認知していた。
「アレでしょ。穴に落っこちないようにするには、素早くかけって遠心力でバランス取るわけでしょ」
『その通り。速度こそが命綱だ。けれど、速度を落とさずに突っ込めば、降着円盤の岩に激突した時のダメージがでかい』
「岩のタックルくらわないように、考えて駆け抜けろってことね」
ブラックホールの周囲の降着円盤のプラズマは、渦巻く水の流れ。
降着円盤内の岩などの障害物は、水に浮かぶ機雷。
突入前に亜里砂は膝を屈伸し、腰のストレッチをしてテンションを整える。
『……驚いた』
「何が?」
『夜空、お前、今の準備体操って、無意識にやってんだよな?』
「ん? うん。なんかこう動いたら、体が馴染むのよね。本当は機械だから意味ないのに」
『そんなことはない。宇宙艇のシステムバランスが今ので三十パーセント以上、最適化された。なるほど、これが艤装モードの本領発揮か』
「つまり、船の調子も良くなってるってこと?」
『そうだ。これならいけるかもしれん』
「最初っから、私はそのつもりだよ。よーし、いっちょトライ決めちゃおうかな!」
『頼んだぞ、夜空』
「うん……あ、そうだ。海堂くん、せっかくだから下の名前で呼んでよ。うちの部活では発音が同じ名字の子がいるんで、みんなそうしてるんだ」
『……えーと……あ、あり、亜里砂……?』
「なんで疑問系かなー」
『うるせえ。言いにくいから夜空でいいだろ』
「むー。しょうがないか。じゃあ行くよ」
『おう』
宇宙艇をプロテクターのようにまとった少女は、姿勢を低くして身構える。
「ゴー!」
そして、ブラックホールの大渦に向かって、思いきり良く走り出した。